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帝国再興記~Gartschlands Gloria~  作者: 陸海 空
第6章:死にゆく者に花束を
313/325

幕間

「皆さん、大変長らくお待たせしました。ようやく、逆徒がこの大地に帰ってきます」


 ポルトァ公国のアルコニモス修道院の円卓部屋はジャンやディアヌ、シルヴェスター達各国から集められた腕利きの騎士や戦士が円卓を囲んでいたが。

 しかし、キュリロスが部屋のマクルーハン教の教具が並ぶ祭壇を背に両手を広げてミサのように語って見せても、シルヴェスターは口を曲げて見せたのである。それどころか、ジャンは席に深く座り込んで足を円卓乗せ、ディアヌは頬杖を突いていた。その他の面子の多くも思い思いの行儀の悪い体勢で座っており、共通しているのはキュリロスのことを訝しげに見つめることだけだった。

 そして、全員が同じ体勢のまましばらく沈黙が流れた。


「おい、キュリロス司祭さんよ。どうして聖剣ハルって嬢ちゃんが帰ってくるって分かんだよ?その言い方なら、まだ帰ってきた訳でもないんだろ?」


「ジャン、ハルさんって貴方と歳近いよ?」


「同年代に"お嬢ちゃん"って……」


 その沈黙をジャンが変わらぬ姿勢のままで軽く指を上げてキュリロスに尋ねかけた。その質問は全員の視線を彼に集中させる程のものであり、キュリロスやダフネといった招集をかけたグイリア法国以外の者には根拠の予測ができないのであった。

 だとしても、ジャンの発言の本筋と異なるところにディアヌやシルヴェスターが指摘を指すように、彼等からすれば既にどうでもいいことなのである。それはジャンとシルヴェスターの働きかけで、剣聖ハルと戦うことに国の利益を見いだせない多くの者達は既に戦闘意欲は微塵もなかった。

 つまり、この円卓での話し合いは既に終わりが見えていたのである。


「このポルトァには、本国からトリュファイナ修道女が来てくださっていますので」


「誰だよ、そいつ?」


 とは言えど、キュリロスはそんなジャン達にまだ温かい視線を向けており、非礼に対して怒りの視線を向けるサンスやクルスとその一行を抑えるように手を向けて微笑んだのである。

 そして、キュリロスがジャンに返答すると、全員の目に再び疑問が浮かんだ。それはジャンの返す言葉が全てであり、この場への招集までの長い間の待機の間にトリュファイナという人物と誰もが会っていなかった。


「もしかして"ニカーブ"を被っていた方ですか?」


「おい、"ニカーブ"ってなんだ?」


「目だけ出せるスカーフみたいなものですよ。ガリア人なのに"Fashion"に興味がないんですか、ジャンさん?」


「ちっ……うっせぇ!」


 全員が互いに顔を見合わせ首を横に振る中で、シルヴェスターだけは顎に手を当て人差し指で何度となく叩いていると呟いた。彼の脳裏には修道院の廊下を歩く目元だけをダシタ"黒ずくめ"の修道女とすれ違った記憶が流れた。その人物の格好は確かに修道女の服装で男性とは思えぬ程の小柄さにたわわな胸元であり女性名ということ、更に身辺整理の為の手伝いをしていた修道女と圧倒的に異なる雰囲気から、彼はその修道女をトリュファイナど断定した。

 そんなシルヴェスターの発言はジャンやキュリロスへ集まっていた視線を彼へ集めた。そして、他の者たちも記憶にあったのか頷く中で、ジャンだけが納得できないように小首を傾げて素っ頓狂な尋ね方をした。彼は与えられた自室か街の中にしかおらず、修道院など気に求めていなかったのである。

 ジャンの尋ね方は即座にシルヴェスターの皮肉を喰らい、彼は返す言葉と共に話を終わらせるようにキュリロスへと眼光を光らせた。


「その"トリュフ"修道女様がいると、なんでこの国にいるかどうかもわからない"剣聖"の居場所が解んだよ?」


「ジャンさんの記憶力の低さはともかく、確かに不自然ですね。僕達は海岸の警備をしてる訳でもないし、ポルトァの海岸警備兵に知らされていればとっくに世間に"剣聖ハル"の行動が漏れてるはず」


