第8幕-5
キュリロスの掛け声や大きく振りかぶってハルへと指された人差し指に従い、彼の率いるスパルティ騎士団は彼女の元へと駆け出した。各々が得意とする獲物を握り、重厚な鎧を打ち鳴らし走るその姿は見た目に反して圧倒的に早く、まるで鉄壁が動くようなのであった。
その先頭を駆け抜ける騎士は他の騎士より動きが早く、彼のメイスはあと数歩でハルに届くほどなのである。
しかし、ハルは剣を構えたまま不敵に笑った。
「Ουάου……《うぉっ……》」
ハルは一瞬の風のように駆け出した。その動きは足元の土埃や巻き上げた木の葉を置き去りにするほどであり、メイスを持つ騎士の足の速さと合わさると2人の間合いは一瞬で消え去った。
そして、2人の姿が重なりすれ違った瞬間、ハルはメイスの騎士へ後ろから足を掛け、横に大きく聖剣を振りかぶると彼の顔面へと腹の部分を力強く叩き込んだ。その威力は凄まじく、フルフェイスヘルムの全面を拉げさせたメイスの騎士は何度となく回転しながら大きく宙を舞い、一瞬の呻きとともに地面へと打ち付けられたのである。地面へ半ば埋まるほどの衝撃はメイスの騎士の意識を刈り取り、ハルがそのまま駆け抜けても彼は追いかけるどころか指一本動かさなかったのだった。
「Τι διάολο!《なっ、なにっ!》」
先鋒としてハルと相対したメイスの騎士が数秒のうちに倒されたことは後続のスパルティ騎士団に衝撃を与えた。
しかし、鎧や獲物の重さを掻き消すほどに勢いよい駆け出しは騎士達にその場で止まって態勢を建て直す時間を与えず、ハルもそのまま前進を続けた。むしろ彼女は更に加速をかけており、思わず足を踏ん張り止まろうとした次鋒の2人へ向けて弾丸のように突き進んだのである。
そんなハルの接近にスパルティの2人はそれぞれ長短2つの双剣やモーニングスターを構え、武器に自身の聖力を送り込もうとした。それに応じて、彼等の獲物に埋め込まれた小さな緑や青の宝玉はその縁から輝き出した。
その一瞬の隙を見逃さなかったハルは、双剣の騎士の懐に飛び込むと聖剣の柄を上にして勢いよく垂直に振り上げた。柄頭の向かう先は双剣の騎士のヘルムと首の隙間であり、騎士は驚きの言葉を最後に後方へ吹き飛ばされたのだった。
「γρήγορα……《はやっ……》」
騎士の持っていた双剣が幾度となく宙を回り地に落ち、前を走っていた同胞が自分達の宙を逆走する姿によってモーニングスターの騎士は完全に足を止めてしまった。宙を舞い自分の頭上を超え更に後ろへ放物線を描き去ってゆく仲間の鎧姿という彼にとって信じられない光景は思考を停止させ停止させ視界を奪った。
一瞬の隙を作ってしまったモーニングスターの騎士はハルが振り上げた聖剣を手の内で振り順手で持ち直したことやその刃が振り下ろされるのに対応が遅れたのである。
それでも、騎士の動きは機敏であり、棘と青い宝玉で輝く鉄球の鎖を横に張り、そこで聖剣を受け止めようとした。
だが、鎖の先の鉄球とそれへ伸ばす手の隙間を聖剣がすり抜けてゆくと、モーニングスターの騎士の驚愕の言葉と見開かれた目を閉じさせるように腹の部分が騎士の右肩を打ち抜いたのである。その瞬間、右肩から全身を揺さぶる衝撃は騎士の脳さえも揺さぶり、最後にハルの膝蹴りが態勢を崩した彼のズレたヘルムの面をすり抜け顔面に炸裂すると、そのまま騎士の意識は気絶の彼方へと吹き飛ばされたのであった。
「Πάρτε έναν πυκ……《密集陣形を……》」
「Μη σταματάς!Μη……《足を止めるな!あ……》」
数秒のうちに3人が倒された事実は後続のスパルティ騎士団先鋒の完全に足を止めてしまい、そこにいた長物を獲物とする者たちは嗄れた声で号令を出す槍の騎士に頷いた。そして彼の下へ5人の騎士が空かさず駆け出したのである。その密集陣形は鎧と武器で隙間なく固められた鉄の壁のようであり、騎士達がそれぞれ得意とする獲物の柄にあるスイッチやネジを操作すると、武器に彫り込まれた模様に青や赤等の様々な色が流水のように駆け抜け、その先にある宝玉が輝いてゆくのである。
