第三幕-4
「クラウゼヴィッツ殿…随分曖昧な言い方をしますな…南部が元気なのはいつもの事でしょうに」
クラウゼヴィッツの放った一言にカイムは息を呑み、それに疑問を感じたレナートゥスの発言は親衛隊全員が頷く物だった。親衛隊の設立された本来の理由にも、カイムの身辺警護だけでなく来たるべき内戦での近代戦術のアドバンテージを得るため真似事であっても近代軍隊の先駆けを早期に編成するという事が有った。その仮想敵は勿論南部や西部の貴族、治安が悪く既に内紛の手前まで来ていると噂の東部地域だった。
帝国の首都デルンが大陸中心部に有るという点や、多くの貴族が自領地管理を優先していたために情報が入りにくい状態だからこそ、クラウゼヴィッツの言葉はカイムに取って眉唾物だったが興味深いものであった。
「確かに、今の今さら何処の貴族が動いた所で総統閣下に反するなら敵には変わりありませんわ。親衛隊は総統閣下への不穏分子排除が任務ですのよ。何処の貴族が相手でも退かず、容赦はしませんわ」
カイムの背後から流れたヴァレンティーネの冷たい口調に、その場は一気に静かになった。カイムは彼女が自身に協力的な事は素直に喜んでいた。しかし、彼女の掲げる親衛隊至上主義やこのような過激な発言には困っており、なまじ戦闘力がある事から出る自信にも頭を悩ませていた。
ヴァレンティーネの視線は明確にクラウゼヴィッツへ向いており、彼の騎士3人はその露骨な敵対発言に怒りの表情を浮かべた。
「少し失礼な態度ですよ。綺麗なのは口調だけですか?情けない」
「ヴァレンティーネ訓練生。親衛隊は閣下の剣で有れども、下品な暴力集団では無いのです。我々は選ばれたエリートなのですよ。もう一度座学を受け直した方が良いのでは?発言を慎みなさい」
「今回はギラ訓練生に同感だ。そんなんじゃ、総統閣下が一部の間抜けな貴族と同じだと言ってるような物だ」
敵愾心をクラウゼヴィッツに出すヴァレンティーネだったが、彼女に冷たい視線を向けたブリギッテやギラ、アロイスが叱責をした事で、彼女は唇を噛みながら引き下がった。ヴァレンティーネを止める決定打となったギラに礼を込めて軽く頭を下げたカイムは彼女と目が合い、彼女は彼に笑顔を見せた。
そんなギラはカイムの横へ険しい表情で一歩前に踏み出した。
「部下の無礼な発言、失礼しました公爵閣下。上官としてお詫びします」
「いや、ギラ訓練生は悪くない。親衛隊は私の兵である以上、私の監督、教育不足です。本当に、申し訳ありませんでした」
先んじてギラが深々とクラウゼヴィッツに頭を下げて謝罪すると、それに続いてカイムも彼に頭を下げた。カイムの謝罪の言葉に続きブリギッテとアロイスが頭を下げると、原因であるヴァレンティーネはおろおろと慌ててクラウゼヴィッツ達へ頭を下げた。
「申し訳…ありませんでしたわ…」
吹けば消えてしまいそうな小声で放たれたヴァレンティーネの謝罪は、クラウゼヴィッツ達にカイムの親衛隊における権力の強さを理解させた。
そんな重い空気を破るようにクラウゼヴィッツは大きく笑いだすと、空のカップをソーサーの上に置いた。
「構わんよ、カイム君。若者はそれぐらい大口を叩いた方がいい。こいつらも最初は物騒で喧嘩っ早い奴らだったよ」
笑いながら右手で膝を数回叩くと、クラウゼヴィッツはヴァレンティーネへ笑いかけた。その豪快さや懐の広さに、カイムは黙ったままもう一度頭を下げた。
そんなカイムの姿に頷くクラウゼヴィッツは、改めてカイムに向き直ると真剣な雰囲気を放ち始めた。
「君は東部の事情についてどれくらい知っているのかね?」
「度重なる侵略の最初の被害地。侵略の防衛拠点では在るものの大抵突破される。首都より被害が多く貴族と民の間に争いが頻発している…と」
真面目な口調のクラウゼヴィッツの質問に答えたカイムだったが、彼の真剣な返答はクラウゼヴィッツにとっては言葉を返しにくい物だった。彼は頭を数回掻きながら、返答に困ったような唸り声を上げた。
