第四幕-4
「まさかこれだけの人間が集まるとは想定外でしてよ…総統閣下、危険ですわ!これでは警備が不十分でしてよ!」
竣工式の舞台となる親衛隊本部"魔族の館"の5階にある総統執務室で、ヴァレンティーネは顔を真っ赤にしながらカイムに主張した。彼女の言うとおり、窓から街道を眺めると、まだ朝の9時という段階で想定以上の住人達が集まっていた。出店から会場へと流れるその人混みに、カイムは有明の同人誌即売会待機列を思い出した。
「全員が銃器で武装している。不測の事態にも親衛隊なら対応出来る。それに、私達は市民からも好印象だ。心配ないだろう」
「武装しているとはいえ、殆どが候補生ですのよ?彼等は私達と違って、まだ戦闘訓練も途中の軍隊ごっこ集団ですわ!そんな彼等の警護で民衆を手放しで信用するのは無用心でしてよ。奴等の手のひらは、貴族以上に簡単にくるくる回りますのよ?」
窓の外を見つめるカイムは、その景色から親衛隊の指示の多さに満足そうにしつつヴァレンティーネを諭そうとした。そんなカイムの慢心を見抜くように放たれた彼女の言葉に、彼は完全に言葉を詰まらせた。そんなカイムの一瞬の不安を心配したヴァレンティーネは、彼の顔の近くで手をひらひらと動かして見せた。
そんなカイムの姿にヨルクは、片手に持っていた帽子の顎紐を直しながら彼の側へ踏み出した。
「しかしな少女よ…信じずして民衆を動かすことは出来ぬよ。カイム君が直接語ったからこそ、君達は彼を信じたんだろう。ならば、民衆達も同じだ」
「しかしですね、クラウゼヴィッツさん!」
カイムへと不安を露骨に表しながら意見具申をするヴァレンティーネの肩を軽く叩くヨルクは、彼女に対して軽く叱りつけるように指摘した。そんなヨルクの気取った態度にヴァレンティーネは若干苛立つと、彼女は肩をずらしてその手を乱雑に払った。
ヴァレンティーネの刺すような睨みにヨルクは彼女の心配の度合いが強烈なのを理解すると、肩をすくめて諦めたように首を傾げるのだった。
「私も、総統閣下の御判断に従いますよ」
「ギラさん、貴女!そうやって…」
「ヴァレンティーネ、"何故我らはガルツを信じ、総統を信じるのか?"」
「あっ、貴女…」
カイムのネクタイを整えながら笑顔で言ったギラの言葉の悠長さに、ヴァレンティーネは目くじらを立てた。
だが、怒るヴァレンティーネがギラに歩み寄り怒鳴りつけようとした瞬間、彼女は親衛隊の教義問答を尋ねかけた。その言葉に怒鳴ることを止められたヴァレンティーネは、ギラの視線を前にして黙るしかなかった。
「"何故我らはガルツを信じ、総統を信じるのか?"」
「わっ…"我らが神を信じるからである。ガルツは神によって神の地に作られた国家であり、総統カイム・リヒトホーフェンは神が我らにつかわした人だからである"」
「"我らは誰のために働くのか?"」
「"我が国民と総統カイム・リヒトホーフェンのためである"」
「"我らは何故服従するのか?"」
「"我らの信念ゆえに。ガルツ・総統・帝国主義・親衛隊を信じるゆえに。また我が忠誠ゆえに"」
「そういうことですよ」
真剣な表情のギラのヴァレンティーネは、不動の姿勢で真っ向から向き合うと教義問答を始めた。その全く迷いなく出てくる言葉に、ヨルクどころかカイムさえ驚いていた。
その問答の最後の部分をヴァレンティーネが言い切ると、ギラは満足そうにの腕を組んで頷いた。その問答の意図を察したヴァレンティーネは完全に意見を発することを諦め、悔しげに床を見つめたのだった。
「閣下、大丈夫です!私が側でお守りしますから!」
満面の笑みでカイムの制服のボタンを留めたギラは、彼を励ますようにカイムの両手を握って励ました。その笑みに不思議とカイムは少し不安を感じた。
