第一幕-3
「あんたさ、あれだけの事が有ったのにさ、よく肉食えるね」
「朝から何も食べてないでしょ?元気無いのはそのせいだよ!」
目の前で空になった皿を山の様に積み上げるティアナに、皿の隙間からシャープな目付きの赤と黒の目で見詰め、野戦服の胸元の勲章を指でつつきながらリヒャルダは呟いた。彼女はティアナと仲の良い訓練生の1人であり、部屋で1人読書をしながら過ごしていた彼女は突然ティアナに食堂まで連行させられたのだった。
気怠そうに言ったリヒャルダにティアナは料理を頬張りながら満足げに言うも、彼女の食欲を前にしてもリヒャルダは余り空腹を感じなかった。
第5分隊の隊長だったリヒャルダは、商業組合殲滅作戦で組合支部の襲撃を指揮する役割だった。支部とはいえども大人数の組織を指揮する施設ということもあったため、突入した彼女達は建物内部で激戦を繰り広げるのであった。奇襲であっても彼女達訓練生は半分以上は実戦経験がないという事で、建物内部は乱闘に近い状態であり相手が戦闘に不慣れだったからこその被害微少の勝利であった。
その乱闘で、リヒャルダは一人で組合構成員を8人仕留めていた。指揮しながらがむしゃらに戦った為、彼女の頭に残る記憶は曖昧だった。だが、その手に残る人の肉を刺して切る脂の柔らかさと筋肉ろ硬さの感覚、血や内蔵の生臭い臭いやそれを剥き出しにして人が死んでく光景、何よりそれに自分が加担したという事は彼女にとって気分の良いものではなかった。
「リヒャルダちゃん、グールなのにお肉嫌いなの?あぁ、豚肉が嫌いとか?」
「そういう事言ってるんじゃ無いんだよ。あれだけの血生臭い事したのに…内蔵とか人が死んでく様を見たのにさ…顔色変えずにパクパク飯食える事が凄いって言ってるの」
「そうかな?」
「でなきゃ!こんなこと!言わない!」
ティアナ笑みを浮かべた冗談に、リヒャルダは額に血管を浮かせながら静かに答えてコップの中身を飲み干し、ピッチャーから勢いよく水を注いだ。その最中もティアナはナイフを前後させ油で揚げられた豚肉を頬張りながら気楽な口調で答え、リヒャルダは言葉を切り力強く主張するのだった。
「確かに、血生臭い事したよ。立ち向かってくる敵を殺したし、逃げようとした人も皆殺しにしたよ。嫌な気分かも知れないし、辛いかも知れない…でもね、それが私達の仕事だよ。私達は親衛隊とかの前に人間だよ。人間は働かなくちゃ生きてけないし、仕事をするとお腹が減るよ。お腹が減ったらご飯食べなきゃ。それだけのことだし、それ以上に何か考えても答えは出ないよ」
自身の倫理観を主張したかったリヒャルダだったが、ティアナは彼女からして冷酷とも取れる意見を発し、リヒャルダは唖然とした。
だが、その冷酷さがティアナにとって気丈に振る舞う為の正論であり、自分達の現状なのだと理解すると、リヒャルダは一瞬だけの考えを巡らせた反論を消し去り大きく背伸びをしたのだった。
「私はね、変に繊細なの。だからさ…あんたの図太さには憧れるよ」
真面目な顔をしながらも料理を頬張り続けるティアナに、リヒャルダは苦い顔をしながらも冗談で返すと席を立って食堂のカウンターへ向かった。
「リヒャルダ!やっぱりお肉にするの?」
「グールだからって肉ばかり食えるか!太るぞデブ!」
「リヒャルダ、ひど~い!私だって傷付くよ!」
「変なところ鈍感だろ!心配すんなよ!」
後ろから普段通りの口調で声をかけたティアナに、リヒャルダは粗っぽく言い返した。そんな彼女の背中を追うようにティアナの半笑いの批難が来ると、リヒャルダは後ろを振り向かずに答えたのだった。
リヒャルダの向かった食堂カウンター奥の厨房にはアマデウスが生き生きと料理を行っていた。今までの施設で行っていた彼の仕事は多岐に渡っていた。訓練生の清掃点検にテーブルマナーの点検、洗濯と服装点検と食糧の備蓄管理。そして46人分からなる全ての食事の準備があった。