しかし、ハルは未だ武器の異様な光で輝く鉄の壁へと突き進み続け、むしろ不敵に笑うと聖剣を水平真横に大きく振り突撃を更に加速させた。
本来不利な密集陣形に対して突撃を止めないハルの姿は陣形内で勝利の確信と武器を強化する余裕を生んだ。一方で臨戦態勢の同胞達へ突っ込むハルの行為は離れて見る騎士達には違和感しかなく、彼らは陣形を組む同胞へ叫びながら迂回して彼女の吶喊を阻止しようと進み続けた。
しかし、ハルは最も間合いの遠い槍の騎士の範囲へ飛び込む瞬間に姿を消したのだった。
「Όχι, δεν μπορώ να σταματήσω!《駄目だ、止められない!》」
まるで夜闇に姿を消したように見えたハルは、地面に体を擦り付けるかの如く低い姿勢で騎士達の足元にある僅かな隙間をすり抜け、彼等の陣の右最奥へ飛び出した。
その飛び出した推進力をそのまま聖剣を振る遠心力へ変えたハルは、瞬きさえ許さない回転の後に驚きの言葉を漏らす騎士達へその力をあらん限りぶつけたのである。
そして、鎧を身に纏う屈強な騎士達5人の陣形は、ハル1人の細腕から放たれた一撃で塊の土や草葉とともに巻き上がり、砕け、森の奥へと消えていった。
木の葉のように地に足をつけるハルは、背中を月の光に照らされ、顔は僅かに陰っている。その影から覗く青白い瞳の煌めきに、残り僅かな騎士達は背筋に流れる冷たい汗に足を止められ、遂には勇み足が後ろへと踏み出さんと震えたのである。
それを見逃さなかったハルは即座に聖剣の切っ先を正面に向け柄を顔横で両手に掴むと一直線に残りの騎士へ駆け出したのだった。
「ξέσπασε……《吹き出て……》」
「Οι ιερές τέχνες είναι άχρηστες, είναι πολύ αργά!《聖術は駄目だ、間に合わない!》」
まるでつむじ風のように迫り残像さえ残りそうなハルの影に瞳の光が尾を描くと、巨大な鉄槌を持つ騎士が左掌をハルへ向けつつ聖術の詠唱をしようとした。
しかし、それを最後尾にいた杖を持つ騎士が止めようとした頃には既に鉄槌の騎士は両肘から先をあらぬ方向に曲げながら膝から崩れ落ち、その後ろに居たはずの2人の騎士は彼の視界から姿を消した。彼が目を凝らしてようやく理解できたのは、2人の騎士のうち片方の獲物であるバトルアックスは地面に倒れ、もう1人の弓の騎士はハルの左手に首根っこを捕まれ泡を吹いてることだけだった。
そして、杖の騎士はハルからまるで硬球のように投げられた同胞によって吹き飛ばされ、キュリロスの横へ転がったいったのである。その意識は猛烈な勢いで投げられた味方と自身の鎧による重さ、そしてその脳どころか骨格さえ歪めかねない衝撃によって刈り取られていたのであった。
「Μπα……ηλίθιο……《ばっ……馬鹿な……》」
12人の完全装備の騎士達を剣技さえ使わずほぼ体術のみで圧倒したハルという存在はキュリロスを呆気にとらせた。それは彼が母国語を出した口を閉ざせないほどであり、彼の理解を超えていたのである。
それだけ、キュリロスはスパルティ騎士団を信用し、スパルティ騎士団はキュリロスの与える指揮と任務を全うしてきたのであった。
「"12人がかりで1分保たないのかよ"この人達……思ったより強くないよ。武器は良いものみたいだけど"つまり、そういうことさ"」
ハルが大きく肩を回して呟く頃にはキュリロスの驚愕の呟きさえ森の暗闇の中へと吸い込まれていた。ただそこにあるのは"人間離れした"力技でねじ伏せられた騎士達と鬱蒼と木の生える森に浮かぶ漆黒の軍服を着たハルの姿だけである。
