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帝国再興記~Gartschlands Gloria~  作者: 陸海 空
第6章:死にゆく者に花束を
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第8幕-2

「遂に連隊も俺とお前の2人か……何でこんなに減ったんだろうな、全く……」


「2人?生き残りは1人だけですが」


「お前がいるだろ?」


 ハルは1人で雪の降るなかに立ち尽くしていた。そこは煉瓦造りの建物が建ち並び、嘗ては商店やレストラン、ホテルで賑わっていたことを垣間見せている。

 しかし、その輝きは黒く全てを焦がす炎がくすませ、崩れた外壁はただ荒廃を引き立たせた。その上に積もる白い雪はモノトーンのコントラストを見せながら、より一層の虚しさを演出するのだった。

 そんな街だった場所の街道だった拓けた所をどこへ行くともなく歩くハルの耳に、聞き覚えがなくても馴染みのある喋り方な掠れた男の声と、聞き覚えはあっても喋り口調が圧倒的に違う声が聞こえた気がした。

 その瞬間、微かに聞こえていた声はハルにはっきり聞こえるようになり、彼女はまるで何かに手を引かれるかのごとく導かれるように足を進ませられたのである。シャツにズボンと裸足のはずの彼女は足に雪の冷たさも体に凍える風も感じることなく、更には自分の足音さえも聞こえない。その異様さを前にして、ハルは自分が夢を見ていることに気がついた。


「私はただの装備品です」


「悲しいこと言うなよ、これまで死にそうな中を一緒にに潜り抜けてきた戦友だろ?文字通りに"一緒に"な?」


「私は……」


「最後なんだ、もう固い言い方はなし!最後くらい頼みを聞いてくれよ、お前にしかもう物事を頼めないんだ」


 自分がどこに向かうかも解らなかったハルだったが、彼女の足は正面に広場をもつ大きな建物の前で止まった。それは煉瓦造りの駅であったこと主張するかのように、地面には左右へ線路が伸びていた。

 しかし、その線路も途中でひしゃげて宙へとネジ曲がり、もう1台とて列車を受け入れることも出来ない。それどころか、外壁はあちこちが街の建物同様に屋根から大きく崩落し、建物と言えるかも怪しい状態であった。

 そんな駅舎だった廃墟を観察する間にも、ハルの耳には男2人の会話が聞こえていた。だが、素っ気ない口振りの声に対する掠れた男の声音は少しづつ震え、奥歯を噛みしめるような響きに彼女は思えた。

 その話し方に戦場の記憶がよぎると、ハルは廃墟へ駆け出した。

 廃墟の正面は駅舎だった頃のフロントホールがあったが、瓦礫だらけ故に夢の中とはいえど素足のハルには入るのを躊躇わせた。そのため、彼女はもう役に立たない線路を横目にホームから中へ入ろうとした。

 亀裂だらけのコンクリートの床をよじ登り内部へ足を踏み入れたハルの視界には、ホームのあちこちに待合室のベンチやテーブル、瓦礫を積み上げて敷かれたバリケードが見えた。それは明らかにホームから人の侵入を妨げる為に設置されていようで、近くには歪んだ鉄条網の塊もある。

 しかし、地面や壁に赤いシミがあるものの人の姿が全く見えないその防衛陣地を前にして、ハルはその異様さを前にしても足を止めることなく声の方向へ突き進み続けた。

 そして、ハルは嘗て改札だったと思える荒れ果てた空間に出たのである。

 

「なぁ?この戦いさ。いつまで続くと思う?」


「すみま……」


「おい!」


 そこには、顔を煤と埃で真っ黒にした男が壁に背を預け座り込んでいた。近代的なフリッツヘルムを被る男は口や顎に伸び放題の茶色い髭を生やしていた。その毛先は所々灰色に焦げ、よく見ると汚れた顔もあちこちが火傷で黒ずんでいる。

 なにより、男の傷は顔の周りだけではなく、冬季迷彩を施され厚いジャケットはあちこちが血に染っていた。なかでも腹部のものは一際大きな傷であり、不自然に大きく穿たれた傷穴は焼け焦げているものの、脈拍に合わせて血を吹き出して胸やズボンさえも赤黒く染めている。その流血は未だ止まらず、まして止血さえもしない男の姿にハルは口を抑えて言葉を失った。