アマデウスも家事や細かい作業は得意であったし執事の仕事と共通する点も多かった。だが、流石の元執事でも仕事の量が多すぎるため忙殺される日々であり、彼はそろそろ限界と感じていた。そこに来て、商業組合営業部が全員行く宛が無いという要請と彼の提案により、親衛隊に経理部と調理班が出来たのだった。
経理部と調理部のお陰で仕事の量が減ったアマデウスはそのことに喜び、自由な時間を急かされない趣味の料理に当てていたのだった。
「随分と…幸せそうですね、アマデウス教官」
「あぁ、リヒャルダさん。教官は止めてよ、僕はそんな大層な者じゃ無いんだからさ」
「清掃点検1つで訓練生1人を腕立て伏せ1800回の刑にした人の言葉じゃ無いですね」
「それは…僕のせいじゃ…」
厨房のコンロの前で鼻歌を交えて料理をするアマデウスに、リヒャルダは頬を引つらせながら声をかけた。その声に楽しそうな声音で答えるアマデウスの言葉に、リヒャルダは過去に自分のベッドの整頓を雑に済ませた際に彼から下された罰の苦い記憶を思い出し嫌味を言った。リヒャルダも内容だけでなく言い方も嫌味っぽいかと考えたが、一人幸せそうに揚げ物をするアマデウスにはこれくらいで丁度いいと考えた。
リヒャルダの言葉に小声でくどくどと言い訳を始めたアマデウスを無視して、リヒャルダは不定期に内容の増える休日限定食堂メニューの黒板に目をやった。
「この…シュニッツェルってのにしようかな」
「結局肉じゃん!」
黒板を睨むように見るリヒャルダの小声の呟きを地獄耳で聞いたティアナが声を上げた。その言葉にリヒャルダは渋い顔をしながら再びメニューを見ると、魚料理がいくつかある事に気づき、それらの中から一つ選ぼうと考えたのだった。
「ふぅむ…なら…」
「警報!」
腰に手を当て、黒板の文字を片手で宙をなぞりながら決めようとしたリヒャルダは、その独り言と同時に研究所全体に響くカイムの悲鳴のような声が聞こえた。
普段の研究所で響くカイムの叫びは、ギラのアプローチによる叫び声が殆どであった。その声が響く度に、女子全員は彼女のアプローチによる連帯責任の罰によるランニングを全員で文句を言いながら行うのがいつもの流れであった。
だが、今回の叫びはいつもと違うということは2人の耳に入った瞬間に解り、その言葉にリヒャルダは即座に反応して食堂中心の柱に付けられた警報装置へ弾丸の様に走った。
「アマデウス教官!警報装置の使用許可を!」
「そんなの良いから早くつけて!」
許可を求めるリヒャルダにアマデウスは叫び、彼女は警報装置の蓋を開いて中のレバーを下げた。商業組合放火の折に急遽設置されたそれは、けたたましい音を研究所に響かせたのだった。
「もっと早く頼みに行けば良かった…」
後ろ髪を引かれながら、食べられない空腹が久しぶりに彼女の胃袋を襲っている感覚を覚えながらもリヒャルダは急いで入り口へと走った。
上着を脱いで食事をしていたティアナは少し遅れて、ハンカチで口を拭きながら上着を着て、ベルトのバックルを留めて走るという器用な芸当をしながら彼女に並走した。
「一体何なんだろ?商業組合の残党?」
「そんな訳無いでしょ!あいつらは全滅させた!貴方も現場にいたでしょ!」
「現場からじゃ全体は解らないよ。もしかしたら…」
「考えたくない。後、頬にソース付いてる。とにかく急ごう!」
研究所の廊下を駆け抜ける2人は、数回話すと更に全力で加速しながら走った。
研究所は南側に大きな出入口が有るが、商業組合襲撃の為にその出入口を起点に木製の防護壁が立っていた。レナートゥスがいつの間にか完成させた物であり、簡素ながらしっかりした作りであった。さらには、東西南北に見張り台が立っており警備当番の訓練生がライフルの替わりに訓練に使用しているボウガンを持ち厳戒態勢で警戒していた。
