第8幕-6
「Armollisin Maan Äiti……《いと慈悲深き……》」
「詠唱は"させるか!"」
詠唱に合わせ切っ先を伸ばし構えられたティネケのハルバードに埋め込まれた白銀の宝玉が青紫に光り輝き始め、それに合わせて彼女の体は宝玉と同じ光が薄く纏われ周りに草葉を揺らす風を巻き起こした。
それに合わせて、ハルと聖剣はティネケが詠唱を始めた瞬間に跳躍すると、砲弾のように真っ直ぐ彼女の元へ突っ込んだのである。その加速は凄まじく、衝撃がハルの進んだ後を残した程だった。その跳躍の中でハルはティネケの詠唱を阻止するために聖剣を大きく振り上げ、袈裟斬りにティネケの肩へその腹を振り下ろそうとした。
しかし、ハルと聖剣の跳躍を前にしたティネケは即座に詠唱を止めハルバードを構え直すと、大きく横薙ぎにするようその刃を払った。そのタイミングは寸分狂わずハルの胴を分かつ必殺になるはずであった。
だが、振り上げたハルのブーツの靴底に埋められた鋲はその刃を受け止め、彼女はティネケのハルバードを踏み台として更に上へと跳躍し、聖剣を振り下ろした。
ハルの動きにティネケは目を見開き、その足を止めた。
「くっ……」
後手に回っても、ティネケの反応は早くハルバードの柄を両手に持ち変え、彼女はハルの聖剣を受け止めた。その一撃は重く、呻くティネケが膝を曲げ猛烈な衝撃を必死に受け流そうとした程である。更には着地しようとするハルを狙って足払いしようと、わざと背中から倒れその右足を大きく伸ばした程である。
しかし、そんなティネケの動きを見切ったハルはハルバードを軸として使い聖剣を押し下げてその体を僅かに上へと持ち上げる。それによってティネケの足払いはハルの足裏をすり抜け大きく地面を抉ったのだった。
「Moi, la source du……《力の根源たる……》」
「だから!"させるかよ!"」
反撃の機会を空振ったティネケだったが、彼女は即座に別な詠唱を始めた。その詠唱も直ぐハル達の斬撃という妨害に合うと、ティネケはハルバードの柄尻を杖のように使い斬撃を防ぎながら立ち上がったのである。
そして、ティネケはハルの斬撃の合間を縫って大きくハルバードを振り上げる。そんな彼女の反撃をハルは身を反らして躱すも、ティネケはハルバードの遠心力を使ってそのまま宙へと飛び上がると大きく間合いを明けて着地しようとした。
その跳躍を再び魔法を放つための間合い取りと理解したハルと聖剣は、即座にティネケの放物線の着地点へ駆け出し聖剣を横薙ぎに振ろうとしたのであった。
「ふふふ……」
しかし、ティネケは着地の瞬間に自分を叩き倒そうと振るハルの姿を前にして不敵に笑った。その月明かりに照らされた笑みは頬が釣り上がり、ハルの瞳をはっきり見据えたものなのである。
そのティネケの笑みを前にしたハルは思わずその足を踏ん張り勢いを殺そうとした。ブーツの踵が地面に減り込み、土草を巻き上げると彼女の勢いを止めるとハルは大きく腰を落として聖剣を構えようとした。
そんなハルがティネケの着地を視界に収めた瞬間、彼女はその目を口さえ開き見開いた。
ティネケのハルバードの宝玉は青紫の光を大きく放ち、その刃先に大きな竜巻を起こしていたのである。
「あはぁぁあっ!」
「"ハル!"嘘でしょ!」
着地した瞬間、ティネケは雄叫びと共にハルバードを突き出した。その刃は青紫の光を帯びた風を放ち、吹き荒れる旋風となってハルの元へと突き進んだ。その風の中に吸い込まれた草葉はまるで刃物で切られたように切断されると、激しい風に揉まれ千切れいったのである。
その光景をみた聖剣が驚くハルに活を入れると、彼女の足を横にずらし動かすとバランスを崩させた。体勢変化にハルは思わず声を漏らすも、横に倒れそうになる勢いを使って側転すると、なんとか風を避けたのであった。
「"なっ……なんだあれ!"私も知らない!ティネケが無詠唱魔法であんな大技を……"ハル!"」
「うぉぉおおおりゃぁあぁぁぁあ!」