その1人でありながら口調から言葉選びまで異なるハルと聖剣の会話はキュリロスの慢心を足元から冷し、見つめる彼女の侮蔑の瞳で彼の奥歯は砕けんとばかりに噛み締められたのであった
「"こいつ等は、“神様”ってやつの威を借りて“武器を頼り”に言うこと聞かない弱いやつ虐げることしか出来ない糞ってことだ"」
そして、ハルと聖剣の最後の侮蔑でキュリロスの顔は月明かりでもはっきり解るほどに赤くなり、彼は腰のレイピアへと手を伸ばした。
「きっ……貴様ぁ!"武器"の分際でぇ!」
そのレイピアは柄をキュリロスが掴んだ瞬間、埋め込まれていた深紅の石の中に漂うドス黒い何かを猛烈な勢いで蠢かしだすと、まるで心臓のように脈打ち激しく膨張と収縮を繰り返した。それだけにはとどまらず、レイピアのハンドガードはキュリロスの手に絡みつくように動き出すし彼の手へ張り付きに血管のような膨らみを皮膚に駆け上がったのである。最後には彼の顔さえも赤黒い膨らみが覆い尽くし、彼方此方に目のような模様が浮かび上がる程なのであった。
その姿は、もう司祭などという神聖さのかけらもない化け物のような姿なのであった。
「聖剣……"大丈夫だ、あれは“聖剣”なんて呼べた良い代物じゃない"そうなの?」
明らかに人間を辞めつつある姿のキュリロスに、ハルは少しだけ肩を震わせ呟き、害虫を見るような瞳に嗚咽とともに口元を隠した。そんな彼女の姿を怯えたものと勘違いしたキュリロスは満足そうに胸を張ろうとした。
しかし、聖剣のため息とともに吐かれる悪態と、それに軽く息を整えた後に目を細め訝しげに彼を見るハルの姿はそれまでと何も変わらなかったのである。それだけ、ハルと聖剣にとって眼の前の剣と歪に融合しかかるキュリロスはありふれたものであり、まして足を竦ませる必要さえないものなのだった。
ハルと聖剣の瞳はキュリロスから反らされることなく、彼の赤く腫れ上がる瞳を見つめ返していた。
「私が教皇猊下から賜りしこの"聖剣マクマト"を……"いい代物じゃない"だと……?」
「"そりゃそうだろ”使い手のことを考えない品“なんてゴミカス以下じゃないか?"聖剣、挑発しないで!」
「貴様!殺す!」
聖剣の売り言葉に買い言葉で怒りを顕にしたキュリロスの腕は震えていた。それは怒りだけでなくレイピアから彼に送り込まれる赤い何かが脈打つたびに増してる。そんな彼の姿と喉が腫れたのか声質低く響く声に聖剣が笑いながら膝を打ち、指さえ指してキュリロスに語りかけたのであった。
そして、聖剣をハルが叱りつける頃にはキュリロスがレイピアの鞘を左手で掴み、彼の体全身が激しく震えた。その怒気の現れのようなレイピアから走る赤い光が輝くと、キュリロスはハルと聖剣に叫びながら刀身を引き抜いたのである。
キュリロスのレイピアが見せる刀身は細く、そして赤熱するように赤かった。更にその刀身には血管のような真紅の線が幾つも走り、まるでレイピア自体が生き物のようなのであった。
「"やってみろよ!"もう!こういうのは……」
地団駄を踏み左手を地面につけ腰を落とすキュリロスは、まるで野獣が獲物へ飛びかかる直前であった。その虚ろな瞳はただハルと聖剣を見つめるだけであり、唸り声と歯ぎしりが激しく森を揺らした。
それでも、ハルは中段に構え聖剣は眼の前の獣に啖呵を切った。
2人は眼の前の獣を捉え、そして走り出した。その疾走は夜闇の影を置き去りにして、草葉を踏みつける音を捨てていた。まるで2人は夜の森を吹き抜ける風なのである。
「おおおうううおぅあぁあぁああいぁあ!」
その跳躍はまるでハルの姿がブレるようであり、獣と化したキュリロスはただ雄叫びとともに彼女と正面からぶつかるように駆け出した。その手と足の区別なく駆け出す姿は歪でありながら、横跳びを加え不意を突こうとするハル達の姿を視界から逃さず常に正対し続けたのである。
