第四幕-5
混乱する竣工式会場の鎮圧を親衛隊に任せると、カイムはギラを抱えてながらヨルク達と本部内に退避した。
「ギラ、しっかりしろ!ギラ!」
親衛隊設立後初の戦死者が"暗殺者1人対処できない総統を庇った"ということと、その戦死者がギラになるかもしれないという事をカイムは腹の底から恐れた。そのため、彼は不安と恐怖、喪失感から冷静さを完全に欠いており、必要以上に焦っていた。
「落ち着けカイム君!見た目は派手だが、死にはしない!君がそんなに取り乱してどうする。しっかりするべきなのは君だ」
そのカイムの激しい焦りを理解したのか、ヨルクは横たえたギラの肩を抱き彼女の頬を撫でるカイムの肩を掴み立たせた。彼は貴族である前に武人であったので、ギラの傷の浅い深いは一目見れば大まかには解った。
そんなヨルクに強く諭され背中を叩かれたカイムは、数回深呼吸すると改めてギラの側に歩み寄った。
それでも、カイムがギラを心配するのはやむを得ないとヨルクは考えると、同じく武家貴族であるローレに目配せすると、彼女にギラの傷の状態を確認させようとしたのだった。
「失礼、男性はこちらを見ないように」
ローレの言葉に全員が視線を外すなか、彼女はギラの野戦服の裂けた部分を捲ろうとした。その途中、ローレ周りにいた男性全員へ冷静に警告すると、カイムを含めた男性全員が顔を背けた。
「確かに傷自体は浅いです。しかし、これは切傷というよりは裂傷です。余程刃の手入れがされてなかったんでしょう」
「ガキだったしな、そもそも剣の間合いも解って無かったんだろうよ」
「でもよベンヤミン。あの剣…柄だけは良い出来だったよな。ここの連中があんなの持てるのかよ?」
ローレは多少医学を学んでいたため、傷口を調べながら行う応急処置の手際は鮮やかだった。軽く圧迫止血をしつつ傷口を拭うと、ローレは近くにいた部下数人に担架を持ってくるように指示した。そのローレの部下達に協力するベンヤミンとフリッツは小声で会話にヨルクはこの事件の裏側を感じた。
そんな救命措置が行われるギラの側にいたカイムへ、会場にいたアロイスは急いで彼の元へ近寄った。
「ローレ殿と同行していた医者…ヤーン殿と連絡が付きました。医務室の準備は出来ているようです」
「わかった、アロイス。施工式はこれをもって中止とする。ギラ曹長を…」
ローレはヨルクのような豪胆さは持ち合わせていたものの、彼と違い対面上貴族らしく大人数の同行者を連れてきていた。その中には勿論医者が居たため、親衛隊本部の医務室開設に協力して貰っていた。
そのローレの医師連れていた医師であるヤーンとの連絡が取れた報告に、カイムはギラの搬送へと同行するためにアロイスへと真剣な面持ちで命令を出そとした。
だが、カイムがアロイスへ命令をしている最中、彼は上着の左袖を引かれた。彼が振り向くとその視線の先にはギラが横たわり、荒い息で冷や汗をかきながら体を起こそうとした。だが、傷の痛み彼女が顔を歪ませると、ギラの背中ををローレがゆっくりと支えたのだった。
「閣下…私に構わず…式を続けてください…」
「しっ…しかし、ギラ。お前が…」
袖を掴むギラの右手を掴むと、カイムは運ばれてきた来た担架へギラを乗せるよう目配せで頼んだ。そんな彼の胸元を彼女は掴んだギラは、カイムへと今にも消え入りそうな声で語りかけた。
血の付いたギラのその手は失血により青く、カイムの制服に血の跡を付け襟元に大きな皺を作った。そんなギラの言葉に、カイムは彼女の安全を優先しようと敢えて反論をしようとした。
だが、その言葉はカイムの襟首を引き寄せて、彼の顔を鼻先まで引き寄せたギラによって止められた
「閣下は…親衛隊の総統です…貴女には…成すべき事が…私達を巻き込んだ責任があります!」
額が付くほど顔を寄せたギラは、血の抜けた青い顔ながらカイムに檄を飛ばした。その表情は彼を黙らせる程の気迫があり、その表情にカイムは言いたいことはあっても何も言えなかった。
そんなカイムの辛そうな顔に、ギラの右頬を左手で撫でると痛みに顔を歪めながら笑いかけた。
「私なら大丈夫です…私、知ってるんですよ…閣下が…本当にこの国を救えるか不安なのも…強くても、本当は戦う事に…部下や仲間を失う事が怖い事も…」
