第五幕-7
テオバルト教の教皇を親衛隊本部に迎え入れ会談を行うという緊急事態を前にしたカイムは、アマデウスを呼び出した。彼はカイムが異世界から召喚されたこの世界のイレギュラーだと理解する数少ない人物であり、そんな彼を呼び出し二人しかいない総統執務室で話し合う理由は一つだった。
「テオバルト教ってのはそんなに凄いのか?」
ソファーに座り焦り額に汗を垂らすカイムは、鬼気迫る表情に反して間の抜けた言い方でアマデウスに尋ねた。そのカイムの表情に、テーブルを挟んだ反対側のソファーに座るアマデウスも生唾を飲み込み真剣な表情を浮かべていたが、彼の質問を前にすると呆気にとられて無言になった。
「だからさ、テオバルト教って言うのはそんなに凄いのかい?私には宗教観念ってのがからっきしなんだ。そもそも、神も仏も信じない無神論者なの」
「さっきも言ってたけど、この国の国教だよ。大昔にこの大陸を魔族の土地にした英雄2人を神様にしてるんだ。本物の、つまりヒト族なんかが崇める神はこの国では邪悪な存在とされてるね」
「あっと…それだけ?」
「君だって、僕が無神論者って知ってるだろう!君の名字の由来だって半分適当だったんだから!」
呆気にとられるアマデウスに、カイムは苦い表情と共に額の汗を拭った。カイムの言う通り、彼は神も仏も信じない男だった。祭日も休みのための理由程度にしか考えない彼からすると、教皇という相手は偉いという以外に掴みきれない対象だった。
そんなカイムの疑問と言い訳にようやく口を開いたアマデウスだったが、小首を傾げる彼の言葉はカイムがかつて城の書庫で学んだ知識と同じだった。そのこと思わず気まずい表情でカイムが指摘すると、アマデウスも顔を赤くしながら言い返すのだった。
お互いに宗教学に疎いことが解ると、カイムとアマデウスは暫く睨み合ってから腕を組んで向き合ったまま考え込み始めた。
テオバルト教が国教であり、社会的地位があると解かれば解る程に、カイムはこの現状に多くの疑問を持ったのだった。
「だとすると、そんな教皇なんて偉い人が何で親衛隊本部に?親衛隊は首都ではともかく、そんなに有名じゃないだろ?この国、無駄に広いし」
「無駄は言い過ぎだよ…それに、テオバルト教の教皇は未来が見えるって話を聞いた事あるよ。それで…」
眉間にシワを寄せて悩むカイムの発言に、アマデウスは渋い顔を浮かべながら思い出したように呟いた。その言葉はカイムを驚愕さ、彼は余りの驚きにアマデウスの両肩を掴んだ。
鼻が付きそうな程にカイムが顔を近づけると、彼はアマデウスの目を疑うようにじっと見詰めたのだった。
「それは本当か?そんな凄い人物がいて、この国は…帝国の軍隊はヒト族に負けるのか?」
「えっと…未来が見えるって言うのはよく聞く話だけどね。でも、一度も未来の話なんて聞いたことはないけど」
「だとしても、国が荒廃するような被害を四度も受けて五度目で事実上崩壊だ。明らかにおかしいだろ!」
「細かい所は解らないんだ。いっそ本人に会うんだから聞いてみたらいいよ」
熱の入ったカイムの言葉に圧されるように仰け反るアマデウスは、思い出せる範囲で過去の記憶を思い出した。それでも納得のいかないカイムがまだアマデウスの肩を揺らすと、彼はカイムに最後の手段を突きつけた。
そのアマデウスの言う最後の手段に、カイムはゆっくりとアマデウスから手を離し、肩を落としたのだった。
「結局そうなるのか…なら行こう」
「仕方ない、地獄までくらいなら付き合うよ」
自分の中で事の真相を教皇本人に聞くという結論をカイムが出すと、彼はアマデウスを大きい動作で手招きした。そんなカイムアマデウスが軽口で答えると、二人は総統執務室を後にした。
カイム達が応接室の前に着くと、扉の前にはギラの姿があった。彼女はカイムを見つけると素早く歩み寄り、ここに居ることが当然の様に親衛隊敬礼をしたのだった。
「ギラ…何でここに?」
「"カイム・リヒトホーフェンあるところ、ギラ・フィンケあり"です!」
ギラの怪我人とは思えない溌剌さに驚くアマデウスだったが、安堵に満ちた暖かい笑みを浮かべるカイムは何も言わず彼女も引き連れて応接室のノブを掴んだ。
