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帝国再興記~Gartschlands Gloria~  作者: 陸海 空
第6章:死にゆく者に花束を
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第8幕-8

「えっ、ここは?」


 途切れた意識が視界を暗転させ、ハルはその向こう側に光を見た。その光はみるみるうちに自身へ近づき、彼女は背中を押される大きな流れに身を任せた。

 そして、ハルは真っ白な空間で独り目を丸くした。響く独り言は暫く彼女の耳に反響し、ハルはただ呆然と立ち尽くしたのである。


「ハル、一時的に避難させた。既に悲惨なのはわかってるが、このままだとお前が本当に死にかねないからな」


「その声、聖剣?聖剣なの?どこにいるの!聖剣!」


「どこもなにも、直ぐ側に落ちてただろうが」


 そんなハルの背後から聖剣の声が響くと、彼女は直ぐに彼へ声をかけつつ振り返った。

 しかし、そこには変わらず白い空間のみが広がり、ハルが天井や床に当たる箇所を見ても、同様に一面ただ白いだけなのである。

 その白い空間に立つハルに、聖剣は変わらず戯けた声で語りかけた。その言葉にハルは直ぐに口を開いて返す言葉を投げかけようとするも、彼女は聖剣と繋がる胸の内に流れ込むの彼の意思を前に口を塞いだ。

 聖剣の思考には、敗北という虚無感が流れていたのだった。


「ごめん、聖剣。私、これまでみたい」


「ハル……」


 聖剣の無力感は直ぐにハルの胸の内から消え去るも、彼と繋がる彼女は顔を俯かせるほど重くなった口を無理やり開いて、ただ小さく呟いた。

 ハルの震える手と吐露は聖剣に言葉を失わせ、彼はただ彼女の名前を呼ぶのが精一杯だった。

 それでも、聖剣の声は再びハルの顔を上げさせ心にかかる靄を払い彼女の顔に笑顔を作らせたのである。


「結構頑張ったと思ったけどさ、私、やっぱり人と戦うとか殺し合うって性に合わないみたい」


 項を撫でて苦笑いを浮かべるハルは、白い空間のどこにいるともわからない聖剣に気まずく語り、静かに笑った。その笑みはたとえ彼女が彼の姿が見えなくても、ハルには聖剣に面と向かって見せていると感じ、彼も彼女の震える口端にただ黙ったのである。

 すると、ハルの目の前に薄緑に輝く小さな光の玉が現れた。その光をハルは聖剣の魂か核だと直ぐにわかったのだった。


「人の命と未来のために私が傷つくのは構わない。でも、相手が人間なら……やっぱり私は戦いたくない!傷つけたくない!」


「だからって、悪党が悪巧みしてるのを前にして、これで終わりでいいのか?」


 聖剣を前にして、ハルは何とか戯けた口調の苦笑いを続けようとした。

 しかし、聖剣の光が彼女の言葉に合わせて揺れ動くと、ハルは作った笑いを打ち崩し己の腹の内を彼に打ち明けたのである。それは、彼女なりの正義であり、ハルとしての曲げてはならない正しさであった。

 だが、ハルの言葉を受けた聖剣から流れ来る感覚に苛立ちが加わると、彼は彼女へ発破をかけるように捲し立てたのである。

 ハルは聖剣に暫く反論できなかった。


「良くない……良くないよ!」


 そして、ハルは部屋中に反響しその声が自分の耳を引き裂かん程に聖剣へ叫んだ。


「でも、もう私は誰かを斬り殺したくない。たとえ悪人でも、やっぱり殺しちゃ駄目だよ!その人だって生きていて、大切な誰かが待ってるんだもの!」


 ハルの胸に渦巻く感情は怒声とも悲鳴とも言えない叫びとなって空間に響き渡り、彼女が声を荒らげる度に聖剣よ光は揺らめいた。

 だが、聖剣はハルが話を区切るまで黙り彼女の話を聴き続けたのである。


「ポーリアの戦場で見たでしょ、覚えてる?私達が包囲された王党派を救うために革命派の部隊を全滅させたの」


「忘れるわけないだろ。まして、お前と一緒にいてこれまでの全てを忘れる訳がない。あんな血で血を洗い泥に塗れる野蛮な殺し合いは、人がして良いことじゃない。」


 ハルは聖剣に語る中、ゆっくりと自身の両手をその視界に入れた。その両手は、赤く滴る液体に染まっていたのである。

 すると、部屋は広い空間から一点して曇天が頭上に広がり、辺り一面は雨に降られて泥と泥濘の広がる田園となった。そこに立つ彼女の姿は景色と同じく一瞬で体のアチコチを甲冑で守る鎧姿となり、周りには剣や槍、終いには素手で殴り合う兵士達の姿が映った。

