第8幕-11
ミリヤとヴァルッテリの頭上を飛び越えるその黒い影は、親衛隊員に支給されていたロングコートであった。その漆黒のコートの裾をまるで翼のようにはためかせた黒い影は、勢いよく空中を一回転して爪先に膝、左手の3点着地をノーラとジーモンの前にきめたのだった。
「おや、准将。随分とお楽しみだったようですね?《Oh, Brigadegeneral. Hat es dir viel Spaß gemacht?》」
「そんなに叫んではしゃいで。雪がそんなに好きだったんです?《Schrei nicht so viel. Hat dir Schnee so gut gefallen?》」
「黙らっしゃい!ジーモンと言い貴女といい、有象無象を全て私に押し付けておいて。ふざけてらっしゃいまして?《Den Mund halten! Ich heiße Jimon und du, und ich dränge alle Elefanten und Elefanten gegen mich. Spielst du herum?》」
「「いやいや《Nein nein Nein》」」
「その態度が気に喰わないんだ!全く…んっ?《Ich mag diese Einstellung nicht!Überhaupt…Hmm?》」
ノーラ達の前にヒーロー着地をきめ、コートをはためかせる小柄な影は、ガスマスクを付けた彼女達の上官であるヴァレンティーネだった。彼女は輸送機から降下し着地してからひたすらに、目の前に見える敵を突撃と共に軒並み叩き潰していた。
とにかく前に立つエルフの騎士達を袈裟斬りにして心臓を突き、首を叩き落として殴りつけ、ときに素手で敵の腸を引き裂き進むヴァレンティーネは、さながら嵐が何かのように立ちはだかる全てを薙ぎ払っていった。
そのバーサーカーのような行動の理由は、自身が侵攻中のエルフ達へ重大な脅威と判断されることで敵の戦力を集中させ、ホミニオの友軍撤退とユッシ救出を早めるための囮になるというものだった。
その囮作戦のために普段はしない野獣のような戦闘と上げない奇声さえ出したヴァレンティーネに、ジーモンはマスクの下に苦笑を隠して軽口を言い、ノーラは仮面に隠すことなく声音で露骨に彼女を茶化しにいった。
そんな部下2人のこれまでの行動と戦闘経過に、ヴァレンティーネは肩を震わせた腕を振り、子供のように怒ってみせた。その返り血塗れの黒ずくめな見た目に反する行動の前に、ジーモンとノーラは肩をすくませ更に彼女を怒らせた。
その怒りの途中でヴァレンティーネは自分に一直線に向けられる多くの視線を感じ、言葉を濁すと視線の元となる背後を振り返った。
「また…1人増えたか…《Myös…Kasvaiko yks…》」
ノーラ達に歩み寄り話し合うヴァレンティーネの姿は、ミリヤに絶望を与えた。ノーラはミリヤを苦戦させ追い込みつつ10人単位で味方を斬り殺し、ジーモンはヴァルッテリに大怪我をさせてノーラ以上の戦果を出していた。そこに来て、彼女達へ態度を大きくして話しかけるヴァレンティーネの存在は、ミリヤに彼女がノーラ達以上に強いということを叩きつけていた。
愕然とするミリヤの隣で、ヴァレンティーネの姿に山のような火傷が脳を震わせ奥歯を噛み締めたヴァルッテリは、傷の痛みか恐怖によるものか自分でも解らないながらに震える声で呟いた。
「ヴァルッテリ騎士団長、1人なんてものではありません!《Ritari kapteeni Valtteri, tuo nainen ei ole valta!》」
「ヤルッコ、無事…お前、左腕が!《Jarkko, turvallisesti... sinulla on vasen kätesi!》」
