第1幕-3
シュトラッサー城は改装と増築を繰り返してその設備を最新のものとしている。その内装は極力古典的な花や唐草模様を最低限というものに統一されていたが、それでも杉や樫、檜の良い部分のみを使った天井や梁に1枚張の大理石の壁というだけで人々を圧倒するのであった。
そして、室内は無数の監視カメラに巡回する近衛軍兵士によって、帝国の中枢として厳重な護りが固められていたのである。
「また戦争か、"総統"殿?」
その城の警備の厳重さは近衛軍以外の武装した人員を許さず、区画によっては総統であるカイムでさえ護衛の者が帯同できない程なのである。
皇帝執務室から城の中央広場へ向かう途中の回廊にて、カイムは背中から声を掛けられた。その声は広い空間によく響き、透き通る声は壁に反響して彼の耳を強く揺らした。
ただ、カイムはその声に耳だけでなく心も揺らされた。
「ブリギッタ……」
「近衛軍元帥だ」
半身で振り返るカイムの視線の先に居たのは、親衛隊の黒い勤務服を白くし銀の装飾部分を金へ変えた制服に金色の飾り紐、勲章を付けた近衛軍制服に身を包むブリギッタであった。紅いの髪は彼等が初めて会ったときと変わらず後頭部で一纏めに流されているが、その長さは膝上まで至るだけでなくあの頃より艶が増し深紅に輝いているのである。
だが、カイムが呼び起こされた過去の記憶と違い、ブリギッタの側に妹の姿はない。
そんな昔の記憶に懐かしくなり思わず彼女の名前を呟いたカイムに、ブリギッタは鳩が豆鉄砲を食らったかのような彼へ肩をすめて見せながら自分の階級を付け足したのだった。
「急ぎか?」
「いえ、そんなことはないですよ」
「なら、少し付き合え。歩きながらで構わん」
カイムの元へ歩きながら尋ねるブリギッタは、涼しい顔のまま彼を追い越して先に進もうとした。そんな彼女に彼も答えながらすぐ横を歩き出すと、ブリギッタの歩幅に合わせて2人は歩きながら話し始めたのである。
「総統と近衛元帥が道を共にすると?」
「目くじらを立てそうな面子は多いが、気にするな。私も気にしない」
話を始めたとしても、カイムはブリギッタに横目で周りを見ながら敢えて声を張って尋ねかけた。彼等の周りには当然ながら城内給仕に巡回警備や業務のため近衛軍兵士が行き交っている。彼等の目にも近衛元帥と総統の白黒が並んで歩いているさまは異様なのか、カイムは敬礼される前から視線を感じていた。
しかし、隣で軽く自分を見上げてるブリギッタは全く気にせず、カイムの言葉に凛とした声音で彼同様声を張って返したのである。
ブリギッタの声が響くと、カイムは視線の貼り付くような感覚はなくなった。それでも、帝国騎士の施術で強化された感覚は彼に近衛軍兵士達の不満や敵意を感じさせたのである。
「末端や中堅はそうだろうが、総統の存続を認めたのは"姫様"だ。なら、多少腸が煮えくり返るが受け入れるさ」
「寛容なようで」
カイムの感覚は彼同様に帝国騎士の施術を受けているブリギッタも同様だったのか、再び声を張って自身の意見を述べた。その強調された一部は他の兵達の敵意を忠誠によって押し止めさせ、2人は周りに渦巻いていた敵意や不快感をようやく払えたのである。
「また、戦争を起こすのか?」
「今回は私ではなく、皇帝陛下自らが……」
「御託はいい」
タイミングを失い暫く静かになるかと思ったカイムだったが、そんな彼の予想を反してブリギッタは直ぐにカイムへ尋ねかけた。あけすけなその物言いを前に、彼は自分自身ではなく"総統"として彼女に答えようとしたのである。
しかし、カイムへ尋ねかけたのは"近衛軍元帥"ではなく"ブリギッタ・ファルターメイヤー"としてだった。
「また姫様を血と臓物の世界に引き摺り込むのか、貴様は?」
「私とて望んだ訳ではない。それぐらい解るでしょうに」
「ならば、何故止めない。お前なら止めることが出来るだろう」
自身を見つめるブリギッタの瞳と彼女の言葉に、カイムは目線を反らした。それだけ、まるで氷のように冷たい彼女の顔に反して"復讐に燃える友人"を思う瞳は熱かった。
