第8幕-1
デルン空港は帝国首都であるデルンの郊外に存在する空港である。帝国首都に存在するために空港は滑走路3本と随一のターミナルや格納庫数、帝国の航空交通を管理するため多くの管制機関や旅客のための商業施設を誇っていた。その格便を運航する航空会社は大手から中小企業まで幅広く、近隣空港からジークフリート大陸の端までありとあらゆる空港に接続しているのである。
そして、デルン空港は帝国の空を繋ぐだけでなく大規模防空拠点でもあった。
「しかし、急だよな」
「本当にいいのかな?せめて式典見てっても良いと思うけどね?」
「寂しく……なりますね」
「ホントですね〜、短い間とはいえ〜、寂しくなります〜!」
「しかし、これが彼女の元々の目的ですから。私達がどうこうできる範囲ではないですよ」
「でも!これで、もしかしたらヒト族と"国交樹立"ってやつができるかもしれませんよ!」
デルン空港の滑走路1本と半分の敷地を利用する国防空軍デルン飛行場は、帝国首都デルン最後の空の砦であることを前提に設計されていた。防空戦闘機の格納庫や整備場の多さ、轟音と共に空を駆けるパトロール機と連携した対空レーダーと防空兵器の網は鳩一羽も追い返すほどである。
そんな飛行場の格納庫近くにある喫煙所にて、パトリツィア達は6人揃って煙を吹かしていた。彼女達は腰掛けに体を預けたり壁に寄りかかったり、その場で立ったりと思い思いの体勢で煙缶を中心にタバコを吸いこみ換気扇の回るファンへと煙を吐いている。吸うタバコは紙巻きやライトシガーと細さや太さから紙の色まで点でバラバラであり、彼女達は種族から何一つ統一性がなかった。
しかし、全員が密着するような分厚い生地で全身のあちこちに丸いプラグや樹脂プレートの着いた深緑の服を纏っているのがパトリツィア達を1つにしている唯一の点である。
パトリツィアやタピタ、インメルガントやアルマにジーグルーンとクレメンティーネがそれぞれ話すように、彼女達はハルのファンダルニア大陸へ出発するときを待っていた。
「そんな簡単にいかないと思うけどな」
「あら、消極的?」
「パトリツィア隊長にしては珍しいですね?」
「きっと〜女の勘ってやつですよ〜」
「根拠がないならいいけど……でも……」
「わかりますよね、その気持ち」
そんなパトリツィア達はハルの帰還への護衛を前にして全員が浮かない顔をしており、煙を吹かすたびに語る言葉は力が薄れるのである。
それはヒト族が魔族に対して持つ価値観や行ってきた仕打ちとハルの持つ価値観が大きく異なっているからであった。それだけパトリツィア達もハルの思考は独自のものと思え、それ故に彼女の今後が心配なのである。その感情はニコチンが体を駆け抜ける度に深くなり、思考が晴れる程にそう思えてならないであった。
「なんで"飛行猟兵装備用耐圧服"を着てるのかってことだよ」
何より、パトリツィア達が今後の流れに不安を覚えるのは、彼女達が"飛行猟兵装備用耐圧服"という飛行猟兵の為にのみ作られる装備を纏っているからである。その装備は通常の飛行服と同様に猛烈な圧力や衝撃にも耐えられるようや強靭さもあるが、エンジンの排気や装甲で覆われる装備内の通気性や対空射撃の中を飛び回る為の防弾防刃性と求める基準は圧倒的に異っていた。
当然ながら、飛行猟兵装備用耐圧服は隊員個人の体格に合わせて1から作られる。しかし、当然ながら装備は国防軍の所有物であり、訓練や実働任務以外で着用することはなかった。
つまり、パトリツィア達6人は飛行猟兵として任務に従事することは確定しているのであった。
「ただの見送りならあんな露骨に軍用輸送機な"ギガントⅡ"を使うってのもおかしいし、普通に野戦服なり制服なり別な格好もあるだろうにね?」
「つまり、ハルさんの帰国には私達が戦闘なり何かしらの任務が伴うってことですよね」
「憶測の範囲だけどな」
ハルの帰国を見送るという任務に多少の危険はパトリツィア達も想定ができる。しかし、攻撃機に劣らぬ空対地戦闘や降下猟兵のような制圧戦闘を主任務とする自分達が装備をまとめた戦闘単位として同行するということは、パトリツィアの顔を曇らせ大して吸ってもいないタバコの灰だけを落とさせるのである。そんな黙って燃えるタバコを見つめるパトリツィアの姿は、その場にいる全員の視線を集めた。