駆けつけた2人は巡回警備の訓練生がまだ開いていた1つしかない入り口に集結しているのを見つけたのだった。緊急事態下で訓練生は、成績順で上下の階級を決定していたため、2人の姿を目にすると巡回警備の訓練生4人が親衛隊敬礼をしたのだった。
「敬礼はいい!速く門を閉じろ!その後警戒配置!」
「了解しました!」
リヒャルダの指示に全員が門を閉じ、全木製の訓練用ライフル握り直した。あくまで訓練用であり、銃の持ち方や構え方の訓練に使う物だ。だが、訓練用でも銃剣を付ける事が出来た為に、緊急時には槍替わりに使用する事となっていた。
そんな彼等の状況と屋上から正門が閉じるのを見たカイムは、そのまま柵から身を半分出して下の状況を確認したのだった。
「現在の指揮官は誰だ!」
「はっ、リヒャルダ訓練生であります!」
その返事を聞きながらカイムは門の人数を確認した。内外巡回の訓練生が4人にティアナとリヒャルダ、見張り台の1人と全員合わせても7人しかそこには居なかった。
その状況にカイムは今までに無い危機を感じていた。人的な戦力差が比較に成らない以上、最悪全滅という可能性さえあったからだった。
「リヒャルダ訓練生!ティアナ訓練生に指揮権を委譲!鍛治場の保管庫から小銃を取って来るんだ!完成品と試作品の2丁両方だ!」
カイムが下のリヒャルダに指示を出すのに少し遅れて、屋上の入り口からギラが勲章を付けた野戦服で飛び出して来たのだった。彼女の右手には保管庫で厳重管理されているはずのライフルが握られており、腰には弾薬盒、Aフレームを着けた完全装備だった。
「ギラ訓練生到着しました!」
「ギラ!お前何で小銃持って…」
「マヌエラさんに渡されました!試作品の方は後で持ってくるとの事です!」
ギラが報告する間に訓練生は続々と警戒配置に就き、研究所は重苦しい空気に包まれていった。その危機迫る空気の中で、最後に到着したブリギッテが左側しか結べていない乱れた髪を振りながら屋上のカイムとレナートゥスを見つけた。
「いきなり何なんです!突然警報鳴るし、その後には放送で詳細も流れないからびっくりしましたよ!それと、現場の指揮を預かります!」
「すまんな嬢ちゃん、仕方なかったんだ!無茶苦茶沢山のガキんちょがこっち向かって来るんだ!やべぇかもな!」
屋上でカイム同様に身を乗り出したレナートゥスの言葉にブリギッテも余裕が消失した。それどころか、実戦を経験し少しは戦いに慣れた訓練生にも再び不安の顔が見られた。それは、閉じられた門の向こうに多くの敵という状況が心理的恐怖を駆り立てたからであった。
カイムはその状況打開しようと、とにかく少しでも情報を得るため集団を観察した。
「安心しろ!人数いても統率は余り取れてない。あれは…スラムの連中か?」
木々の隙間からカイムは魔人の視力で集団を確認したが、少なくとも500人近くの殆どが若い少年少女であった。親衛隊も若者だらけだが、外見的には16から20といった年齢層だった。
だが500人の集団は外見的年齢の幅も広く、下はカイムの感覚で8歳くらいであり、上は20程だった。その全員に共通して言えた事は、ただ真っ直ぐこちらに向かっているという事だった。
「ギラ訓練生!ブリギッテに小銃と弾薬盒を渡してくれ!受け取ったらブリギッテは見張り台へ行ってくれ!」
「閣下!私は実戦で…」
「1発外したろ!ブリギッテの方が成績は圧倒的に上だったろ。彼女が格闘も戦できれば…良いから早くしろ!」
ライフルマンを決める事前の訓練はブリギッテやアマデウスも参加していたが、ブリギッテはずば抜けて命中率が高かった。スコープ無しで着弾点が的の中心、ほぼ同じ位置を射ぬいていたのであった。その次点がギラであったが、その点差は大きく突き放されていた。
それでも総合的は評価ではギラが優秀だったため彼女がライフルマンになったが、今回は狙撃である。その事を理解しつつ、重要局面で活躍出来ない事に複雑な表情を浮かべながら、ギラは小銃と弾薬盒をブリギッテに渡した。その表情に苦笑いしながらブリギッテは足早に見張り台へ登ったのだった。