 ジャンとシルヴェスターのキュリロスへの追求は的を射抜いていた。彼等が集めめられる昼頃まで剣聖ハルの居場所は全くという程に不明だった。そのことに対して捜索や海岸の警備を意見したジャン達だったが、彼等に対してキュリロスは捜索への協力要請を全くしなかった。

 強力な戦力こそあれど捜索や警戒もしないとなるの当然ジャン達が自由なのは当たり前であり、それまでと今のジャン達の発言でいよいよキュリロス達の行動は不審と疑惑に溢れたのである。


「なのに"なにもしてない"中でここまで"断定した言い方"となると……そのトリュファイナ修道女はまさか!」


 キュリロスとダフネにジャンとシルヴェスター達の視線が刺さる中、ディアヌも彼等に続いて彌次を飛ばそうとした。彼女も、ジャンの工作に協力していたのである。

 しかし、その野次を飛ばしている最中にディアヌの思考に不快かつ驚愕の空想が流れた。その彼女にとって突飛な思考は思わず口を割いて出てくると、キュリロスは不敵に笑った。


「えぇ、彼女は予知の魔術を使えます」


 キュリロスはこれまでの流れを全て理解していた。

 その発言はディアヌの目を大きく開かせると共に両手で口を抑えた。その驚きぶりにジャンはクルスの隣に座るファニタを見たが、彼女はディアヌの驚きに驚いている様子から彼は直ぐにキュリロスを睨みつけたのである。


「予知って、未来を見たりする予知か?」


「えぇ、そのとおりですよジャンさん。彼女はとても特殊な力を我等が神から授かりまして……」


 ジャンの追求へ直ぐにキュリロスは答えた。その穏やかな笑みは力強い自信の滲む口振りを後押ししており、彼はその態度から嘘とは思えなかった。

 しかし、ジャンやシルヴェスターの納得を遮るかのように円卓は揺れた。それは顔を伏せたディアヌの両拳が叩きつけられたからである。その拳は震えていたが、力んで震えているとは思えない弱々しさである。


「巫山戯ないで!」


「ディアヌ……?」


 その拳は再び振り上げられ、ディアヌの怒声と共に振り下ろされた。彼女の姿は普段の知的で穏やかな笑みを浮かべたものとは大きく異なり、瞳からは光が消え、一瞬で幽鬼の様な表情をキュリロスへと向けたのである。

 まるでディアヌの別人かの様な変化に驚くジャンが声を掛けても、彼女はキュリロスから目を逸らさすその拳に力を込め続けた。虚ろさはなく狂気さえも見え隠れしそうな震える瞳は明らかに不自然であり、ジャンもそれ以上声をかけられなくなった。


「そんなこと出来るわけないでしょう……未来は不確定で曖昧なもの。人間1人の行動だって曖昧で、天気なんてどれだけ情報を集めても予想できて明日まで。それに、魔術が干渉出来るのは今現在の世界にのみ!時間に干渉なんて光にでもならなき限りできない!そんなことできるなら今頃……」


 ディアヌは肩を震わせてキュリロスへと抗議をした。その言葉は肩の震えより激しく、握った拳からは遂に血が流れ始めた。その流血に合わせてディアヌの言葉は早口になり、瞳や体さえも震え出したのである。

 そして、急に言葉を止めたディアヌは己の両手のひらを見ると、いつの間にか立っていた自身と集まる視線を前にして俯き席に戻った。

 そんなディアヌから目線を晴らすようにジャンもテーブルを叩くと、彼はキュリロスを顎で指したのだった。


「光……に、ついてはわからないですがね、出来るんですよ、彼女は」


 ジャンの仕草から額に僅かに汗をかいていたキュリロスはポケットへ手を伸ばした。その手を見つめていたノーベル帝国のアンヤと目が合うと、彼は大きく笑って取り出したハンカチで額の汗を拭った。