そして、一足一刀の間合いでキュリロスはまるでムチのように腕を振り、風さえ斬らんとする横薙ぎの一線を煌めかせた。
「好きじゃないっ!」
その横薙ぎを聖剣でいなしたハルは、自分の上をすり抜けてゆくレイピアを流れに沿って強く払った。その力はそのままキュリロスの体を大きく反らせた。
しかし、四肢に差なく振り中空で姿勢を正すキュリロスは空かさず剣を大振り振り下ろしたのである。その斬撃は音を残し、剣先が抉る地が激しく巻き上がる程であった。
その土煙から姿を見せたハルはキュリロスの右手へ左足を載せ、もう片足で地を踏みしめ大きく聖剣を振りかぶった。彼女の奥歯を噛み締めたフルスイングはキュリロスの胸板に直撃すると、鼓膜を揺るがす爆音とともに彼を吹き飛ばした。
キュリロスは宙を真っ直ぐに飛び、激しく地面を耕すと最後に木の幹へとその体を打ち付けたのである。その飛翔と墜落から停止までの跡ははっきりと地面に残り、倒れた草に土煙が大きく舞ってる。
「ぶっ……ごっっ!ばぁおぁ!」
口や鼻、耳と体の穴という穴から血を吹き出し呻いたキュリロスの顔や腕にはレイピアの赤い侵食はなかった。それは彼の顔に張り付く右手の指がハルのフルスイングによる衝撃で弾け、折れた骨が彼方此方突き出し関節が解らない程に手ではなくなったからである。それを示すように、彼の聖剣はハルの足元に刀身を埋めて突き立っている。それどころかキュリロスの右腕は彼の首に巻き付いており、だからこそ彼の手は彼の眼の前に見えたのであった。
そんな既に手ではなくなった自分の肉塊を顔から剥がそうとしたキュリロスだったが、左手は言うことを効かない。それどころか体全身に感覚がない彼はなんとか口で手を払うと沈黙した。
キュリロスの四肢の関節は殆ど逆に折れ曲がり、中には砕けた骨によって千切れかけていたからである。
「びっ……ばっ……馬鹿……な……」
「"言ったろ、そんな使用者を制御して無理矢理戦闘させるなんて”HonmatsuTentou“って奴だ"Hon……なんて?"まぁ、いいさ。そんな相手に剣術だ何だなんていらないんだよ"要は魔物退治と同じ」
「ぶっ……馬鹿にして……」
自身の体の傷を自覚したことで全身から走る痛みに身を捩らせたキュリロスは、体を動かした痛みと眼の前で自身を見下すハルの姿に血の涙を流しながら声を漏らした。その声も喉の奥から溢れる血と止まらない唾液が混じり、震える舌で呂律が回っていないのである。
そんなキュリロスの姿にハルの右肩に担がれる聖剣はしたり顔で彼に侮蔑を吐いた。その内容にハルが首を傾げ尋ねると、キュリロスを置いて2人は軽く話し始めたのだった。その余裕さは自身だけでなくその前に無傷で12人の騎士を倒しているとは思えないほどであり、彼は体を駆け回り脳を握り潰されるかと思える痛みを堪えハルを睨みつけ、呪詛のように言葉を漏らした。
それでも、ハルと聖剣はキュリロスを恐れず彼の視線を真っ向から受け止め、彼の眉間へ聖剣の切っ先を向けた。月の光を受けて輝くその刀身に目を細めたキュリロスだったが、その瞳は彼女の背後の月光の揺らめきへゆっくりと見開かれた。
「手首どころか全身のアチコチが折れてます"おまけに吹っ飛ばされた衝撃でザコ兵器を落としたから、接続切れて動けんだろ?それで意識があるだけ凄いが、諦めな?"一体、貴方達はなんで争いを防ごうとするのを止めるの!マクルーハンの教皇とか言うのはどうしてそこまで魔族を……」
聖剣はキュリロスの瞳の動きに眉をひそめた。
だが、ハルは聖剣の感じた違和感を拭うようにキュリロスの体と言えない体の彼方此方を聖剣の切っ先で指し示し語りかけた。それに応じて聖剣も彼へ脅しかけると、ハルは深呼吸とともにその瞳に慣れぬ殺意と敵意を揺らめかせた。更に続けて放たれる怒気の言葉は乱れたキュリロスの髪を更に乱すほどであり、彼は彼女の気迫に身を捩りその痛みにその場でのたうち回るのである。
