第5幕-2
趣味で書いているので温かい目で見てね。
「この壁画が…プロイシア戦争後のジークフリート大陸への入植を描いた"未来の始まり"ってやつみたいですね。ファーベルクの1800年前の作品ですって」
「教科書で見たことあるような、ないような…」
「すごい…本物だ…」
「この歴史博物館の"三大壁画"の一つでもあるんですって。"赤い森の戦い"と…"ホーエンシュタウフェンの威光"が残り2つなんですって」
「歴史は解んないですぅ〜」
帝国歴史博物館内部は、様々な歴史的遺品や書物、絵画やプロイシア帝国時代のことを奇跡的に残していた文献のコピーなどで、長い魔族の歴史を展示していた。その展示は多種多様で点数も多かった故に、博物館の内部はまるで迷路のような複雑な構造になっていたのだった。
そんな長い魔族の歴史を辿ってゆくハル達は、カサンドラの解説地獄に呑まれながらようやくプロイシア帝国時代を抜けてガルツ帝国時代の展示へとやって来た。その展示物の点数はプロイシア帝国時代と比べると圧倒的に多く、解説と何が描いてあるのか見ても直ぐに解らない麻布の絵ばかりで疲れ始めたハルは博物館らしくなってきたその光景に心を踊らせ始めた。
その傍らでパンフレット片手に巨大な壁画の解説を眺めるオーバーホールにシャツという私服姿のクレメンティーネがその内容を読み上げた。その解説から壁画に視線を向けたポロシャツのラフな私服のズザネは、不思議そうな視線で羽角を撫でながら壁画を眺めた。歴史の知識のない二人を無視するようにジーグルーンが壁画を感動の表情で眺めると、イメルガントの長い解説が再開され、アルマの猫なで声の小さな悲鳴が少しだけ周りに響くのだった
「ジーグルーンのやつ、そんなに歴史が好きだったとはな?」
「"歴女"ってやつでしょ?あの娘、気性が激しい分こういうの好きなのよ」
「色んな意味で今日の主役より楽しんでるしな」
完全に修学旅行気分でハルやカサンドラの護衛を忘れかけているジーグルーン達を横目に、彼女達と同様に私服で身分を隠すパトリツィアは周りの多数の展示物を軽く眺めながらタピタへと部下の知らない一面について尋ねかけた。その疑問に彼女の肩越しに展示物を眺めるタピタが少しだけ退屈そうに答えると、辺りを興奮から夢遊病のように歩き回り展示物を凝視するジーグルーンに苦笑いを浮かべ素直な感想を言いつつハルの方へと視線を向けたのだった。
「どうでした、ハルさん?学校で習った歴史よりは、もう少し深く勉強出来たかしら?」
「えっ…えぇ、本当に。とても勉強になります」
今まで知らなかった魔族とヒトの歴史を見せられたハルは、自分の無知さと人の世の複雑さを前に目を回しながら必死に新しい知識を飲み込もうとするのだった。
そのハルの真剣さにカサンドラは温かい視線を送りつつ、彼女に感想を求めてみた。すると、彼女はカサンドラの言葉に肩を揺らして驚きながらも笑顔を作って率直な感想を述べた。その感想の後も直ぐ周りの展示物へと意識が向き、ハルはガラス越しに並べられる刀剣や装飾品、彫刻や書物へと見入るのだった。
「帝国の歴史は"差別と逃避の歴史"と言った学者も居たけれど…私はね、ハルさん。帝国の歴史は"希望と未来を探す旅路"って考えてるの」
「旅路…ですか?」
「そう、旅。この帝国は、確かにヒト族から迫害された魔族の村が元になっています。でもね、逃避と言うなら、人々の心には虚しさと悲しみしかない。本当に逃げ惑う人の心には、明日とか未来なんて言葉は浮かばないものです。だけど、嘗ての人々は未来への希望を常に持っていた。だから、国を造って社会を創り、未来のための礎を築こうとしたの。それって、決して逃げる訳ではないと思うの。むしろ…」
「"立ち向かってる"と?」
「えぇ、そう。だらこそ、私達は今も昔もずっと旅人なの。まだ見ぬ明日という大陸と、希望という宝を探す旅人なの」
考古学的な展示から大きく変わった展示物の中をハルはその詳細が書かれた電子掲示板を半口を開けながらコースに沿って眺めた。そのまるで歴史を一切知らない子供のようなハルの新鮮な反応に解説の楽しさを感じたカサンドラは、彼女の横に立つと笑みを浮かべて語り始めた。
そのカサンドラの言葉の一部にハルは疑問を感じると、敢えてそのことを彼女へと尋ねかけてみた。そのハルの不思議そうな顔に頷いてみせると、カサンドラは周りに数多く並ぶ無数の展示物を見ながら己の考えを語って聞かせた。その持論を語るカサンドラの表情は、長く歴史を学び研究して、発掘調査を行ってきた歴史家としての自信や確信が強く表れていた。