「左腕が飛んだくらい無事な方です!あの仮面の女相手に、たった1人にウトリアイネン騎士団の手練が軒並みやられてんですよ!《Hän on tarpeeksi turvassa lentääkseen vasenta käsiään! Utriaisten ritarit ovat kouluttaneet vain yhden henkilön tuota naamioitunutta naispuolista vastustajaa vastaan!》」
そのヴァルッテリが呟くなか、彼の側に1人の騎士が駆け寄ってきた。その騎士は彼同様に白く蒼い線で装飾された鎧を身にまとう騎士であり、兜の面の隙間から覗く顔は彼同様にまだ若い青年であった。
ヤルッコと呼ばれたその騎士は、ヴァルッテリの側で剣を構えると彼の一言へ慌てて言葉を付け足した。そのヤルッコの言葉より、ヴァルッテリは彼の左腕が二の腕付近から切り飛ばされ鎖帷子が風にはためく姿の方に驚きの言葉を漏らした。
だが、まるで腕のことを気にしていないヤルッコは兜の下の翠の瞳で人で自分の左腕を見るヴァルッテリに前を向くよう促すと、早口で彼に捲し立てた。その内容は彼がヴァレンティーネから目を離せない理由であり、早口なヤルッコのその震える声と手にそれを真実と受け取ったヴァルッテリは、彼女が降下してきたときのことを思い出した。
「ヤツは後ろの方に落ちた奴だろ?まさか、ヴィルップがか!《Hän on se, joka jäi jälkeen, eikö? Ei mitenkään, Vilppu!》」
「ヴィルップだけならここまで焦りはしません!タイスト、エイッカ、アキや他のヤツだってアイツに!おかげで逃げ出した奴等が山程出てます《Jos se on vain Vilppu, et ole niin kärsimätön! Taisto, Eicca, Aki ja muut kaverit! Sen ansiosta on paljon ihmisiä, jotka ovat paenneet.》」
そのときのその場を指揮していた騎士のことを思い出して息を荒く浅くしたヴァルッテリの呟きだったが、それもヤルッコの一言で更に被害の大きさが彼に息をすることさえ忘れさせた。
止まった息で辺をそっと見回したヴァルッテリの視界にはまだ戦意がなくなりきらなかった騎士達が100人以上の見えた。だが、彼の知る現状の騎士団戦力と比べれば遥かに少なく、そのことでヴァルッテリは現実から逃げるようにようやく息を止めていたことを思い出し息を吸うのだった。
「馬鹿な…白百合騎士団は!《Tyhmä…Valkoinen lilja ritarit!》」
「爺さん達以外はとっくに逃げ出して、後は解るでしょ!白百合騎士団、ウトリアイネン騎士団共に総崩れです!《Vanhoja miehiä lukuun ottamatta he ovat jo paenneet, ja sinä ymmärrät loput! Sekä Valkoinen lilja ritarit että Utriaisten ritarit ovat romahtaneet!》」
1人呼吸の乱れを直すヴァルッテリの隣でヤルッコの報告を聞いていたミリヤもその報告に驚いた。中でも多くの者が逃げしたという事実は騎士を率いてる者としては驚き以外の何も感じず、彼女は思わず話に飛び入り彼へと自分の騎士団の状態を尋ねた。
それに帰ってきたヤルッコの報告は無情なものであり、騎士団長の側でも未だに心を落ち着かせられず足を揺する彼の姿に彼女は報告を受け入れられずヴァルッテリ同様に辺りを見回した。周辺には確かにまだ騎士が生き残りヴァレンティーネ達に怯えがほとんどながらも微かな戦意と共に剣を向けていた。それでも、その騎士達の中には彼女の白百合騎士団に属していた女騎士達の姿は1人としてなかった。
「たった3人に…5300人が崩壊させられたのか…《Vain 3 ihmistä…5300 ihmistä tuhoutui…》」
