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帝国再興記~Gartschlands Gloria~  作者: 陸海 空
第6章:死にゆく者に花束を
306/325

第6幕-4

[おおっと、ここでポーヤンパロ抜け出した!北の地からやってきたダークエルフの風雲児、FCマーデン期待の新人はこの試合でも魅せるのかぁ!]


「いけっ、いけっ!突っ走れぇ!」


「おらやれぇ!ぶっ潰せえ!」


「タピタさん、口悪い〜!」


「あっ、あのぉ……」


 アナウンサーの熱のある実況がスピーカーから大音量で流れる小さな酒場は、混沌とした状況となっていた。こじんまりとしたその店内は注文を受けたり商品を出すカウンターと並べられたテーブルに椅子、そして壁には無数のテレビとユニフォームTシャツにフラッグやペナント、写真に溢れていた。

 そして、日も落ちた後でも熱気の残る外気とクーラーで隔離されたその酒場には老若男女無数の人々が酒や肴を嗜んでいたが、彼等は楽しく談笑する訳でもなくただ画面の中の接戦に吸い込まれていたのである。

 画面の向こうには青々とした芝生と、あらゆる種族の男たちが汗を流しモノトーンのボールを追い蹴り上げる光景、そこに声援と熱狂を送るサポーターの姿があった。

 そんなサポーター達の熱気に負けないほどに酒場の客達はグラスの中身の酒を零さんばかりに応援の声を上げたのだった。


[おぉっと、ここでポーヤンパロの前に守備が4人もぉ!疾風の如き小柄な彼も、ボルトフェンの分厚い守備は抜けられないかぁ!]


「だろぁ!そんぐらい抜けてみせろや、ダークエルフだろ!知ってるぞ、下手なオーガの守備なんか余裕だろ抜けやぁ!」


「ねぇ、ジーグルーン。これさぁ」


「いけると思うな。きっとやれるよ」


「あっ、あのぉ……ですねぇ……」


 画面の向こうの試合は観客達の声援の中で佳境を迎えた。右端の残り時間はあと僅かとなり、スコアボードは同点で接戦ということを表している。その点差が更に客の声を上げさせ、場の空気を熱くしていった。

 その中で、FCマーデンの黄色に白いストライプのシャツを身に纏う小柄なダークエルフのポーヤンパロが颯爽と相手チームのゴールへと駆け出した。その華麗なドリブルはまるでボールが生きて彼の足に着いていこうとするかのようであり、ボールを奪おうとするボルトフェンの黒いシャツを風のように避けていった。その華麗な技術はFCマーデンのサポーター達を魅了していたのである。

 だが、ポーヤンパロの前に大柄なオーガのディフェンダーが現れると、アナウンサーは苦しげに実況した。その圧倒的体格差は遠くから撮られているにも関わらず画面上でもよくわかり、鍛えられた筋肉の壁は彼の攻めを叩き潰そうと迫った。その光景は多くの人々を興奮させ、騒がしい店の中は試合へと釘付けになった。


[ポーヤンパロ抜けた!抜け出したぁ!まさかの4人抜きぃ!鉄壁の守備がザルのようだぁ!]


「しゃぁおら!見たか、見たかぁ!これがマーデンの強さじゃぁ!」


「くっ……まっ、まだです!こっちには"巨壁のノイアー"がいる!」


「うわっ、今まで苦い顔してたのにここに来て逃げの発言ですか!」


「もう遅いですって!」


 多くの視線が試合中継を見つめる中、ポーヤンパロは迫る4つの肉壁へそのまま突き進んだ。その光景は多勢に無勢であり、応援するサポーターさえもボールを奪われフィールド外に蹴り出されるのを覚悟した。

 だが、ポーヤンパロはディフェンダーへシザースやマルセイユルーレット、様々な技を仕掛けると一瞬で守備の壁を貫通し、華麗に芝を猛烈な勢いで駆け抜けた。その旋風のような絶技は多くの人々を驚きと称賛に震わせたのである。

 しかし、当然ながら相手であるボルトフェンのサポーター達はゴールに迫るボールへ顔を青くすると、ゴール前で仁王立ちするチーム最後の砦へと声援をかけるのであった。

 その男は、チームのユニフォームである黒いシャツがはち切れそうな程に鍛えれた筋肉を持つトロールの男であり、3m近い身長はゴールポスト上面を越すほどである。


[おおっと、ポーヤンパロはノイアーとの真っ向勝負かぁ!試合時間は残り30秒!]


