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帝国再興記~Gartschlands Gloria~  作者: 陸海 空
第6章:死にゆく者に花束を
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第7幕-1

 ガルツ帝国首都に建ち、帝国の象徴とも言えるシュトラッサー城の中で、第5代皇帝アポロニア・フォン・ウント・ツー・ホーエンシュタウフェンは自室を兼ねた執務室にて黙々と仕事に取り組んでいた。

 執務用の黒と赤の生地を使った装飾の少ないドレスを纏うアポロニアは、執務机の左側に積まれた簿冊を開いて内容を確認するたびにサインを書き込み、それを右側に積み上げるという作業をひたすらに続けていた。その単調作業は一見すると内容確認と楽そうでありながらも、その実やることは多い。散々提出までの間に確認されているはずの誤字脱字の類や文構成、書類構成が規則に適しているか最後の確認をしつつ、書類の内容や秘密区分などの確認とその後の処理方法の確認をするのである。

 その頭を使う重労働のために、すべての簿冊を確認し終わったアポロニアは羽ペンを置き疲れた両手を軽く振ると、目の前で彼女の言葉を待つ男に手を差し伸べた。

 すると、男は空かさず勤務服の胸ポケットからハンカチを取り出して渡し、アポロニアは己の額に浮く玉のような汗を拭ったのである。


「なるほど、結果は上々と言ったところなのか?」


「はい。彼女には、この帝国の良い面も悪い面も……全てを包み隠さず見せました。その上で、彼女はこの国を良き隣人として認めた。私はその感情が帝国の未来への革新に至ると思います」


 汗を拭い終わったアポロニアがハンカチをそのまま自分の懐にしまうと、目の前の男は僅かに眉をひそめてハンカチが吸い込まれた彼女の懐を睨んだ。その視線へまるで絵画のような笑みで返したアポロニアは、積み上げられた簿冊を子犬かなにかのように撫でた。そして、その手で自分の額から生える角を撫でつつ、彼女は眉をひそめたままの男に言葉をかけた。その声音は楽しげでありながらも、国の主権者としての威厳を感じさせる訛りのないガルツ語である。

 しかし、アポロニアの声音は確かに楽しげであったが、それに反して彼女の目は揺らぎなく男を見つめていた。その視線はまるで男の眉間を刺し貫き、装飾の少なく機能性や実用性だけを考えられた執務室の壁へ吹き飛ばしそうな程の眼力であった。

 だが、目の前の絵画のような光景にも怖じけない男は、ただ淡々と己の報告すべき事を語ってみせた。その瞳は負けじとアポロニアの瞳を見つめ、暫く鳥の鳴き声さえも聞こえない沈黙が2人の間を流れた。


「この邂逅は……人類の偉大な一歩だと考えています」


「ぷっ……それについては解った」


「そう言っていただければ幸いです、皇帝陛下」


 沈黙の中でお互いの表情から腹の中を探りあっていた2人だったが、男はその状況に姿勢を崩さず大きく肩で息をして見せると、苦い笑みを浮かべながら己の意見を締めくくった。その一言に対する彼のクドイ表現にアポロニアが軽く吹き出すと、彼女の了承の言葉へ男は何度か頷いて礼の言葉を述べたのである。

 そんな男の姿にアポロニアも軽く頷いてみせたが、直ぐに彼女は執務机に両肘を突くと口元を隠すように手を組んだ。その顔の半分が隠れ表情を意図的に隠す彼女の行動に、男は再び姿勢を正すと、再び自分を見つめる帝国皇帝の視線へ真っ向から立ち向かった。


「それはそれとして、1つ尋ねて良いか、リヒトホーフェン総統?」


「構いません、皇帝陛下」


 帝国皇帝アポロニアの向ける視線は、それまでのものと異なり懐疑心はなかった。それ故に、帝国総統であるカイム・リヒトホーフェンは皇帝の力強い視線と崩れない姿勢を前に、どんな重箱の隅をつつく質問が飛ぶかと身構えた。

