第6幕-2
多くの木々が葉を赤く染め、木枯らしがその葉を遠くへ飛ばそうと吹く曇った灰色の空の元には、木組みやレンガ造りの大小様々な建物が混在して建ち並ぶ街があった。その街道はレンガによって舗装され、ガス式の街灯も合わさると街の造りは一際古風に見えるのだった。
その古風なガルツ帝国ハレブルグ州の小道を3人の男女が歩いていた。
1人は黒いコートを身に纏う闘牛のような角を生やした赤髪の男であり、仕立ての良いスーツの下からでもその体躯の屈強さがわかった。そのコートの袖から伸びる黒い手袋をはめた手には、白い紙に包まれた大きな花束と、白い大きな紙袋を下げていた。
その男の後ろには、羊のような角を頭に生やした美女が2人歩いている。片方は男同様に黒いコートを纏う銀髪の女であり、華奢な体にそのコートは少し着られているように見えた。だが、そのコートの下からわずかに見える漆黒の軍服は、不思議と彼女の見た目の幼さその体躯を引き締めて見せるほどに、格好に違和感を感じさせなくして馴染みきっていた。
その隣を歩く女も黒いスーツを着ていたが、軍服の女と違ってコートの類を着ていなかった。そのためか、肌を刺すような冷たい風に女は白い肌を赤くしながら、体や震えでプラチナゴールドの髪に着けた羊の角のカチューシャがずれないように必死に抑た。その姿勢の変化で肩から背負っていたアーチェリー用ケースがずれると、彼女はなんとかそれも支えるのだった。
「うぅ…北に来るともうこんなに寒いのかぁ…"まだ9月かそこらだってのに"」
「ハレブルグって言ってもメルクス=ポルメンよりも北ですから。結構、冷えるものですよ」
その2人の女は冷え込む寒さを前にして赤くなったお互いの頬を見ながらとりとめのない会話を始めた。その会話の最中でも2人の表情は変わらず、互いに世間話にもならない会話とでも言わんばかりの静かな口調であった。
「ハルさん、ハレブルグ州は帝国の中でも1番小さい州なんです。都市一つで州の全体なんですよ」
「そう…なんですね、ギラさん」
「この地域は産業はそこまでありませんが、テオバルト教関連の観光地なんです。信心深い人達や色々な人が行き来しますし、何よりバルメン州やシュレースタイン州への移動に関しては重要都市ですから」
その会話も、ギラの他人行儀さが合わさると最早世間話どころか初対面でどう話せばいいか解らないものとなっている。そのために、ハルはとにかくギラの説明に相槌を打ちながら街の風景や行き交う人々を見ることにした。
9月のハレブルグ州は既に帝国でも寒さが身に染みる場所であり、彼女達とすれ違う多種多様な人々は皆が一様に厚めに着込んていた。
その街道観察の最中でも、街路樹は風に揺れて葉音を鳴らしその音も寒さを増させ、ハルは風に身を震わせると、震えたその身でずれそうになった角のカチューシャを再び直した。
「あの…ギラさん?」
「ギラで構いませんよ、ハル・エア様」
「なら、私もハルで構いせんよ。それで、ギラさん…えっと…私…いえ、私達お邪魔じゃないんですか?その…"せっかくの“休日の上司と部下の秘密の関係”を邪魔しちゃうってか?響きがヤラシイなぁ"そうは言ってないでしょう、バカ!なんでそういちいちオヤジ臭い言い方するの!"こういう場面の茶化しは必要だろう?"アホ!」
帝国東部の街並みと異なり、ハレブルグ州の街並みは明るい色彩が少なく、木枯らしの吹く紅葉と葉の落ちきった裸の木がハルに不思議と物悲しさを感じ取らせた。
その物悲しさからなのか、ハルは少し前を進むギラの他人行儀に寒さで抱えていた肩を軽く回すと彼女の軽く覗いた。彼女は前を歩く黒いコートの後ろ姿を不安そうな瞳で見つめていたが、その唇を噛み手袋をはめた手を震わせる姿はハルにただならぬ雰囲気を感じさせたのである。
その雰囲気へ肩を回し終わったハルは軽く息を吸い込むと敢えてギラへと話しかけた。そのハルの言葉で即座に表情を冷静さが溢れるものに変えたギラは、その素早い表情変化や何もなかったかのように話し始めた。