そのカイムの不安の目線に心配ないと主張するようにギラが頷くと、ヴァレンティーネや他の警備担当の親衛隊隊員も説得を止めてただ親衛隊敬礼で応えたのだった。
それに安心したカイムは、覚悟を決めると予定を変更しないことに決めたのだった。
「父さんの仇だ!死ね!この人殺し!」
だが、カイムはその決断を深く後悔した。
人混みに紛れることで警備を掻い潜り、整列する親衛隊もすり抜けて迫ってくる少年が叫びながらカイムへ剣を振り上げた。少年が小柄だったことや、隊列を組む親衛隊隊員の隙間を器用に走り抜けて迫ってくる予想外の事態には完全に反応が遅れ、その瞬間にカイムは己の甘さを呪ったのだった。
民衆に語りかける演説は如何に感情を込め、彼等の心に響かせるかが重要である。原稿をただ読み上げるのとは異なると考えるカイムは語る事に全力で集中していた。そのためカイムは少年の存在に気付かず、彼に対して右側に着席していたヨルク達も彼が影になった事と段差によって少年の存在に気付かなかった。その為、式典上にいた者達がその少年の凶行に気付いたのは、彼が絶叫を上げてからであった。
少年の刃がカイムへと振り下ろされんとする中、少年に遅れ親衛隊が彼を制止しようと近づいた。だが、少年は隊列の後ろから突然駆けてきたために、親衛隊は完全に出遅れ位置的に間に合わないことは確実であった。
そして、カイムは親衛隊の制止や自分の腰元の拳銃を構えるのは間に合わない事を理解し、自分が切り殺される未来を悟った。更にカイムは、少年の"仇"という言葉から彼が商業組合構成員の誰かの親族であり、その仇討ちをしに来たことを理解したのだった。
だが、自分の爪の甘さを理解し、慢心による唐突な幕引きを覚悟したカイムの前に素早い動きで誰かが立ち塞がった。振り下ろされた刃はその人影を切り裂き、吹き出した血飛沫は勢い良く宙を舞うと、壇上の床一面を赤く染めた。
「"守る"って…言ったよ…」
雨のように降りかかる自身の血を受けながら力無く背中からにカイムへと倒れて来たのはギラだった。生産が間に合わず拳銃を携帯出来なかった彼女は、何とかカイムを護ろうと彼と少年の間に飛び出し自らを盾としてカイムを護ったのだった。左肩から右腰まで袈裟斬りにされた彼女は、抱きかかえたカイムの手や体をその血で濡らすほど傷口から派手に血を吹き出し続けていた。
「なんでこんな…ギラ!しっかりしろ、ギラ!」
顔に付いたギラの血を拭い、その手の紅さ生温かさに我を忘れたカイムは焦りと混乱で完全に取り乱すと、ぐったりと自身に寄りかかる彼女へ声をかけながらその肩を揺すった。彼は総統と呼ばれる立場になったとはいえ、まだまだその精神は軍人ごっこに毛が生えた程度であった。カイムの元いた世界も知り合いが殺される程に世紀末でも無かっため、自分の部下が斬られた惨状を前にして彼は平静であることは出来なかった。
「いゃあぁぁあ!」
「なんだ!誰かが総統を斬り付けたぞ!」
「何だ、これも演出か?」
式典を見ていた市民達からは遅れて悲鳴が駆け抜け、会場は混乱の様相を表していた。壇上の騒ぎに見物人達は演出かと思うも、慌てふためくカイムの姿があまりに鬼気迫るものとわかると、親衛隊の警備も手一杯になるほど騒ぎは酷くなり始めた。
「なぁっ!なんっ…なんで!なんでこんな!こんな奴を庇うんだよ!」
ギラの傷口を涙目で必死に圧えるカイムの姿に、彼を殺害しようとした少年は仇討ちに失敗した事を理解した。それだけでなく、少年は戦う事に経験が無かったために自分の手や顔に掛かった血に恐怖した。そんな彼は、"自身の目的の失敗"、"見知らぬ女を斬りつけたこと"や手や体につく流血の生温かさに悲鳴を上げながら混乱する群衆の元に逃げ込もうとした。