 精強さを見せるカイムの姿と発言に、アポロニアは組んだ手の下に軽く笑みを浮かべると、瞳を閉じて大きく息を吸い込んだ。


「ただでさえ、このヒト族の雌がアンタに同行した箇所と見学した箇所は数百はあるってのに……ナンデこの報告書達は分厚くて読みにくい変な物語調なの?オカシイデショ?」


 席から立ち上がろうか一瞬迷い、執務机へ手を突くだけついて結局椅子に留まった皇帝アポロニアの怒声とも言えないが力のある言葉は、長い作業の疲れから気だるいものとなった。

 とはいえど、東西南北と様々な訛の特徴が入り混じったその言葉は語調も加わり圧が強く、真っ向からそれを受けたカイムが軽く後ろへのけ反る程である。

 それだけ、アポロニアは己の重労働に対する書類の内容が気に喰わなかった。彼女がそれまで確認していた書類は"外交特使ハルの帝国視察の記録"の確認であった。その確認の序盤はほとんどがハルの分単位のスケジュール管理表と僅かな内容報告であった。彼女としては、行動内容がまるで濁流のように書かれた報告書と思っていたので、心に余裕が持てると思っていたのである。

 しかし、山のようなスケジュール管理表は予想以上にアポロニアの心と腕を疲れさせた。そこに来て、簿冊の海に行動内容の詳細が纏められた報告文書が紛れ込んでいると、表と文章の確認で疲れたアポロニアの心の余裕は一瞬で粉砕させられた。何より、国家の今後を左右しかねないヒト族との重大事案の詳細報告が全て物語調に書かれている気が抜けているのか気合が入っているのかわからない内容は、最後の最後でアポロニアの気品と威厳を崩壊させたのである。


「皇帝陛下、御言葉が御乱れでございます」


「ダマらっしゃい。完結にするなら解るけど、このやり方はイロイロとオカシスギでしょうが!第一、報告書なのになんでこんな小説みたいなの!」


 しかし、気だるさを残し荒ぶるアポロニアの姿はカイムにとっては見慣れたものだった。彼も仕事の疲労が溜まると荒ぶる人間であったために、彼女の気持ちはよくわかる。

 しかし、アポロニアの言葉を受けるカイムも、総統としての真面目さを出そうとした結果であった。


「行程表があるので。何より、皇帝陛下は飽きっぽいですから……」


「だからってこれだけの量はむしろ飽きる……4つが限界でしょうに……世が世で、貴方がもっとムカつくやつだったら、今頃処刑でもなんでもしてたわね、"カイム"?」


 今回のカイムの真面目さは、"外交特使ハルが如何に信用できるかを知らしめたい"という点にすべてを振っていたのだった。そのカイムの真面目さの結果が、飽きっぽいアポロニアに報告書を流し読みされないことへの対策となってしまったのである。その下手をすれば不敬な行動と発言であっても、彼の元来の妙な真面目さを理解しているアポロニアはそれ以上怒ることも荒ぶることもできず、最後は悪態をついて執務机の椅子へ仰反るように座り込んだのである。

 だが、態度や言葉と反してアポロニアの表情は暗くなく、カイムには"茶化されて怒る子供"のように見えた。そこに合わせて自分を総統ではなく名前で呼ぶ彼女に、カイムは完全にアポロニアが皇帝として振る舞うことを止めたと理解して頭を抱えたのだった。


「はぁ……そうだな、"アポロニア"。処刑はいやだが、クビ程度なら受け入れるさ……」


 山のような報告書の簿冊から数冊取り出し顔をしかめるアポロニアに、カイムは過去の己へ僅かに呆れた。

 本来ならカイムもそれなりの書類を提出して適当な対処をした後に、自分の指揮が届く範囲で事態のケリをつけるつもりであった。しかし、帝国初の異種族との外交はほぼ灰になっていたカイムの野心へ燻りを起こさせ、結果的に外交特使ハルを帝国各地へ連れ回すこととなった。それが更にカイムを調子に乗らせ、最終的に報告書にまで己の道楽が僅かに浸透するような事態へと悪化させたのである。

 それゆえに、カイムは苦笑いを浮かべて"カイム"として軽口を言うと、正していた姿勢を崩し、僅かに足を開き腰に手を当てる楽な姿勢をとった。そのカイムとしての行動を見たアポロニアは、深く椅子の背もたれに寄りかかると、瞳を閉じて深く息をしながら机の上で手を組んだ。