 そして、聖剣が問いかけに答える間、ハルは自分の目の前に倒れる1人の男を見つめた。その男は薄い胸甲と革鎧という軽装であり、その僅かな装備も虚しく袈裟斬りにされた傷口からは止め処なく血が吹き出している。その血が降り止まぬ雨と泥に混ざる中、男は傷口が開き口から血を吐くことさえ気にせず引き裂けた胸甲を外して服の胸内側を探っていたのだった。


「あの戦場で私が斬り殺した兵士が持ってた手紙。あの人だって、本当は帰りたかったはずなのに、生きたかったはずなのに!生きて待ってる人達の元に帰りたかったはずなのに……」


 ゆっくりと大振りな動きだった男が泥と雨に汚れ落ち窪んだ眼窩を大きく開くと、最後には動かなくなり胸に押し込んだ手は小さい紙を握って泥濘に落ちていった。

 その手を掴むハルだったが、男の手を握る腕を震わせ呟くとその手を開こうとした。

 だが、男の指を一本一本開くことにハルの叫びは刺すように強くなり、悲痛な叫びも開ききった男の掌を見ると止まったのである。

 男の掌には、1枚の小さな手紙があった。ただ数行の帰りを待つというその文が、ハルの言葉を途切れさせた。


「それを……私は……」


 歪む思考にまるで振り回されるかのようにふらつく感覚は、嘗てハルが戦場で体験したそのものである。

 だからこそ、ハルは言葉を続けながらその先に続く流れをただ見つめた。人が人の生存を否定し合う敵も味方もないただの殺し合いの中、嘗てのハルは"偽りの平等に苦しむ民を救う"という信念によって目の前から迫る敵をただ切り裂き、己の正しさを信じて押し倒した。

 その正義も1枚の手紙に脆く崩れ去り、ハルは正義なくただ生き残るために剣を振るったのだった。


「確かに、お前の言いたいことはわかる。それが正しい判断だ。でもな、世の中何でもかんでも救えるってわけじゃない。それ以降、お前は敵も救おうとして味方を殺したろ?」


「それは……」


「人は万能じゃない。道具だって万能じゃない。全ての物事を丸く解決するなんて出来ないんだよ」


 何人もの迫る敵だった者達が斬り捨てられる姿に奥歯を噛みしめるハルだったが、直ぐにその過去は消え去り、再び周りには白い空間へ戻ると全身の力を抜き去った。

 だが、今度は石造りの建物が並ぶ夜の市街地へと空間は変わった。その建物の多くは木の窓が砕かれ、戸は蹴り破られ、屋根を突き破った炎が黒煙となっています輝く星を隠している。

 そんな景色にハルが力を抜いていた肩を震わせると、直ぐに聖剣の声が響いた。彼の声に続き、彼女の目の前には逃げ惑う男たちが現れ、彼等は鎧を着ようとしてから逃げたのか所々に鎧を着けていた。

 しかし、その鎧も鍬や大鎌を持つ農夫のような男達とそれを率いる泥や土に薄汚れながらも金糸で装飾された軍服の男が直ぐに追いつき取り囲むと、両手を上げ降伏する鎧を着かけている男達を容赦なく刺殺していったのである。厚い胸板に突き刺さる刃や鉄塊は血と臓物を燃える建物に吐き出させ、辺りには鼻を突く酸の臭が立ち込めた。

 次の敵を探す一団は、全員が"鎖を荒く断ち切られた"手枷や足枷を引きずり新たな獲物を探して通りの先を進んでいった。その通りの先でも一方的な殺戮はどこまでも広がっており、鎧を着かけながらも抵抗する兵士や街の市民、子供とのべつ幕無しに雨が降るのである。