「閣下!あの方達、武器も持っていませんわ!本当に敵なのでしょうか?」
いつの間にか門の上に立っていたヴァレンティーネが声を上げると、武器の無いという言葉に訓練生は安堵の表情となった。
「油断するな!下手するとあいつらは…とにかく警戒!」
"あいつらは魔族も使える魔道具を持ってる"という部分をカイムは飲み込んだ。ヴァレンティーネに使われた銀の首輪が魔道具だったことが、カイムに迫り来る500人が魔道具を隠し持つという可能性をちらつかせた。その飲み込んだ部分を理解したのかヴァレンティーネの表情が固くなった。
そんなカイムの後ろ、屋上の出入口が開く音がするとマヌエラが拡声器を持って出てきた。
「やはり屋上か。全く、君達が来てから私の辞書の"静けさ"とか"平穏"という言葉が消えたよ…それとレナートゥス!銃が完成したらちゃんと報告しろ!」
そう言ったマヌエラの手と肩には小銃があり、肩にスリングで下げた物は、身長的にはギリギリであり銃床が屋上こ床に擦りそうな状態だった。
そのマヌエラの姿に、カイムは何故ここにといった目線を送ったのだった。
「ここが1番安全だからな、色んな意味で…」
「あぁ、そういや1丁出来てたな!坊主にとにかくそれ、量産してくれって言われてよ」
カイムの視線に答えるように呟いたマヌエラは足早に屋上の柵に向かった。カイムとレナートゥスの間に割って入ると、彼女はレナートゥスの言葉を聞き流しながら弾薬盒やAフレームごと銃を門の前に立つギラとリヒャルダに投げた。2人は銃の重さと勢いを肘で上手く流し受け取ると、リヒャルダが門の上に登りギラは門の覗き穴から銃を構えた。
こうして、親衛隊はようやく全員が持ち場に就き、防衛態勢が一応整った。
「距離、目測で350…いや300!ゆっくりと近づく!皆子供ですよ!」
「君達も子供みたいな物だろ …"そこの集団!目的は知らんが、とにかく一旦止まりなさい!止まらんと街の死体みたいになるぞ!止まれ!"」
カイムはブリギッテの報告に小声で指摘すると、拡声器で警告を出した。だが、カイムの声を聞いた少年少女達はむしろ手を振って近づいてきた。
「あの方達、笑顔で手を振ってますわよ…閣下、敵では無いのでは?」
「それでも、確証が無い以上やむを得ないだろ。ブリギッテ、ギラ、リヒャルダは威嚇射撃用意!あいつらの近くの木を弾けさせてくれ!」
「相手は子供ですよ!銃を向けるなんて!」
「見知らぬ500人と仲間の40人、どっちの命が大事だ?」
ヴァレンティーネがカイムへと報告を送るが、彼は危機感を拭い去ることができず、攻撃の指示をブリギッテ達3人に送った。その指示に反対したブリギッテだったが、カイムの言葉と周りの視線から反論を諦めると、ボルトを引いて初弾を込めながら構えた。
「撃て!」
カイムの号令で3人は一斉に引き金を引いた。3発の弾丸が激しい轟音と共に放たれると、迫る集団の先頭に近い木がいくつもの破片を撒き散らした。
それを見た子供達は慄きながらようやく歩を止めた。そんな慌てた彼らの先頭に居た1人の少年は、状況が不味いことを察すると両手を振って前に出たのだった。
「英雄殿!私達は敵ではありません!あなたの力になりたいんです!」
そのあまりに悲痛過ぎる叫びに、訓練生の数人は彼等への同情の目線と、カイムに温情を求める視線を送った。そんな彼等の目線と、ブリギッテの非難の目線を受けるとカイムは頭を掻いて誤魔化したのだった。
「"君達!そこで待ってなさい!"ギラ、アロイス、ヴァレンティーネは私と同行。ブリギッテとリヒャルダは指示があるまで発砲準備して待機。他の訓練生はツェーザルの指揮の元防衛戦用意!」
全てを諦めて指示を出すと、カイムは急いで門に向かった




