第三幕-5
カイムの指示で訓練生達が退室すると、彼は応接室の戸棚の引き出しから紙の束を取り出した。そのうちの数枚を机の上のカップやポットを退かしながら、カイムは丁寧に順番通りに広げた。
その書類は装備に関する概略図であったが、銃器の物より遥かに細かく部品を分けて書かれていた。そして、その書類はまだマヌエラやレナートゥスにも見せていない物だったため、2人は前のめりになってそれを覗いた。
「これは…何だ?これは君がいつか言ってたエンジン…発動機というヤツだな」
「例の"金属で出来た馬の要らない荷車"…秘密兵器って奴の心臓じぁねぇか!出来てんなら早く見せろよ、坊主」
その内容を確認した2人は迫る大仕事を前に少し興奮気味で概略図を確認した。その横では、彼等の話す内容を全く理解出来ないクラウゼヴィッツや騎士、アマデウスが何の事かと不思議な顔をしていた。
そこに描かれていたのはエンジンとモーターの大まかな構造。そして、砲兵器に関しては大雑把ではあるが榴弾砲やカノン砲とそれを乗せる砲塔の仕様が概略図に書かれていた。マヌエラとレナートゥスもカイムから大まかには存在を聞いていたために、2人はあれこれと概略図を片手に話し始めた。
そんなマヌエラ達の姿を興味深く観察していたクラウゼヴィッツは、余っていた概略図の説明文の紙を取りカイムへ手招きした。
「済まないが、カイム君…この戦車とは、何かね?」
「これは…馬が引く訳じゃ無いんだね。車輪に付いているこれは…何だろうね」
「人が5人も要るのか?こんな物で荷物運ぶのかよ。こんなの役に立つのか?」
「とはいえ、あんな爆発を起こせる奴らだ。これは凄い物かもしれないな…」
「爆発を起こすって、外で何回も起きてた爆発は意図的に起こされた物なのかい、バーダー?」
クラウゼヴィッツはその説明文に名打たれた"戦車"という部分に注目しつつ、その内容をカイムへ尋ねた。すると、その言葉に続くようにクラウゼヴィッツの騎士達も各々の疑問の声を出し始めた。そんな騎士達3人の疑問を聞いたカイムは、概略図の戦車を横から見た図を3枚出したのだった。
「これは親衛隊における秘密兵器の1つで、書いてある通り戦車という兵器…有り体に言えば乗り物です。先程言った条件として、これを大規模に量産できる施設と人員、資源の提供。そして、今後創設されるガルツ帝国の陸軍にクラウゼヴィッツ卿の軍を編入させる事。こちらとしてはこれが最低限の条件です」
簡単に言ったカイムのクラウゼヴィッツへの要求はマヌエラやレナートゥス以外の全員を驚かせる物だった。何より、クラウゼヴィッツと騎士達には、カイムの言葉において絶対に聞き捨てならない言葉があったのだった。
「ガルツ帝国陸軍…と言ったな?カイム殿、それはどういう意味かね?この帝国の兵力は各貴族の軍から編成される。君がこの…"国軍"?と言うものを作るということは、つまり吾輩から戦力を奪うという事かね?」
カイムの言った今後の展望はクラウゼヴィッツに疑問を与え、彼の騎士達の怒りを買う物であった。そのため、彼等はカイムに詰め寄りそれを問いただそうとした。
だがそれをクラウゼヴィッツが制すると、彼はカイムをただ黙って見詰めた。その沈黙に、カイムは少しの間静かに言葉を選んだ。
「この国が度重なる侵略に屈したのは根本的な戦力差だけでは有りません。貴族がそれぞれ戦力を持って指揮する事が、指揮系統の混乱と戦力の分散を生みます。だからこそ、国が全戦力を管理し戦略を伝え、その国の軍に属する将軍や指揮官が戦略に則った戦術を駆使する。そして兵士がそれに従い戦う。そうでなければ国防など端から無理です」
「つまり、貴族など要らぬから財と兵力を寄越せと?」
「それは曲解ですよ。自分が言いたいのは、用兵の出来ぬ貴族が軍を持つ事が良くないと言いたいのです」
言葉を選び語ったカイムの持論は、クラウゼヴィッツも頷けるものであった。ただ、彼は何も言わずに納得するのを止め、少しだけカイムに鋭く突くように指摘を放った。そのクラウゼヴィッツの口調が冷静なもので、一切の感情表現を行わなかった為に、カイムは少し言葉を選びながら更に持論を述べるのだった。