 そして、キュリロスはハンカチをポケットへ戻すと、両手の傷をハンカチで止血するディアヌをあえて見つめて言い放ったのである。


「それが、彼女に与えられた予知の力ですから」


 キュリロスの一言は円卓に静寂を与え、再び部屋中に冷たい空気を放った。


「詳しく説明はできないんですか?」


「トドールさん、どういうことで?」


 沈黙に言葉を投げ入れたのはブルギア王国のトドールであった。男ながらに小柄な彼は逆に姉と思われそうな妹ユリアが顔を赤くしながら手を前にして振る横で瞳を細めながらキュリロスを睨んだ。まるで宝石のような灰の瞳はキュリロスからずれず、艶のある短い黒髪を払う仕草にも棘があるように見える。

 そんな兄ドトールの疑心と同調するように突然の発言で動揺した妹ユリアも、キュリロスの返す言葉には睨みを利かせ兄の言葉を待った。


「僕達ゴーレム乗りは、きちんと整備士達と機体の状況を確認し合います。それは具体的であり、きちんと詳細を説明します。例えば"足首の関節に異常があるかもしれない。歩いてる時に足首が前に動きづらいから"とか、"肩の関節の何番の部品を交換したおかげて動きが0.5秒早くなった"とか」

 

 ドトールは僅かに笑いながら例え話を始めた。

 しかし、その内容はゴーレムと呼ばれる大型の人型魔導機のことであり、ユリア以外のその場の全員が目を点にしたのである。国土に山岳地帯が多いブルギア王国などのファンダルニア大陸の中でも険しい国では、物資の移動や魔獣討伐にゴーレムを使う。つまり、国土が険しくない限り、大型魔獣との防衛戦でもない限りわざわざ大型かつ人型の魔導機を使わないのが世界の現状なのだった。

 つまり、その場の全員がゴーレムに乗ったことがなかったのである。


「理論を持って説明してほしいということです。それに……」


「それに?」


 この場の全員にゴーレムの知識がなく、上手い例え話が空振りになったことでドトールは大きく肩を落とした。その肩をユリアに撫でられながらも彼は上目遣いにキュリロスを見つめながら付け加えた。その言葉は尻すぼみであり、あえて彼に言葉の続きを聞かせるものであった。

 だからこそ、キュリロスは灰の瞳が向ける挑発へ笑って返した。


「貴方の説明は"神が仰っているから"ばかりで要領を得ない」


「貴様ぁ!」


 ドトールの一言はサンスの逆鱗に触れた。信仰しているからそこ、自身よりも主への侮辱は我慢ならなかった。教典は生きとし生けるものに必要な全てが書かれ、主の言葉はより良く生きる最後の術である。だからこそ我慢してはならないのが信徒であり、なんとしても訂正させなくてはならないのが救いなのである。

 しかし、キュリロスはその激情と腰の剣を取ろうとする手を睨み止めた。何より、彼の手が腰の剣へと伸び、今にもその指先が柄に触れそうなほどに近いのである。それを見たダフネは目を見開き顔を直ぐ青くすると反射的にその場を離れようと身動ぎした。その動きにその場の全員が剣を取ろうとしたのである。

 一触即発の空気へ部屋が転じたことによりサンスはキュリロスの琴線に触れかけたことに気付き慌てて両手を上に上げた。その動きでキュリロスも手を柄から態とらしく遠ざけつつ他の面々に席へ戻るよう掌で促したのだった。


「サンスさん、それくらいに」


「わっ……解りました、キュリロス司祭」


 笑みを浮かべるキュリロスに対するサンスやダフネの青ざめた顔は尋常ならざるものであり、ジャンはサンスの反応からキュリロスを力強く見つめた。

 ジャンは、邪悪には敏感なのである。


「私も、皆さんが"誇りと理性ある"マクルーハン教以外の神を信じていないことも、そもそも"人として生きる上で最も重要"な"神"を信じていないこともわかっています。何より、"愚か者"ほど"愚集"を組みやすいということも」


「俺等が"愚か者"で"愚集"ってか?」


「"そう思い当たる節がある"ならですが」


「ちっ……」


 キュリロスの語る言葉は遂にジャン達への拒絶を表し、丁寧かつ穏やかな口調から放たれるその言葉は一際敵意が鮮やかであった。なにより、彼の語る言葉はそれが当たり前であり揺るぎないものという認識が溢れ出ていたのである。だからこそ、目の前のジャン達のような自分達に賛同しないものは端から数に入れず、嫌いなものたちは存在さえも認知しないのだ。