だが、ハルと聖剣が体勢を整える前にティネケは少し前のハル達のように一気に駆け出した。その速度は聖剣によって強化されたハルにも劣らず、予期せぬ反撃に悪態をつこうとする2人の言葉を飲み込ませたのである。
そこに間髪入れずティネケは跳躍の力を使い大きく右に一回すると、ハルバードを斜めに振り下ろした。その一撃はハルが後ろへ飛んだことによって外れるも、ティネケは回転の勢いを殺さず再び得物を大きく振った。そのティネケの動きに合わせ、ハルは左へ飛んでハルバードの刃から逃れようとしたのだった。
しかし、ティネケはハルの動きをその目に捉えていた。
「ぬぅぅうぅうおぉおぉぉおお!」
そして、敢えてハルバードを逆に振り上げたティネケは回転の勢いを殺すと、ハルと聖剣の逃げた先へとその刃を振り下ろしたのである。その体全体を使った体勢変化はティネケの華奢な体からは想像出来ない勢いであり、ハルは咄嗟に聖剣を構え受け流そうとした。
「ぐっ!うぉっ!」
「はあぁぁぁぁあぁああ!」
しかし、ハルが聖剣でティネケの刃を受けた瞬間、彼女は聖剣ごとティネケによって振り回された。逃れようにも大きく振り回されるハルバードの遠心力は2人を引き寄せ、勢いに閉じ込めたのである。それによりハルはティネケの周りを何度となく上下となく振り回されると、大きく地面へ投げ飛ばされた。
「うっ……くっ!"ハル、距離取れ!"」
受け身を取るハルであったが、数回地面に打ち付けられると上下感覚を取り戻しなんとか地面に足をつけ聖剣を地に突き刺すことで衝撃を堪らえようとした。足が地面を盛り上げ、聖剣が地面を切り裂くも暫くするとハルはなんとか止まることが出来た。
「こっ……うっ!"だにぃ!"」
だが、その眼の前には既にティネケが立っており、ハルは突き出されるハルバードの槍先と斧の継ぎ目に聖剣を立ててなんとか競り合えたのである。
「どうしたの、ハル?随分と動きが鈍いと思うけど。聞いた話や騎士連中と比べてもそこまでじゃない?」
「テぃっ……ティネケこそっ!……さっきから、そんなに動けるなんてっ!……」
「聞いてないでしょうね?貴女も、他の貴族も、私のことを"王宮か社交界のやり手"程度に思ってるのでしょうからね」
ハルバードと聖剣が金切り擦れる中、ハルは敢えて距離を詰めて己の間合いで戦おうとした。
だが、押せど引けどもティネケの体はびくともせず、足や体の軸が動かないことがハルに自分の押し出しや引込を腕力だけでいなしているように思わせたのるのである。
そんな中で、ティネケは僅かに汗を流すハルへと話しかけた。それはまるで冬の風のように透き通って響くものの、その端々には明るく楽しげな喜びが見え隠れしている。その余裕さと共に突然ティネケが前へ一歩歩みだしたことで、体を反らせられたハルは堪らえようと足腰を力ませ、言葉を腕を震わせて耐えた。
しかし、ハルの姿を見れば見るほどティネケの語る言葉は熱が入り、押し出す力はより一層強まるのである。それに堪えるハルが足で地面を抉れば抉るほどに強まって行き、ティネケの笑みは頬を割くほど深くなってゆくのであった。
「でも、私は強い。喋っている貴女のその舌を斬り飛ばせるくらいにはね!」
叩きつけるようにハルへと吐き捨てたティネケは、腕の力を一気に抜いた。突然に堪えていた圧力がなくなったことでハルは大きく体勢を崩し、勢いよくティネケへと倒れ込もうとしたのである。
その一瞬の隙にティネケはハルバードを掌で回し、ハルの首へめがけその刃を振り上げた。
「んなぁろぉあっ!」
だが、ハルは倒れ込もうとしたその勢いを使ってそのまま聖剣をがむしゃらに振り下ろした。その破れかぶれに見える斬撃は身を反らすティネケに当たらない軌道を描いたのである。
しかし、ハルが雄叫びと共には振り下ろした聖剣はティネケの振り上げより遥かに早く、刀身が輝くその一撃は地面を抉り衝撃を辺りへ嵐のように撒き散らしたのであった。