「やれぇ!ポーヤンパロ!男だろう!根性見せろやぁ!」


「まっ、護れノイアー!連勝記録を護るんだぁ!」


「ポーヤンパロが勝つわ……」


「クレメンティーネ……わかって言ってる?」


「あっ、あのぉ……"駄目だ。こういう奴らはWhistle(ホイッスル)が鳴るまで止まらん"」


 巨体のノイアーがペナルティエリアからぎりぎり出ない範囲で威圧するように身構える中、ポーヤンパロは一旦辺りを見回した。彼の周りには味方選手が追従していたが、パスを回すには後方であり、連携戦術を取るには時間がなかった。

 そんな迷うポーヤンパロにベンチの選手や監督、共に戦う選手達さえも前に出るように身振りや雄叫びで促すと、迷いを振り切った彼はそのままゴールへと突き進んだ。

 ゴールキーパーとの一騎打ちを選んだポーヤンパロと受けて立つノイアーに無数の声援が送られる中、試合は遂に決着の時を迎えようとした。


[ポーヤンパロ、仕掛けた!]


「いけぇ!」


「「「「いっけぇえぇえええ!」」」」


「よっ、よせぇ!」


 ゴールへ向けてまっしぐらに進むポーヤンパロへキーパーのノイアーが迫った。その一騎打ちで店の中に人々の声援に溢れかえり、実況の声さえ聞こえなくなるほどである。

 その声援に背中を押されるようにポーヤンパロはノイアーへと向かった。ダークエルフの中でも小柄なポーヤンパロとノイアーの体格差は比較にならなかった。それはまるで津波に子供が挑もうとするかのような光景であり、応援するサポーターさえ心のどこかにボールを取られる未来を見てしまうほどであった。その想像通りにノイアーは高波のようにポーヤンパロへ迫り、彼からボールを奪い取ろうとした。

 しかし、彼はボールを持っていなかった。その姿とそれでも止まらず突き進もうとする彼の行動に全てを悟ったノイアーは慌てて上を向いて手を上げた。高く蹴り上げられたボールが弧を描くように降りてゆくのが目に入った瞬間、ノイアーは絶句し苦悶の表情でボールを掴もうとした。

 だが、ボールは虚しく指の上を通り過ぎノイアーの背を降りていった。彼はポーヤンパロのシャウペに負けたのである。彼は振り返るのを諦めると、自分の甘さを恨むような絶望の表情で歯を食いしばった。


[ポーヤンパロ、トレファー(ゴール)!マーデン逆転!ここで試合終了ぉ!ボルトフェンの連勝が途切れたぁ!]


 体格差をものともしない意地と技術は、ポーヤンパロに勝利をもたらし、FCマーデンに栄光をもたらした。

 その予想以上の結果を前に選手さえ含めた多くは一瞬沈黙したのである。


「いっ……しゃぁいあぁあぁあぁぁああぁあ!」


「やったぁ、やった!」


「おっしゃぁあ!勝ったぞぉ!」


「ねぇ、言った通りでしょう、ジーグルーン!」


「あっ、アンタねぇ……」


「ねぁ、イメルガントってやっぱしフッスバル(フットボール)になると人変わるよねぇ〜?」


「ばっ……バカなぁ……」


 だが、中継映像に無数の効果がFCマーデンの勝利が喜び合うサポーター達と共に映し出させると、遂に勝利を理解した客達は溢れる酒さえも無視して喜び抱きしめあったり雄叫びを上げたりとその歓喜を主張し始めたのである。

 一方で、その場では少数派のボルトフェンサポーターは肩を落とし、FCマーデンの健闘を称えたり喜ぶサポーターの話を聞いたり悔し混じりの感想会を始めたりするのであった。