 男はとうに生存を諦めていた。

 そして、ハルはその男が両腕で抱える剣を流れるように凝視した。それは真っ赤に刀身が変色しているものの、彼女とこれまでの人生を共に戦ってきた聖剣なのである。

 

「わかり……知らん、味方や敵の軍上層部だの人間の考えなんて俺には知ったことじゃない。俺は俺に与えられた目的を完遂するだけだ」


 ハルは聖剣の砕けた耳慣れた口調に口元の手をおろし、彼へと声をかけようとした。だが、何度か口を開いても全く喉から声が出ないことで、彼女は黙って聖剣を見つめたのである。そのなかで、彼女はこの異様な現実感と違和感を前にして、不思議と今見ている光景は決してただの夢ではないと感じた。

 その感覚は彼女にその先の内容を脳裏に過ぎらせ、ハルはゆっくりと髭を揺らした男に合わせ口を開いたのである。


「「俺と共に、"ファシスト共をぶっ殺す"ってか?」」


「相手がファシストでも共産主義でも、使うのがお前じゃなくてもいい。大体、お前で俺の使用者は3人目だ」


 ハルは何度となくこの夢を見ていた。漠然とした感覚の中でそれを理解しつつ、男の装備や語る言葉への聞き馴染みは彼女の心に過ぎった疑問へ即座に答えを返した。

 ハルが今見ているのは夢ではなく、聖剣の過去なのである。それは彼女がガルツ帝国の文明を前にしてもそれなりの平静を維持出来たことが示しており、ハルが何度となく聖剣の過去を夢として見てきたからなのである。それ故に、彼女は含みのある聖剣の語る言葉へと過剰に問い詰めることもなく、深く疑問を返すこともなかったのである。

 ハルは既に全てを知っていた。例え彼女が起きてしまうと忘却の彼方へと飛ばされるとはいえど、その記憶の奥底の感覚を僅かに残していたのである。

 そして、聖剣の言葉にハルは己の手を見つめた。


「「はっ、嫌だねぇ……そんなに死んでるなんてさ」」


「動きがトロかったり、運がなかったんだ。迫撃砲の直撃とかな」


「「死ぬのなら楽なのがいいな」」


 髭の男と口を合わせて話すハルの手は何も変わらず白いが、何度となく振ってもその手からは生温かく濡れた感覚が払えなかった。そんな1人困惑する彼女を置いて、男と聖剣はただ話し続けた。苦悶の声を男は必死に明るく響かせ、その軽口に答えるように聖剣は慣れない口調で嫌味を返すのである。

 それは嘗てハルも聖剣と共に戦場の束の間で繰り広げたやり取りであり、彼女の心に懐かしさと虚しさを交互に過ぎらせた。

 だが、その会話の間も男の血は止まらず、遂に出血はズボンの生地から溢れて地面に血溜まりを広げた。その血溜まりが広がる程に男の茶色い瞳からは生気が少しづつ抜け、聖剣を抱える腕も僅かに震え始めたのである。

 男の限界が迫る中、ハルの耳に金属の擦れる音とコンクリートや煉瓦を砕くような重く鈍い音が響いた。その音には鼓膜を震わせる轟音も重なり、その裏には無数の足音が響いている。

 何よりハルを身構えさせるのは、その音がこちらへ向けて迫っているからであった。


「「なぁ、お前、そいつらの名前ってさ。覚えてるか?」」


「なんだいきなり、名前?」


 その音に男は抱えていた聖剣の柄を震える両手で握り柄頭を掌に押し当て体重を預けると、浮いた足を地面に立てつつ壁に背中を添わせて立ち上がろうとした。その急な動きは男の痛覚を掻き乱し、彼は裾から飛沫を上げて流れ落ちる血も気にせずに頭を振って痛みを堪えた。