「それで、ホントに使えそうなの?この……"ハル……なんとか"って雌」


「"ハル・ファン・デル・フォルスト"ですよ、陛下。まぁ、この国では親衛隊本部の新人士官"ハル・エア"としてますがね」


 座ったままの書類仕事で凝ったのか大きく肩を回すアポロニアの行動に皇帝らしさが感じられず苦笑いするも、昔と変わらない彼女の本質にカイムは不思議と安心を覚えた。

 そんなアポロニアは、簿冊から引き出したハルの身上調書を机に開きつつ指で突きながら訝しげにカイムへ尋ねた。それはアポロニアからのカイムへの"報告書を読み流した"という主張であり、彼女はハルのファーストネーム以外言えなかったのである。ましてアポロニアの言葉選びから、カイムは彼女のハルへの不審具合の強さとヒト族嫌いを理解して、苦笑いと共に首筋を撫でた。

 報告書でアポロニアのヒト族への過剰な拒否反応をなんとか抑えられたカイムだったが、それでも悪感情を残す彼女へ彼はなんとか取り繕うと一旦軽口で返したのであった。

 その軽口は、アポロニアの視線と意識をハルの身上調書の中にある低国内での偽造経歴へと落とさせた。そこには事細かな偽造経歴が書き込まれ、国立学校しか通っていない学歴に多彩な趣味や資格の数々、親衛隊士官学校へのストレート合格や優秀な成績等々、その華やか過ぎる経歴は皇帝であり帝国の主権者であるアポロニアへさえも引きつった笑みを浮かべさせる程であった。


「ホント、親衛隊ってワケわからない組織よね。アンタの私兵の筈なのに、総務省の戸籍情報に証人付きの経歴まで用意して。オマケに国民への情報封鎖も完璧と来ると、アタシでもアンタの反乱が頭を過るよ」


 その華やかさは確かにアポロニアを注目させたが、彼女としては何よりもその経歴が公式に認められたものとして用意されたことに驚嘆した。

 確かにある程度の戸籍情報や経歴に関して偽造することは可能であるが、その偽造情報は全て親衛隊が用意しており、それが外部から送りつけられ承認させられたという組織内部からの通報や異常の感知が一切なく、誰の目にも違和感無く帝国に"ハル・エア"という人物を作り出したのである。その技術は当然カイムの私兵集団を元にする組織とは思えない程の技術であり、だからこそアポロニアは軽口と共に不穏な発言をするのだった。

 当然、その発言はカイムを大いに苦笑いさせ、返す言葉を悩ませた。その困るカイムの様子を見て機嫌を直したのか、アポロニアは改めて机に頬杖を突いてカイムの言葉を待った。


「それについては、私だって悩むところです」


「"悩むところです"?」


「はぁ……悩むところだよ」


「よろしい」


 ようやく出てきたカイムの言葉は、変にかしこまった言い方かつ当たり障りのないものだった。その言葉はアポロニアに不満を感じさせると、彼女はじっと彼の瞳を見つめて口調に関して指摘をした。

 アポロニアの瞳はカイムを見つめ続け、話の内容から負い目を感じたカイムは肩を落とし、渋々と言いたげに口調を緩めた。その反応と建前を言えなくしたことに満足したアポロニアは、不敵な笑みと共にカイムの言葉に応え、片手で彼へ話を続けるよう促した。その身振りに再び言葉を迷わせたカイムだったが、建前を言うなと言いたげなアポロニアの瞳を前に口をへの字に曲げて天井を見上げると、彼は暫く黙った。


「親衛隊については内情把握を徹底してるけど、ここまで肥大化するとは思わなかった。経済管理本部や教育本部までは良かったんだがな。法務本部に警察機構のような国家保安本部、外務組織である親衛隊国外対策本部まであると、いよいよ1つの国家みたいだ……」


「アンタを君主とした?」


「皇帝への謀反を画策してると思われて当然さ」


 アポロニアへ語るカイムの口調には、僅かながら暗い感情が見え隠れしていた。それは、親衛隊の組織的肥大化に伴う権限の増加や、過去の暴走により引き起こされた粛清という血生臭い記憶そのものである。

