第一幕-2
商業組合殲滅を終えた親衛隊は丸1日休暇が与えられた。
勝ち戦とはいえ初陣の親衛隊がマヌエラの研究所に帰還すると、訓練生の多くは野戦服の洗濯に靴磨き、シャワーを浴び次第倒れるように眠りについた。
そんな親衛隊隊員に、カイムは初陣の戦果と今後の次第を考え、より多くの実戦もしくは実戦に近い訓練の必要を感じた。
「どの書類も…組長より上の人物がない」
隊員達の練度についての方針固めを後にしたカイムは、自室兼執務室にて組合からの押収物品を確認していた。数多くある押収物品の殆どは、部屋を埋め尽くす程の重要書類だった。
だが山脈のように積み上げられたどの書類にも、組合への命令や指示が詳細に書かれていても名前が書かれていなかった。
「命令者の身元や上位の命令系統の隠滅が図られてます。判子さえ無しに、どうやって偽造でないと判断出来るんでしょうか?」
「文字に特徴があるのか。それとも、紙に何かしら…」
「至って普通の紙ですよ」
「なら…"特定の人物が運んでいるから"か?」
カイムが執務室の書類の山を調査する傍らで、ギラも数枚の書類を比較し、命令元を判断しようとした。だが、その書類の多くはギラの報告通りに命令の発信者や上位の命令系統の隠滅が図られ、首都の商業制圧の方針や言論の統制方法などが細かく記されるのみであった。
それでも、カイムは書類が送られた大まかな位置はわかっており、それは組合から押収した収益報告にて利益の1部が帝国東部のゾルグル州に運ばれていたからであった。
そのことから、カイムは東部の貴族が帝都市民の皇女に対する支持低下を狙っていたと考えた。だが、彼の推測はあくまでもそこまでであり、具体的な策を誰が帝国東部の勢力に入れ知恵したかまでは解らなかった。
何より、カイムにはヒト族に恨みのある東部貴族が皇女に敵対する理由がわからなかった。
(政治的な体制に反対する連中か?帝政に反するなら共和主義か社会主義…貴族制が横行するなら社会主義か?)
社会主義はカイムが考える今後の方針とは大きく反するものであった何より、彼はその社会主義勢力が帝国内に潜伏している事と、今後の台頭してくるかも知れない赤色的革命を危惧したのだった。
だが、そんなカイムの思考は視界の片隅に映る人物によって遮られた。
「ギラ君、休暇の最中に協力してくれるのは有り難いが、せめてバスローブは止めて服を着ないかい?」
「私のシャツもズボンも乾いてないので」
「それなら…せめて下着くらい着てくれないか?」
カイムの自室のソファーに座るギラは、白いバスローブを来て書類を確認していた。彼女も他の隊員同様に帰還後にシャワーを浴びたが、その足でカイムの仕事に協力し始めたのだ。
カイムがカイムとなる前、つまり品川敬一という人物は童貞ではなかった。それでも、女性の肌を見る機会は余り無かった。それ故にカイムは視界に映るギラの白い肌や艶やかな姿に顔を赤らめながら顔を背けた。その彼のうぶな反応を見つめながら、ギラは敢えて胸元や太腿を強調した。
「閣下、私かなりの戦果をあげたと思うんです」
「それ以上、先は言わなくて良いギラ訓練生。女の子だろ、淑やかさは大事だと思うぞ」
「据え膳食わぬは男の恥だと思いますよ。何より、戦果を上げた者への報酬は必要です」
色っぽくギラがカイムに語りかけたが、彼は気恥しそうに顔を片手で撫でると口元を隠しながら呟いた。その一言に、ギラはカイムのデスクへと歩きながら彼のデスクに手をついて少し強気に主張するのだった。その歩き方は普段のような規律通りのものでは無く、モデルがランウェイを歩くような雰囲気のある物だった。
「負傷者にはデルン鎮圧戦戦傷章に戦傷章金章。戦果には二級翼十字勲章。全員に白兵戦金章だ。訓練生で早速勲章まみれだ十分じゃないのか?」
「勲章以上に、私には欲しいものは有るんですよ」