それでも、キュリロスは暫くするとその場で止まり急に笑い出した。その森の中でよく響く笑い声は草葉の踏みしめる音も遮り、傷口から血を吹き出し蠢く彼の姿は思わずハルを退かせた。
「ふっ……ふふっ……まっ……まぁ……私は負けましたが……まだですよ……」
「"おい、痛みでおかしくなったか?"何言って……」
「私は待てけも、まだ……"私達"は負けてない!」
広がりゆく傷口から噴水のように鮮血を吹き出させるキュリロスは呟き、口から赤い泡さえ吹き出しながら笑い続けた。少しずつ血溜まりを作るキュリロスのその姿はハルの頬を引き攣らせ、聖剣に呆れ顔を浮かべさせ頭を掻かせた。
だが、キュリロスの叫んだ瞬間に草葉を強く踏みしめ小枝を折る音をハルと聖剣は聞き逃さなかった。
「えっ?"ハル!"うっ!」
背後から迫る何かに振り返ろうとしたハルはその気配に気づかなかったことへ思わず声を漏らした。その驚きの声を遮り聖剣が彼女の腕を振らせ剣の腹を正面に向け盾のように構えさせた。
その瞬間、聖剣に巨大な何かがぶつかるような衝撃が走り、ハルはその力を逃がすようにしつつ真横へ跳躍した。それでも衝撃は彼女を数回地面に転がす程の威力であり、聖剣を地面に突き刺してようやくハルは立ち上がれたのである。
「"マジかよ、いつの間に?"気付けなかった、どうして?"俺にもわかるか!"私もわかんない!」
「het zou natuurlijk zijn.《それは当然でしょうに》」
吹き飛ばされた衝撃で歪む視界を戻そうと頭を振るハルに、聖剣は目を見開き自分達を襲った衝撃の先を見た。そこにはキュリロス達が現れたときのような空間の歪みがあった。その歪みからは白く鋭い槍と輝く半月の斧と鉤が金装飾で飾られる白銀の宝玉を中心として対に伸び、それによって透明な歪みを生み出す外套は千切れてノイズのような乱れを起こし、風になびくと最後には千切れて空へと舞い上がった。
そして、そこに立つハルバードを構えた影にハルは肩を震わせ、響く声とネーデルリア語に聖剣は目を見張ったのである。
「"おいおい、冗談キツイぜ"そんな……嘘でしょ……」
ガラス細工のような薄く白く月桂の金装飾が掘られた線の細い鎧に身を包み、自分の刺突の衝撃で乱れた長くウェーブのかかった茶髪をその細い手で払う女の姿に聖剣は笑みを引き攣らせ軽口を吐いた。それでも視線だけは眼の前の月明かりに輝く白い鎧から目を反らすことはできず、ハルもその姿を前に構えようとした聖剣を下げると、力なく言葉を漏らすだけなのである。
ハルのことを真っ直ぐに見つめるその白き鎧の女は、溢れ出る高貴な気品を振り撒き翠の瞳で彼女を見つめた。
だが、その翠の瞳だけ包み隠さぬ敵意に燃えているのだった。
「Het is niet eens een leugen. je zegt het niet.《それが嘘でもないの。本当なの》」
「Tineke……《ティネケ……》」
「敬称を付けなさい、ハル。貴女は、私の妹で"第2"王女なのだから」
敵意の瞳で絵画のように慈愛ある笑みを浮かべ自分達の母国語で語りかける完全装備のティネケの姿に、ハルはただ彼女の名前を呟くだけだった。そんなティネケも直ぐに笑みを消し去ると、敢えて彼女へブリタニア語で語りかけたのである。
その突き放すようなティネケの言葉に、ハルは何度か口を開くも言葉が出ず、震える舌で言葉を発しようとした。それでも、自分を背後から刺し殺そうとし、今も眼の前で自身の獲物であるハルバードを掌で遊ばせているのが自分の姉であることにハルの思考は渦潮のように巻かれ、解れた糸のように纏まらなかった。
そして、何度となく夜風の音が響いた。