機械のように切り替えの早かったギラの言葉にハルは目を丸くした。それでもまだ取り付く島があることを理解したハルは、ギラの他人行儀を取り払おうと作ったように見えるのを承知で気さくさを演出し話しかけたのである。
しかし、話しかけたは良かったが話題を何も考えていなかったハルは、なんとか話を続けるために辺りを見回した。その結果、彼女はギラの視線の先にいた黒いコートを見つめて冗談程度に会話を始めようとした。
そこにアーチェリー用ケースの中の聖剣がハルの顔と口を借りて話に入ってくると、楽しげにニヤつく彼によって完全に俗っぽい軽口となり、思惑と異なって2人は1人で口喧嘩を始めるのだった。
「気にしないでください、ハルさん、聖剣さんも。今日はそういう日ではないので」
そんな2人の漫才のような口喧嘩が功を奏したのか、聖剣の軽口がギラの頬を赤くさせ軽く俯かせた故なのか、ギラはそれまでの冷たい雰囲気を僅かに緩めた。彼女の変化はハルと聖剣も気づけるほどであった。
多少雰囲気の緩んだギラだったが、それでも彼女の口調は未だ憂いのある笑みと同様に明るくなく、ハルと聖剣の軽口に答えるその言葉も要領を得ないものだっのである。
「ギラさん?」
「いえ、何でもありませんよ」
「"“何でもない”ってことはないだろ。そんな奴が今みたいな顔はしねぇよ"」
「"今みたいな"?」
要領を得ない一言に一旦は沈黙してギラが続きを話すのを待ったハル達だったが、彼女は続きを話すことなく前を進む黒いコートの背中を見つめていた。
足取りや目的地への距離の進みと反して話が停滞していることに、ハルは一瞬眉をひそめて頬を撫でるとギラの顔を覗き込んで声をかけた。その行動を前にしてもギラの反応は悪く、ハルの行動に驚くというよりも黙っていたことに驚くように口元を隠した。
ギラがハルの言葉に応じたが、その反応は2人が思っていたものとは大きく異なっていた。まるで意識がその場にないようなギラの状況に、ハルは少しだけ彼女を真っ直ぐに見つめた。その表情は真剣そのものであり、ギラは応じた言葉の後が続かなかった。
困惑するギラへハルの真顔を借りた聖剣が更に話しかけると、その内容に彼女は不思議そうな表情で聞き返すのであった。
「"言ってやれ、ハル"その…戦地帰りの兵士みたいな顔と言いますか…虚しそうな顔…ですかね?」
頭を抱えて首を振る聖剣は、目元を抑えるように天を仰ぐとハルへと話を振った。その言葉に再び顔の使用権を取り戻した彼女は、ギラへと頬を人差し指で掻きながら言葉を選んだ。
ハルが思いついたその言葉は、少し前に駆け抜けた他国の内紛への義勇軍派遣でみた表情だった。虚ろとも言えない瞳で目の前の光景と異なる景色を見ているような遠い目をギラに見たハルは、言葉に迷いながらも彼女へと説明したのである。
「そうですね…そうかもしれません…」
ハルの言葉にギラは小さく頷くとまるで独り言のように答えた。その話の切れ方はまるで続きがあるようなものだった。
だが、ギラはその続きを話すことなく、ハルと聖剣も敢えて聞くことをせずにただ静かに風に吹かれながら道を進んだ。
黒いコートの大きな背中は、後ろの2人の会話に加わることなくただ静かに前へと進んだ。その背中について行くハル達の周りの街並みは、進めば進むほどに都市としての華やかさがなくなり、小さな住宅ばかりの生活感溢れる街へとなっていった。
その小さな家が建ち並ぶ街の中で、男は目立つ大きな建物の門の前に止まった。その建物はゴシック様式の聖堂であり、双塔と翼廊の広がる大きなものだった。
だが、黒い背中は敢えて聖堂の正面ではなく建物が遠くに見える裏手の門の前に立ったのである。その門は、聖堂の派手さはないが荘厳さの感じられる整備の行き届いた外観と異なり、多少のサビや煉瓦の欠け、絡み付いた蔦の目立つ寂れ方をしていたのである。
「ここは…墓地ですか?"ここは俺達と対して変わらないのな"」
「えぇ。ここは"ハレブルグ聖堂墓地"」
「“ハレブルグ聖堂墓地”…"そういや、カサンドラのバアサンが言ってたな。“ハレブルグの聖堂墓地には"…内戦最後の戦死者がいる”…」