「速記は任せた」
カイムはギラに一言呟き、彼女が黙って頷くと大きく生きを吸ってからゆっくりと扉を開いた。
「恨む気持ちも解ります。貴殿方にとって私は殺したい程憎いでしょう。でも…」
応接室の扉を開いたカイム達三人の耳に早々に聞こえてきた教皇の声と初対面である彼女の後ろ姿、何よりあまりにも冷たい空気や何時になく雰囲気の暗いヨルクとローレの姿に、カイムは改めてこの国が魔族の国と自覚すると、その絵面に息を呑むのだった。
「御取り込み中すみません。出直します」
「入りたまえ、カイム君。君が来なければ始まらない」
つい口を滑らせて出て来たカイムの本音に、ヨルクは普段の明るい声と違う冷徹な口調で対応した。
そのヨルクの激変は扉から顔を覗かせるカイムだけでなく、その後ろのアマデウスとギラにさえ驚きを与えた。
そのヨルクの発言や醸し出す雰囲気に不用意に発言すべきでないと理解したカイム達は、音を立てない足早で応接室の各々の席に着こうとした。
席に座ったカイムに一礼する教皇の姿を見たカイムは、その暗い雰囲気から逃れるように彼女の表情を見ようとした。
カイムは、長い睫毛とはっきりして目鼻立ちながらもやや丸顔という教皇に美人というより可愛いと感じた。そして、彼女の付き添いで立っている枢機卿の男はアンコウの魚人であり、その顔は表情筋があるチョウチンアンコウ以外の何物でもなかった。
相容れないような組み合わせの教皇と枢機卿の外見の差に驚くカイムだったが、彼に遅れて席に着こうとしたアマデウスとギラは彼女達二人ではなく教皇の姿に驚いていた。
「ひっ、ヒト族!」
「まさか…こんなところに!」
「ギラ、よせ!」
その教皇のベールの下に隠された顔がヒト族と余り変わらないことから、アマデウスは恐怖の声を漏らしギラは腰の拳銃に手をかけようとした。その二人の反応から、元人間であり人間だった頃の感覚で教皇の姿を簡単に受け入れたカイムは、そのことを不味いと感じながらもギラの拳銃へ伸ばす手を抑えようとした。
荒廃した都市や多くの民が無惨に殺させたという事実は、カイムに少なからずヒト族への恐れを与えていた。それでも、何か雰囲気のようなものが異なると感覚的に察知したカイムがギラを止めると、ヨルクはひとまず落ち着いたカイム達の姿にゆっくりと溜息を吐きながら頭を掻いた。
「案ずるな三人とも。彼女は人狼族だ。確かにヒト族に見えんことも無いが、月下では狼系獣人も見惚れる程の毛並み豊かな姿になるらしい」
ヨルクのギラ達を落ち着かせる言葉と敵意や恐怖を一旦落ち着かせたギラとアマデウスに、カイムは安堵の息をつき改めて席へと座り直した。
そのカイムの姿にギラとアマデウスも席についたが、その一連の騒ぎに枢機卿は彼へと怒りの視線を向けた。
「貴様らは…教皇さまに向かってその態度…一体何者だ!」
「貴方こそ、総統閣下に失礼ではないですか?」
怒りに震えるドレヴァンツはカイムにも吠えると、彼の顔に穴が空きそうな程に睨みつけた。
そんなドレヴァンツの発言にギラは一瞬彼を睨むと目をつぶった。殺意のような冷たい視線の後に続けて放たれる冷たい刃のごとき言葉は、一瞬でドレヴァンツから口を開く意思を奪い静かにさせた。
「それでは、貴方がこの…親衛隊と言うものの長なのですか?」
「あっあの、僕は違いますよ!隣のこの人ですよ!」
ギラの言った"総統"という言葉に反応した教皇は、何故かアマデウスに問いかけると、それを真っ正面から受けてしまった彼は戸惑うと回りを見回した。
教皇から自分が総統と勘違いされたと理解したアマデウスは一瞬で顔色を悪くすると、首を横に振りながらカイムを慌てて指差した。そのアマデウスの焦りように、教皇は自分の勘違いに顔を赤らめて俯きいそいそと席についた。
それを追いかけるようにドレヴァンツも席へつくと、教皇は改めてお辞儀をした。
「初めまして…私はテオバルト教の教皇をしていますゲーテと申します」
「同じくテオバルト教枢機卿のドレヴァンツである」