それでも黙ったままフィルターさえも燃やし始めるパトリツィアの姿に、タピタは見かねて少し響くように全員へ話しかけた。その声に顔を上げ指に迫る火を見たパトリツィアはインメルガントやジーグルーンの言葉に耳を傾けつつも煙缶へ燃カスを投げ入れるとソフトパックから2本目のタバコとライターを取り出した。
だが、何度擦ってもライターはタバコに火を付けず、見かねたクレメンティーネがマッチを3本無駄にしてから火を付けたのだった。
そして、吐き出すタバコの煙が再びその場に沈黙を充満させた。
「"ポルトァ"って国の海岸近くの森に降下させる予定ってことでしたけど」
「そこが一番騒音が起きても目立たず、私達がハルを担いで飛んでも見られない程度に広いらしいからな。まぁ、親衛隊連中や"諜報部"からの情報なら間違いないだろうさ」
煙草の煙が晴れるると、沈黙も晴らそうとクレメンティーネが先陣を切って話し始めた。その変哲もない任務の話題は何とか軍人としての彼女達の性質を刺激したことでパトリツィアが口を開いたのである。
「でも〜、指令説明ではなんだか曖昧な発言が多かったですし~?"警護対象者が他のヒト族と戦闘になった場合は、死亡する可能性の直前で救出"とか、普通に考えて言います〜?一応、ハルさんお姫様だし」
「だからこそ不自然なんでしよ、アルマ?」
「まるで、"ハルさんが死にに行く"みたい……」
パトリツィアが再び話し始めたことで、それまで口を噤んでいたアルマが口を開いた。その内容は彼女達が任務前に事前説明されていたことであり、全員に浮かない顔をさせる原因の大きな1つであった。
そのアルマの言葉に続くタピタの言葉に全員が腹の底で考えても忘れようとする可能性についてジーグルーンが思わず呟くと、その場の全員が一斉に彼女へと視線を向けた。その目を見開き発言を非難するとも言えなかったことをあっさりと言う彼女への羨望とも取れる視線を前にして、ジーグルーンは吸い込んでいた煙で噎せ返り、片手で口元を抑えながらまだ残っていた煙草を煙缶で潰し消した。
「止めヤメ!こんな話、嫌になりますよ。1抜けた!」
「あっ!イルメンガルト、早い!」
「吸うの早いな、アイツ」
ジーグルーンの咳き込む姿や彼女の言葉で一層暗くなる喫煙所の雰囲気に、イルメンガルトは焦げたフィルターを煙缶で潰すと首を振り、大きく背伸びをすると足早に去っていった。その去り際の一言や後ろ姿をクレメンティーネやタピタが追いつつ呟くと、再び喫煙所は沈黙したのである。
イルメンガルトが去ったことで残った全員は首や肩を回したり頭を掻いたりしながら残った煙草を吸い沈黙に耐えようとした。
「じゃっ、私は2で抜ける」
「私も〜、3抜けです〜」
しかし、タピタとアルマはそそくさとニコチンを肺に納めると吸い殻を潰し足早に去っていった。
「"最後の一服"ってあるじゃないですか。これ以上話してると、余計な要素が加わって死ぬかもしれないですし」
「ジーグルーンの映画好きか」
「趣味が多いって凄いよね」
人が減り少しずつ煙が晴れ始めた喫煙所の中で、ジーグルーンは煙缶の中を見つめて呟いた。その一言は多趣味な彼女特有のものであったが、パトリツィアとクレメンティーネはそれを聞いて各々返した。
そんな彼女達の言葉に何度のなく頷いたジーグルーンは、聞いても内容を理解していなかったクレメンティーネが更に煙草へ火を付けようとするのを彼女の脇を小突いて止めた。
クレメンティーネはジーグルーンの小突きでようやく彼女の意図を理解すると、腕時計を確認しつつ煙草をポケットへと仕舞った。
「それでは、お先に」
「私も失礼します」
「はいよ。集合にはきちんと間に合わせるから」
「遅れないで下さいね?」
ジーグルーンとクレメンティーネは横並びに軽くパトリツィアへ会釈しながら喫煙所を去ろうとした。その背中へとパトリツィアが声をかけると、出入り口の扉に半身を出したジーグルーンが念押しをしたのである。
その一言に何度となく頷いたパトリツィアはようやく吸い終わり見えた煙草を指に挟む手で軽く手を振り口を開こうとした。
「あと、"帰ってきたら"って言葉は使わないで下さいね!死にますから」
そんなパトリツィアへジーグルーンの言葉が先に剛速球で投げられると、彼女が言葉を返す前にジーグルーンの姿はなかった。
扉が閉まり金具の音が響く中、パトリツィアは1人残った煙草を吹かすのである。
「いやはやなんとも、"ヒト族平和の使者"を嘗て内戦で"侵略者"だったアタシ等が送り返すってのはどうなのか……」