ただ、カイムからすればブリギッタのその意思は熱くはあれど、心には響かないのである。故に、彼女に応える彼の声は冷ややかであり、言い返す言葉にも何を選べば良いのか戸惑った。
ブリギッタは優し過ぎたのだった。
「姫様は確かに御父上の仇を討つと昔から息巻いていた。しかしだ、帝国はここまで再建したんだ。ヒト族の艦隊さえも打ち払える程に蘇った。それをわざわざ、国外の敵を討ちに行くなど無意味だ」
2人は歩き続け、黙るカイムにブリギッタは一方的に語り続けた。白い頬をその血気に紅くするほど語り続けるブリギッタの言葉は、あくまで彼女自身を貫き、熱い声音は近衛軍元帥としてのものではなかった。彼女も軍属であり、"近衛軍元帥"として皇帝の意思は己のそれでもある。だとしても、"アポロニアと苦楽を共にした友人"としての彼女がそれを否定していたのであった。
「戦は必ず人が死ぬ。ファルターメイヤー家も殆どが戦で死んだ。確かにヒト族は憎い。だが、ここで余計に戦って憎しみを増やすのは悪循環だ」
故に、ブリギッタはぶつけられない不満や心配を"皇帝"や"アポロニア"ではなく、総統カイムへとぶつけたのである。
「物事はこの国だけで完結する。外交もこの際だ必要ない。諜報部が不穏な動きを検知すれば洋上で防ぐ。それでは……」
黙って聞くカイムにブリギッタはただ持論をぶつけ続けた。
しかし、ブリギッタの言葉はすぐ横から己を包み込むような冷たい感覚に押止られたのである。
「駄目なんです、それでは」
ようやくカイムが口を開いた。
「真にこの帝国を再興する。その為には、ヒト族が"我々人類に挑戦しようとする"その思考から打ち砕かねばならないんです」
ブリギッタと異なり、前だけ見て歩みを止めず語るカイムの淡々とした言葉に彼女は彼自身が僅かにしか感じられないのである。
だが、カイムの言葉はブリギッタに重苦しく響いた。
「たとえ、迫る火の粉を払い続けたとしても、火の粉を放つ元がある限り、永遠に帝国は燃え上がる危険に晒される。その都度、恐怖は膨らむし防がれれば火の粉を放つ者達もより一層多く放つ」
「なら、増えた火の粉も払えば……」
「いつ終わるのです?」
総統であるからこそ、臣民の声を聞き皇帝の意思に合わせて国の舵を取るとカイムの言葉はブリギッタには重すぎた。それでも、彼女は負けじと彼の意見に反論しようとした。
だが、カイムを睨みつけるるブリギッタの顔さえ見ない彼の言葉は彼女の反論を押し留めた。
ブリギッタはカイムの問い掛けに言葉を詰まらせたのである。
「いつ……?」
「火の粉が降らない世界はいつ来る?子供達が軍隊という職を選ばなくて済む日はいつ来る?武器を持つのが警官だけの世界はいつ訪れる?差別のない世界はいつ来るんだ?」
オウム返しに言葉を漏らしたブリギッタに、カイムは淡々と畳み掛けた。その問い掛けの波にブリギッタは溺れ、少しずつ強くなる語気に彼女は圧倒された。
「火の粉を払うのに板を使う。いつか火の粉は火炎瓶になる。そうすれば、私達は瓶を払うために盾を持つ。瓶の次は、怒声を響かせ剣を持った群衆だ!」
黙ったままブリギッタの言葉を聞き続けたけたカイムも、彼なりにアポロニアやこの国を思っている。
そのため、ブリギッタの"短絡的"な平和を思う意志や優しさやはカイムの怒りに僅かばかりに火をつけたのである。
「護るということは、攻められないということだ。攻められないということは、攻めれば"どれだけおぞましい目に合うか"を理解させるということだ。連中はリリアン大陸でそれが解らなかった」
「だから、やられたことをやり返すのか!それでは憎しみが憎しみを生むだけだろ!」
微かに怒りの炎を上げるカイムだったが、それに気付くと荒らげ始めた語気を抑えた。それを反論の好機と見たブリギッタは直ぐに反論をぶつけた。無意識に彼女は彼を己の意見に屈服させ、アポロニアを止める道具としようとしていたのである。
ブリギッタは、既にカイムと会話をしていなかった。
「貴女の彼女を思う気持ちと人間的道徳心は解ります。現実を知り、夢見る乙女が冷酷な皇帝になったことも、必要であったとしても現実にそれを見て悲しむのも解る。でも、彼女は前に進もうとしてる。たとえ、その身が血に汚れようとも、彼女は帝国の為に進もうとしてるんです」