その衝撃の濁流にティネケは跳躍で敢えて身を流すことによって受け流した。その結果、得物の柄を地面に突き刺しそれを軸として回転しながら着地する彼女は、ハルを必殺する機会を奪われ大きく距離を取らされた。
「経験の差か……なら!」
着地と共にハルの元へと駆け出したティネケはハルバードを振って構え直すと、粉塵の中でまだ体勢の整っていないハルに得物を振り上げた。即座に来た反撃はハルを驚愕させるも、聖剣が彼女の腕を上げさせると自身の刀身でなんとか斬撃を防いだのである。
しかし、受け止めた斬撃は直ぐに軽くなり別の方向から再びティネケのハルバードが迫っていた。ティネケが少し前に見せた連続斬撃はそれまでより斬撃間の間隔が確実に速まっており、ハルは聖剣の予測する次の攻撃位置を勘で選び出し受け流す。その防御は全て成功するものの、ハルはティネケに対して防戦一方であった。
ティネケもハルへの必殺を逃してから隙間ない攻めを続け、もはや上下左右となしに刃を眼前の敵へと振り下ろし続けた。だが、連続して同じ方向からハルバードを振っても、突然に上下方向を付け加えても、ハルは次の斬撃ではそれを予測し聖剣で受け流した。
ハルに隙を作らせようとするティネケとティネケに隙を見せないようにするハルと聖剣の攻防は完全に膠着した。
「"ハル、これじゃ埒ぁ明かない!"それなら"一気に!"」
だが、ティネケはハルへ攻め続けることで確実に息を切らし始めており、刃を受け止めるハルはその斬撃の間隔が少しずつ確認に遅くなり始めていることに気がついた。その気付きは眼の前の状況を観察する余裕を与え、彼女はティネケがハルバードを振るうその肩を呼吸のため大きく揺らすのを見たのである。
その瞬間、聖剣とハルはティネケの振ろうとしつつあるハルバードの刃へ敢えて刀身を振ってみせた。その突然の反撃はティネケのバランスを崩させると、思わず彼女はハルから距離を取ろうと跳躍してしまった。
額に汗を浮かべ僅かにハルを見下すティネケは、体勢を整え一気に突撃を掛けようとするハルの姿にその目を見張り息を呑んだ。
だからこそ、ティネケは即座にハルバードを構えた。
「ροή και φθορά《流れて、穿く》」
グイリア式の魔術詠唱はハルバードの刃先に拳程の水滴を作り出すと、それは渦を巻き矢のように撃ち出された。その速さは音を置き去り、僅かな風を周りに起こすほどである。だからこそ、ティネケはその奇襲に自信を持ち、必殺を予期して笑った。
だが、その笑みは直ぐに砕けた。
「いっけぇえぇぇ!」
ハルの顔面を射抜き、その頭を落ちた樹の実のように砕くはずだった魔術による水の矢は、ハルが反らした顔の横をすり抜け髪の毛一束を巻き込み弾けた雫が彼女の眉上を僅かに切り裂いて後へと流れていった。
そして、ティネケの奇襲を避けきったハルは、聖剣を顔横で水平に構えると駆け出した。目指すのはティネケが着地するであろう予測点であり、雄叫びと共に駆け出す彼女は風より早かった。
「ちっ、Increase・Magic・Power……Strengthening……Reflex・Enhancement……」
「強化魔法!"ブリタニア式までか!"でも!」
「くっ……Lightning・Edge!」
「チェェェエエェストオォオオォオォオ!」
ティネケもハルに劣らず反応は早く、迫りくる彼女の姿を前にしても即座に自身を魔術で強化したのである。それに驚くハルと聖剣であったが、着地の瞬間と2人の突撃は見事に重なるものであり、ティネケは身を強張らせながらありったけの魔力を振り絞りハルバードへ青白くのたうつ電撃を纏わせた。
それでもハルと聖剣は止まることを知らず、駄目押しとばかりに彼女は跳躍を加速させるためさらなる一歩を地面へ叩きつけ、彼は己を蒸気さえ吹き上がらせるほどに赤熱させたのである。
その場で出せる全てを出し、ハルとティネケは激突した。
「あぁあぁぁぁあああぁああぁあ!」
「死ねぇぇえぇええぇぇぇえぇぇえぇえ!」