カイムは自分でも考えないようにしていた事を負傷したギラに言われ、彼は口を噤んだまま驚いた。そのカイムの心境は彼が親衛隊員に全力で隠していたことだった。
そんな自信をギラに見透かされたカイムはごまかす言葉を探し目を泳がせるも、微笑む彼女が頬を撫でていた左手を胸に置かれると彼女の顔を見つめたのだった。
「英雄なんて柄じゃない…そう思いながらも…言ったことを…断言した事を律儀にしようとしたから…皆ついて来たんですよ」
ギラはそう言うと、カイムの肩に力なく顎を乗せて彼を抱きしめた。
「だから、これからの…皆の総統、カイム・リヒトホーフェンの輝かしい第一歩を…後で聞かせて下さい」
耳元で囁くギラの言葉が霧のように消えると、カイムを抱きしめていた彼女の腕から力が無くなるのを感じた。ギラの力なく揺れる手を掴んだカイムが肩を震わせる中、ローレはギラの手を掴むとその脈を測った。
「リヒトホーフェン殿、大丈夫よ。気絶してるだけ。君も医務室に…」
ギラをカイムから引き剥がし担架に乗せたローレは、ギラがまだ生きていたことに安心すると、ギラと共にカイムを医務室へと連れて行こうとした。
だが、ローレが言い終わる前にカイムはその場で立ち上がると本部の出入口に向かった。そんな彼にヨルクは歩み寄ると、彼の背中を力強く叩いた。
「カイム君、人の善意を無駄にする者は一生後悔する。だから、吾輩は止めん。成すべき事をしてくるんだ」
そう言いながらヨルクはカイムの背中を押した。その言葉は端々に悲しみや苦しみが感じられるものであったが、何より強い意志のようなものを感じたカイムは一人扉の外へ歩いていった。
親衛隊本部の外は、隊員達が誘導しているとはいえ未だに混乱の中だった。
そんなカイムは大股で足早に演説台に向かうと、ティアナと泣きはらして目を真っ赤にしたヴァレンティーネ達がが彼の元へ駆け寄ってきた。そんな2人はカイムの血の付いた制服、頬や表情のない彼に何かを感じた彼女達は足を止めて敬礼をした。
その敬礼に答礼し演説台に立つと、カイムはマイクを台から引ったくるように掴んだ。その音がスピーカーから甲高い反響音となって響くと、観衆は演説台に視線を向けた。その反響音がゆっくりと静まり返り、全員の視線が自身に向いていることを理解したカイムは、大きく息を吸うと淡々と語りだしたのだった。
「わたくしは、高貴なる者ではありませんから、このように皆さんの前に立ち語り、捨て石になる覚悟をいたしました。私の任務は、親衛隊、延いてはガルツ帝国を支えてくれる意志の高貴なる者を発見して、我々に道を示してくれるための器を作る事なのです」
壇上の上で淡々と語るカイムは、混乱していた市民の視線を一身に受けながらも止まることなく語り続けた。その内容に会場にいた市民は突然の内容で困惑するも、黙ってカイムの話を聞いていた。
その話の途中、カイムは自分を胸を左手で強く叩くと、広げた左手で民衆をなぞるように指差した。
「ですから、私と意見を異にするものは、私を討って良いのです。その為に私は皆さまの前に立つのです。私は、私を討つ者の顔を見る為に、この場所に立っているのです。ですから、いつでも、背中からでも、私を討ちなさい。
しかし、ここで、今、その者に呼びかけておきます。"私を討ったあとは、ここで語った理念だけは、まちがったものではないのだから、それを引き継げ"と!」
カイムは力強く握りこぶしを民に向けて突き出し、自身の理念を突きつけるように断言した。その言葉は市民どころか親衛隊にまで衝撃を走らせた。
その衝撃さえも気にしないカイムは、突き上げたその手を開きながら、彼は軽く血の固まった右頬を撫でるとゆっくりと息を吸いながら左手で自分を指すように胸元へ置いた。
「遠くの市民の方々には、見えなかったでありましょうが、只今、このわたくしを暗殺しようとした者がおりました。その凶刃は、私の部下を引き裂いたのです。
これは、親衛隊としては許せざる事でしょう」
言い終わった瞬間、カイムはその左手を強く握りながら振り上げた。
「しかし、私を討つ事。これは良い! これで良いのです。意見を異にするものは、討って良いのです!