「最初の大規模魔術による砲撃もあった。それに、まだ勝てないと決まった訳じゃない。私と貴方の2人なら!《Tapahtui myös ensimmäinen laajamittainen maaginen pommitus. Sitä paitsi, ei ole vielä päätetty, etten voi voittaa. Jos sinä ja minä olemme kaksi!》」
ウトリアイネン騎士団のその総人数と現在の人数の大幅な落差と、ヤルッコからの"総崩れ"という言葉はヴァルッテリから絞り出したような呟きを引き出した。震えるその言葉は敗北を認める諦めの言葉であり、彼の構えていた剣先は、漏れ出す言葉と屈辱を前に地面へ向けて降りていった。
だが、ミリヤはヤルッコの言葉を受けてもまだ折れなかった。彼女の戦闘は最初から老練した騎士達ばかりしか加勢に来ず、端から総崩れに近かった。それ故に、100の位を超えなくても部下たちが残る現状を前に敗北を認めないミリヤは、落ち行くヴァルッテリの剣を己の剣で支えると、目の前に立つヴァレンティーネ達に構えさせた。そのミリヤの行動と檄の前に、ヴァルッテリは心に吹き荒ぶ敗北を振り払いヴァレンティーネ達を睨みつけると再び剣を構えたのだった。
「やる気ですか。なら…」
「行くよ、ジーモン」
「お2人共、止めなさい。私達の任務は終わりでしてよ!《Stoppen Sie beide. Unsere Mission ist beendet!》」
ヴァレンティーネの登場という状態からも意識を立て直しまだ戦いを挑もうとするミリヤ達を前に、ジーモンは軽く肩を回しノーラはその場で軽く跳んで足を解し再び戦う体勢へと移ろうとした。
だが、ジーモンとノーラが啖呵を切って熱光剣の刀身を構えるより先に、ヴァレンティーネは腰に手を当て呆れるて首を折るようにして頭を下げるとヤル気を起こす2人を止めた。そのヴァレンティーネの言葉にジーモンはただ従い熱光剣を腰のクリップにしまったが、ノーラは納得がいかないとばかりに手に握るそれを振りながらも仮面の下の瞳で彼女睨みつけた。
「救出隊がユッシ殿を救出しましてよ。そろそろこっちに飛んでくるとのことです《Das Rettungsteam rettet Jussi. Es wird gesagt, dass es hier bald rüberfliegen wird》」
「でも…あいつは総統を侮辱した!《Aber…sie hat den Führer beleidigt!》」
「だとしてもですのよ。そのうち奴等には天罰が下りましてよ。一旦変えれば、また来れますわ《Sogar so. Schließlich werden sie bestraft. Sobald Sie es geändert haben, können Sie wiederkommen.》」
「だからって、赦せるものか!《Deshalb kann ich dir verzeihen!》」
1人闘争を続けたいと欲するノーラだったが、ヴァレンティーネはそんな彼女へそれまで見せていた彼女個人の態度を止めて親衛隊将校としての毅然といたものを見せた。その出で立ちは対峙する彼女の言葉を理解できないミリヤ達さえ背筋を正そうとするほどであった。
それでもヴァレンティーネに喰ってかかり意見しようとするノーラの怒りと戦意は凄まじく、その腹に湧き立つ怒りの理由を彼女の同意を狙って言い放った。
だが、ヴァレンティーネはノーラの意見に納得するように頷きつつも態度を変えず、地団駄踏む彼女に指揮官としての言葉で応じた。それでもなお納得できないノーラはヴァレンティーネに詰め寄り怒りをぶちまけ彼女へ吠えた。