 キュリロスは心の底から司祭なのである。 

 故にジャンの皮肉もどこ吹く風であり、既にキュリロスの視界に彼等は映っていなかった。


「つまり、ポルトァの英雄一行と信徒サンス、そして"ネーデルリアの姫"以外の方々は"邪悪と交わった獣"を狩らないと?」


 そのキュリロスの視界の変化に気付いたダフネが慌てて彼の後ろからジャン達へと尋ねかけた。

 その瞬間、シルヴェスターは目の前の円卓の一部を拳で砕いたのである。


「代表して言いますが、理解し難いってこった!相手は剣聖だ、それに徒党を組んだとしてもこんだけの戦力だ!勝てるか怪しい!」


「"義を見てせざるは勇無きなり"ですよ?」


「昔、"勇気と無謀を履き違えるな"って大盾で顔やら腹やら背中やら、ボコボコにされながキツく言われたもんでな」


 それまで静かだったシルヴェスターだが、遂に彼はキュリロスの態度に耐えられなくなった。それは今までの丁寧な口振りが乱れる程であり、言い終わった後でそのことに気づいたほどである。

 そのため、己の激情を前に頭を抱えるシルヴェスターの代わりに、ジャンがキュリロスの皮肉に答えた。それは騎士にとっては気に障る侮蔑であれど、彼にとってはどこ吹く風であり、遠い目をしながら天井のシャンデリアを眺めて呟いた。

 ジャンの瞳に映るのは、シャンデリアの明かりのように赤い夕日の草むらや闘技場、武道館や大通りなどで血を吐きながら全身の痛みに震える過去であり、常に逆光に盾を持つ男がいた。

 その思い出の男の口に合わせて語るジャンの言葉は響きこそ軽かったが、誰も何も言えなくなるものだった。


「痛々しかったよね」


「実際、死ぬほど痛かったよ……」


 ただ、先程の動揺と混乱から戻ってきたディアヌの茶化しでようやく発言ができる空気に戻ると、ジャンの軽口の横でシルヴェスターが手を上げて人差し指を立てた。


「僕も今回のこの戦いに関しては観戦武官程度と考えていただきたい。このような話は本国では何も聞かされず、しかも女王陛下からの命令でもない。そんな曖昧な状態で"一国の第2王女"を殺すなんて、外交問題どころかネーデルリアとブリタニアの戦争に繋がる。なにより……」


 シルヴェスターは淡々としながらも目線でキュリロスを敵視しながら語って見せた。その言葉はキュリロス同様に明らかな拒絶である。その言葉尻は彼がドトールを一瞥すると急に静かになり、シルヴェスターは静かになった。


「なにより?」


「"マルリース教"が"野蛮なマクルーハン"に手を貸す道理はありませんよ。私達は、貴方がたの"聖書"もそこに書かれた"聖戦"も忘れない」


 シルヴェスターの焦らしに尋ねたキュリロスへ、彼は精一杯の敵意で答えた。

 その敵意に答えるように、キュリロスはシルヴェスターをその視界から消すと、空席の隣で瞳を閉じたまま動かないアンヤを見た。


「では、アンヤさんも意思を同じくするという事でよろしいでしょうか?」


 キュリロスの質問にアンヤは答えなかった。彼女は長く沈黙を維持したのである。腕を組み足を組むその動かない姿は彫刻のようであり、細身ながら鍛え上げられたその体は美術的美しさがある。

 しかし、敵意を見せるためにしては妙に長い沈黙を不自然に思ったユリアが反対側の席から態々やってきて首筋を突くと、アンヤは大きく肩を動かした。

 アンヤは熟睡していたのである。そんな彼女にユリアがキュリロスの言葉を耳打ちすると、彼女は大きく頷いて彼を睨みつけた。


「力量差を測れないほど……愚かではない……」


 静かながらも力強く放たれた彼女の言葉にキュリロスは一言返そうとした。その頃には再びアンヤは瞳を閉じて舟を漕ぎ始めたのである。


「なんだ、ガリアだとかブリタニアって言っても結局こんなもんか」


「だよね、なんか拍子抜け?」


「英雄のクルスがやる気なのに、こんなに臆病だとか笑える!」


「皆さん、いくら情けないからと言ってそんなに……」


 そんな不参加勢の発言はそれまで静かだったクルス達からすれば臆病風に吹かれたに過ぎず、彼等は笑って侮蔑の言葉をそれぞれが思い思いに吐き出したのである。

 だが、最後にファニタが髪を指で遊びながら吐こうとした侮蔑は急速に喉の奥へと戻り、彼女は顔を青くした。その視線の先を一行が追うと、そこには修羅をも超える炎と闇の雰囲気が広がっていた。