 だからこそ、アポロニアは敢えて茶化すように言葉を返すも、カイムは目の前で俯き眉間にシワを寄せ自虐をするのだった。そのじれったさに彼女は軽く息をつくと、頬杖で突いていた手を離し机の上面で指を踊らせるように打ち付けた。


「そんなにボヤくくらいなら、止めなかったの?」


「最初は本当に本部の中の小さな部署程度と考えていた。それがいつしか人員拡大していって……私とブリギッテでも、アロイスにマックス、リヒャルダ、フリッチュさん達賛同する大勢の隊員を前には多勢に無勢だった」


 軽く首を傾げて尋ねかけるアポロニアの言葉に、カイムは自分の項を片手で撫でながら過去を思い出して語った。その卑下の言葉を漏らす表情は苦笑いであっても、彼の瞳は過去の一悶着を思い出す憂いのあるものだった。

 そんな過去の出来事とそれを傍観した結果として帝国の在り方を歪ませた事実から1人で暗くなるカイムを前にしたアポロニアは、彼の未だに治らない根暗を勝手に目の前で起されたことで呆れるように腕を組んでカイムの顔を見上げたのである。


「散々"カイムの抑止力"ってブリギッタに言ってた親衛隊総監がそれなの?」


「彼女は期待の眼差しに弱いのさ。最終的には肥大化に一役買って出て、この様さ」


 過去の出来事で多少なり落ち込むカイムにかけたアポロニアの言葉は、励ましでも非難でもなく至って普通な会話の続きであった。それは彼女なりにカイムの根暗を気にしすぎと主張するものであり、かつ暗くなり始めた雰囲気を平常に戻そうとするための冗談でもあった。

 そんなアポロニアの言葉でばつが悪そうに笑うと、カイムも彼女同様に軽口を呟くと姿勢を正していたことで凝った肩を軽く揉みほぐそうとした。その増えるカイムの身振りから、アポロニアは組んていた腕を解いて軽く窓から街の景色を眺めた。その視線を追って、カイムも窓の外を見た。

 そのアポロニアの視線の先は街の景色のようにも見えたが、カイムは不思議と彼女が親衛隊本部を見ているような気がした。彼女の視線が僅かに不安を覗かせるように曇ったことで、カイムは己の根暗を悔やみ、腹に蠢く不安感を忘れようと気分を入れ替えるように息をついたのであった。


「"友人どころか家族にも内情を話さず、総統へと忠誠を誓う彼等は己の死さえも命令ならば喜んで受け入れる"……だっけ?」


「マックスの奴も内戦終結後から人が変わった。訓練で多少は勝ち気が強くなったが、あんなに優しい奴だったのに……私へ隊員が直接ボヤけたあの頃の親衛隊は消えてしまった。今では……まるで"私の命令を実行する機械"だ……」


「ホント、さながら新興宗教ね。アンタを主神にした宗教よ。宗教法人税取ろうかしら?」


 窓の外を見つめるアポロニアの言葉に、カイムは遠い目をして答えた。その口から出てくる言葉は懐かしさが滲み出る響きであり、アポロニアはカイムへといたずらっぽい微笑み浮かべて冗談を言ってみせた。

 しかし、アポロニアがカイムへ顔を向けたとき、彼は笑っていなかった。その顔に感情はなく、ただ黙って帝都を見つめるのだった。


「武装親衛隊と近衛軍の内戦なんて、もう二度と……絶対に見たくはないよ」


「冗談よ」


 アポロニアの冗談に、カイムは至って真面目に考えてしまった。

 だが、その真顔を見つめるアポロニアの呆れる瞳に気づいたカイムは、苦笑いを浮かべると自身の根暗さを笑い呟いた。

 その苦笑いと真顔の境のような表情に、アポロニアは軽くため息をついて執務机から立ち上がると、近くに置かれていたコーヒーカップを手に取りポットからコーヒーを中へ注ぎこんだ。