「復讐心や闘争心、総統への狂信するのは結構。ですけどね、だからって無駄に戦って戦士なんて本末転倒でしてよ。戦うなら勝って生き残るのが本道。履き違えないことでしてよ《Rache, Kampf und Fanatismus gegenüber dem Führer sind in Ordnung. Aber deshalb ist das vergebliche Kämpfen und Kriegersein das Ende der Geschichte. Wenn Sie kämpfen, besteht der Hauptweg darin, zu gewinnen und zu überleben. Versteh es nicht falsch》」
「ノーラさん、ここは勝ち逃げしときましょう。どうせ、戦略的に彼等はボロ負けです。私達は帝国騎士。なら、総統閣下の命の全うこそが最優先です《Nora, lass uns gewinnen und hier weglaufen. Strategisch verlieren sie jedenfalls. Wir sind die kaiserlichen Ritter. Dann hat die Erfüllung des Lebens Seiner Exzellenz höchste Priorität.》」
だが、1人燃え上がるノーラに対してヴァレンティーネはただ冷静に言葉を返した。その彼女の言葉は端々にノーラの意見へ同意するような指揮官になりきれないヴァレンティーネ自身の感情が見え隠れしていた。それでも己を律して部下を止めようとする彼女は冷静に正論をぶつけ、敢えて挑発するように言ってみせた。その言葉に彼女の意図を察してジーモンがノーラをあやすようにして優しく現状を言って聞かせてみせた。
ヴァレンティーネの正論に苛立ったことでジーモンの言葉を素直に受け取ったノーラは辺りを見回した。そこには彼の言うとおり輸送機から見下げたときとは遥かに数を減らし、既に戦えるかどうかさえ怪しい騎士達しかいなかった。
その事実に納得すると同時にヴァレンティーネが自分をあやそうとした意図に気付き、ノーラはただ仮面を付けた顔を俯けた。
「わかった…そうする…《Okay…mach das…》」
納得したノーラにお互いの顔を見たヴァレンティーネとジーモンは、まるで海のような穏やかさと激しさをその内にしまう彼女へただ静かに頷くのだった。
「さぁ…ここからが…」
「これで御開きでしてよ、獣の皆さん」
「なっ、なに?」
ヴァレンティーネ達3人の会話が終わるのを圧倒的に不利という状態ながらも騎士道としての待っていたミリヤは、ようやく自分達に向き合う彼女達3人に威勢の良い啖呵を切って戦いを挑もうとした。
そのミリヤの言葉をヴァレンティーネが再び強くなり始めた吹雪と共に打ち消すと、ミリヤは言葉を失った。それはノーラの下手なブリタニア語になれた故のヴァレンティーネの流暢かつ上級階級訛の強い言葉だけではなく、これから最後の決戦へと挑もうとする自分達を捨て置こうとする彼女の意図によるものだった。
「帰りますわ。だって興冷めですもの。こんなにエルフ連中が"弱い"とは思っていませんでしたから」
「私達が弱いだと!私達の力はここから…」
「これだけ殺されて、今の今まで本気ではなかったと?だとしたら相当な"お馬鹿さん"でしてよ。"クソ"ですわ」
そのヴァレンティーネの意図が理解できなかったミリヤに、彼女は再び語りかけた。その言葉は決して挑発の意図はなくても、下手に強調されたその言い方はミリヤの言葉に怒りを覚えさせた。
その怒りを発露させたミリヤだったが、片手故にふらつく剣先を見たヴァレンティーネはマスクの口元を手の甲で隠すように笑いながら更に侮蔑の言葉を口にした。その言葉は上級階級訛であっても、敢えて口悪い労働階級訛の単語を加えることで侮辱の意味を強くし、ミリヤの強きの言葉を露骨に馬鹿にするものだった。
そのミリヤとヴァレンティーネの言い合いの最中に、体の限界が来たヴァルッテリはその場に膝を付いて剣を落とした。雪原に剣が雪を溶かした蒸気を上げる中、そのまま崩れ落ちそうになる彼をミリヤが左手の剣を捨て砕けた右手を共に彼を受け止めた。