打ち付け合う2人の獲物は熱と電撃をのべつ幕なしに辺りへ撒き散らし、舞い上がった草葉は赤い炎を上げ一瞬で消え去り、地の草は光と共に土ごと抉り取られ燃え上がる。2人の激突は月夜をまるで昼の如く輝かせ、辺りの木々さえなぎ倒した。
雄叫びを上げ刃をぶつけ合う2人はお互いが放つ衝撃を必死に堪えるも、相手を叩き潰そうとその力を振るった。
だが、魔術による電撃で衝撃を起こすティネケは単純に突撃の勢いで衝撃を起こしたハルを押し返そうとしていた。彼女の起こす雷撃は周りにいる者達をもはや気にせず、眼の前のハルを倒すことしか考えていない嵐そのものなのである。
しかし、ハルは打ち付け合うお互いの獲物を受け流すように払うと、その肩をティネケの胸へ突き出した。ハルの体当たりはティネケの放つ魔術の電流を気にしない特攻紛いのものであり、彼女の服はあちこちに穴が空きその奥の肌や肉を焼き切っている。それでも真っ直ぐに突き進むハルを前にティネケは避けることもできず真正面からもろに受け止めてしまった。
胸にハルの肩が突き刺さり、鎧の胸甲ごと肋骨を砕かれる激痛からティネケは魔術の制御を失い、ハルバードは辺りへ雷撃を放った。その衝撃は更にティネケの右肘や肩をあらぬ方向へ押し曲げ砕くと、2人の衝突の勢いを加速させたのである。
空中を吹き飛ぶ2人は爆音を上げ、地面に激突した瞬間、衝突点は黒煙や雷撃に土草を巻き上げ何も見えなくなったのだった。
「ゔうっ……ぐっ……」
幾度となく風が吹き荒れ、ようやく巻き上がる土煙や雷撃、蒸気が消え去ると、そこには大きなクレーターが出来ていた。そこに横たわるティネケは、砕け落ちた革のベルト呑み残した胸甲を左手で剥ぎ取った。その身動きだけで彼女は大きく呻き身を捩らせたが、その動きが更にティネケの胸の鈍痛を響かせた。
そんなティネケの視界には、鎧の下に着ていたシャツを突き破り自分の胸から生える骨の破片が写った。細かいものはまるで白いイボように浮き上がり、大きいものはまるで牙のように彼女の白い肌へ赤い血を滴らせていたのである。それを自覚した瞬間、ティネケは喉奥の叫ぶ声さえ塞がる塞がれる激痛と共にその身を硬直させたのであった。
「いっ……痛いでしょ……"これが戦うってこった、お姫様……"」
そして、僅かに身を震わせるティネケの前に立つハルは、身に纏う親衛隊制服を穴だらけにしその奥で無数の火傷を作りながら立っている。彼女の右肩はティネケの鎧の硬さと体当たりの衝撃で潰れ、破けた服から剥き出しとなったその肌は内出血でドス黒くなっていた。更には関節さえ外れ、風に靡く腕をハルは左腕で掴むと無理矢理に元ある場所へ押し戻した。
ハルは肩の痛みに奥歯を噛み締めたが、聖剣が肩の痛覚を閉じると目の前で動けず倒れたまま自分を睨み奥歯を噛み締めるティネケへと語りかけた。その言葉は苦々しく、言葉が震えていたのである。そして、言葉が続かない彼女に代わり聖剣が吐き捨てると、2人はティネケの眉間に切っ先を向けた。
少しでも動けば眉間の先に刃が刺さる距離で、ハルは黙ってティネケを見つめたのであった。
「あっ……いっ……痛いっ……けど……」
だが、ティネケはまだ動く左腕を使い状態を起こそうとした。その身動きは彼女の胸に内側から刺さる骨を更に深く押し上げ、ティネケの胸は血を吹き出し、傷付いた肺は溜まり始めた血を彼女に漏れ出す言葉と共に吐き出させた。その喀血の勢いは更に彼女の胸の骨を浮き上がらせ、既に言うことを聞かない右腕をのたうち回らせ掌をハルの方へ向けさせた。
「まだ……まだまだぁ……」
「もう止めよう、ティネケ……姉上!こんなことしてなんの意味があるの!私が憎いのは解ったよ!解ったけど戦う以外にも道があるでしょ!」
少しでも動けば己を傷付け、吹き出す血で窒息しかねなくてもティネケはハルへと睨み吠えた。その瞳は怒りや憎しみを超えた何かが揺らめき、開いた瞳孔は月明かりによってハルを写している。