 コーヒーを2杯用意するアポロニアの姿に、カイムは軽く頭を下げると来賓用のソファへと腰を下ろした。


「しかし、ねぇ……ヒト族ってもっと野蛮で品性下劣な野生動物と思ってたけど、存外知性のようなものを持つ個体もいるのね」


「一応は知的生命体ですから。個体差とはいえど、全てが争いを好む訳ではないということです」


「結局は獣、本能には逆らえない。そのうちにボロが出る」


「だとすれば、総統の信用問題だな。"敵を招き入れた挙げ句に気密を漏洩させた"とね?」


「やっぱり、随分と肩を持つのね、カイム」


「この国の国益を優先すれば、妥協と棲み分けは必要さ。それが肩を持つように見えるなら、甘んじて受け入れてくれるよ」


 アポロニアがコーヒーを用意し始めたことは話題を変えることの現れであり、テーブルにソーサーとカップを置く彼女はカイムへと話題を振った。その内容は国家元首が雑談程度で振るには言葉選びから何もかもが過激であったが、カイムはカップの中で湯気を上げるコーヒーの揺れを見つめてその言葉に答えた。その内容も、帝国国防軍を率いる人間の発言としては物議を醸すものであり、2人の会話はおおよそ外に聞かせられないものである。

 そんな話を容易くする2人だったが、コーヒーを啜るカイムのはにかむ頬に、アポロニアは諦めたように大きく天井を見上げた。その白く装飾の少ない天井に彼女は一息つくと、大きく息を吸いカイムを睨むように見つめた。それは、帝国皇帝の視線にしては幼く、何より負の感情によって澱みつつあるものだった。

 だからこそ、カイムはアポロニアの瞳から目を逸らさず、負けじと見つめ返した。その言葉は見つめる瞳同様に詰まることない彼の本心であった。

 それ故に、アポロニアは不服ながらも大きくソファに背中を預けるだけで反論の言葉をコーヒーと共に飲み込んだのである。


「成功しても、反発は多い。今はアンタの考えに乗って上げてるけど、害獣は人間と環境のためにもマビキすべきだよ」


「本気でヒト族を殲滅したいと思うなら、こんな半端な発展途上でも君は侵攻を命ずるだろ。世論を見ても侵攻に正当性はあるから、反対は出ないはずだ」


「順序が大切って言うでしょ?」


「なら、尚の事さ。帝国には明確な正義がある。侵攻される側にも道理があるが、こっちの言い分も正しい」


 それでも、一息ついた瞬間にアポロニアはカイムへと不服の言葉と述べた。その内容は帝国における世論の大多数が考えていることである。

 しかし、アポロニアのその意見が提案のみであることから、カイムは彼女の発言の意図を察し苦笑いしながらその世論への反論を述べた。その意見は彼女が求めるものであっても、アポロニアはまだ自身の恨みがゆらぐ瞳でカイムを見つめつつ言葉を返した。その内容にカイムも持論で返し、2人の間にはまた沈黙が流れた。

 その沈黙はお互いの腹の中を探り合うような視線のぶつかり合いだったが、アポロニアはその視線に限界を感じて反らすと、カイムはここぞとばかりに持っていたコーヒーカップを置いて膝の腕に肘を置き、前のめりにアポロニアを見た。


「それでも、戦う以外にも道はある。今、この国はヒト族と対等になりつつある。だからこそ、戦う以外にも選択はあるはずだ」


 自分の意志を語るカイムの瞳に、アポロニアは直ぐに言葉を返せなかった。彼女は黙って口を付けたカップを傾けると、暫くして深く溜息をついた。


「軍の総司令官にしては消極的ね」


「親衛隊の新兵にディルクって奴がいるが、一昨日ついに父親になった。保安本部に配属されたからか、子供の名前はなんと"マックス"なんだとさ。赤子のマックスを"父親の顔も知らない子"にはしたくない」


 アポロニアの言葉はどうにかしたい気持ちをどうにかしようという表情と共に放たれた。その表情に、カイムは楽しげに笑って彼女へ語って聞かせたのである。

 カイムが語る部下の幸福とその笑みに、アポロニアはそれ以上の反論を述べずにただ頷くだけだった。


「外務省や国防軍の諜報機関は、あの雌を信用出来ないと報告を上げてる。"第2王女であり軍人や国民からの信頼はあれど、政界や財界との関係は悪い。特に……"」


「"国王や第1王女との関係が悪いため"?」


「共和政治なら、主権は国民にある。けど、その"ハル何とか"は王政の国の人間。主権は国王にある。国民は王の選択肢を減らすことが役目」


「それ故に、王と関係が悪い外交特使は信じられないと?」


 暫く沈黙が流れた2人は、お互いに黙ってカップの中を覗いていた。その沈黙を破ったアポロニアへ視線を移したカイムは、彼女の皇帝でもなくアポロニアとしてでもない半端な表情に戸惑った。