煙と共に吐き出されるパトリツィアの独り言はゆっくりと天井へと登っていき、最後には天井で砕けて消えた。
そんな煙の行方をじっと見つめていたパトリツィアは、残った煙草を最後に吸い込むと先に煙缶で吸い殻を潰した。吸い殻を放り捨てたパトリツィアはゆっくりと煙を吹き出そうとしたとき、扉の外から聞こえる足音にその方向を向いた。
そして、扉が開くと共に彼女は煙を吐いた。
「パトリツィアさん……うっ、げほっ……」
「咳き込むならわざわざ来るなよ……いま行くから」
扉から半身を出したのは僅かに青い顔をしたズザネであり、パトリツィアの煙の直撃を受けると僅かに咳き込んで顔を部屋の外へと避難させた。
そんなズザネの姿にパトリツィアは頭を掻きながら呟くと、足早に喫煙所の外へと出た。服の乱れを軽く直すパトリツィアだったが、その歩みの途中に扉の隙間から目を覗かせるズザネに不思議と背筋が寒く感じるのである。
パトリツィアの足は早くなり、扉を閉めるとズザネへ歩み寄った。
「どうした、そんな深刻な顔して?」
「そりゃ、深刻にもなりますよ……」
軽く掌でパトリツィアから漂う煙草の臭いをズザネは軽く払った。その行為に眉間をしかめるパトリツィアはすぐに彼女の目と鼻の先までわざと顔を近づけ尋ねた。それに顔をしかめるズザネだったが、眼鏡の位置を直すようにパトリツィアを離れさせると自分の脇へと右手を伸ばした。彼女の左脇にはクラッチバッグがあり、中へと入れた手は1枚の板挟みを取り出した。
「んっ、これは?」
「黙って読んでください。過剰な反応もなしです」
板挟みを見つめるパトリツィアの疑問に即座に返すズザネの言葉には余裕が僅かしかなく、即座に返された語調は彼女らしがらず荒々しかった。
「これ、輸送機の搭載品表と飛行計画書じゃ……」
「くすねてきました」
「少佐さんが良いのかよ?」
板挟みに挟まっていたのは帝国で使われていた飛行計画書であった。そこには航空機のコールサインや機番号、飛行時間や登場員数、搭載装備まで機長の直筆の写しが記入されている。そこに搭載品の詳細な一覧表まで付いていたのだ。それは本来ならば軍の航空管制機関が管理すべきものであり、一応は空軍士官であり空を飛ぶパトリツィアからすれば当たり前の事実である。
だからこそ、パトリツィアは訝しげに悪びれないズザネを軽口混じりに見つめてからその内容を確認し始めた。
そして、パトリツィアはその内容に驚愕したのである。
「これは……簡易医療用再生装置と電源だと?」
「しかも皆さんの飛行装備に放射線測定器まで装着されてます。その上で、ハルさんの生命に危機が迫った時に統合国防本部の命令でようやく救助可能なんて、不自然過ぎます。それに、この飛行時間ですよ」
「30時間を超えてるのか……」
「往復でどれだけかかっても18時間程度です。そこに飛行経路にも待機地点がありますから」
飛行計画書や装備品表の内容は基本的に機体によって大きな変動は少ない。だからこそ、見慣れた輸送機の内容に見慣れない搭載品があることはパトリツィアの眉をひそめさせた。さらに、その搭載品が用心輸送にはあまりにも不自然すぎるものであり、パトリツィアは開いた口が塞がらなかった。
そこにズザネも青い顔のまま補足を加えると、2人は話しながらお互いの脳裏に今後の流れが予想できたのである。
「ならハルは……これまで開戦の口実にされるために、わざわざ親書を持った使節として……」
「皇帝陛下や総統閣下がそこまで考えていたら、もっと目立つように放り出しますし、わざわざここまで饗さないですよ。多分、最悪の場合を想定してるだと思います」
2人はお互いの出した予想をあまりに突拍子もない過激な妄想とも思えた。
しかし、これまで歩んできた2人の人生はここ数十年で劇的に変化し、過去の自分に話しても妄想以外に受け取られないだろうものである。それ故に、パトリツィアはズザネの考えに否応なく頷くのだった。
「ハルの善意が気に食わない奴らがいるってか?」
「統合国防本部の中でも"マクルーハン教"って奴らは魔族や亜人差別とヒト族至上主義で有名ですから。そこに帝国からの親書と国交樹立なんて起きたら……」
「ハルはそいつ等の理想にとっては不快で邪魔となるわけか」