そんなカサンドラも少しだけ言葉に迷うと、ハルはふと自分の意見を述べた。すると空かさず、ハルは先読みした発言に申し訳無さそうな表情を浮かべたが、カサンドラは全く気にせずむしろ納得するように頷くと、彼女の選んだ言葉に沿って結論を述べるのだった。
「“ロマンチカー“なんですね?」
「歴史家なんて、皆そうよ?そうでなければ、人の営みに学を感じるなんて出来ないもの」
周りの展示物を眺めながら並んで歩を進めるカサンドラの優しげな語り方はハルの心に深く刻まれ、歴史を学ぶということに対する彼女の前向きかつロマンチックな考え方に笑って頷くのだった。
そのハルの言葉にカサンドラが微笑んで同意すると、二人は更に博物館の奥へと進み始めた。
「ここからは近代史に入りますね」
「あぁ、やっとこさ見覚えのある感じになってきたな」
「あたしはさっぱり覚えてないなぁ…」
「タピタ…アンタ本当に士官学校出たの?」
和やかに話すハルとカサンドラの後ろで、パトリツィアは順調に進むハルの帝国史勉強会に安心しつつ、脳天気に観光を続けるズザネや部下達に少しだけ呆れるように肩をすくめた。彼女の無言の主張にはタピタも同意の頷きをするも、タピタはズザネが指摘しないことや部下達の息抜きという意味を込めてパトリツィアの肩を叩いた。
そんなパトリツィア達の気持ちを知ってか知らず、楽しげな笑みを浮かべてクレメンティーネが駆け寄って来ると、二人にパンフレットの一部を指差しながら自分達の居場所とこれからの展示物を説明した。そのまだ幼い子供らしさの残る笑みに指導の言葉を言えなかったパトリツィアは、タピタと軽く軽口を言い合うと遅れているジーグルーン達に指を鳴らすと急かすように大きく手招きをした。
[カイムさんの話、本当だったんだ。
"まぁ、嘘をついてる奴には見えなかったしな"
それにしても、今まで勉強してたことって本当に何だったんだろう。何が正しくて、何が本当のことなのか解らないよ。
"ここで展示してあるものも本当か解らないしな。ひょっとすると、カイムの奴は市民に人への悪感情を植え付けようとしてるのかもな?"
そんなこと…
"正しい歴史はあらゆる立場の…何とかって奴だろ?ほら、そろそろ戻れよ"
わかったよ、聖剣]
カサンドラの先導の元でゆっくりと先に進むハルは、その途中でケースの中の聖剣へと話しかけた。念話に近いその会話でもハルの口調は明るく、今まで未知の存在だった魔族や人の過去が知れることに楽しさが湧いていた。
だが、そんなハルに軽く指摘の言葉を聖剣が掛けた。ハルも最初こそ聖剣の指摘に異議を唱えようとしたか、彼の"鵜呑みにせず自分で考えろ"という叱咤の言葉と理解すると、彼女も納得して改めて周りの展示を見学し始めた。
「凄い、これ全て人形ですか?」
「本物そっくりでしょう?当時の民族衣装の展示や歴史的事件の再現はウチの自慢なんですよ」
ハルの展示への見方を変えた直後、プロイシア帝国史コーナーまでの資料や発掘品のみの展示と大幅に変わった近代史コーナーにハルは驚きの言葉を漏らした。彼女の前に広がるのは、ガラス越しではあれど広い玉座の間で本物そっくりに作られた人形達が実際に着られていたとされる衣装をまとい、その遺品を用いて実際の出来事を再現するというジオラマ展示だった。
そのジオラマ展示はカサンドラの言葉通り彼方此方にあり、視覚的な理解を促すその造りにハルは驚きながらもガラスの壁に食い付くように観察するのだった。
「これは…」
「初代皇帝エヴァ・フォン ウント ツー・ホーエンシュタウフェンの戴冠式の再現です。近代史の展示物の殆どは、南方の貴族が厳重な管理で当時の城の家財や皇帝の衣服を保管していたので再現できたのです。その南方貴族の方は"帝国の正しい発展のために、我の亡き後は国に返還する"と遺書を残していたのですよ」
「戴冠式…ですか…」
人形を使ったジオラマ展示の中で、ハルは特にきらびやかであった戴冠式のジオラマについてカサンドラに尋ねかけた。カサンドラは直ぐにハルの横に立つと、ガラスの中で止まったかつて行われた戴冠式の事を説明するのだった。
「戴冠式をするときって、その国の宗教が執り行ってると思うんですけど。これって…」
「えぇ、テオバルト教の初代教皇であるテオバルト猊下が直々に行ったそうです。文献と絵画からの再現ですから、正確性には限界があります」