「なっ!また翼竜が来たぞ!《Ei! Pterosaur on täällä taas!》」
「そういうことか、あれで纏めて私達を潰そうと言うのか!《Tarkoitatko sitä vai aiotteko murskata meidät kaikki yhteen!》」
「卑劣な…」
「ほんとにエルフというのはお馬鹿さんですわね」
ヴァルッテリを受け止めいつしか意識がなくなって火傷による負傷から高熱を出している彼に奥歯を噛み締めたミリヤは、辺りの騎士たちが上空を見上げながら叫ぶ声を聞いた。
その声に促され空を見上げるミリヤの目に、吹雪く灰色の空にゆっくりと大きくなる点と風の音の中に反響するローターブレードの爆音が聞こえると、彼女はヴァルッテリを強く抱きしめてヴァレンティーネを睨みつけた。そんな彼女の耳に騎士の誰かが叫ぶ声を聞くと、ミリヤはヴァレンティーネへ吐き捨てるように侮辱の言葉を放った。
それは騎士であるミリヤの本心であり、圧倒的に強いはずのヴァレンティーネ達が戦わず事を終わらせようとするその態度は彼女にとって許せなかったからだった。
しかし、彼女の言葉を受けたヴァレンティーネは、ただ静かに、ミリヤ同様吐き捨てるように言った。
「"帰る"と行ったのです。あれは…"迎えの馬みたいなものですわ"」
「翼竜が馬車だと!」
「高度は15mくらいですか、さっきよりは比較的低いですね」
「イチイチ高跳びはメンドウ」
「貴方達がそういうことを言うから、気遣ってくれているのでしょう!全く…」
ミリヤに説明するヴァレンティーネの言葉は面倒さが全面に出ていた。その感情は敢えて自分達の元へと飛んでくる輸送機を指差す態度にまで現れていた。
自分達を相手にする事への気だるさを全面に出したその言葉にもめげずに立ち向かうミリヤだったが、そんな彼女をまるでどこ吹く風のように話すジーモンとノーラの言葉に、ヴァレンティーネはミリヤに構わず2人に話しかけた。その態度はミリヤを眼中にないと言いたげなものであり、自分達に背を向け輸送機を見るヴァレンティーネ達に彼女は左手拳を震わせた。
「まっ…待てぇ!」
「たっ…退避…退避だ…《Evakuoi…Evakuoi…》」
「ヴァルッテリ、何故!《Valtteri, miksi!》」
「見たところ…こっちは5300がここでの戦闘で2000以上は減ってる。ここで無駄に戦っても…死人が増えるだけだ《Ilmeisesti…tämä on 5300, mutta taistelu täällä on vähentynyt yli 2000. Vaikka taistelisit täällä turhaan…se vain lisää kuolleiden määrää》」
「でも!《Mutta!》」
遥か空から降下してからヴァレンティーネ達の上を通過しようとする輸送機は高速で迫っていた。それどころか、輸送機の高度はミリヤ達が身体強化の魔術を使っても飛び乗れるか怪しい高さであり、それに飛び乗ろうとするのか軽く屈むヴァレンティーネ達に彼女は目を見張った。
そんなミリヤの驚きの最中、辺りの騎士達はヴァレンティーネ達の意図よりも吹雪く空から迫る輸送機に釘付けになっていた。彼らは未だ空から一方的に撃ち下ろされた体験がまざまざと残っており、その恐ろしさ故に、慌てて伏せる者がほとんどだった。
その部下達の状態にさえ気づけないミリヤが輸送機へと飛び上がろうとするヴァレンティーネ達に叫ぶと、腕の中で意識を失っていたヴァルッテリが目を覚まして虚ろに呟いた。その言葉に敵の勝ち逃げに冷静さを失うミリヤが叫ぶも、意識を失うかの狭間にいるヴァルッテリはローターブレードの音と部下達の怯える声しか聞こえず、それ故に虚ろな彼は指揮官としての判断で彼女に語りかけるのだった。
「安心しなさいな、お嬢さん。どうせ、貴女がエルフである限り、私達は貴女達を絶滅させに来ますから」
「絶…滅?」