 その飛沫の残響を消すように口を開いた男に、聖剣は戯けて尋ね返した。その敢えてぶっきらぼうに喋る露骨さに男は笑い、聖剣の柄を力を込めてきちんと掴んだ。


「そうだよ。人間にはそれぞれに名前があんだよ」


「そんなことを知らないと思うか?俺は人工知能だぞ?」


「俺だって親から作られた体つきの知能だ。その俺だって知らないことがある。つまり、お前も知らないことがあるかもしれないだろ?それが名前についてかもしれない。」


「知らない。知る必要がない。この戦争が終わればお蔵入りされるのが俺だ。戦術データ以外にそんなこと知ってなんの意味がある?」


「あのねぇ、お互いに命を預け合う仲なのよ?せっかく最後なら、ちったぁ硬くならずに話そうぜ?まぁ、土壇場で柔らかくなられちゃ困るが」


「訳の分からないことを言うな」


「"訳の解らないこと"だぁ?"俺のムスコ"よりはアテにしてるってことだよ」


 産まれたての子鹿のように歩きだす男と聖剣は話し続けた。酒場でなんとなしに駄弁るような口調でありながも、お互いの言葉をきちんと聞いて返答する2人は軽い口調と反して素早く言葉を返し合うのである。

 それは聖剣が男にもう時間がないことを理解していたからであった。それでも、彼はどうにもならない現実と変えられない男の意志を前に悲観したくないからこそ会話を続け、彼の体の動きを支えたのだ。

 そんな彼の態度故に、どれだけ痛くとも男は冗談を混ぜ、聖剣は心配することもなく素っ気なくも会話を続けた。

 そして、2人は改札のバリケードをゆっくりと越えた。それは跨ぐなどという易いものではなく、既に男は這うことさえもままならなかった。それでも、聖剣によって男は力の抜けそうになる足を地面に立たせながら大仰に構えたのである。


「「俺はな、意志のある生き物が生きた証を刻む方法ってのは"誰かに覚えておいてもらう"ってことだと思うんだ。イデオロギーとかを必死に追いかけても、何か偉業を成し遂げても何があってもさ、忘れられちまったら終わりだろ?」」


 震える脹脛を叩いて活を入れつつ、みるみると剣先が落ちてゆく聖剣を腕全体を使って引き上げようとする男は、口の中に溜まった血を吐き出しながら聖剣へと語りかけた。その血は口元や髭を汚し、男の袖や聖剣が赤く染まった。

 それでも、男は赤い泡を吐きつつ語り続け虚ろな目で駅の目の前に伸びる大通りを睨みつけたのである。その瞳にはニ門の砲を向けながら履帯を軋ませ迫る鉄の塊と、その周りを駆け回る真っ白な多くの人影だけを見つめており、対する彼等も男の姿に気付くとその手に持つ所々に黒い下地の見える白い杖のようなものを構えた。

 つまり、男は最期の意地をわざとらしく目立つように見せようとしていたのである。


「「お前も、たとえ命令に従い続けたとしても、壊れれば俺達同様に捨てられる。でも、ただ放り投げられるなんて嫌だろう?俺は嫌だ。それに……」」


「それに?」


 満身創痍を通り越し、既に男は今にも倒れそうであった。それでも口を開き聖剣へと語り続ける彼はない力を振り絞り、戦う意志を見せようとしたのである。


「「俺は一緒に地獄を味わってるお前に覚え続けてもらいたいし、お前のことを知って覚えてたい。生きるってそういうことだろうし、こんな地獄みたいな所にいるんだ楽しくやろうぜ?」」


 つまり、男は駒として死ぬのが嫌なのだ。その僅かな抵抗が今の行動であり、己の居場所であった戦場において最後まで行動し続けることなのであった。

 しかし、それは男に全身へ晴れることない悪寒を走らせ、不快感と激痛から血を吐き続けさせた。

 だとしてと、男は立ち向かうとする素振りをみせるのだった。


「お前は訳がわからない」


「人工知能に"訳がわらない"って言わせるとは、俺もなかなか捨てたもんじゃいな?」


 そんな男の向こう見ずかつ無茶苦茶な考えに、聖剣はただ啞然として彼に呆れた言葉を漏らした。そんな彼の言葉は男にとって満足するものだったようで、笑いながら一言返したのである。