 そのサッカーファン達が良くも悪くも狂喜乱舞する中で、ハルは店内の熱気に汗を浮かべながら持っていたグラスに残る僅かな酒を飲み干した。彼女もブリタニア王国から伝わったフットボールというものに関して知識は多少あった。だが、オフサイドやイエローカードなどそこまで明確なルールがないそれと比べると、数多くの規則があるスポーツはハルの理解力を超えていた。

 何より、スポーツ観戦は嫌いではないものの、"スポーツ観戦に熱狂する"という概念のないハルは周りの熱狂に合わせられなかったのである。それを表すように、彼女は試合開始の序盤こそビール片手に応援していたが、会話に参加しようにも酔い始めた周りの勢いには付いて行けず、前半戦半ばからはツマミやフードメニューを消費するだけの存在となっていたのだった。

 そんなハルも、流石に大騒ぎとなった店内を移動して酒やツマミを注文する気にはならず、空になったグラスを覗き込み、空になった揚げ物の籠に残る揚げカスを指に付けて舐めとるのだった。


「止まんないじゃん"いや、まぁ、その。なんだ?甘くみてたわ"」


 サッカーの試合結果1つで騒がしくなる店内の状況に取り残されたハルは、食べるカスさえなくなると手持ち無沙汰になり、それまでの会話で自分に意見した聖剣へと文句をつけた。そんな聖剣は巨大な釣り竿用のカバンに押し込まれていたが、飄々とハルの口を借りて彼女へ軽く言い訳をするのであった。

 その聖剣の言い訳も騒がしい店内の状況に疲れ始めたハルには気を紛らわす程度にもならず、彼女は人々の熱気で届かないクーラーの風を思いながらかき始めた汗を拭おうとした。

 だが、花柄の青いアロハシャツにホットパンツとビーチサンダルという汗を拭く面積の多い自身の格好を前に、ハルは早々に諦めるとひたすらに自分を置いて盛り上がる護衛たちを眺めたのである。

 ハルの視線の先にいる護衛は、当然ながらズザネとパトリツィア率いる護衛隊であった。とは言えど、その護衛隊はすでに軍人からサポーターへと化しており、おおよそハルのことを眼中に入れてないかのように試合の結果や途中のプレーについて語り合っていた。


「だぁ〜から、言ったんだ!"マーデンは勝つ"ってな!」


「そんな……こんなところで負けるなんて……やっとの5連勝記録が……」


 特に部隊の指揮を執るべきズザネとパトリツィアはもっとも楽しんでおり、酒の入っている量も一際であった。士官がそうなると部下たちも自然と気が緩み、偽装のためのヘソ出しシャツやミニスカートなどといった肌面積の多い格好と酒も相まって、ハルには彼女達を護衛と思えないほどであった。

 何より、ハルはこれまで感じたことない"自分が本当の意味で異物である"ような感覚に面白さを感じないのである。文化の違いと言うものはこれまでも多少感じることはあっても、彼女は理解と共に受け入れ自分の新たな価値観としてきた。

 しかし、実際にプレーする訳でもないのにスポーツの試合で盛り上がることはどうにもハルには理解できず、そのことが彼女に"異邦人"という感覚を抱かせるのである。

 そのことを理解して更にハルの気分が面白くなくなると、彼女は頭皮が蒸れる原因となっている角のカチューシャを何度もいじりながら頭を掻くのだった。

 しかし、そのハルの不機嫌そうな雰囲気を脇目に見たパトリツィアは、部下達全員に目配せをしつつ彼女の座るテーブルへと歩み寄ったのだった。


「ほらぁ、奢りな!ハルの分も含めて、全員分取って来いよ!おい、ハル!何がいい?」


 スリーブレスワンピースのパトリツィアがテーブルに寄りかかりハルへと話しかける中、彼女は遅れてテーブルへとやってきたズザネへと注文カウンターを指差しながら威勢良く吠えた。その口調はもう上下関係を感じさせないものであり、その勢いが続いたままで話しかけられたハルは、カチューシャごと頭を掻くのを止めて近場にあったメニューを取り、その内容を見直した。