「あ~っとだな。確かになっ、その通りなんだがな。冷静に言われると本当に彼処は危機的なんだよな。いやっ!それは置いておくとして、貴族の組織について聞いたのだよ」
手を縦に振りながらクラウゼヴィッツはカイムに困った口調で答えた。カイムの答えは彼にとってあまりいい気分になるものではなく、話の流れに沿わないものだった。
そのために、クラウゼヴィッツは再びカイムに聞き直すと、聞かれたカイムは考えるように顎を撫でた
「確か…大公が一括管理しているとか…だったかな?そうですよね?」
少し考え込むアカイムに助け舟を出したのはアマデウスであり、彼の言葉は全員の理解と同じだった。その言葉に、クラウゼヴィッツは腕を組むと大きく頷き、懐から1枚の手紙を取り出した。その封は蝋でされていたが、何も描かれて無かった。彼はその手紙の中身を抜き出すとテーブルに広げた。
「ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル…つまり大公は吾輩の古い友人なのだ。と言っても、かなり古すぎて最後に会ったのがいつかもわからん。そんな彼から秘密裏に連絡が来てな。南部の公爵、ザクセン=ラウエンブルク卿が東部の視察に来たらしい。その事は以前から通知されていたらしいが、アヤツが東部に来る事自体が珍しい。何よりこの時期だ。何か考えていると考えるべきだ」
クラウゼヴィッツの言葉はカイムとしても気になる事であった。
この国の貧富の差から、カイムは南部がいずれ皇女に対して反旗を翻すと考えていた。しかし、首都が事実上孤島と化しているために外部の勢力やその行動は不明な点か多かった。だからこそ、クラウゼヴィッツのその情報はカイムにとって有り難かった。
そして、首都にいた商業組合の殲滅で親衛隊か得た書類には利益は東部の都市に流れているとあった。その書類の信憑性はある程度有る分、カイムはその大公の手紙に不信感を懐いた。東部が南部と結託している可能がある以上、彼はその知り合いであるクラウゼヴィッツをその突然の登場などから怪しむのだった。
「その様な事態なら、何故私達の元に?親衛隊は40人程度の、総統閣下のための組織ですよ?直接殿下や貴方が対応すれば良いのでは?」
「殿下には…いや、吾輩達には敵が多い。確かに吾輩は軍を持っている。だが、それを迂闊に首都に入れれば吾輩を嫌う連中が文句を付けて進駐してくる。そうなれば、尚の事殿下を危険に晒す」
そんなクラウゼヴィッツにかけたアロイスの言葉は、カイムの言いたい事その物であった。
今の親衛隊は武器や訓練を近代化した事で戦闘力は高いが、数の暴力は天敵に近い。例え1人で5人を相手どれても、6人来られれば対応しきれず倒される。それが一対千の様な大群相手の戦闘となれば、親衛隊には何の勝算もなかった。
それ故に、カイムは親衛隊員達へ"商業組合の殲滅が成功したのは奇襲であったから"と何度も教育していた。その結果、親衛隊が浮かれて過度に調子に乗る事はなくなり、アロイスの様な発言がきちんと出るのだった。
アロイスの突き放す様な一言に、クラウゼヴィッツの騎士達は怒りの表情を見せた。それは彼の言葉がクラウゼヴィッツへ失礼な態度であると感じられたからであった。
だが、クラウゼヴィッツは彼等の怒りを片手で制止すると、ヴァレンティーネにカップを差出しコーヒーのおかわりを求めた。そんな彼のカップにヴァレンティーネがゆっくりとコーヒーを注ぐと、クラウゼヴィッツはそれを一気に飲み干して両手を膝に置き頭を下げた。
「閣下!閣下が頭を下げる必要は…」
「成らぬ!止めては成らぬのだ…今の吾輩達は無力な烏合。しかし、君達は首都で自由に行動できる。何より、吾輩は聞いたのだよ。マヌエラ殿は、君はこの国を救うかもしれないと。そして見た。この砦と君に鍛えられし兵士達を。ならば、再臨した英雄リヒトホーフェンを…たとて偽りかも知れぬが信じるしかないと」