ブリギッタの無意識の意識を感じ取ったカイムは、彼女を見向きもせず回廊を進み続けた。その最中に語る言葉も、嘗て癇癪を起こすアポロニアを宥めたように静かなのである。
「貴女なら、とっくに知ってるでしょう?ハル・ファン・デル・ホルストを"生贄"に仕立てたのは、皇帝陛下ご自身だ」
「貴様……」
「勿論、私も加担しましたよ。だからこそ、私はその責任を取らねばならない。その為にも、私はこの世界の価値観を壊さなければならない。一度は逃げ出しそうになりましたけどね。"魔族は攻められるもの"、"ヒト族は攻めてくるもの"、ヒト族の"魔族は弱く愚かでヒト族の富の為にある"という価値観、魔族の"我々は静かに黙って耐えしのぐ"という価値観を……」
ブリギッタへカイムが正論をぶつけると、彼女は遂に唸ることしか出来なかった。それは、高級将校として事実を知っている故であり、それを止められなかった自責の念があるからである。
彼女は、カイムの言葉を止められなかった。
「アポロニアが怒ってるんだ。私だってそれなりに腹が立つのに、なんで怒らないんだ。ここまでされて、彼女が私達の背中を押すのに、なんで怒り狂って嘲笑う奴等を殴りつけないんだ。お前は彼女の友達なんだろ、なら何故激怒しない!」
「それは……」
「ただの力は何の意味もない。正義なき力は暴力だ。なら、義によって振るわれる力は正義だろう!」
ブリギッタには政治は少ししか分からない。だからこそ、総統としてのカイムの努力は認めるところがある。それでも、友達として彼女は復讐の業火に足を踏み出すアポロニアを止めたかった。
だが、沸々と燃えるカイムの怒りがぶつけられると、ブリギッタは黙るしかなかった。
「これが、総統の……戦中戦後を血と硝煙に塗れた"我ら"の意見だ。"戦後生まれ"で"身辺警護"しか知らない近衛軍元帥殿!」
最後の最後に思わず声を荒らげたカイムは、目を見張り自分を見つめるブリギッタをみることが出来なかった。
2人は、踊り場へと辿り着いた。
「私も人としてまだ未熟だったようです。非礼を詫びます」
「いや……」
カイムの怒鳴りに足を止めたブリギッタを置いて、彼は広場の先の正面玄関へ向けて歩き出した。その視線は前だけ見つめ、謝罪の言葉さえ彼女には向けなかった。ブリギッタの言葉もカイムの背中に届く前に霧散していったのである。
「引き止めて悪かった……」
いつの間にか立つ世界が異なってしまったカイムの後ろ姿が正面玄関を彩るステンドグラスから刺す日に照らされると、ブリギッタは彼に並び歩くアポロニアやアマデウス、ギラや嘗ての内戦を戦った貴族達、そして妹の姿を見た。
その光景にブリギッタは足を進ませることは出来ず、その場で謝ることしか出来なかった。
「帝都とその周辺警備は近衛軍が行う。心配するな、親衛隊本部も鷲の巣も襲わんよ。同じ"帝国軍"だからな!」
同じ人類であり、同じ国に住み自由と安全を望む同胞だった者達は、自分と異なる形の平和を求めている。
そのことを今更実感したしたブリギッタは、ただ拳を握り締め震える手でカイムの背中に声を掛けるしかなかった。
「だとしても、私はお前を認めない。たとえ今は正しくても、姫様がお認めになっても、私達は……"私"はお前を認めない!」
周りからの視線を気にせず、ブリギッタはカイム背中に声を掛け続けた。その声がフロア中に響き渡っても、多くの兵や給仕達が小声で話し始めても、もう彼女にはどうでもよかったのである。
ただ、ブリギッタは目の前に去ろうとする総統を否定しなければならないと叫んだのだった。
「時代は変わる。人も変わる。アイツも、あんなに変わるか……」
正面の大扉が開かれ、衛兵の敬礼を受けながらカイムは城を後にした。その後ろ姿が扉の向こうに消えるまで、ブリギッタは彼の姿を見つめ続けた。
扉が閉まる刹那、カイムは一瞬だけ振り返り不敵に笑った。
その笑みが扉の向こうに消え、ブリギッタは彼と共に進むアポロニアと祖国を前に瞳を閉じ天を仰いだのだった。
「姫様、貴女の帝国は……貴女の求めた未来は……一体どんな焼け野原なのですか?」