「そう。では、また」
ヴァルッテリの言葉に騎士や個人の意地と部隊を指揮する者としての判断がせめぎ合い意味なく叫んだミリヤに、ヴァレンティーネは含みを持たせて呟いた。肩越しに自分を見て言うヴァレンティーネの言葉は楽しげであり、ミリヤは彼女のガスマスクの下に笑みが見えた。
敵を前にして笑っていると思えるヴァレンティーネの姿に、ミリヤはただ彼女の言葉を繰り返した。
その傍線とする姿に満足したヴァレンティーネは、ミリヤの言葉に深く頷いてみせ、別れの言葉とともに上空を擦過しようとする輸送機へ飛び上がった。その跳躍は軽く飛び上がろうとする体勢からは理解できない高さであり、前面を向く輸送機のローターブレードを上手く避けたヴァレンティーネは吸い込まれるように開いた側面扉の中へ飛び込んだのだった。
「あんた、まだ…!」
「違う、オマエに一言イイタイ」
ヴァレンティーネに続いてジーモンも跳躍したが、ノーラは未だ地面に立ちミリヤの元へと振り返った。彼女の元へと歩みだすノーラは熱光剣も持たず、明らかに戦意はないように見えた。
それでもまだ何か暗器を隠し持っていると警戒しつつ吠えるミリヤは、ノーラかわ上官の命令を無視してまで自分達に挑もうとするのだと思い闘志を見せようと吠えてみせた。
だが、ミリヤの思惑とは異なり、ノーラは静かに呟くと歩みを止めず彼女へと近寄った。
「何なの?」
「オマエは…」
腕の中で苦しむヴァルッテリを雪原に横たえたミリヤは、歩み寄るノーラの負けぬように力強い足取りで彼女の元ヘ歩みを進めた。その最中に敢えてノーラへと尋ねかけたミリヤの言葉に、彼女は静かに呟いた。
「私が殺す」
面と向かい合いお互いの胸元がぶつかるほどに近寄ったミリヤに、ノーラは彼女の右の耳元へと仮面の口元を近づけた。彼女の耳元に聞こえたその声は仮面によってくぐもってはいなかった。それ故に、思わず顔を少しだけ右に向けたミリヤの視界には、左手で仮面を僅かにずらすノーラの顔が見えた。そのノーラの顔は、ミリヤが思っていた以上に若く、彼女に歳の離れを感じさせなかった。さらに、そのヒト族離れした肌と眼力だけで自分を射殺そうとするノーラの赤い瞳に、ミリヤは彼女がヒト族なのかさえ怪しく思えた。
相手がどこの国の何者かも解らないどころか、種族さえわからなくなったミリヤの心にはえも言われぬ感情が渦を巻いた。
「オマエじゃない!私は…ミリヤ・アンティア・ウーシパイッカだ!」
だからこそ、ミリヤには意地を張ってオマエ呼ばわりを訂正するしかできなかった。その表情はミリヤなりの騎士としての意地があり、その言葉には彼女なりの覚悟があった。
「ノーラ・オルロープ…その名前、二度と忘れない…」
ミリヤの自分をいつの日か打倒するという意地を見せた言葉に、ノーラは仮面の隙間に笑みを浮かべた。その笑みは不気味ながらも彼女の幼い妖艶な顔つきから、ミリヤに美しさを感じさせた。まるで"殺せるものなら殺してみせろ"と言いたげな笑みは挑発的であり、ノーラの殺気による怯えと彼女を打倒したいという己の意地、騎士としての怒りや様々な感情が混ざり合うミリヤの混乱した心は、彼女をノーラの笑みから目を離させなかった。
そんなミリヤの耳元で吐息混じりに名乗るノーラは満面の笑みと共に仮面を戻した。
そして、ノーラはまるで吹雪の中に突き抜ける一筋の突風の如く駆け抜けると、自分達の上空を飛び去らんとする輸送機の元へと走り抜けた。その疾走は周りにいた騎士達の隙間を縫うように駆けていたが、減速は疎かむしろ加速していった。
最後にはまるで走り幅跳びのように跳躍したノーラは、曇天の中を上昇しようとする輸送機の後部ハッチの中へ飛び込み、機体は一気に吹雪の中を飛び去っていった。
「ノーラ…貴女は…私が…殺す…」
ローターブレードの残響が吹雪の音に掻き消され、灰色の空に輸送機が消えてなくなるまでミリヤは空を見続けた。
赤く上気した右頬を撫でながら、ミリヤはただ空を見上げて静かに呟いた。