「おいおい、アンヤとか言うの!その手を戻せ!」


「子供の言うとこった、気にすんな!」


「そうですよ、田舎の子供相手にですよ!」


「アンヤさんって思ったより沸点低い方なんですね……」


「まぁ、あのお子様よりは礼節がありますよ」


 急に睡眠から覚醒し立ち上がったアンヤの椅子を持ち上げる手をジャンが抑えつつ、ドトールとユリアは円卓の反対側からクルス達を冷ややかな視線で見つつ落ち着かせようとした。そんな彼等に合わせて落ち着いたシルヴェスターもアンヤに一言かけると、彼女は乱雑に椅子を戻して座ると再び夢の世界へと帰っていった。


「誰が子供だって!腰抜けのあんたらに……」


 一方で収まりが付かないのがクルスであり、他の仲間が全員黙ったのに納得がいかないのか声を荒らげて立ち上がったのである。

 そんなクルスにジャンは歯を食いしばり睨みつけた。その眼光はまるで光だけで岩を切り裂きそうな程に鋭く、放たれる殺気はクルスの足腰から力を奪うと彼を椅子に戻らせたのだった。


「これぞ"蛮勇"ってやつだ。気色悪ぃ」


「若さ故の過ちってやつかな。よく生き残れてたよね」


「流石、"パセリ"」


「"パセリ"?」


「ブリタニア人の皮肉かなにかですかね?」


「何にせよ、不快だ……この何もない間に鍛錬の一つもしない剣士などな……」


 ジャン達からかけられる自分達の傲りに対する侮蔑の言葉に、クルスが口を開くことはなかった。


「なるほど、そうですか」


 そんなクルス達の代わりに口を開いたのはキュリロスであり、彼は真紅の瞳をゆっくりと閉じながらその手を再び剣へと向けたのである。その緩やかで自然な動きはまるでこの雰囲気や話の流れて剣の柄を握るのがさも当たり前と思えるほどに雑念がなかった。

 だからこそ、ジャン達はそのキュリロスの右手の動きに瞳孔を開き身構えた。

 しかし、ジャン達が力む姿を前にキュリロスは瞳を開くとハッとしたように口を開いたのである。


「おっと、勘違いしないで頂きたいですよ。ただ鍵束を取るだけですから」


 キュリロスが薄ら笑いを浮かべてジャン達へ語りかけたが、その視線は決して彼等を捉えていなかった。その視線はまるで虚空を見ているかのようであり、話す言葉もそれまでと打って変わって響きに礼節さを感じさせなかった。

 そんなキュリロスは言葉通りに剣と共に左の腰から下げていた小さい鉄輪に束ねられた鍵を取るとジャン達へと見せた。


「それでは、此度の討伐に参加されない方々はここでの宿泊の権利がありません。どうか鍵を……」


「言われなくても返すわ、ボケ!」


 キュリロスの言葉で即座に円卓へ鍵を叩きつけたジャン達はそそくさとと部屋を後にした。その足取りは苛立ちが露骨に現れ、ジャンのシルヴェスターに至っては小声で文句を言い合うほどである。一方でディアヌはキュリロスの方を何度となく振り返りながらも部屋を去り、何時しか円卓にはマクルーハン教徒しかいなくなったのであった。


「宜しかったのですか、キュリロス司祭様?」


「構いませんよ、ダフネさん。なに、各国の早期結束を促そうという教皇のお考えですが、無視した国も多かったですし、"無理にでも"とは言われてませんからね?」


「しかし……」


 一気に人数やゴーレムといった大型兵器がなくなったことは戦闘が出来ても修道女の範囲内であるダフネにとっては不安要素しかなかった。彼女は炎全般を操ったり特殊な属性を付与することしかできないのである。

