第二幕-4
アモン以外誰もいない部屋で、彼は書類を見つめていた。その書類はカイムがサインした要求の承諾書だった。その書類を彼は天井で部屋を明るく照すシャンデリアに掲げると、頬を赤くしてうっすらと笑みを浮かべた。
そんなアモンの静かな喜びを吹き消すように、応接室の扉が力強く3度叩かれ、勢いよく開け放たれたのだったた。
「アモンは居るか?居ても居なくても入るぞ!」
乱雑に開いた扉からは息を荒らげたファルターメイヤーの声が響き、彼女は荒ぶる感情を顕にしながら部屋に入った。
そんなファルターメイヤーの姿を見たアモンは、呆れるように溜息をつきながらコーヒーカップに手を付けた。それは先程まで来ていたカイム達に出したのだが、彼等は一口も手を付けないで帰ってしまった。そのカップの中身はとうに冷めてしまっていたため、アモンはポットに残ったまだ温かいものを空のカップに注ぎ直しファルターメイヤーへ手招きした。
「やぁ、ファルターメイヤー。コーヒーでも飲みに来たのかい?俺はコーヒーには、いささか自信が有ってねぇ」
「どういう事だアモン!」
「あぁ、"ぬるいものを出すなんて"という事かい?入れ直すのも手間だし。何より残すのは勿体無いからね」
「誤魔化すな!ここにカイム達が来ていただろう!私は何も聞いていないぞ!」
アモンがコーヒーを注ぎきったカップを器用に向かいの席に滑らせると、ファルターメイヤーはそれを無視して机に音が鳴る勢いで手を付き彼を睨み付け怒鳴りつけるのだった。問いただす彼女の言葉に話題を反らそうとしたアモンだったが、ファルターメイヤーは完全に彼を警戒しきっていた。
そのため、ファルターメイヤーを誤魔化すことが出来ないと悟ったアモンから笑顔が消えた。無表情になると、彼はただカップの中のコーヒーを揺らし、しばらく何も喋らず黙り続けた。
「大事を成すためには、常に小細工が要る。議会が近い以上、彼女の回りに余計な人物は居ない方が良い。たとえどれだけ才能が有っても、人は1人では何もできない。ならどれだけ偉くても、どれだけ言葉を選んでもたった1人のただの言葉に人は動かされない」
部屋に重苦しい沈黙が流れる中、唐突に喋りだしたアモンの言葉にファルターメイヤーの理解は追い付かなかった。彼女の思考回路は実直過ぎるために、アモンの回りくどい言い方はよくわからなかった。
そんなファルターメイヤーは疑問の表情を浮かべると、自分の理解力の低さを悟られぬためにアモンから視線を反らし彼が持つ書類を注視した。その書類にカイムのサインが書かれているのが見えると、ファルターメイヤーは好機とばかりに黙ったままその書類に指を指した。その書類を指摘することによって、彼女はアモンの独断で行われた取引について問いただそうとした。
だが、そのファルターメイヤーの無言の主張にアモンは書類をソファーの端に置くと彼女を睨んだ。その瞳に彼女は、未だかつて見たことのない執念のような何かが燃え上がるように見えたのだった。
「彼女が大事を成すためには、俺達が行動しなくてどうする?この国は彼女1人で回してる訳じゃない。貴族達は手強い。だからこそ、俺達が彼女の為にも支えなくちゃいけない。それなのに、お前は呑気に散歩か?」
アモンの視線に気圧されたファルターメイヤーに、彼は容赦なく叱責の言葉を投げつけた。その一言は彼女の胸に深く刺さり、ソファーから立ち上がり憐れむ表情でファルターメイヤーを見つめた。
「確かに、私達は彼女の配下だ。だが、それと同時に友でもある。お前は更に婚約者だ。彼女が望むならいざ知らず、勝手に行動するのは如何な物だな」
「そんな呑気な騎士様じゃ、妹が可哀想だな。人の気持ちに鈍感とは…」
「気持ちは口に出さなければ理解出来ない!だから口が有るんだろ。勝手に行動するくらいなら一言…」
アモンの正論を前に言葉に迷うファルターメイヤーだったが、彼女は腹の底に積もった感情を目一杯の反論に乗せてアモンへとぶつけた。その言葉にアモンは話題をズラして彼女をあしらおうとした。