 この店には行ってからハルは、注文さえ出来ずに殆ど口を開かずに今へと至ってしまったのである。それ故に、彼女は殆ど店の商品を知らなかった。


「えぇっと……"酒以外ですかねぇ?"」


「ビァーね!マース以外は認めないから!溢すなよぉ!」


「じっ……上官なのに……」


 酒場とはいえど、ハルは目の前でサッカー1つに狂乱状態のなった酔っぱらい達を見ると酒を飲む気にならなかった。その意見は酔いやすい彼女のことを知っている聖剣の意見と合致し、2人はメニューを閉じるとパトリツィアへ飲酒を断る注文をつけた。

 だが当然ながらパトリツィアはハルの意見を無視すると、試合の勝敗で賭けていたズザネに勝者の強気を見せつけ、片手で追い払うように彼女を使いっぱしりにしたのである。その扱いはズザネの上級士官の意地に傷をつけたが、賭けと試合の負けは彼女さえも卑屈に呟かせ注文カウンターへと走らせたのだった。

 そんな使いっぱしりのズザネと入れ代わりやってきたタピタは手を団扇代わりに扇がせ、酔も合わさり妖艶な雰囲気を出しながらハルの元へ来たのである。

 しかし、酒で頬を上気させているにも関わらず、タピタを見つめる男達は決して近寄ろうとはしなかった。

 タピタが暑そうにしながら隣に座る中、ハルはタピタの甘い香水の中に僅かに香る酒臭さに気付くと、己の酔のない素面さ加減に悲しくなった。それと同時に、一瞬周りを見回すタピタの酒臭さを吹き飛ばすような警戒の視線に、彼女はタピタへ不思議な共感を覚えた。美人がよっているにも関わらず誰も近づかないのは、酔の中でも彼女が時折見せる店の状況に合わない"異物感"を覚えたからだった。


「あの、タピタさん」


「んっ?どうした?」


「"マース"ってなんです?」


「"1Lクルーク(ジョッキ)"ってこと」


 その共感覚を前に、ハルは不思議と不貞腐れたような腹持ちを忘れてタピタへ話しかけ、とうの昔に聞いたことのある知識を尋ね、その答えに納得して頷いたのだった。 


「まっ、まぁ、なんとかなるよね!"潰れるなよ"」


「大丈夫だよ、お前さんの肝臓ならなんとかなるさ」


「むしろ、ジーグルーンが一番怪しいよねぇ〜」


「いや、大丈夫だよ」


「そうね、ジーグルーンは酔うとすぐ倒れるものね」


「前科持ちだし」


 ハルの感じた疎外感は彼女の誤魔化す言葉と聖剣の言葉が覆いかぶさり、一層パトリツィアとタピタに違和感を感じさせた。

 しかし、タピタがそのことを尋ねようと口を開く前に、彼女の脇腹パトリツィアの肘が小突いた。その小突きにタピタが黙ると、パトリツィアはハルと聖剣の言葉に軽口と共に笑いかけた。

 その一言へ更に遅れて合流してきたジーグルーン達が酔っぱらいながらも参加してくると、ハルの周りにはこれまでの面子が全員揃い一気に騒がしくなったのである。泥酔しかけとはいえど、時分の知っている人々が周りに集まったことでこれまで感じていた疎外感が薄らいだハルは、それまで感じていた感覚を忘れると僅かに髪からは浮いてズレていたカチューシャの位置を改めて直したのだった。


「おっ……お待たせしました……」


「ちょっ、ズザネさん!」


「無茶しないでくださいよ、こぼしたらどうするんですか!」


「"たくっ、ハル!"うっ、うん!ズザネさん、手伝いますよ!」


 ハルの気分が落ち着きパトリツィア達が全員集まると、最後の一人であるズザネがようやく注文の受け取りカウンターから戻ってきた。その両手には1Lジョッキが8つ器用に握られ運ばれていた。

 しかし、酔の回っているズザネは若干覚束ない足取りであり、ハルは腰を上げようとした。その動きより速く下士官と兵であるジーグルーンとクレメンティーネは上気していた顔をわずかに青くすると急いで彼女の元へと駆け寄ったのである。