早とちりでアマデウスとカイムの立場を間違えた恥ずかしさから、ゲーテは俯き小声であったが、テオバルトは彼等に威厳を示そうと尊大に名乗った。宗教観念の無いカイムからすると何が偉いのか大して解らなかったが、初対面から不穏な空気になるのは避けようと出来るだけ融和的姿勢を取ろうとした。
「親衛隊総統、カイム・リヒトホーフェンです。以後お見知…」
そんな柔らかな物腰を演出するカイムが名前を名乗った途端、俯いていたゲーテは顔を上げドレヴァンツは目を見開いた。
「リヒト…ホーフェン!」
「貴様…不信心者が、あろうことか神の名を名乗るとは!」
ドレヴァンツの大声はギラとアマデウス、そしてカイムを大いに驚かせた。特にカイムは彼の言う"神の名"という部分に驚くと、思わずアマデウスの方へと視線を向けた。そこには自分のように驚くアマデウスが映り、カイムの目線を感じた彼は暫く見つめ合った。
「何で君が知らないの?」
「だって…僕はそんなに信心深くないし、聖書なんて持ってないもの」
その少しの沈黙の後、カイムは慌てて席から離れアマデウスへと駆け寄った。焦る二人の小声の会話は回りには聞こえていなかったが、彼等の薄氷より薄い信仰心と塵より軽い宗教観念はドレヴァンツの怒りをかった。
「何と!知らずに名乗っているのか!ただでさえ神聖な名前にカイム等と余計な物を付けおって!」
そんなドレヴァンツの噴火する怒りを抑えるようにゲーテはドレヴァンツの肩を軽く叩いて宥めるように微笑みかけた。
そんなゲーテの対応に渋々ドレヴァンツが引き下がると、彼女は軽く咳払いをした。
「私達テオバルト教には2人の人物を神としています。1人は弾圧される魔族全てを統率し、このジークフリート大陸に導いたホーエンシュタウフェン。そして、もう1人が…」
「その魔族を護るため、邪悪なる信仰に染まったヒト族等と戦ったホーエンシュタウフェンの友。武神リヒトホーフェン。一瞬頭を過ったが、やはり知らなかったか…」
流れるように説明するゲーテだったが、突然言葉に詰まった。まるで言葉が口から出てこないかのような姿にカイムが不思議がると、彼女をフォローするようにヨルクが説明を続けた。
少し深呼吸して息を整えたゲーテがヨルクの方を向き礼の言葉をかけようとしたが、彼は彼女から顔を背けた。
ゲーテに対してやたらと拒絶する態度を示すヨルクにカイムは疑問を持ったが、それを一端置いておくと彼が自身の名前を付けた時に聞いたアマデウスの発言と異なっている事の疑問を解消しようとした。
その発言の張本人であるアマデウスをカイムがじっと見詰めると、説明を求める視線を送り続けた。
「ぼっ、僕は父さんからは伝説の英雄としか…」
「ホーエンシュタウフェンも"伝説"とか言ってたよな。むしろ、あの時は名前と名字の存在に言及してたしな」
カイムの視線に耐えられなくなったアマデウスが絞り出した声で言い訳をすると、カイムは召喚されたばかりの頃を思い出した。その頃のまだ対応しきれた忙しさを懐かしんでいたカイムに、ゲーテは不思議そうに首をかしげた。
「名前と名字?」
「名前は個人、名字は家族全体を表すんですよ。自分の生まれた辺境では、村で勝手にやってたんです」
マヌエラからのアドバイスにより、カイムは辺境の村の出身という身の上になっていった。それを聞くとなおの事機嫌を悪くしたドレヴァンツは、疑いの視線でカイムをひたすらに凝視していたのだった。
「教皇さま、この者は信用できません!我々はここにいるべきでは…」
「一番信用出来ないのは教会でしょう?貴殿方が言うと滑稽ですね」
怒るドレヴァンツのカイムへの疑いの発言は、今まで静かだったローレが唐突に遮った。その冷たく刺すような彼女の言葉にドレヴァンツは反論しようとしたが、そうはさせまいとばかりに彼女はテーブルへと手を叩きつけて立ち上がり、ゲーテへと非難するように指差した。
「偽りの言葉で、北方侵攻に皇帝戦死を演出したのは教皇…いえ、貴殿方枢機卿でしょう?」
そんなローレの予想外の発言により、カイムは混乱によって開いた口がふさがらなかった。