そんなアモンの言葉に負けじとファルターメイヤーソファーはなんとか反論を続けようとした。だが、彼女の言葉はアモンに届かず、彼は傍らに置いていた書類を取ると扉へ歩き出した。
「大義の為だ!国を救うと言いながら、この状態ならこうもなる!ホーエンシュタウフェンは…彼女は自分が思ってるより力も権力も無い。だから俺が何とかするんだ」
アモンは捨て台詞を言うと足早に部屋を出て行った。一人部屋に残されたファルターメイヤーは、少しの間その場に立ち尽くすと、肩を震わせながらその場を離れた。
考え事をするときに歩き回ろうとするのは彼女の癖だった。これは彼女の趣味の散歩と通ずる所があり、ただ一人の歩くという単調行動が考える潤滑剤となったのだ。
その思考の中で、ファルターメイヤーはどうしてもアモンの不審な行動が"ホーエンシュタウフェンの為に行動"と信用出来なかった。アモンが言ったように、ホーエンシュタウフェンは現状の帝国では自分達騎士よりも存在が無いとも言える状況にあった。だが、部下を友として考え、国の業務も自分達に相談するほど自分の力の不足と、それを何とかしようという度量があった。だからこそ、ファルターメイヤーは"ホーエンシュタウフェンに自分達が内密な行動をしてはならない"と考えるのだった。
そう考えているうちに、ファルターメイヤーは何時の間にか皇女ホーエンシュタウフェンの自室の前にいた。ホーエンシュタウフェンは迫る帝国議会の為の会議議題の順序や演説の原稿、質疑応答の内容も考えていた。現状多忙な彼女の執務を邪魔する訳にはいかないと、彼女は静かに部屋の前を去ろうとした。
「そこに居るのはだれ?」
だが、部屋の中のホーエンシュタウフェンは扉の外に人の気配を感じたのか、中からファルターメイヤーを呼び止めた。その声に若干の疲れを感じ取ったファルターメイヤーだったが、少しして彼女は踏み出した足を元に戻すのだった。
「ファルターメイヤーです。すみません姫様、お仕事の邪魔をしました。私は…」
「ファルターメイヤー。用が無いのに部屋の前には立たないでしょう?貴方に向けて閉ざす扉を私は持たないわ」
扉の向こうのホーエンシュタウフェンの言葉に、ファルターメイヤーは返事こそすれど入室をすべきか戸惑った。その戸惑いは彼女に諦めを促すと、ファルターメイヤーはその場から立ち去ろうとした。
だが、ファルターメイヤーが去るより先に部屋の扉が開くと、扉の隙間からホーエンシュタウフェンが顔を覗かせた。彼女は白く簡素なネグリジェ姿でファルターメイヤーに微笑みかけると、彼女を部屋に招いた。その疲れを隠そうとする笑みを前に、ファルターメイヤーは静かに一礼すると部屋に入った。
部屋は机の上のランプ等で明るかったが、漂う雰囲気は暗く床を埋め尽くす失敗した原稿の山が執務の行き詰まりを表していた。ホーエンシュタウフェンの目元にもうっすらとクマができており、ファルターメイヤーの視線に気付くと彼女は肩を竦めて普段見せない苦笑いをしたのだった。
「情けない事に、貴方の皇女様は演説原稿さえもなかなか仕上げられないの。本当にお父様は凄かった事が良く判るわ。それなのにね、私は本当に…」
「姫さっ…ホーエンシュタウフェン…話が有る」
ファルターメイヤーを招き入れたホーエンシュタウフェンは、その部屋の惨状に自分への皮肉を述べた。彼女の弱った言葉は、ファルターメイヤーにはその大半は本音であるように響いた。だが、その言葉の端々には、まだ自分の成すべきであろうことに力を注ぐ覚悟が感じ取れるものであった。
そのホーエンシュタウフェンの言葉に、ファルターメイヤーは覚悟を浮き沈みしていた己の心に覚悟を決めると、彼女へと腹を割った一言を投げかけた。その言葉に一瞬驚きながらも、ホーエンシュタウフェンはキングサイズの自分のベッドに腰掛け、その横を軽く叩きファルターメイヤーを座らせた。
「貴方が私の名前を呼ぶなんて…凄く久しぶりな気がする。昔はいつも呼んでいたのに、この頃は"名前を呼ぶなんて滅相も無い"って言うのにね」