 2人の後ろ姿に上げた腰を再び戻そうとしたハルだったが、その途中で聖剣が彼女に喝を入れられたのである。すると、ハルは再度立ち上がりズザネの元へと駆け寄り零れそうになるジョッキを受け取り運ぶのを手伝うのだった。


「待ってました!いやはや、知ってはいたけど、この時期でもやっぱり南方は暑いわな。ビァーがなくちゃやってられんて!」


「ほんとよく言いますよ。ハイルガルトなんて、まだ良い方なのに」


「あっ、クレメンティーネはもっと南だものね〜」


「誰だ!"田舎"つったのは!どいつだ、どつき倒してやる!」


 ズザネ達からビールを受け取るパトリツィアは、結露が滴るジョッキへ頬を当てながら、早速その中身を胃に流し込んだ。彼女の喉が勢いよく音を鳴らしビールを流す中で、パトリツィアの一言にクレメンティーネは眉間にシワを寄せて文句を付けつつジョッキを傾けた。その文句にアルマが空かさず茶化しに行くと、クレメンティーネは赤い顔で彼女の胸を鷲掴みにしながら喚き散らすのだった。

 パトリツィアとクレメンティーネの言葉通り、ハル達一行は視察という名の帝国周遊の旅の場を南方の地へ移していた。彼女達が現在いるのはエアテリンゲン州の州都であるアイマフルトだった。マーデン=カールスベルク州とザクセン=アンラウ州の間にあるこの州は亜熱帯気候であり、地域によってはジャングルが生い茂り湿地帯となるような高温多湿な環境であった。それ故に生活しづらい環境であり、内戦前から人も産業も乏しい州として発展が遅れていた。

 だが、内戦後の改革により植生に合わせた農業や開拓がおこなわれ、州全体において生活環境が激変した。その開拓で地下資源が発見されると、エアテリンゲン州は一気に発展し今では一台資源地帯として発展していた。

 その資源地帯や農業地区を見学したハルだったが、その見学も早々に切り上げられると、何時しか彼女はひたすらにパトリツィア達へ振り回される状態へとなったのだった。


「皆、泥酔してる……"”酒は飲んでも飲まれるな“だぞ"私って、あんなに酷いの?"どっこいどっこいだ"」


「心配するなよ、ハル。酒飲みってのは、皆ああいうものさ。"給料が出て飯代が国防省持ちの帰省"なんて、好き放題してなんぼさ」


 そうして、パトリツィアの言う"帰省"に付き合い続けたハルは、南方の暑い気候や若者のファッション、生活や文化に触れつつも基本娯楽しかない日々を続けていたのである。

 娯楽や生活の楽しみを人生の優先事項としているハルでさえも、この頃の娯楽しかない南方生活には罪悪感を覚え始めた。その複雑な心境から酔の回り始めた赤い顔で自分より泥酔するパトリツィア達を眺めたハルは、彼女の開き直りを前に言葉を失うとただビールを胃の中に流し込んだ。その冷えたビールの喉越しと、故郷の酒より遥かに味が良いことだけに一旦集中すると、ハルは聖剣の忠告を思い出しグラスを戻した。


「帰省……ですか?"そういや、お前さんらは全員南方出身だったか?"」


「そうだよ。まぁ、都会か田舎はさておいて、アタシら全員、南の出身さ」


 下手に黙ると酒とツマミの往復になることを避けようとしたハルは、ビールジョッキの中に見える黄金色を見つめながら赤い頬へ頬杖を突いた。彼女の瞳は僅かに揺らぐ世界を見せると、その浮くような感覚からハルはパトリツィアの言葉をそのまま繰り返した。

 そのハルのうわ言に聖剣が空かさず話題を振って彼女の意識を冴えさせようとすると、ジョッキを傾けていたパトリツィアは返事をしながら頷いた。その動きと彼女の辺をなぞるような目線は、まるでドミノ倒しのようにズザネ以外の面子の首を頷かせたのである。