その持論を言い切ったカイムは、その短い舌戦に負けぬとソファーに預けていた背筋を正した。その姿勢のままクラウゼヴィッツから視線を離さず冷めたコーヒーにゆっくりと手を付けると、カイムはカップの中に視線をずらしながらソーサーの上に戻した。
「私は、"高貴な者が持たねばならぬ義務"というものがあると考えます。例えば、戦争が起きたとして、戦場では一般市民は怖いと言って逃げ出してもいいですが、尊き者、貴族は血を流す事を恐れてはならず先陣に立たなければならない」
「それは武家貴族ならば当たり前の事だな…そして、一般貴族でも、貴いからこそ民を守る軍を持とうとするのだろう?人には得手不得手が有るが、だからといって兵を没収するのはいささか横暴だろう?」
「貴族の権利を否定する気は有りません。ただ、兵が血を流し戦うなら、それを最小限にして最大限の戦果を得れる者がするべきだと言いたいんです。貴族にも色々な方がいるでしょう。得意な仕事でこの国を支えるからこそ、富を持つ権利がある。ならば戦の上手な方が兵を持って指揮を取り、それを帝国がきちんと管理すべきでしょう?」
「人権は平等だが同じ人間は2人といない。故に名に恥じぬ行いをせよと…だがな、帝国の政府が軍を持つ。それはこの国の在り方を大きく変える事になる。反動は大きいぞ」
お互いの思考や考えを投げかけ合うカイムとクラウゼヴィッツの間には、鳥肌を立たせるような緊張感が走っていた。そんな緊張の中でクラウゼヴィッツの放つ言葉に対応しきったカイムは、コーヒーを飲み渇いた口を潤した。
クラウゼヴィッツも同様にコーヒーを飲み干すと、最後の質問に対する回答を促す様にカイムへ手のひらを向けた。
「それこそ、私が不要と考える貴族そのものです。大義もなく目の前のちょっとした変化に付和雷同する。ただ声を出すだけならまだしも、自分に火の粉がかからぬように隠れる様な者こそが、この国には不要と言いたいのです。真にこの国の悲惨さ、民の困窮を理解するなら、富、財や兵の流失には多少なり目を瞑れるはずです。後の繁栄を考えれば」
「成る程な…高貴なる義務を全うする。それこそが人民の為であり、名声を得る者の責任。民の為と叫ぶのではなく、行動こそが義務か」
「叫び行動を促す事が、義務な女の子も居ますがね」
カイムの返答の言葉に数度顎を撫でると、クラウゼヴィッツは数分黙った。静かな応接室に鳥の声や外の訓練生の声が聞こえる中、カイムはゆっくりと息を吐きつつクラウゼヴィッツを見つめた。
そして、クラウゼヴィッツが頷いて呟くと、カイムは緊張感から思わずその口から軽口を出してしまった。その軽口にクラウゼヴィッツは軽く笑うと、彼は概略図の1枚を指差した。
「この戦車…いや、君達の使用する武器を吾輩の提供する"帝国陸軍"にも供与するというのはどうかな?どうも君達は、吾輩達よりもの凄い物を持っているようだしな。ついでに君達と同様の訓練もして欲しい。吾輩は君の大きな"最低限"に対抗してこれを条件に追加する」
「なら、クラウゼヴィッツ卿の軍と我々親衛隊の武器の量産も条件に付け足します。それで、こちらとしては釣り合いが取れます」
カイムとクラウゼヴィッツの話し合いが纏まり始めると、我慢ならないとばかりにレナートゥスその間に入って勢いよくその両手をテーブルについた。
「待てよ坊主!俺はこの戦車を見たのは初めてだ。大砲は部品の図面は殆ど出来てるが、今は小銃の量産と銃器の試作、首都の親衛隊本部の建設で流石に一杯だ。人手が…」
「レナートゥス殿。ならば吾輩の領地、メルクス=ポルメンに来れば良いのではないのか?この首都の鍛冶ギルドは君を目の敵にするがな、領地のギルド長は出掛ける吾輩を見るといつも"アルブレヒトのお供を連れて来てくれ"と五月蝿くてな。良質な鉱山も有る。ここより良い物が出来るぞ!」
割って入ったレナートゥスの言葉に、クラウゼヴィッツは指を鳴らすと、その眉間に指差しながら格好をつけて提案をした。そのクラウゼヴィッツの提案にレナートゥスは尻尾を振り喜ぶ身振りをしたが、すぐにマヌエラへ振り向いた。その視線は物欲しそうな子供のようであり、その視線を受けたマヌエラは尻尾を垂れながら、不貞腐れるように窓の外を見つめたのだった。