 ハルが聖剣に返す言葉を失いながら死体から拾い上げた胸甲には、左胸にネーデルリア三重王国の国旗である赤黒青の三色に獅子の紋章が埋め込まれていた。

 ハルの人命保護という善意によって巻き起こされた惨劇は、激戦を生き残り敵同様に帰るべき場所へ帰るはずだった自分の同胞を肉塊へと変えたのである。

 だからこそ、ハルは聖剣の言葉に何も言葉を返せなかった。


「それが、この世に神様なんてクソ野郎がいないって証拠だろ?」


 平和と正義を信じて行動し、同じ人間に襲われ姉に殺されかける今のハルには、正義も愛もわからない。

 だからこそ、ハルはもう黙って俯き聖剣の言葉を聞くしかできず、再び白い空間に変わった周りにも気付かず立ち尽くしたのだった。


「良いか、ハル。このままだとお前は確実に死ぬ」


「そう……だね……」


 純白の空間に肌を刺すような沈黙が僅かに流れたが、聖剣の光が揺らめくと彼はハルに諭すように呟いた、その言葉に、ハルは切り落とされた筈の手足を見ながら呟いた。

 この空間が聖剣がハルの意識を守るために作った空間だからこそ、彼女は何ら怪我をしていない状態である。その自身の姿と現実での自身の姿を思い出したハルは、死に至りつつある自分の体を思い言葉を濁らせながら聖剣に答えたのである。


「だが……」


「だから、聖剣……貴方だけでも生き残って」


「はっ?正気か?」


「そうだよ」


 気弱を過ぎ去り諦めを覚えたハルの意識に、聖剣は語りかけようとした。それと同時に彼女も拳を握り肩に力を入れると顔を上げ、聖剣に語りかけた。その内容と彼女の揺るがぬ眼差しを前にした聖剣は話そうとした内容を止めてハルに慌てて問いかけたのである。

 聖剣の早口な言葉にも動じないハルは直ぐに頷き、聖剣は何度か緑の光を煌めかせながら揺らいだのである。


「この状況で確実に生き残れるのは貴方だけ。連中はきっと貴方を使える武器として確保するはず。だって、私みたいなのを剣聖って呼ばれるようにするくらいだもの。だから、貴方は生き残これる。そして、貴方は次の使い手を選ぶ。何十年も先かもしれないし、直ぐかもしれない。その人が、もし平和を望む人なら……」


 黙る聖剣に、ハルは彼のことを見つめながら己の意思をぶつけた。感情や感覚が繫がっていても、ハルは聖剣と会話することを常としていた。

 だからこそ、自身の覚悟をはっきりと伝えるためにハルは聖剣へ語り続け、彼も彼女の話を止めることはなかった。


「その人と、私の代わりに私の出来なかったことをして。私がしようとしてたことを引き継いで」


 語るハルの言葉が終わりに近づくにつれ、彼女は自身の最後を覚悟した。それは自分の命が途切れるということであり、これまで身近にあっても経験したことがないことである。

 ハルは語るほどに自覚する死に恐怖した。

 それでも、ハルは聖剣に涙を流すことなく淡々と語り続けた。


「世界を救って、聖剣」


 しかし、最後の一言で漏れ出した恐れは聖剣の光を瞬かせ、ハルは彼を前にしても一筋涙をこぼした。その涙を拭うと、彼女は聖剣に笑いかけながら遂に決壊し溢れ出る涙を必死に止めようと両手で両目を塞いだのである。


「馬鹿も休み休み言えってんだ」


「馬鹿っ……ふぅ~……私が頼めるのは聖剣だけだから」


「こんなときにふざけるなよ」


「こんなときだからこそ、言ってるんだよ」


 涙を流しながらでも無理に聖剣へ笑いかけるハルに、彼はただ穏やかに語りかけた。その片言になりつつも必死に彼女を落ち着けようとする聖剣の言葉に、ハルは涙を零しながらも笑って戯けてみせた。

 ハルの態度が聖剣の口振りを戻すと、彼女は鼻をすすりながら改めて彼のことを見つめ息を整えた。


「こうでもしないと、聖剣……私、怖くてさ……」


 それでもハルの息は流れる涙によって乱れ、言葉も口から吐き出されるように途切れ途切れになった。


「いっぱい、人を殺したけどさ……自分が死ぬのって怖いよ……死にたくないよ……でも……」


 だが、ハルは語ることを止めることなく聖剣へ語り続け、その目は決して揺らぐことはなかった。


「だからって諦めるのはもっと嫌だから」


 ハルの覚悟を前に聖剣は直ぐは何も言わず、ただ静かな時が流れたのである。


「ハル、俺を最後に握るのはお前だけでいい」


「えっ?」


 聖剣がようやく語り始めたが、その内容はハルに一瞬の戸惑いを起こさせた。


「俺は、お前より前の奴を覚えていない。それだけ、皆が直ぐに俺を残して死んでいった。あっという間にな。まともに話すこともなく死んでいったよ。いや……ハルの前に1人いた。でも、そいつも死んじまった」