「南……」


「なんだい?なんか言いたげだね?」


「いえっ、その……」


 パトリツィア達の故郷である南方地域の過去を思い出したハルは思わず1人呟いた。その呟きはきちんとパトリツィアに聞かれており、他の面子もテーブルへ肘をついたりしつつ乗り出すと、ハルは6人の視線を一身に受けたのである。

 美人6人の視線を受けるということは本来であれば良いことであろうが、相手が軍人且つ泥酔しかけということはハルにとって困惑以外何もなかった。

 その困惑の中でパトリツィアから呟きの意味について追求を始めると、ハルは言葉に詰まった。血流で体を駆け巡るアルコールとちびちびとビールを啜るズザネ以外の視線が刺さることで思考が纏まらないハルは言葉を濁し聖剣へ助けを求めた。

 しかし、聖剣は沈黙で答えると、ハルは気付けと言わんばかりにビールジョッキを傾け中身を胃に叩き込むと、空になったジョッキを勢いよくテーブルに置いた。


「酒の席だ、好きなだけ話な。どうせムカつくことも何もかも、明日には便所で吐いて忘れるさ」


「”便所で吐いて“って……"淑女の言うことじゃないな"」


「バカ言えって!淑女なんかが空軍の飛行猟兵なんてやってられるか!そんなもんはな、鼻かむのに使って捨てたわ!はっはっは!」


 ハルのその飲みっぷりにパトリツィアは指差しだけでクレメンティーネを使いに出すと、彼女はジョッキをワイングラスよろしく揺らすとハルへと軽口を呟いた。

 その下世話な軽口には聖剣も呆れた反応を示したが、パトリツィアが楽しげに笑って気風良く話すと、ハルと聖剣は思わず釣られて笑うのだった。


「パトリツィアさんって、酔うととんでもなく豪快な人になるのね"人として駄目な例だな"」


 とはいえど、ハルの楽しげな笑み聖剣は心配そうに忠告を出すと、いつの間にか取り替えられていたジョッキと彼の驚きへ満足そうに笑うクレメンティーネに苦笑いを浮かべたのである。

 そのハルと聖剣の柔らかくなった態度と進む酒に、パトリツィアは軽く指を鳴らしてで2人の視線を集めた。


「ほんで、何なのさ?口吃るってことは、辛気臭い話なんだろ?とっとと言いな!」


 気風よく急かすパトリツィアの言葉に頬を酔いで赤くするハルは、天井を見上げて言葉を選ぶとゆっくり視線と顔を前に戻した。


「その……"南方の街の多くは最近できたばかりの新しい建物ばかりだ。それだけ、“南方は内戦の激戦地だったのか”って、ハルのやつは思ってんだよ"」


 ハルと聖剣の言葉はテーブルに沈黙を産んだ。その沈黙の中で、空になったジョッキを覗くズザネ以外は気まずい表情と共に腕を組んで天井を仰いだりツマミへ手を伸ばしたりと発言を避けたのである。

 だが、パトリツィアだけは一口ビールを飲むと、ハルの瞳を静かに見つめた。


「アタシはさ、ハル。フッスバル……つまり"Football(フットボール)"ってのは素晴らしいと思うんだ」


「あの……"どうしてだ?"」


 パトリツィアの口から出た言葉は、ハルと聖剣の思っていたことと全く異なったものであった。

 だが、軽口と思えないパトリツィアの表情はハルに困惑を与えた。そんな口ごもるハルの代わりに聖剣がパトリツィアの言葉に応えると、彼女はジョッキの縁を細い指でなぞりつつ、その音に笑みを浮かべた。


「だってよ、Footballは試合だ。明確かつ詳細な規則があって、やって良いことと悪いことの区別があるし、選手はそれを承知して守ろうとする意志もある。そのうえで、得点と試合時間、明確な勝敗がある。試合が終われば後はお互いを褒め称える。つまり"|Sportsmanshipスポーツマンシップ"ってヤツが、あるのさ」