「テオバルト教…」
カサンドラの説明に王政や帝政にある程度は宗教が関わってくることを思い出したハルは、何も考えずにカサンドラへと自分の疑問を尋ねかけた。その直後、"帝国国民なら自国の宗教くらい知っているはず"という当たり前のことに気付いたハルは、顔を青くしながら隣のカサンドラの顔を伺おうとした。
しかし、ハルの不安をよそにカサンドラは至って平静であり、ジオラマのテオバルト教皇を指さしながら説明を続けた。自分が怪しまれなかったことに安堵したハルは一度静かに深呼吸して、改めて一言呟きながらカサンドラの指差す教皇の人形を見ながらジオラマを観察した。
そのジオラマはカサンドラの説明通りの戴冠式の様子であり、多くの貴族達が並ぶ白い大理石で豪奢に作られた玉座にて髭を長く蓄えた一人の老人がアポロニアそっくりの初代皇帝の頭に冠を被せられるという光景だった。
「"そなた、罪ある者さえも赦し共に歩もうとするその勇ましさ、慈悲深きは神のごとし。よもや神の御使いか?"、"我は神にあらず。だが、民がそれを望むのならば、我は汝らの神になろう"という初代ホーエンシュタウフェンの会話から、教皇テオバルトが彼女の言葉や意思を記し始めて出来たのがテオバルト教なんですよ。国教といえど、最近は若者の宗教離れもありますしね」
「えっと…すみません。教会にお祈りに行ったりはしますけど…ね?」
「信心があればそれで良いというものですよ」
テオバルト教の聖書の一節を唱えながらハルへと解説を続けるカサンドラに、彼女は何とか勉強が苦手で世間知らずを装って困り顔を浮かべた。その困り顔は実際のところハルの本音であり演技がなかったことでカサンドラは全く気にせず彼女を更に先へと案内した。
そんなボロを出しかけたハルとカサンドラのやり取りを遠くから見ていたパトリツィアは一瞬冷や汗をかくと、状況を乗り切ったハルに安堵しながら呑気に観光する部下たちを恨めしそうに眺めた。
「これは…」
「ガルツ帝国初めてのヒト族の侵攻に対する防衛。国防戦争の再現ですよ。これは"東ガルツ平原の戦い"ですね」
「戦い?これが戦いって言うんですか!これって…」
「えぇ、そうですね。これは戦いというよりは虐殺です。この会戦は別名"魔炎の虐殺"とも言われているんです」
ハル達が進む近代史のジオラマの時代が進むと、彼女はその中でも一際大きなジオラマに目を見張り、驚愕に肩を震わせた。
そのジオラマは、カサンドラの説明するように古戦場を再現したものだった。その古戦場はジークフリート大陸へと侵攻してきたヒト族と、己の故郷を護るために立ち向かう魔族の軍というものだった。
だが、ハルがカサンドラの解説を青い顔で否定するようにそのジオラマが見せる戦場は、おおよそ戦いというものではなかった。鎧を着込んだ魔族の騎士や兵士達がヒト族の軍へと突撃するその光景は、まるで迫る大津波を徒手だけで止めようとするのと同じことであった。遠距離から放たれる魔法の矢はあっさりと鎧を貫通し、数多くの兵士達の人形は精巧に作られた臓物を撒き散らしながら倒れ、爆裂魔法によって天まで打ち上げられた兵士や騎士はその四肢を四散させながら絶命してゆく状況が、ジオラマで再現されていたのだった。最終的には魔族の軍はヒト族の軍に圧倒的され瓦解してゆき、魔族の兵士達は逃げ惑いながらヒト族の兵士達の魔導武器を前に切り裂かれ倒されていった。
大敗した魔族の戦いのジオラマに驚愕するハルだったが、中でもハルは逃げ惑う魔族兵士を追い立て回し、倒れた兵士を執拗に切り裂くヒト族の兵士という残虐な行為を前にすると、その残虐さに言葉を失った。それでもかつての同胞が被った被害に心を乱さないカサンドラは、解説員として淡々と説明を続けるのだった。
そのヒト族との戦いとおぞましい戦いの別名に、ハルはいよいよ言うべき言葉が解らなくなり、ただジオラマを見つめるのだった。
「ヒト族による、一方的な攻撃…」
「第四次国防戦争までは、ずっとこのような内容が主となりますよ。国防戦争時代は、"ガルツ帝国暗黒時代"ですから」
ようやっと自分達の先祖の戦争という行為を超越した悲惨な行為に自分の肩を抱いて呟くと、ハルはそのジオラマから背を背けると別のジオラマを見ようと彼方此方を見回した。
だが、どのジオラマを見ても帝国各地のヒト族との小さな戦闘において殺される市民や焼かれる街の再現ばかりであり、魔族の自分に対する悪感情の理由を理解すると、口元を抑えて若干の嗚咽を覚えるのだった。