目的地が聖堂ということからその寂れ方をハルは不思議に思った。その不思議さに彼女が半端にある為無駄に目立つサビの付いた鉄門の隙間から中を伺うと、そこには多くの石柱や石盤、十字架のような石細工が並んでいた。
その光景にハルは僅かに心に残っていた観光感覚を取り払い、よく説明されずに自分達が連れてこられた理由が重要なものと感じ取った。
門の向こうに広がる墓地の様子に、ハルは敢えてギラへその場所について尋ねた。その言葉に聖剣が敢えて感想を感心した顔で述べると、ギラは数回頷きその場所の名前を言った。
"ハレブルグ聖堂墓地"という名前はハルに聞き覚えがあり、その詳細を思い出すために彼女はその名前を呟いた。彼女の呟きは聖剣の記憶にある帝国博物館で受けた歴史解説の内容を呼び起こさせたのである。その解説で習ったことをそのまま聖剣が呟くと、門の前で立っていた黒いコートの背中はサビから軋む音を立てる門を開いて中に入った。
門の内側へと足を踏み入れたハルの前には、多くの墓が立ち並んでいた。縦横に何列も広がる墓標は多種多様であり、大きさから形、掘られた名前などは様々であった。その墓の周りは外の外壁や門と異なりよく整備された緑の芝生が広がり、その緑に立ち並ぶ枯れ木から落ちた紅や黄色の葉が絨毯のように広がっている。その寂れた外観と異なる墓地の光景に、ハルはただ静かに辺を見回すのだった。
「ハイルガルトのニタウ村から始まった"反総統思想"への弾圧と粛清。暴走した私達親衛隊の…戦後最大の汚点です」
「いや、ギラ…これは私の犯した過ちだ。君達は何も悪くない」
多くの墓標が並ぶその中央には、その墓標の下にいる者達を鎮めるためのようなモニュメントが建てられていた。まるで灰色の空に翼を伸ばすような青銅のモニュメントは、こまめに手入れがされているように見えるも年季が入っていることが表面から見て取れた。そのモニュメントの台座の側には、多くの花束が色彩鮮やかに置かれていた。
色とりどりの花束の中に白い封筒の手紙が数枚見えるモニュメントの前にたった黒いコートの男は、手に持っていた花束を台座に積み重ねられた中に加えると、その場に片膝立ちで手を組んで祈り始めた。
その大きかった黒いコートの小さな後ろ姿に、ギラは隣に立っていたハルに説明をしながら彼同様にモニュメント前でしゃがみながら祈り始めた。祈るギラのその肩は僅かに震え、顔の前で組む手は赤くなるほどであった。
その隣で、瞳を閉じて祈り続けていた黒いコート姿のカイムはギラの言葉に小さく呟いた。その声はたしかに小さかったが、ハルやギラの耳にはしっかりと届いていた。何よりも、その声はまるで置物のようにしゃがみ祈る姿と反して震えていた。
泣いているようにも聞こえるカイムの後悔の言葉に、隣のギラは彼を見開いた目で見つめてからその肩を抱き、大きな呼吸で上下するカイムの肩をハルと聖剣は黙って見つめた。
「内戦後期から、帝国貴族の中には少なからず"総統"という"皇帝の権限"を脅かすかもしれない歪な役職に疑問を持つ者が多かった。私はそれを良しとし、戦後社会が自然と"私を必要としない"と主張するのを待ったんだ。"社会の革新"とは、新しい制度や思想、文化が当たり前となったときに起こるものだ。そう思った」
ギラに肩を抱かれたまま、カイムは独白を始めた。その言葉は震え、ハルはそれまでに見ていたカイムとの落差に言葉を失った。それまで彼女が見てきたカイムという男は、暴君とは大きく違っていたが指導者としての態度を示していた。
しかし、今ハルと聖剣の目の前にいる男は指導者とは程遠く、独裁者と言うにはあまりにも小さかった。
「でも、現実は違ったと?」
「複雑になった社会構成は、恒常性と安定性を求める。まるで人体のようにな。だからこそ、ときに過剰な行動を起こす。私はそれに気づかず、止めることも出来なかった」
見た目やそれまでの発言と異なるカイムの姿に、聖剣は黙りハルはただ彼の言葉の続きを促した。それに応じたカイムの独白は、更に弱々しく後悔の念が滲み出ていた。
その姿はいよいよ指導者や独裁者としての姿がなくなり、ハルの顔を借りた聖剣は彼へ言葉をかけようとして口を開き、少しして口を閉じた。
「その結果、私は多くの人々を死なせた。無実の罪の者も多かった」