 パトリツィアの真剣な持論はハル彼女の意図を理解させ、聖剣はハルの口が開き話の腰を折ることを抑えた。


「でもよぉ、ハル。戦争には規則がない。あっても本当に最低限なものさ。"殺すなら殺せ"ってだけだ。民間人だろうとなんだろうと、"相手が殺す気なら殺される"。雑把な規則があったとしても、兵士は生き残るのに必死だ。規則があっても守らないこともある」


「嘗ての共和ガルツのように……ですか?」


「そうだな。"民間人を盾にする"なんてのは許されんことだわな」


 パトリツィアの持論はサッカーを例えにした戦争への考えであった。その内容はハルの聞いて学び知っていたことだった。

 だが、実際に銃口を向けられ殲滅される側として立ったパトリツィアの言葉は生生しく、半笑いを浮かべながらも薄暗い口調はハルには言葉を迷わせた。

 それでも、ハルは彼女なりに考えた言葉を紡ぎ、パトリツィアはそれに応えた。


「それだけじゃない。昔の"反乱軍"……つまり"ガルツ王国軍"は先手必勝を狙って宣戦布告なしにデルンへ軍を向けた。まぁ、当時のガルツは法整備も半端だったがな」


「そして、帝国軍も規則を蔑ろにした、それが……」


「南方都市部への無差別爆撃と……"“反帝国主義者の捕虜虐待”か?"」


 パトリツィアの言葉には、これまでハルが見て聞き感じたものとは明確な違いがあった。それは決して正義も悪もなく、人という生き物の愚かさや残酷さを感じさせるものであった。

 それ故にハルも言葉を選ぶが、明け透けなく言うパトリツィアにただ彼女も黙って頷くだけだった。


「戦争には明確な得点がない。勝ちを決めるには相手が降伏するか、全員殺すかしかない。オマケに試合時間も決まってないから、"人は生き残るために"ってどこまでも無茶をする。学徒動員だの少年兵だの、毒ガス兵器に白燐弾だ焼夷弾だってな。まぁ、少年兵って言うなら、総統の親衛隊なんて最初は子供軍隊だったがな」


「”生き残るために“……」


 パトリツィアの言葉に、ハルはただオウム返しに言葉を繰り返すだけだった。

 だが、その言葉を呟いた瞬間に過るのは義勇軍派遣で血みどろになって戦った日々と、多くの兵士の断末魔、そして狂乱状態となる戦場だった。その記憶がハルの表情を暗くすると、パトリツィアはバツが悪い表情と共に俯き始めたハルへ指を鳴らし顔を上げさせたのである。


「そんな無茶をやって勝っても、戦争は試合後みたいにならないんだ」


 パトリツィアの言葉と彼女の指先に従って、ハルテレビ画面や辺で屯する人々を見た。


「いやぁ、あの足捌き凄かったよね!」


「ボルトフェン並みの守備がマーデンにもあればさぁ……」


「はぁ?マーデンに必要なのは攻めだよ攻め!」


「でもさぁ、ボルトフェンの連携を抑えてればあんなギリギリの試合にならなかったよ?」


 そこには、陰鬱な空気から逃れるためにいつの間にかビールジョッキを変わり身として置き去ったインメルガント達が受け取りカウンターでナンパされる姿があった。そのまるで流れる空気の如くいなくなっていた彼女達の身のこなしにハルは驚いたが、その敵チームサポーターであるはずの男達と楽しげに話す姿は、彼女にパトリツィアの言いたかったことを感じさせたのである。


「楽しそうだろ?ナンパされてるのはともかく、Footballならああやって試合後話せるんだ。戦争は、そうじゃない。勝ったやつは負けたやつに恨まれ、報復を恐れて徹底的に抑え込む。内戦だからそんなこともなかったが、多少は統一に伴う圧力もあったさ」


 パトリツィアの言葉と共に、ハルは嘗て見た戦場にいた。そこには"社会主義"という彼女にとって訳のわからぬ主義から開放された人々の姿があった。

 だが、決してそこには幸せだけがあるのではなかった。当然ながらその場には死に損なった敵兵士や謎の主義に賛同していた人々の憎々しげな視線、平和になったはずなのに流れ続ける陰鬱な空気と、従いたくない規則を前に蹲り死んだように生きる人々の姿があったのである。