 だからこそ、ダフネは何らジャン達を引き止めたり不和の原因ともなったトリュファイナ修道女の持つ能力の詳細を説明して理解を求めたりもしないキュリロスに不安をぶつけたのだった。その返答として彼がこれまで通りの穏やかな口調で諭すように答えても、ダフネは俯いて変わらぬ不安を吐露するのだった。

 そんなダフネ達の会話を横目にクルス達はジャン達によってぶつけられた不快感から部屋を出てゆくと、遂に部屋にはキュリロスとダフネ、ティネケにサンスの4人となった。


「戦力は下がりましたね、この残りでは私がいても全滅と引き換えに彼女へ深手を負わせられるかといった程度ですね」


 そこに真顔なまま席に座り姿勢正しく動かないティネケの一言が加わると、残存した戦力がこの3人以外まともなものがないとダフネは生唾を飲み込んだ。ティネケの端的な言葉はそれだけ戦力不足を表し、剣聖ハルの力が圧倒的だと評価しているのである。

 それでも、キュリロスは変わらず穏やかな笑みを浮かべると、空席だらけになった円卓の席に腰掛けながら手を組んで口元を隠した。その真紅の瞳がシャンデリアの光に揺らめき、手の裏側で微笑む彼にダフネは背筋を凍らせた。

 キュリロスの笑みは不思議と楽しそうなのであった。


「あんな雑魚達は当てにしてません。だから適当に放置していた訳ですしね」


「では、あの方達と共に行動するので?」


 キュリロスが楽しそうに笑っていたのは当然ながら理由があり、彼は天井に視線を向けながら口調明るく話しだした。その話にティネケが空かさず尋ねかけると、天井へ向けていた視線を彼女に落としキュリロスは黙った。瞳の瞳孔は開き、未だ部屋にいるサンスを凝視したのである。

 しかし、サンスはその視線に慌てて首を何度となく横にふると、ティネケは少しだけ微笑んで片手で口元を隠した。


「カマをかけただけです。これだけの長い間に文化や言語も異なる者たちを集めて連携や策も建てないのは不自然でしょう?予め訓練した者達がいると考えて当たり前です」


 直ぐに真顔に戻ったティネケはキュリロスへと抑揚の少ない口調で発言の意図を話しだした。それは至極真っ当な意見であり、彼女は敢えて空席全てを見回しつつ語るのである。

 ティネケからすれば、キュリロスの意図が察せない者達が不自然なのであった。


「えぇ、その通りですよ姫様。私の大切な騎士達の方が、あんな下劣な連中より天と地の差ほどに優秀ですからね」


 ティネケに自身の腹の中を読まれたことで席から立ち上がり背を向けたキュリロスだったが、口調は相変わらず諭すような響きであり、むしろ自信が更についたように諭してみせたのである。

 そんなキュリロスが振り向いた瞬間、円卓の席の後ろの景色が砂嵐のように僅かに乱れると、そこには辺りの景色を映すローブを片手に持つ甲冑姿の騎士達12人が現れた。

 大柄な騎士達が纏う銀の全身鎧は金の縁取りがされ、まるでドラゴンのような意匠である。その鎧のヘルムのスリットから見える瞳に光はなく、まるで虚ろであった。そんな彼等の獲物は剣やハルバード、ハンマーや弓と様々であり、あちこちに十字と半円を組み合わせたマクルーハンの紋章を付ける信徒はその武器と鎧の重力に余裕で耐えているである。

 そのような明らかに気配や物音を立てそうな騎士達の存在に気づけなかったサンスは彼等の登場に慌てて立ち上がろうとした。しかし、その騎士達の気配は不思議とキュリロスと似ていることが更に不気味なのだった。


「Οι Σπαρτιάτες Ιππότες μου θα μεγαλώσουν ένα κοριτσάκι σε λουτρό αίματος《私のスパルティ騎士団が、小娘一人など血祭りに上げてみせますとも》」


 グイリア語で語るキュリロスの言葉に、騎士達は一斉に足踏みで応じた。金属のこすれる音と地鳴りの様な足音が部屋に響き、マクルーハン教徒達は戦いに備えるために戦場となる海岸近くの森の地図を広げたのだった。

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