「あのクソガキ、何てことを!」
「第8班、市民の安全を確保しろ!ヴァレンティーネ、閣下の身の安全を最優先だ!勝手に…」
「アロイス、貴方はこの場の制圧をなさい!お前達、逃がすな!あの国家の敵を逃してはなりませんわ!ぶっ殺してやる!」
逃走を図る少年の姿に、8つの瞳に憎しみと怒気を纏ったヴァレンティーネは彼へと怒鳴りつけた。そんな彼女は同様に激怒していた近く隊員数人を引き連れて少年を追おうとした。その行動にアロイスは、混乱する市民を圧える親衛隊員達を指揮しながらヴァレンティーネ達を止めようとした。
それでもヴァレンティーネ達は怒りに任せて少年を追走するため全力疾走していった。
「あの単細胞め…ティアナ、あの馬鹿を援護してやってくれ!組織的犯行なら、待ち伏せされるかもしれない!あんな6人じゃ…」
「わかった、リヒャルダちゃん!」
「皆さん、落ち着いて…って、おい!ティアナ、私まで行ったら下士官が…」
「いい、リヒャルダも行ってくれ!」
既に周辺にで逃げようとする市民に対して誘導を行っていた親衛隊は、彼等も混乱しながらも素早く態勢を立て直し、市民の混乱を治めようとしていた。そのため、アロイスはティアナにヴァレンティーネの援護を頼み、彼女は快諾した。すると、近くで候補生達を指揮していたリヒャルダの腕を掴み同行させようとしたのだった。
突然のティアナの行動はリヒャルダの赤い瞳を丸くさせる行動だったが、アロイスの指示が飛ぶと彼女も後ろ髪を引かれつつも、ティアナと共にヴァレンティーネの後を追ったのだった。
「大人しく投降しろ、この人でなしが!」
「総統閣下暗殺未遂だ、広場でその首吊ってやるからとっとと捕まれ!」
デルンの路地を駆け抜ける少年は、現場からさほど離れた訳でもない中で既に息が上がっていた。それは少年がそこまで運動が得意でないことの現れであり、親衛隊と逃走劇を繰り広げるには明らかに不利であった。
その結果、袋小路に追い詰めらた少年はヴァレンティーネの指揮するマックスやツェーザル達親衛隊員達に罵声と銃口を向けられ追い詰められたのだった
「あの男に家族が居たとは…醜い…こんな者は帝国国民ではありませんことよ!」
「父さんが醜いだと!お前がそんなこと言えた義理か!父さんがいなかったら、お前なんて…ぐぇあ!」
追い詰められて狼狽する少年を見るヴァレンティーネの目は冷たいものだった。そんな少年に何か気が付いた彼女は、彼にさながら汚物を見るような視線を向けると唾棄の言葉を叩きつけた。
そのヴァレンティーネの怒りに比例するように、少年は彼女の言葉に怒りを顕にすると彼女に負けじと罵声を吐こうとした。その時、少年は逃走に邪魔な彼等を切り伏せようと剣を下段で構えヴァレンティーネの元へと駆けようとした。
だが、その少年の足にマックスの小銃が火を吹くと、太腿を撃ち抜かれた彼は地面を何回も転げ回り、ヴァレンティーネの足元へと倒れ込んだ。
「ぐっぅ…まっ、待って!」
少年の太腿には大穴が空くと、止めどなく血が流れる出した。その痛みに彼は地面を藻掻きながら太腿を抱きかかえるように抑え込んだ。だが、その動きで傷口から更に血を吹き出す少年は、自分を見下げるヴァレンティーネに恐怖で皺くちゃになった顔で命乞いをしようとした。
だが、同じ親衛隊員を傷付けただけでなく、総統暗殺を企てた事にヴァレンティーネ達全員が怒りの表情を剥き出しにしていた。死の恐怖に怯え涙を流す少年に侮蔑の表情を浮かべると、ヴァレンティーネは右手を上げた。
「撃て!」