私は、親衛隊の旗揚げをした時に、この貧相な体をそれに見合わないこの制服で包みました。そして、こうして公衆の前にも恥ずかしげもなく、この力無い醜い姿を晒す覚悟をしたのは、私と意見を異にする者は、討って良いという事を表すからあります。
しかし、討つのではなく、一時は、わたしと意見を同じくする者がいるのならば、その方々の力をガルツ帝国再興のために、お貸しいただきたい!」
さながら民衆を払う様にカイムは両手を振り広げた。その姿はまるで演劇の一部の様であり、その空間には遠巻きの観衆さえただ静かに見詰めるばかりだった。
そんな光景を目の当たりにしたツェーザルは、回りで警備や誘導を忘れて演説を見つめる親衛隊員や候補生に少し呆れると、軽く咳払いして喉の調子を整えた。
「ガルツよ、ガルツ、何より高く」
ツェーザルが高らかに歌った1節は、ガルツ帝国国歌の冒頭であった。それに釣られるように、周りの候補生も歌い始めた。それにツェーザルは満足そうに頷くと、彼は他の親衛隊を先導するように歌い出した。そして、親衛隊は全員が高らかに歌い始めた。
「ガルツよ、ガルツ、何より高く、この世の万物より上に
護りにて、我等は家族、千切れぬ団結有るならば
エーレス川からミーレ川まで
デシュ川にベレネ海
ガルツよ、ガルツ、高くあれ、全てのものより高くあれ」
親衛隊全員の合唱は会場にいた民衆を包み、彼等にはその場がさながら物語のワンシーンかと思わせた。1番で終わるかと思われた合唱は3番まである全てが歌い終わるまで続いた。
「いいぞ!英雄殿!」
「ガルツ帝国万歳!」
「頼む!この国をなんとかしてくれぇ!」
帝国国歌が終わると、暫くの間民衆から沈黙が流れた。だが、民衆の中から誰かが叫びだすと、会場周辺は無数の歓声が響き渡った。
その状況に驚きながらもそれを全く見せないカイムに、いつの間にかそばに立っていたブリギッテが近づいてきた。
「ギラさんを置いてきた時には幻滅しましたけど…こうなっては、流石に私も認めざるおえないですね、総統さん」
そのブリギッテの耳打ちに、カイムは総統としての決意を新たにした。
そんなにカイムが本部の屋上にある国旗用のポールを見上げると、本来は式典の最後に国旗を掲揚するはずだった待機場所に候補生やレナートゥスが親指を立て立っていたのだった。
「国旗、掲揚!」
その言葉に合わせて、ラッパが鳴り響く親衛隊本部には国旗と親衛隊隊旗がはためいた。その式典の終わりに人々は大いに盛り上がり、少し前までの暗殺未遂がまるで嘘のようなのであった。
「まるで演劇のような式典だったな。あの暗殺未遂まで含まれていたなら、見事な策士だ」
数時間前の歓声が止み普段の生活へと戻り始めたデルンの街の親衛隊本部前の掲示板に、警備の候補生が張り紙を張り付けていた。内容は単純であり、"帝国歴2413年3月25日、親衛隊設立。大規模志願者募集"と書かれていた。
そんな候補生達に封筒を持った女が苦々しい表情を浮かべながら悪態をつけて近づいてきた。彼等がそれに気付くと、全員の表情が真っ青になった。式典での候補生の失態で"候補生全員の親衛隊基礎訓練参加の権利剥奪で埋め合わせる"とい噂が既に立っていたからであった。
「そこの女!止まれ!」
女を取り囲んだ警備の親衛隊候補生達そう言うと、腰の警棒を引き抜き彼女へ構えた。そんな彼等に無言で近づく女は、封筒から書類を引き出しみせつけた。
「カイムに…君達の総統に会わせて貰おう」
猛烈な威圧感を放ったファルターメイヤーは警備を無視して本部の中に入ると入り口受付の担当に声をかけた。