その不気味さにハルは後退り、聖剣の切っ先を退いた。それでもハルはティネケの瞳を見つめ返し、己の意思を姉にぶつけた。響く声は震え、目尻に涙が浮かびながらも彼女は言葉を止めることなく、未だ自分を殺さんと蠢く眼の前の家族へと語りかけたのである。
「嫌いだとしても、話し合ってわかりあえば道があるでしょ!これまでだって、姉上が私を嫌いなこと、私が知らなかったけどなんとかやってこれたでしょ。父上と姉上が私のことを嫌いだとしてもやってこれた!なら……」
一度吹き出した言葉は止まらず、ハルは己の腹の中に渦巻いていた言葉を只ひたすらに吐き出した。それを聖剣は止めることなく見守り、彼女の思うことを語るさまを見つめ続けたのである。
それを止めたのはティネケだった。彼女の睨む瞳が一段と開かれると、ハルはその虚ろとなった瞳に口が閉じてしまった。
「お父様が……貴女を嫌ってる……笑わせるな……」
ティネケの肩は震え、血を吐き口の端から血混じりの唾液を流す彼女は自分の胸骨が内蔵を傷付けることも、刺さる肋骨の破片が己の胸を引き裂くのも気にしなかった。
ただ、ハルの言葉に怪我も何も気にしないティネケは、揺らめく右腕も気にせず立ち上がったのである。
自分の知らないティネケの姿に、ハルは指一本さえ動かせなかった。
「お父様はいつだって貴女のことばかり。どれだけ私が社交界で王女を演じても、王党派貴族を増やす成果を残しても、外交政策に貢献しても!いつも笑顔を見せるのは貴女にだけ!言葉で言っても、それは国王として!いつだってお父様は私に対して王だった!」
「それは……」
「黙れぇ!」
血を吐き言葉を叩きつけるティネケは、涙1つ流さなかった。それどころか、少し前まで痛みに顔を歪ませていたにも関わらず、いつの間にか感情さえ見せないその顔から放たれる怒気に支配された言葉はまるで人のものではなかった。
だからこそ、ハルは己の知らぬティネケを前に言葉を漏らすも、もうティネケは止まらなかった。
「何が"話せば解る"だ!お前はいつだって私の欲しいものを持ってゆく!お父様の愛も、慈悲も、何もかも!」
「姉上……」
「だから、私は負けない……貴女にだけは負けない……絶対に負けない……貴女みたいな……」
ティネケの妬みの言葉は止まらず、その瞳は血の涙さえ流しかねない程に開かれていた。胸の内側を文字通り抉る痛みは更に彼女の顔を歪ませ、憎しみを滾らせ、彼女を人ではなく恨みの権化へと変えさせていたのである。
だが、ハルにはティネケの姿が1人の幼い少女に見えた。己の欲するものを必死に我慢して大人振り、誰かのためにと痩せ我慢を続けた子供の我慢の限界に見えたのである。そこまでに姉を変えさせた彼女の語る"愛"を前に、ハル言葉を失った。
ハルはそれだけ家族の愛を知らず、腹違いとは言え姉のティネケを前にしても何も言えない。
だからこそ、ティネケの怒りは止まらなかった。
「貴女みたいな薄汚い妾の女の子供に、お父様の愛は渡さない!穢れた女の子供のくせに、お父様を惑わすなぁ!」
目を見開き眉間に皺寄せ、歪みきった顔に包み隠されないティネケの怒りを真正面から受けたハルは息を呑み、その身を凍らせた。
だが、ハルの視界の中にティネケの風に靡く右の掌が小さく赤く光ったのに気付いた聖剣はハルの足を動かそうとした。しかし、動揺する彼女の体は彼の介入を拒み動かなかったのである。
「姉上……"ハル、避けろ!"」
「馬鹿ね」
ハルが呟きようやく動揺に隙間を見つけた聖剣は彼女の口を使って怒鳴った。その声を聞いたティネケは、それまで浮かべていた憎しみの顔を一瞬で元の冷たく彫刻のような顔に戻したのである。
そのティネケの一瞬の激変と冷水のような呟きに言葉を失ったハルは、ようやく彼女の掌に浮かぶ小さな赤い点に気付いた。
その瞬間、赤い点は一瞬煌めくと掌から消え去っていた。
「えっ……?」
そして、ハルの驚きと共に彼女の右腕は聖剣を握ったまま真っ逆さまに地面へと落ちていった。