 しかし、男の笑顔に反して彼の体は限界を通り越し、聖剣の補助があっても遂にその足は地に突き力を込めるのを止めた。

 その事態は聖剣を大いに焦らせた。その焦りは激しく、男の足を無理矢理立たせよう電気信号を送り足だけが激しく震えだす程だった。

 そんなもう役に立たない己の体を前にして、男はただ剣だけを不格好に構えた。


「とりあえず、恐ろしく遅まきだが自己紹介し合おうぜ?」


「敵が進撃を開始した。今ならまだ反撃が……」


「反撃も何もないさ……そもそも1対300に戦車6台は単騎で倒せるもんじゃない……」


 迫りくる敵を前にして、男は動けない的となった。それでも彼は無駄に剣を構えるのを止めず、遂には脈絡なく聖剣へと話しかけた。弱りきった心臓は必死に男の生命を生かそうしながらも傷口から残り少ない血を流れ切らせようとしてたのである。

 過剰な流血で遂に思考さえも纏まらない男に、聖剣は必死に語りかけようとした。その声はハルが今まで聞いたことのないような焦り声なのである。

 その声を聞いても男は何故か満足そうに笑うと、少しずつ下がってゆく顔を震えながら上げつつ、その顎で正面先を指した。

 いつの間にか声に虫の羽音のような震えが止まらない男が言う通り、目の前の広場にはいつしか鉄の群れが連なり、それを囲う人影は遥か彼方まで列をなしている。

 ハルの瞳にも映る白い蠢く陰は彼女の背筋を凍らせた。


「策を錬れば……」


「なんとかなるのか?人工知能ならなんとなく解るだろ……」


「それは……」


 だが、焦る聖剣の激にも男は文字通り動じることはなかった。男の体は遂に限界を通り越し、聖剣は地面へと落ちた。


「どのみち死ぬからこそ、生き残る確率の高いお前に知ってほしいのさ」


 死に体の男が敢えて敵の前にわざとらしく身を晒し出たのは、聖剣という仲間を生かすためだった。無数の砲火から見た目こそ武器な彼を生かすためには、その使用者である男が勇ましく戦意を見せながら倒れることが必要であり、彼は聖剣を生き残らせる為に死を受け入れたのである。


「俺には物品番号しかない」


「嘘だろ?」


「本当だ、人工知能は嘘をつかない」


「そうか、ならお前の名前を付けるところからか」


「俺の物品番号はHL-25-2001356……」


「そういうのはいいんだよ」


 男と聖剣は、目と鼻の先に敵がいる中で話し続けた。男の体はもう聖剣の力でも動かすことは出来ず、男も聖剣を鹵獲という形であっても生き残らせることができたからである。

 今の2人には戦うという建前はどうでもよく、どうにもならないことの中で出来ることをしようとするのだった。それが、聖剣に名前をつけることなのである。


「そうだなぁ、名前かぁ……」


「無理に付ける必要もないだろう」


 遂に鉄の群れが駅舎だった廃墟へ至り、男の周りを多くの兵士達が取り囲んだ。その銃口が男に向けられても、彼はただ楽しげに話そうとした。その声は遂によく耳を澄まさなければ聞こえないほどであり、彼は生きているのか死んでいるのかも判別できない程の状態なのである。

 そして、ハルの耳にはしっかりと聞こえる聖剣の声も兵士達には全く聞こえないようであり、ただ足で乱雑に払うと彼を遠くへ滑らせた。

 遂に男は体を動かす最後の頼りを失ったのだった。


「HLで2001か……丁度いいな、ぴったりのがある……」


 だからこそ、兵士の1人に銃床で小突かれた男は力なく地面に倒れ、動かなかった。そんな彼の体を銃口や爪先で何度となく軽くつつく兵士達は、彼の死を確信すると誰もいない廃墟を制圧するためにその横を通り過ぎていったのである。


「俺がハル・バラクロフなんだったら、その相棒はこう名乗るしかないだろ……お前の名前は……」


 それでも、男は最後に聖剣へ語りかけようとした。その口はまるで動いていなかったものの、急激に意識の遠のくハルには不思議と彼の声が聞こえた気がしたのだった。

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