パトリツィアとズザネはあくまで仮定として話をそのまま進めた。その仮定は2人も突拍子もないと思えていたが、僅かに心に引っかかる可能性が嫌に現実味を帯びさせたのである。その現実味がズザネに可能性を語らせ、パトリツィアは遭遇するかもしれない敵を考えさせた。
「それでも、ハルが死にそうになるまで"撃つな"ってんだろ?」
「国防省からの命令ですから」
パトリツィアの予想は何時しか戦闘に至る可能性にもたどり着き、彼女はそこで自分達に命じられていたことを思い出した。そのことを敢えて口に出してズザネへと話しかけると、彼女は青い顔ではあれども高級士官としてただ一言伝えた。
そのズザネの一言は軍属として正しいながらもパトリツィアには我慢ならず、彼女は直ぐにズザネへと手が出たのである。
「わざわざ釘を刺しに来たってか!これだけのことを話してか!ふざけるなよテメェ、アタシがそんな薄情なことができると思ってんのか!」
「言われなくてもわかってますよ!それでも、これが命令です。彼女は結局のところ"ヒト族"なんです!」
ズザネの襟首を片手で掴むパトリツィアは、その手を大きく前後させながら感情をぶつけた。その言葉は彼女なりに数ヶ月を共にしたハルへの同情や友情のような感情からくるものであり、言い終わった後のパトリツィアさえも本来敵であるヒト族のハルへと抱いていた感情に僅かに驚いた程である。
パトリツィアの怒涛の詰め寄りはズザネも驚く所であったが、彼女はまだ軍属や士官としての意識をもって言い返すのだった。それは完全な正論であり、それ故にパトリツィアはズザネの言葉に言い返すことが出来なかった。
パトリツィアはズザネから手を離してその拳を握りしめた。それが、敢えて口を閉じた彼女が出来る反感の表現なのだった。
「搭乗員表を書き換えました。この基地で一番の腕利きの医者を同行させますから」
その震えるパトリツィアの拳を一瞥したズザネは、彼女の手から板挟みを取るとクラッチバッグの中へと戻しつつその場を去ろうと歩きだした。そのズザネの背中が急に一言呟くと、パトリツィアは震える手を解き彼女の背中を凝視したのである。
「私だって、感情くらいありますから」
「アンタの無感情なんて見たこたぁないよ」
ズザネの続けざまの一言にパトリツィアが答えると、彼女は首だけ動かして真後ろを向くとそのフクロウやミミズ系鳥人特有の動きに面食らうパトリツィアへ笑いかけた。
「そりゃそうですよ、私は"人間"ですもの」
そのいたずらっぽい笑みを再び正面に戻したズザネは軍靴の音を鳴らして去っていった。
その場にはパトリツィアだけが残り、彼女は再び喫煙所へと入ろうとした。だが、ジーグルーンの言葉とこれまでしていた会話に肩を落とした彼女は、軽く頬を叩いて格納庫へと向かうために歩みだしたのである。
「ちっ……皇帝陛下の親書がハルにとっての"死の要因"ってか?そういや"帰ったら、第2王女として式典に"とか言ってたな。ジーグルーンめ、変なこと教えやがって……映画だってもっとまともな話を作るだろうに……」
未だ形だけとはいえど平和が広がるデルン飛行場の中で、パトリツィアは浮かない顔で1人呟いた。その言葉も忙しそうに行き来する士官に下士官、兵は気に留めず己の任務を全うしようと先を急ぐのである。
国の正義と己の正義を重ねてどんな任務も遂行しようとするのは軍人の常であり、すれ違う多くの軍人の姿は本来パトリツィアも持ち合わせているものである。それでも、彼女は軍上層部の考える筋書きに疑念を覚え、腹の底で膨れる不満に違和感を感じたのだった。
「"平和を祈る乙女"に親書という"死の花束"か……」
その不満を少しでも解消しようとパトリツィアは軽口を呟くのである。
「"死にゆく者に花束を"ってか?笑えないし、ありきたりだな。こんな筋書きを書くやつはよっぽど能無しだわな」
しかし、軽口を呟く程にパトリツィアの不満は膨れ上がり、彼女は遂にどうにもならないことをどうにかしようと必死に思考を巡らせ始めたのだった。
「死なせて堪るか、死んでいいのは人様の善意を自分の我儘で踏み潰して気色悪く笑うやつだけだ……」
独り言を呟き続けて格納庫までやって来たパトリツィアは大いに腹を括り、己の腹の底に渦巻く不満を吐き出すように悪態をつくと、乗り込む輸送機の近くで屯するタピタ達の姿を見つけた。それと同じくタピタ達も遠くに見えるパトリツィアの姿を見つけて手招きすると、彼女は小走りに仲間の元へと駆け寄ったのだった。