話が有ると言っておきながらベッドに座ったまま黙り続けているファルターメイヤーに、ホーエンシュタウフェンは皇女ではなく1人の友人として話しかけた。その優しく響く言葉に、ファルターメイヤーは苦悩の表情を見せた。
「私は…騎士として迷いました。だから…今はただの友人の言葉として聞いて下さい」
ファルターメイヤーやっと薄く口を開き出てきた言葉に、ホーエンシュタウフェンは驚きと共に心配そうな表情を浮かべた。ファルターメイヤーの"騎士として迷った"という言葉は言い換えれば"騎士としての忠誠に疑問を持った"となる。そんな含みのある言葉に息を飲んだが、友人という部分に安心すると、ホーエンシュタウフェンはファルターメイヤーの手を取り軽く握ったのだった。
「貴方は何時だって友人よ。ただ、貴方は実直だから騎士としてしか会えないけどね」
「貴方は…私に隠し事なんてしませんよね?」
そのホーエンシュタウフェンの柔らかな口調に、ファルターメイヤーは巡る思考から何とか言葉を紡ごうとした。彼女は言葉より態度で示す人物であり、難しい言い回し等が苦手であった。そのため、自分の言葉が如何に直接的で相手に不快感を与えるか考えると、彼女は顔を赤くした。
その赤くなった顔に、騎士や皇女など関係無かった頃の懐かしさをホーエンシュタウフェンは感じ、思わず一人柔らかな笑みを浮かべた。
「お父様が戦死なさって、国が荒れ果てた。たった1人の無力な私に付いてきてくれた貴方達に、私は隠し事も独断もしないわ。貴方達は友達であり部下であり、何より…私にとっては家族ですもの。助け合うのが家族です。本当に困ったり、迷ったら貴方達に言うに決まってる。素敵なことを思いついたり、いいことをしたくなったらもちろん誘うわ。だって、貴女達がいれば、私に失敗はないもの!いつだってそう。たった1人の無力な私でも、貴女達が居るから皇女でいられる」
ホーエンシュタウフェンの言葉には、年相応の弱さやそれでも皇女として在ろうとする意思が深く刻み込まれていた。それを感じ取ったファルターメイヤーは、ホーエンシュタウフェンに軽く頭を撫でられると、そのままされるがままに彼女の肩へ力なく頭を乗せた。
「私はね…ファルターメイヤー。力も権力も無いのは知ってる。おまけに頭も良くないし感情的。皇女になったのもヒト族への復讐の為だけだった。それでも…皇女になって、貴方達に支えられ、民に支えられて解ったの。人の強さや、支え合う暖かさ。何より、人を思う慈しみ。貴方達が教えてくれた事を皆に伝えたい。お父様や先代がこの国を救ったのはそれが出来たから。そして、私もこの帝国議会でやってみせる。そうでなければ、この国は暴力に染まる。怒りや憎しみだけでは何も生まれないって解るから」
ホーエンシュタウフェンの飾らない、要領は得ないが強い思いの言葉に、ファルターメイヤーは静かに深呼吸すると、肩に力を入れ力強く立ち上がった。その顔は憑物が落ちたような清々しい顔だった。
「ホーエンシュタウフェン…いえ、姫様。道が見つかりました。ありがとうございます」
深々と下げたファルターメイヤーの頭をベッドに座ったままのホーエンシュタウフェンが軽く撫でた。その温かな手を取ると、彼女はホーエンシュタウフェンの前に跪き、その手を額に触れさせたのだった。
「また来て下さいね。若輩者の私で良ければ何時でも話を聞きますよ。勿論、次は私の原稿も手伝って貰いますけどね」
「歳など関係ありません。それならば、貴方は私より若いのに、遥かに立派だ」
頭を上げたファルターメイヤーに、ホーエンシュタウフェンは微笑みながら励ましの言葉をかけた。その言葉に、彼女は力強い言葉で返すと、軽く手を振るホーエンシュタウフェンを背にファルターメイヤーは部屋を出た。
自分の主であり友である皇女の言葉を信じたファルターメイヤーは、アモンが何かを企んでいることの真相を確かめなければならないと己に命ずるのだった。
「事の真相を確かめないとな。善は急げか」
城の廊下を歩むファルターメイヤーは一人呟くと、その足を速め自室へと向かったのだった。