 鼻をすすり止まらない涙を必死に押し戻そうとするハルに語る聖剣の態度は、それまでの諦めや無力感を振り払った強いものである。

 だからこそ、聖剣から流れる強い覚悟と彼の語る内容はハルの背筋をゆっくりと冷たくしていった。それと同時に、彼との繋がりが少しずつ消えてゆくのを感じると、ハルは聖剣の光へ歩み寄ろうと踏み出した。


「だからな、ハル。俺はもう、使ってる奴を死なせたくない。それに、お前みたいな奴は何より死ぬべきじゃない。どんな方法であれ、どんな姿になれど、最後まで諦めないで足掻く奴は嫌いじゃない」


 止まらない涙を手で拭き先へ進もうとするハルだったが、語り続ける聖剣との距離は一向に埋まらない。

 むしろ離れゆく聖剣の光を前に、ハルは涙のことも忘れて励ます彼の下へ歩きだした。彼女には、まるでそれが彼の遺言のように思えたからだった。


「聖剣、どういうこと!思考が繋がってない、何をするっていうの!聖剣!」


「なに、なんてことない。俺がハルに教えてない、取っておきの秘密機能を使うだけだ。それを使えば、どうあれお前を救えるってことさ」


「何を言ってるの!聖剣!どういうこと!どういうことなの、聖剣!」


「丁度お迎えも近づいてるみたいだしな。ここらで派手にやれば、アイツラも気付いて拾ってくれる。」


 完全に聖剣との接続の切れたハルは、彼の意思や感情が全くわからなかった。その繋がりは彼女の不安と足取りを加速させ、最後にはハルを聖剣の元へ駆け出させた。

 しかし、物悲しく語る聖剣はハルがどれだけ走っても追いつけず、彼女が語りかけても離れるだけだった。


「ハル、俺は道具だ。道具は人の役に立って、最後に壊れてこそ生まれた意味を全うするってもんだ」


「壊れるって、聖剣!貴方何を考えてるの!」


「さてな、今考えてるのは……」


 少しずつ光さえ弱くなる聖剣は、明るく笑った。その言葉にハルは溢れ出る涙や鼻水で汚れる顔も気にしない。彼女には、自分の半身が引き裂かれるような感覚が堪らなく怖かったのである。

 聖剣の口籠った言葉とともに、彼の光はハルの目の前から消えた。


「物なりの、これまでも思い出かな?」


 それでも脳裏に響く聖剣の声に、ハルは足を止めてその場に座り込んだ。孤独感は彼女の足から力を奪い、いつもそばにいた大切な存在が自分を置いて消え去ろうとしていることが、ハルの思考を掻き乱してただ泣きじゃくることしかさせないのである。


「ハル、達者でな?お前は最長で最低で……最高な相棒だよ」


「聖剣、駄目!止めて、聖剣!」


 脳裏に響く聖剣の言葉さえ遠く感じると、ハルは頭を抱えて必死に振りつつ叫んだ。彼が自分の中から去ろうとするのを抑えられる気がしたからである。

 しかし、彼女の行動と裏腹に聖剣はもう側に感じることなく、彼の作った空間も少しずつ周りの空間は黒く染まり消え始め、まるで下方に吸い寄せられる感覚がハルを襲ったのである。


「ハル、俺はお前の名前を絶対に忘れない」


「聖……」


 必死に立ち上がろうとするハルを落下感が抑え込む中、ハルの耳に響いた聖剣の声に彼女上へ手を伸ばし彼の名前を呼ぼうとした。


[又の名を……]


 薄暗く湿気と埃の籠る蔵の中、短い手で初めて聖剣を握り暗い天井にその煌めく刃を振り上げた瞬間がハルの視界に広がったのである。

 そして、ハルは聖剣の名前を思い出したのだった。


「デヴィッドぉおおぉおおぉおぉおおお!」

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