「マヌエラ殿も来ると良い!住む所には困らんぞ。それに…」
「首都は今後どうなるかわからない…か?」
そんな寂しげなマヌエラにクラウゼヴィッツが機嫌よく提案を持ちかけた。その内容を先読みしたマヌエラはすぐにその先の言葉を尋ねると、クラウゼヴィッツを含めた全員が黙して返した。
「カっ、カイムさん!首都がどうして危険になるんですか!」
「ファルターメイヤーの妹さん、落ち着いて。そもそも、今回の帝国議会は殿下が主導だ。つまり反対する奴はここで行動を起こすだろう。それに、ここは殿下の城がある。内戦なんて起きたら、ここは重要拠点だ」
マヌエラの言葉に驚くブリギッテが放った疑問の返答は、意外な事にカイムではなくクラウゼヴィッツの騎士であるバーダーから帰って来た。その説明に、ブリギッテは納得しつつも気に食わない様子で黙り込んだ。
「けっ!内戦か。俺の趣味じゃねぇな。俺たちゃ魔族だぞ!身内でやり合うのはな…まるでヒト族だ」
「ソルヴェーグ、そうは言ってもね。なんとなくだけど想像してたでしょ。いざ言われると嫌だけどさ」
クラウゼヴィッツの騎士であるソルヴェーグとレトガーのボヤキは、部屋の空気を重くした。そんなボヤキにブリギッテは何かしら発言することが出来ず黙るしか出来なかった。
「私はブリギッテ…ブリギッテ・ファルターメイヤーです…」
かろうじてバーダーへと名前について反論すると、ブリギッテは空のカップにコーヒーを注いだきり静になった。
カイムも、内戦の勃発による首都への南部貴族の進駐は前から予想していた。そのため、安全な地帯での武器や兵器の生産拠点や兵の訓練拠点確保は難題として存在していたのだった。
「話の流れから考えて、卿は帝国軍…いや、帝国国防軍への参加。つまり我々親衛隊と協力関係となりますが…今更ですけど、それでよろしいので?」
そんな暗い空気を破るようにカイムがクラウゼヴィッツに尋ねると、彼は騎士3人に視線を向けた。その力強い視線にバーダーとレトガーが頷きソルヴェーグが顔を背けると、クラウゼヴィッツも皆無へ深く頷いたのだった。
「話が纏まってる所悪いけどよ。親衛隊本部の建設はもう少しかかるぞ。言っても後4日くらいかだがな。人手が多くて順調だがなぁ。俺がここと現場を行ったり来たりで予想外に外部の装飾が遅れてな。少しかかるぞ…凝りすぎたかな?」
遂にカイムとクラウゼヴィッツの話が纏まった中で、ただ一人頭を掻きながら言ったレナートゥスの言葉に、クラウゼヴィッツは笑いながら彼へと高らかに拍手をした。
「流石はレナートゥス殿、物造りに関しては妥協が無い。吾輩の城を造った男は伊達では無い訳ですな!なら、その本部とやらの建設を終えてからでも遅くないですし、それでどうですかな?」
「すまないな、クラウゼヴィッツ殿。しばらく待ってくれよ」
「全く、物も人も少ないのにな。なら、さっさと仕事に戻るぞ」
クラウゼヴィッツの快活な口調の提案にレナートゥスは深く頷くと、呆れるマヌエラに手招きされたながら研究所の設備輸送の相談をし始めた。
やっとカイムとクラウゼヴィッツの話し合いが終わり気付くと重い空気が部屋から流れ去っていた。
その空気の中で一人ソファに疲れたように寄りかかるカイムへ、クラウゼヴィッツがゆっくりとと前屈みにカイムへ向き直った。
「城にこのまま行くのも良いが、数日くらい泊まらせて貰えんかな?せっかくだ、君達の訓練を見学したいしな…」
「えぇ、構いませんが…何です?」
語尾を濁しながら手を組みカイムを見詰めるクラウゼヴィッツは、優しい口調でカイムに頼みかけた。その途中でクラウゼヴィッツは身振りで恥ずかしそうにしだすと、カイムは不思議そうに尋ねかけた。
すると、クラウゼヴィッツはレトガー達を確認するとこっそりと呟いた。
「それと…良かったらその服、吾輩の分も仕立てて貰えないかな?なかなか格好良くてな…それと、実はその…名というのも吾輩欲しくてな。クラウゼヴィッツと呼ぶのも書くのも呼ばれるのも、とにかく長くてな…」
新たな条件が加わり、親衛隊の有力な協力者を唐突に得たカイムは、力無くソファーに寄りかかり天井を見上げたのだった。