その言葉と共に右手が振り下ろされると、親衛隊員全員が少年に小銃弾を浴びせかけた。ヴァレンティーネ達の放放った弾丸は、街道に無数の銃声を響かせ、少年を無慈悲に引き裂いた。頭だけは絶対に狙わない彼女達は、倒れる少年の手足や腹部など一発で死なないありとあらゆる部位を撃ち抜いた。銃声が響くたびに皮膚や筋肉に大穴を空ける少年は全身の弾痕から血を流し、着てきたコートが彼の血肉と共に千切れ飛んだ。
「自分の親の悪事を理解出来ず、私達に仇討ちとは…ギラさんは嫌いですけどね、一応同じ親衛隊なのでしてよ」
着ていたコートが千切れ飛び、着ていたコードのフードが千切れたことでその少年が魚人族であることがわかった。そんな少年の正体が商業組合の組長と解ると、ヴァレンティーネを除いた全員がその正体に呆然とした。復讐されるということに慣れていなかった彼等はその行為に複雑な表情を浮かべたが、虫の息で小刻みに震える少年に、ヴァレンティーネは歩み寄って吐き捨てた。
そのヴァレンティーネの言葉にマックス達は改めて怒りに握り拳を震わせるも、彼等は任務完了と共に落ち着きを取り戻そうとした。
「悪人でも…家族なんだ…」
そんなヴァレンティーネ達に消え入りそうな声で放たれた一言は、彼女から冷静さを奪った。少年が自分の父親の悪事を肯定したこと、悪人でも家族として愛していたことと自分の家族が奪われたことが一気に頭を駆け抜けたために、彼女は心の中の負の感情が一挙に吹き出した。
「人でなしが…ウジ虫が…人間の言葉を喋るな!」
ヴァレンティーネはコートの下に隠していたサブマシンガン二丁を残りの4つの腕で構えると、絶叫しながら少年の頭部に銃弾を放った。フルオートで放たれる弾はものの数秒で少年の頭を砕ききった。ザクロの実の様に赤い血肉を撒き散らす少年の頭が原型をなくし、弾倉がからになり弾が出なくなっても、彼女は引き金を引き続けた。
「死ね、死ね!総統閣下を傷つける奴は!仲間を苦しめる奴は!私から何かを奪う者は!みんな死んでしまえぇ!」
その光景を見ていたティアナは、リヒャルダに目配せするとヴァレンティーネの元に走った。既に少年の頭部が頭と解らない程砕けても、千切れ飛んだ少年の眼球や脳髄がその足やコートの裾にかかっていても弾倉を換えようとする彼女の手を掴むと、ティアナはヴァレンティーネの正面に立った。突然に現れたティアナに驚くヴァレンティーネの両手から弾倉を払うと、ティアナは自分の顔を彼女の顔に近づけた。
「もういいの…ヴァレンティーネ…終わったから、大丈夫だから」
ティアナに抱き締められながら声をかけられ冷静さを取り戻したヴァレンティーネは、感情的に行動した自分の残虐な行為に訳が解らなくなった。彼女は戦う事も気づくつことにも慣れていたが、自分の知り合いが傷付く事には慣れていなかった。その恐怖や不安が濁流のように彼女にこみ上げると、ヴァレンティーネは膝から崩れ落ちた。
「総統を…護ろうとして…ギラが…血が流れて…ギラがぁ!」
「大丈夫、あの子は大丈夫だから」
銃を落とし、ティアナに全ての腕で抱きつくとヴァレンティーネは大粒の涙を落としながら泣き出した。彼女はギラの事を少しは嫌ってはいたが、少なくとも実力は認めておりライバルとして意識していた。そんな関係の中で、自分さえ気づかぬ内に友情を感じていたヴァレンティーネの心には、止めても溢れる悲しみで涙が止まらなくなっていた。
そんなヴァレンティーネをなだめるように、ティアナはゆっくりと背中をただ静かに擦った。彼女は、会場を去る途中で見たギラを抱きかかえ本部施設に入っていったカイムを思い出すと、ヴァレンティーネを静かに励ました。彼女には、両頬に血で付いた手の跡を残すカイムとあり、手を血で真っ赤に染めるギラが不思議と無事であるように思えてならなかった。