そんなハルを少し気遣いながらもカサンドラは彼女に手振りを加えて更に先に進めようと案内した。カサンドラのその姿は変わらず平静であり、ハルは彼女の歴史家としての姿に驚きつつ自分がヒト族と知られたときのことを考えて顔を曇らせるのだった。
「このジークフリート大陸は、ヒト族のように多くの国家が群雄割拠している訳ではない一つの帝国です。それ故に富が増えればその分、民の生活も向上し生産が上がる。そして、私達魔族は生物として寿命が長く筋組織と体骨格が強靭な生物ですから、富国はすぐに出来ます。それに対して、ヒト族は人種だとか思想とか、宗教で何時までも争っていた。それ故に、人族は疲弊し、自分達で生活を立て直すこともできなくなった」
「だから、私…達の敵であるヒト族の先祖はこの国に攻め入ったと?」
「文献によれば、ヒト族は私達の姿が"ヒトと動物の交わった奇怪な姿をした悪しきもの"として"世界を邪悪から護るため"という建前で攻めて来たようです。まぁ、つまり、私達魔族をヒト族の泥沼化した戦争を終えるためのていの良い敵かつ国家再建の資源と考えていたんでしょうね」
合間合間にガルツ帝国の内政や事件があっても、ハル達の見る展示はヒト族との戦争ばかりであり、彼女が先の展示を覗いてもどこまでも続いていた。ハルの暗い顔に敢えて学術的に解説を加えたカサンドラの言葉で感情的な部分を抑えたハルは、思わず正体を明かしかけつつも更にヒト族との戦争の詳細を尋ねかけた。
誤魔化しが効いたおかげか解説に熱が入っているからか、カサンドラはハルの失言未遂に気付かずにそのまま解説を続けた。その内容は明らかにヒト族の身勝手であり、そのヒト族の末裔であるハルは戦場での蛮行も踏まえていよいよ感情的に耐えられなくなってきたのだった。
「酷い…でも…本当にこんなこと…」
「仮に嘘として、どうしてこのような虚しく悲しい過去をここまで再現して展示するのです?人にとって、過去は忘れてゆくもの。特に辛く苦しいことはとびきり速くね?」
「忘れられない悲しみもありますよ」
「それが解るなら、これが…この展示がどういうものか解るでしょう。忘れられない苦しみがあるから、こうやって語り継いで心から逃がすしか心を癒やす方法はないんですよ」
ヒト族が非道の限りを魔族に行ったという事実やたった一人だけヒト族ということに追い詰められたハルは、その罪悪感から逃れたいという思いから今での展示を全否定するヒト族の行為を疑う一言を呟きかけた。そのハルの言葉を聞き逃さなかったカサンドラは、静かに瞳を閉じて悲しげに、虚しさを残して敢えて尋ね返した。
カサンドラの一言に自身の良心を痛めたハルは、反省するように彼女の言葉に同意した。その言葉は裏表を感じさせず、カサンドラも薄っすらと笑みを浮かべなが展示を見渡しながら満足そうに語るのだった。
「そして、私達には…魔力でしかた?そのような非科学的な力もありませんでした。魔法が使えないという点で、私達は何度も凄惨な被害をもたらされたんです」
最後に付け足されたカサンドラの一言は、解説員でも学者でもない一人の市民としての一言であった。
["ハル…これ以上はお前に毒だぞ?つい最近までポーリアに居たんだ。あの時だって…"
大丈夫、大丈夫だから。
"だったら何でだ?どうしてそんな苦しそうにするんだ?お前、こういう暴力が一番嫌いだろう。何もしてない、“ただ必死に今を生きようとする奴に降りかかる理不尽な暴力“ってのが嫌いだから義勇軍に参加したんだろ"]
カサンドラの無意識に放たれた一言は、ハルの心に深く突き刺さった。カサンドラは戦闘の出来るようには見えず、ハルは幼い日のカサンドラの苦しみを思うと猛烈に悲しみを感じて仕方なかった。
そんなハルにこれまで黙っていた聖剣が彼女を気遣い話しかけた。その言葉はハルの嘗ての嫌な記憶を蘇らせ、彼女は聖剣の言葉を遮るように応じた。だが、ハルの感情を敢えて逆なでするように皮肉を言うと、聖剣は遠回しに彼女の心を気遣って見学を止めようとした。
「だから、見なくちゃいけないんだよ。誰もが忘れて…いや、見ようとしない酷い理不尽を。本当に悪いのが誰なのか…」
だが、聖剣の心遣いに感謝しながらも、ハルは悲惨な歴史を押し付ける展示を見学し続けたのだった。
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