若干早口で捲し立てるカイムへ、ギラはゆっくりと迫った。その姿は獲物を狙う狼の様であり、横目に見るカイムは羊角との姿のギャップに不思議とどぎまぎし始めた。
「人がお茶を楽しみながら仕事をしているのに、貴方は随分お気楽ですわね。何より下品でしてよ」
カイムを狙うギラから見て死角となるカイムと机の隙間に、クモの少女が座っていた。彼女は1番上の両腕でポットとティーカップを持ち、真ん中と下の左手に書類、右手にペンを持っていた。ポットに茶漉しが内蔵された物であり飲んでは注ぐを繰り返しながら全ての目で書類の確認を器用にこなしていた。
「あら、クモの方居たんですか。存在感が無いから気付きませんでしたよ。しかし、民間人の貴方がこの執務室に居るのはおかしいのでは?仕事を手伝うのもそうですし、何よりこんな閣下の近くに。失礼ですよ」
「あらあら、嫉妬でして?淑やかさは大切でしてよ。貴方は知らないかもしれませんが、私特例で親衛隊訓練生に編入しましたのよ。それに、私はクモの方じゃなくてヴァレンティーネ・フォッケですわ」
「ヴァレンティーネ君?随分話し方が変わったね?どう…したの?」
ギラはクモの少女であるヴァレンティーネがカイムのすぐそばに座っている状況を見ると、心の底の嫉妬の炎に火を着けた。その嫉妬の炎は彼女が完成したばかりの親衛隊用オーバーコートを着ている事で火力を上げ、気付けば彼女は棘だらけの言い方でヴァレンティーネに話し掛けていた。
そんな言葉を受けてもヴァレンティーネはギラに目もくれず、更に器用にデスクの上のカイムのカップへと紅茶を注いだ。彼女はそのままギラの嫉妬を見透かした様に見ると、自慢するような口調でギラを煽るのであった。
さらにヴァレンティーネはその視線をカイムへと移し、8つ全ての目で熱い視線を送った。その視線の量と熱さに流石のカイムも動揺を隠せなかった。ヴァレンティーネは目が8つ有るとは言えど可愛さの有る少女であり、笑みと視線は彼にとって慣れない物であった。
そのカイムの疑問の言葉を受けると、ヴァレンティーネは音もなく素早く立ち上がり、彼に弾けるような笑顔を見せた。
「私、嬉しいのです。復讐できた事もそうでしてよ。何より帰るべき場所が出来た事が嬉しいのですわ!だから、私嫌われないように頑張りたいのです!差し当たり話し方を変えるべきかと思いましてよ。そこの雌羊みたいな粗暴な言葉は、閣下は嫌いですわよね?」
「貴方ね!ぽっと出の小娘の癖に生意気よ!第一、私は上官で年上なのよ!敬いなさい!」
「あらあら、下品な言葉遣いのおばさまです事ね。でも私、節足種ですから年齢差は仕方無いのではなくて?そんな部分で敬えなんて言うとは…貴方、羊じゃなくて亀でしたのね」
「私は悪魔よ!何よそのヘンテコ言葉!淑やかさの欠片もないわ!それにクモの癖に何よその髪!クモには触覚ないでしょ!無駄に長い2つ分けして!」
ヴァレンティーネの中途半端なお嬢様言葉と雌羊呼ばわり、馬鹿にするような目線にギラが突っかかり2人が言い争いをし始めた。その言い争いはカイムから見ても呆れる様な内容であり、彼は手にしていた書類をデスクに置くと両手で顔を覆いながらため息を浅くつくのだった。
その両手の隙間から部屋の扉の隙間からレナートゥスが手招きしているのに気が付いたカイムは、目の前の2人を避けるように席を立つと、言い争いを続ける2人を尻目にカイムは何とか執務室を脱出した。
「わりぃな坊主、いきなり呼びつけて。扉は叩いたんだがな」
「構いませんよ、レナートゥスさん。あの状況じゃ聞こえないですよ…それで、いったいどうしたんです?」
部屋から脱出し廊下へと出たカイムに、レナートゥスは軽く謝罪をした。その言葉にカイムが苦笑いを浮かべて返事をすると、レナートゥスは首の後ろりを撫でながら、気恥ずかしそうな顔をした。彼の尻尾もさながらヘビのような動きをして気恥しさをあらわすのだった。
「ここじゃぁ何だしな。屋上行かないか?」