そのクラウゼヴィッツの行為に騎士達3人が一斉に止めさせようとした。それを一喝したクラウゼヴィッツは深く息を吸い、更に頭を下げた。地面にめり込みそうな程に頭は下げられ、彼の肩は感情の高ぶりからか少し震えていた。
「君の気持ちもよくわかる。兵を率いる以上、迂闊な信用は首を絞める。我輩を南部の使いと疑うのもわかる。だが、吾輩は殿下を護りたいのだ。あの子はまだ若い。故に高すぎる理想を見る。だがな、あの子は純粋だ。人の痛みや苦しみが解る。だからこそ苦しむ者を救いたいと、民を護りたいと願うのだ。我輩のような…血に汚れた武人は彼女の理想を護り育てる事が義務化なのだ。だから、信用してくれなくて構わない。何なら今後、吾輩を怪しく思ったら討ってくれて構わない。だから、吾輩の換わりにあの子を護って欲しい」
クラウゼヴィッツの言葉は漢気の溢れるものだった。そして、カイムは彼の言葉からホーエンシュタウフェンと彼の関係が父と娘に近いものと理解した。だからこそ土下座という方法でカイムに助力を求めるということにも、彼は少なからず納得した。
「どうか、お願いします」
「クソっ…頼む。オマエ、英雄なんだろ?そんくらいできんだろ!」
「ソルヴェーグ!なんでレトガーみたいに頼めないんだ!」
そんなカイムの前では、いつの間にか3人の騎士までも頭を下げており、完全に彼は部屋に溢れる断れない空気に飲まれてしまった。
「確かにカイム…君の考えは解る。だがな、こいつは少なくとも嘘はつけない人種だ。言うと誰でもすぐ解る」
「坊主、俺とマヌエラが言うんだ。信じて協力してやってくれないか?」
「貴方は帝国と殿下の為に親衛隊を設立したんでしょう?私達に嘘をついたんですか?」
そんな空気にやっつけられるカイムはマヌエラとレナートゥス、ブリギッテの発言や、アマデウスの輝く目線に追い打ちを掛けられると、激しく軋む良心の音を聞いたのだった。。
「閣下、皇女は親衛隊を追い出したと聞きましてよ。ただでさえ閣下を役立たず扱いしてほっておいて、邪魔なら追い出し困ったら助けてくれなんて、随分と都合が良すぎでは有りませんこと?それこそ"無礼はどちらだ"と言いたくなりません?」
そんなクラウゼヴィッツ達をヴァレンティーネは口元を片手で隠し鼻で笑った。彼女の発言はカイムをしても確かにそうだと感じられた。カイムは親衛隊の基礎訓練を早く終わらせたいという考えが有った。そうでなければ候補生の訓練も行えないし、全体の練度も中途半端になってしまうからであったた。
何より、掌を何度も返される皇女達の行動にカイムも多少はうんざりしていたのだった。
「閣下、あの人は嘘をついていません。他の方の言う通り信用できるかと。皇女殿下にも恩を売れます。それと、北は鍛冶ギルドが有能と聞いた事が有ります。軍もあるなら…」
それでも、カイムは己の"良心"と"効率と皇女に対する悪感情"の狭間で苦しんだ。彼の中の2勢力の主張はどちらも正しかった。
そんな迷うカイムに、いきなりギラが助け船として重要な情報を耳打ちしてきた。突然の良い情報は疑うに越した事はないとはいえど、今の彼にとっては何より非常に朗報だった。
「顔を上げて下さい、クラウゼヴィッツ卿。解りました。その願い、偽の英雄ですが受けましょう」
カイムの言葉にクラウゼヴィッツは顔を上げた。口を開けて見上げる彼の姿はホラー映画のシーンの様だったが、眼窩から涙のような物が垂れているのを見ると、カイムは急に親しみのような物を感じた。
「本当か?吾輩は君を信じて良いのだな?そうなのだな?」
「ただし、条件が付きます。それでも良いなら…」
「領民を犠牲には出来ないが、吾輩の出来る事なら何でもしよう」
カイムの手を取り力強く握手をしてきたクラウゼヴィッツに圧倒されながら、カイムは何度か頷くと条件交渉の為に訓練生へ部屋を出るよう指示したのだった。