「何でここに?"そら、この糞どもに味方するため……"聖剣は黙って!」
掌で振られるハルバードの柄頭が地面に突き刺さる音が響くと、ハルは大きく肩を揺らし頭に過った言葉をただ口に出した。その言葉に即座に聖剣が野次を飛ばすと、ティネケはため息交じりに何度となく頭を振った。
そんなティネケの反応や聖剣の言葉に無理矢理自分の口を左手で閉したハルは、右手の聖剣を睨みつけ怒鳴るのであった。
「どうしてここに?」
「貴女を殺すため」
「どうして殺すの?」
「理由が必要なの?」
「必要って……」
ハルはティネケに声を震わせ尋ねかけ、ティネケはハルに声音一つ変えず淡々と答えた。2人の言葉の応酬の速度は少しづつ早まり、まるでティネケはハルが何を尋ねるのか解っている程の即答である。そこに聖剣は割って入ることはなく、ただ姉妹2人の時間が流れた。
だからこそ、ハルはティネケの最後の言葉に驚き、それに続く言葉が出なかった。彼女にとってティネケは何であれ姉なのである。
「だって、私は貴女が嫌いだから」
しかし、ティネケは穏やかな微笑みと鋭くハルへと突き刺さる敵意を瞳に浮かべて言い放った。
そのあまりに端的な言葉はハルの口を開かせティネケへの追求を出そうとさせた。それでも、ティネケの瞳はハルが話そうとするのを止め、感情を見せぬため作られた笑みは2人の溝が埋められないことを突きつけていたのである。
そして、ハルはティネケへ聖剣を構え、聖剣はハルの手を強く握らせた。
「だから殺すの。いい機会だし、これを逃すともう次はないもの。それに、グイリアは貴女を殺すのに協力すれば大幅な関税緩和とネーデルリアからの大口輸入を約束したわ。貴女1人を天秤にかければ、安いものよ」
「そんな……"ハル、これ以上耳を貸すな。コイツは元からどこかおかしいやつだ、正気なんてとうにない"」
ハルと聖剣の構える姿に頷くティネケは、ハルバード地面から引き抜き数回頭上で回転させた。その大きさと重量をハルより細いながら片腕で見事に操る彼女は、最後に鈍く輝く刃先とともにハルへ餞別の言葉を向けた。
ティネケの笑みはより一層穏やかとなり、ハルはその笑みに奥歯を噛み締めた。乱れるハルの冷静さを聖剣が建て直させると、2人は眼の前でハルバードを両腕で構え直すティネケへ改めて相対したのである。
「確かに、貴女は"剣聖"で強いかもしれないけど、戦争に強い個人は大して意味がないし。何より……」
臨戦態勢となるハルの姿はティネケを武者振るいさせ、瞳の奥に揺らめく敵意を一層強くした。その敵意が強くなるほど彼女の笑みは美しく深く顔に刻ませる。それはもう武器を構え合う戦場という場所ではむしろ不気味と言えるほどのものであり、敵意ある相手へ慈愛に満ちた口調で語るティネケの存在は、ハルにとってもう眼の前の姉だった者は自身の知らない別人であった。
「ポーリアで、大して味方を救えてないでしょ?そんな役に立たない"剣聖"なんて要らないものね」
ティネケの放った一言はハルにとって耐え難いものであり、誰に言われたとしても変わらぬが、姉から言われたということは彼女の聖剣を握る手にあらん限りの力を込めさせた。
俯き顔の見えないハルであったが、力んだ体が聖剣を小きざみに振るわせ鉄の音が響き、ブーツが踏みしめる地面は土の塊を大きく抉っていたのである。
「戦争を……"殺し合いを"……戦うのがどれだけ大変か知らない人が……"前線で生き残って味方を救うことがどれだけ過酷か知らないやつが"……好き勝手……」
「あら、殺し合いは知らないけど戦い方は……」
俯き前髪が顔を隠すハルであったが、その黒い影から響くぶつ切りの声音は震え、聖剣の言葉さえも語気が粗くなっている。その言葉が先へ交互に進めば進むほど2人の声は大きくなり、最後にハルの声が響きティネケがそれを遮ったとき、2人は一気にティネケの元へと駆け出した。