 まだ己の意志と世情とを割り切れないアポロニアに合わせるように表情を和らげたカイムだっが、彼女は彼の思う以上に皇帝としての意識が強かった。それ故に、カイムが彼女の言葉の先を読んで尋ねると、アポロニアはただ静かに頷いたのである。

 アポロニアの意見はカイムにも納得できるものだった。彼も親衛隊から第2王女ハルの報告は何度となく受けていた。

 しかし、その報告に対してカイムはネーデルリア3重王国が王政であること、国民が多民族で構成されていることから、ハルの存在を重要と判断したのである。それは政府も受け入れたことであるため、当然承知しているアポロニアはそれ以上に言葉を続けなかった。


「だからこそよ、わかるでしょ。総統が覚悟を見せたなら、帝国国旗の翼十字よろしく、皇帝も意地と覚悟を見せなくちゃならない」


「そう……んっ?」


 そんなアポロニアがようやく続けた言葉は、カイムが考えていたものと遥かに異なっていた。その内容が意図するものは突拍子もないものであり、面食らったカイムは言葉に詰まり、ただ確信したくない考えを打ち消すように聞き返したのである。

 それでも、アポロニアは満足そうに頷くのみであった。だからこそ、カイムは己の脳裏に駆け抜ける思考を払うようにコーヒーを一気に飲み干すと、ソーサーへと乱雑に置いて改めてアポロニアの眉間を睨んだ。


「アっ、アポロニア、君は……」


「察しが付いてるでしょう?つまりはソウイウことよ」


 明らかに焦る表情を見せ早口でアポロニアへ言葉をかけようとしたカイムだったが、彼女はそんな彼の言葉へ被せるように笑って返した。その表情は皇帝としてのものが色濃かったが、語る口調はアポロニア本人としてのものであった。

 そのことがカイムを更に困惑させ、彼は軽く頭を抱えると、アポロニアへ視線を戻した。


「いや、アポロニア。今の話の流れでどうして……」


「どうしてもこうしても。つまり、部下の仕事を信じてない訳ではないけれど、私も自身の目で見定める必要が有る。ソウイウ訳よ」


「いや、それが一番おかしい。わかるかい、君は……」


「返事は?」


 困るカイムは突然の話の転換を突いてアポロニアへと正論をぶつけようとした。彼としては彼女が考えていると思われる危険な行動はなんとしても封殺しなければならないものであり、下手をすればこれまでの機密にしてきたハルの存在や国交による講和の実現も粉砕されかねないからである。

 しかし、カイムの発言はアポロニアほ言葉で容赦なく打ち消されると、抵抗も虚しく彼は彼女の言葉に頷くことしか出来なかった。


「式典も近いっていうのに、先が思いやられるよ……」


「書類仕事と比べれば、息抜きになるでしょ?」


 明らかに気を落とすカイムは心に積もる陰気を吐き出すように俯いて悪態をついた。その悪態も気にせずに笑うアポロニアに、カイムは苦笑いと共に頭を振ると暗い気分を払うように顔を上げた。そこには苦笑いが張り付いていたものの、空のカップを傾けようとして更に笑うカイムはただ納得したように頷くのである。


「わかったよ、立付のときにでも機会を作るよう調整してみる」


「よろしい!」


 結果、カイムはアポロニアの考えに従い、不満げながらもソファから立ち上がりつつ彼女へ一言呟いた。それに満足して返事をするアポロニアの声を背中に受ける彼は、思い足取りで執務室の扉へと向かい足を進めた。

 仕事を終え新たな仕事も背負い込んだカイムの背中をアポロニアも追うように立ち上がると、彼女は彼の背中を軽く叩いて顔を覗き込むようにカイムの前に立った。


「立付だってのに、本番みたいになりそうだな」


「"常に備えよ"でしょ?」


「全く……参ったね……」


 眉間にアポロニアの角が刺さる中、カイムとアポロニアはお互いに軽口を吐きあった。それが、迫る帝国の転換期を前にして2人に出来る精一杯の息抜きであった。

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