「負けたやつは言いなりさ。勝ったやつの言うことに従い、苦しみや悲しみに耐える。それに反旗を翻そうとするやつもいるが、それは仲間内の闘いを産んで、再び混乱に発展するんだ……」


 パトリツィアの言葉はハルに重苦しい記憶を呼び覚まさせた。

 しかし、話が佳境に近づけば近づく程にパトリツィアの呂律は歪み始め、口調はたどたどしくなり始めた。

 そのことに気づいたハルが過去の記憶から現在を改めて見ると、目の前にいたパトリツィアの顔は見えなかった。


「ハルよぉ、何よりさ……誰だってさ、殺し合いたくなんてないんだよ。生きていたいんだよな。苦しいのだって悲しいのだって、誰だって嫌だよ。皆、楽しく明日を迎えたいんだ。明るい未来を夢見たいんだ……」


 パトリツィアとハルの間にはビールジョッキで作られた"ガラスのカーテン"があった。


「ハル……殺し合いなんて……戦争なんて……嫌だ……よな……武器より、酒を……」


「あの、パトリツィアさん?」


 ガラスのカーテンの向こう側ではいよいよパトリツィアの言葉がとぎれとぎれとなり、ガラスで歪んだ彼女の影はゆっくりとテーブルに倒れていった。

 そんなパトリツィアの状況を前にしてハルは助けを求めようと周りを見るも、インメルガント達は未だナンパを受け続けていた。テーブルに座っていたタピタも何時しかトイレへと向かう後ろ姿が遠くに見え、ズザネに至っては床で寝ていたのである。


「ゴゴゴォォ……んがぁぁ……」


「"ねっ、寝てやがる。起こすなよ"わかってるって、聖剣」


 そして、ガラスのカーテンの向こうからパトリツィアの寝息が聞こえると、ハルは感じていた薄暗い感覚や思い出しそうになった戦場の感触を忘れようとするかのようにビールを流し込んだ。


[聖剣]


[なんだよ、思考で話しかけて来るなんて珍しいな]


[ポーリアの内戦で似たようなこと言ってた人、いたよね?]


[確か、タリアーノのフレデリックとか言ったな]


[あの内戦で、私達は社会主義っていうのを信じて大暴れする人達を止めるために戦ったよ。助け合う気持ちは大切だけど、人のものを無理矢理奪って皆に分けるってのはやり過ぎだし、王様とか貴族とかを殺してでもやること事じゃない。何より、巻き込まれた人々を救いたいから戦ったよ]


[そうだな。俺達は"俺達の掲げる正義"のために戦った]


[皆、護りたいものがあるから戦う。たとえ死にたくなくても、殺したくなくても。己の信じる正義のために]


[でも、魔族は……この"人"達は生き残るために戦ってる。思想とか理想とか、そんな時代だの国だので変わりそうなものじゃなく、人が人として生きてゆけるために]


[同族同士の殺し合いだがな]


[そして、今なお軍拡してる訳だ。猛烈な勢いで]


[それでも、今のこの人達は"戦争との戦争"してるようにもみえるんだ。私達と対等になって、話し合えるようにって]


[帝国の人々きっと、私達とわかり会える。だって、同じ思考する人間なんだもの。きっと、たとえ最初が武器を構えあっての話し合いであっても。いつの日か……]


["武器よさらば"ってか?]


[聖剣、その言葉って誰かからの引用?]


 目を瞑り、ハルは聖剣と話し続けた。2人の会話はこれまで通り軽口と皮肉が混じっていた。

 それでも、ハルの意思表示はこれまで以上に強く、聖剣へ主張する言葉は確固たる意思を彼へ改めて感じさせた。それ故に聖剣も饒舌に話し始めると、彼は思わず出た軽口とハルの言葉に思わず黙った。


「さてな?まぁ、言ったソイツはあんまり認めたくないと思うが、平和なら苦笑いして受け入れるだろうさ」


 誤魔化すようにビールジョッキを傾け中身が空なことに気付いた聖剣は、苦笑いと共にあえて口を使ってハルへと答えた。

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