「"言うなぁぁ"あぁああぁぁあ!」
まるで砲弾のように駆けるハルはティネケの元へ一直線に突き進み、上段から袈裟斬りに聖剣を右上から振り下ろそうとした。その剣筋に合わせティネケがハルバードを両手で掴み聖剣の刃を柄で受け止めようとその身を動かした。
その瞬間、ハルは空かさず聖剣を左下から突き上げる刺突へと切り替えティネケの右肩を狙い一撃で勝負を決しようとしたのである。その剣筋は落ちる木の葉より早く、ティネケの瞳は未だその前の剣筋を見ていた。
つまり、ハルの刺突は確実にティネケの防御をすり抜け彼女の利き腕を潰す致命打となるのであった。
「なっ!"嘘たろ"」
だが、ティネケはハルの剣筋さえ見ず右手でハルバードを回転させて聖剣を払い、彼女の顔めがけ逆に刺突で返そうとしたのである。その動きにハルは打ち上げられた聖剣を引き戻しその腹で迫る切っ先を打ち返すと、その反動でなんとかティネケと距離を取ったのである。
思わず言葉を漏らしたハルと聖剣だったが、取った間合いは既にティネケが詰めており、横薙ぎに振られる白銀の宝玉が輝くハルバードが2人へ迫っていた。その斬撃を受け止め払うも、ハルの返す力で己を軸として流すティネケは直ぐに次の斬撃を放った。
ハルバードという柄の長い武器の斬撃であるからこそ、その斬撃や刺突には腕力を保って振るう間隙がある。そこを突いて反撃しようとしたハルだったが、聖剣が直ぐに次迫る刃の位置を予測しそれに応じ、彼女は直ぐに防御したのである。すると直ぐにまた次の斬撃がハルへ襲い掛かり、止まらない刃は一瞬の間さえ感じられない。ハルはただティネケの斬撃を受けていなすのであった。
「まぁ、良いわ。全力の貴女を倒してこそ意味がある。貴女みたいな穢れた血の混じる紛い物の王女より、お父様の血を正当に引き継ぐ高貴な私こそ、真に愛されるべきなの」
まるで舞踏のごとく獲物を振るい終いにはステップさえ踏み出したティネケは、眼の前で苦悶の顔を浮かべ必死に自身の斬撃を受け止めるハルの姿に笑った。その笑みは彼女の本音を表し、ハルが彼女の体重とハルバードの重さを足しても不自然に強い衝撃に息継ぐまもなく耐えると、ティネケは声音高く興奮気味に語りだしたのである。
その一瞬の油断で懐へ飛び込んだハルだったが、壁のように迫るハルバードの柄を前に聖剣を突き出した彼女はティネケと打ち合い、足を踏ん張る彼女達は鍔迫り合いとなった。再び獲物の間合いを取りたいティネケと彼女を抑え込みたいハルは互いに一歩も退かず、聖剣とハルバードが耳に響く金切り音を響かせた。
「だから、ハル。私の愛のために、私が愛されるために……」
それでもティネケはハルへ獲物の柄と聖剣越しに笑いかけ、まるで子供をあやすかのように語りかけた。その姿にハルは一層打ち付ける聖剣の力を込め、彼女を押し返そうとした。
だが、ハルの押し返す力にティネケも応じると、最後に2人は額さえ使いお互いを押し返そうとしたのである。
「死んで頂戴?」
「断る!"死ぬらテメェが1人で首括れ!"」
ティネケの微笑みを間近にハルと聖剣は啖呵を切り、彼女達は最後に力技で圧倒しティネケのハルバードを払い除けた。その少しの隙間で聖剣を切り上げたハルだったが、そこにはただ斬った刃の風だけが残っている。
「あらそう?なら、壮絶に姉妹喧嘩しましょうか?」
その聖剣の斬撃跡の少し後ろをティネケは、まるでバレエの如く数回つま先で飛ぶように下がっていたのである。それは軽口を叩きながらアラベスクをしながらであり、ティネケは最後の着地をハルと聖剣を前にバレエの第5ポジションをつま先立ちのルルベで決めるほどである。
そして、最後にティネケは首を少し回すと改めてハルバードを下段に構えたのだった。
「"姉より優れた妹はいない"と教えてあげる」