「この墓が…全て…ですか?」
「埋葬できる限り全て。ニタウ村からの、全ての犠牲者をこの地に埋葬してる」
「これだけの…人々が…」
続くカイムの懺悔を前に、ハルはようやく彼に言葉をかけた。その言葉は彼の懺悔が始まり始めてから気になり続けていたことである。
そのハルの疑問に、カイムは姿勢を崩すことなく答えた。その表情の見えないカイムの姿勢であっても、再び無数に並ぶ墓標を見回すハルには彼の後悔に悲しみしか感じ取れなかった。
「私は甘かった。"この国は内戦終結と共に再興のときを迎えた"と、"今後の革新には私のような総統はもう必要ない"と思った。その結果、私は多くの者を死なせた。ニタウ村の住人だけではない。国を思う政治家や軍人、教師…上げればきりがない程に多くの人を死なせた」
「でも、それは貴方の意図ではないんでしょう?」
何も言わないギラに肩を抱かれたカイムの独白は最後まで後悔の悲しみにふるえていた。その震えをハルは彼が小心であるからとは取れなかった。
たしかにカイムは繊細な人間とハルは理解していた。それ故に、ハルはその震えと悲しみからカイムという人間が指導者や独裁者という立場を必死に演じる孤独な男と感じ取れた。
だからこそ、ハルは同情する意思なくただ彼の考えを静かに尋ねた。
「たとえそうでも、部下の行動を止められなかった。だからこそ、私はこの国を真に再興させようと決意したんだ。私のような者を必要としない、人々の真の革新を伴った本当の再興を…」
「本当の…"再興"…」
ハルの言葉に、カイムは肩を抱いて側にいるギラの手に組んでいた手を解いて彼女の手に重ね、彼の横顔から視線を一度も外さなかった彼女と向きあい頭を下げた。そのときに見えたカイムの横顔は、目元こそ赤くなっていたが、懺悔のときの声と違い穏やかさがあった。
そのカイムの懺悔から続く言葉に、ハルは少し前まで目の前にいたカイムという青年に改めて"総統"という人を導く立場の者の醸し出す覚悟のようなものを感じたのである。
その覚悟を前にしたハルと聖剣はカイムの言葉を繰り返した。
「だからこそ、君に見せたかった。"私は決して良き人間ではない"と、"私は大いに血濡れた人間だ"とね」
オウム返しに呟いたハルと聖剣に、カイムは最後に一言付け足すとゆっくりとその場で立ち上がった。そのときにギラを気遣い手を差し伸べるカイムの姿からハルと聖剣は目の前の男は政に関わるにしては異様に繊細であり、軍を率いるにしては見栄を張れない異質な男と理解した。
「でも、貴方はその過去を償おうとしてる。行動で見せようとしてる。それってあんまりできることではありませんよ。"大抵の政治家連中は、“やりたくないこと”を“出来ないこと”って括って、何もしようとしないのが常だ。だからまぁ…なんだ?"カイムさんは、"良い人間"ではないのかもしれませんけど、決して"悪い人間"にはならない人ですよ」
そのカイムへの理解故に、ハルと聖剣は彼に忖度なく本音を言い切った。その表情は真剣そのものであり、茶化すことばかりしていた聖剣さえも何度か視線をカイムから外していたが本音を言い切るほどだった。
「優しいのだね、君は」
「貴方が悪人なら、私だって多くの人を戦場で殺めた悪人です。私達みたいな人は、血に濡れている分、正しさを見失っちゃいけないと思うんです。"力は力だ。肝心なのはどう使うかで、お前は確かに何度か誤ったかもしれない。それでも、正しくあろうとし続けている。独裁者のクソ野郎でも、お前はマシなクソってことだ"聖剣…アンタねぇ!」
「本当に…君たちは優しいのだな」
ハル達の言葉にカイムは笑った。その笑みとともに軽く頭を下げる彼へ、ハルは己の信念をもって彼に歩み寄り、聖剣は自身のエゴだらけの思考と皮肉だらけの言葉を付け足した。その言い方は露骨に茶化すようであり、聖剣が過剰にわかりやすく歩み寄ろうとしてる表現とカイムは感じ取れた。
だからこそ、2人の言葉にカイムは小さく何度も頷くと静かに呟いた。その言葉は言い合いを始め一人漫才のように話すハル達には聞こえなかったが、ギラも彼同様に頷くのだった。