レナートゥスの言葉から何か重要な話と考えたカイムは、彼の言葉に黙って頷きながら従い屋上へ向かった。
晴れた午後の空は青く澄みわたっていた。
「それで、どうしたんです?何か不味い事とか…」
「いやいや、大した事じゃ無いんだ。ただ礼を言いたかったんだ。今回はありがとうな」
カイムの不安混じりの表情や言葉に、レナートゥスは慌てて否定するように手を振った。そして、深々と頭を下げてレナートゥスは礼を言い出したのだった。その言葉には彼なりの感謝が見え隠れしており、カイムは安心とレナートゥスの誠実さに笑みを浮かべるのだった。
「商業組合のことなら構いませんよ。そもそも、何も相談なく勝手に追い払ったのは私ですし…森の放火の原因も…」
「まぁ、確かにそうだけどよ。それでも、俺が出来なかった事をやってくれたからさ」
レナートゥスの肩に手をのせ、カイムは彼の顔を上げさせた。そして、カイムはレナートゥスの感謝の言葉には笑みを浮かべた。そのカイムの反応に、レナートゥスは屋上の柵に寄りかかると、ゆっくりとした口調で語り始めたのだった。
「あいつは…マヌエラはさ、良い奴なんだよ。口は悪いし、つんけんしてるけど根は良い奴なんだよ。元々あいつは人にお節介するような奴じゃ無いんだよ。お節介焼きはさ、あいつの婚約者の癖だったんだ」
「マヌエラさん、そんな事が…」
「俺は2人の気の良い友達だったんだ。凸凹だったが良い雰囲気だった。きっと幸せになると思ってた。戦争でベネディクトが死んじまってから、あいつは変わってな。あんにゃろうの消えた心の穴を自分が無理に変わって、誰かのお節介焼いて埋めようとしてな。爺婆の為に知らない貴族と結婚しようとまでした時は、苦労したもんだ」
思い出すように空を見ながら語るレナートゥスへ、カイムは相槌を打ちながら彼の隣に立ち同じように柵に肘を付いた。
「もしかして、レナートゥスさんがマヌエラさんをその結婚から連れ出したんですか?カッコいいですね」
「止めてくれよ…あの時はな、マヌエラの発明手伝いで鍛治ギルド追い出されたからついでだよ。ベネディクトの代わりにしちゃ出来が悪いが、ここで2人で気楽にやってさ。あいつに昔みたいに戻って欲しかったが、そううまくいかないよな。結局、あんな変なやつらにまで良くしてやってさ」
軽く茶化したカイムの言葉に、レナートゥスは頭を恥ずかしげに掻いた。普段の豪胆さが抜け落ちたレナートゥスに、カイムは軽く微笑んで肩を叩いた。
「人を信じる気持ちは大切ですよ。例えその気持ちが何百回裏切られても。むしろ、私は…私は相当な悪党ですよ。若者を戦いに駆り立てる、悪質な奴ですよ。同じ帝国国民同士を戦わせる…ね」
「坊主が悪党なら、あいつらは極悪人だろ!人は死ななきゃ直らない事が1つ2つあるもんだが、それで人様に迷惑掛けるならよ、可哀想だが死んで当然だ!お前さんは過激だが、少なくとも間違っちゃいない!俺が保証するよ」
カイムの自虐の言葉に、レナートゥスはカイムが信頼を込めて叩いた何杯も力強く背中を叩いた。それと同じ程に、レナートゥスはカイムをひたすら励ますと、尻尾を力強く床に叩きつけ大きく背伸びをした。
「あー!染みったれた空気は苦手だ!とにかく礼が言いたかったんだ。ありがとうな。それとお前は…お前は俺達の頭だビシッとしろ!国を救うんだろう、そんなんじゃ俺達の格好も付かねぇよ」
「ありがとうございます」
2人は青空と森を見つめながら、しばし静かな時を過ごした。
しばらくすると、その沈黙を破りレナートゥスが森の奥、首都から北へと向かう道を指差した。
「所で坊主、あの人だかり何だ?」
レナートゥスの言い方の何気なさにカイムは軽く反応したが、その集団が2桁で数えられない人数である事、何より北への道から横に延びる研究所への道を歩んでいる事に気付くと、彼は顔を青くした。即座にカイムは研究所に響く大声で叫んだ。
「警報~!」




