第8幕-9
降りしきる雪が少しばかり晴れ始めた雪原で、ノーラとミリヤは未だに剣戟を繰り広げていた。
ノーラとミリヤは1対1で戦っている訳ではなかったが、剣戟の最中に放たれたミリヤの大魔術がノーラによって弾き返され加勢に入った騎士達が焼き払われたことにより、2人の勝負に割って入ろうとする者はほとんど居なかった。
その結果、ノーラとミリヤは逃げるでも援護する訳でもないエルフの騎士達に囲まれて戦い続けた。
「このっ、この!このぉ!当たれよ!」
だが、雪を巻き上げる2人の間で剣を振るうのはミリヤばかりであった。それを表すかのように、ノーラに至っては左手を纏っている軍服のポケットに突っ込み、右手の熱光剣は刀身である赤いビームも出してはいなかった。
そして、戦闘する意志のないかのようなノーラに、上段下段右左、片手両手と関係なしに何度も大振りで剣を振るうミリヤの剣技は、まるで剣が自ら避けるているかのように当たらなかった。
ノーラの持つ細長い剣はエストックのよう刺突へも向いた形をしていた。そのため、ミリヤは剣を振るわず刺突でノーラを捉えようとするも、やはり彼女の攻撃は当たらず、彼女は思わず肩で息をしつつ悪態をついた。
刺突によって後へ反るように剣を避けていたノーラがその悪態によって後へ飛んで距離を取った着地の瞬間、ミリヤは彼女へ剣の先端へと魔力を集めた。その魔力によって一瞬だけ刀身に青緑の光が斑に輝くと、剣の先端からまるで矢のような形の魔力が1本ノーラの元に素早く放たれた。
その魔術の矢はミリヤが思わず頬を上げるほどに必中の勢いと狙いであり、彼女は風の魔術を僅かに纏うその矢がノーラの胸元を抉り取り倒れる姿が一瞬で想像できる程だった。
「ふっ…アマイ…」
しかし、ミリヤの想像は想像のままとなりミリヤには当たらなかった。彼女は着地の瞬間に新体操の技のように足を前後に開いて深く着地をして矢の直撃を避けたのだった。
まるでミリヤが魔術を放つことを知っていたかのように一言呟いて避けるノーラは、その後の追撃さえも避けるように足を閉じてすぐ立ち上がると、足を伸ばし空中で一回転しながらさらに後ろへ飛んだ。
だが、ノーラが着地して熱光剣のヒルトをミリヤに向ける頃には、大きく肩で息をする彼女は両腕を下げ、両手で握る剣は僅かに震えていた。
「なんで…無詠唱の"魔術の矢"だって…これだけ早く撃てるの…私…だけ…」
「ツカレたの?なら、ラクにしてあげる」
何時まで経ってもノーラに技の1つも当てられないミリヤは、彼女に自身の剣裁きや魔術の威力を観察されているように感じ、僅かに左足を後ろに下げるとその肩をこわばらせた。
その肩のこわばりと同時に剣先が大きく震えたのに驚くと、ミリヤは自身の心の乱れを感じた。その自覚は彼女の自尊心を大きく傷つけ、ミリヤはノーラとの戦いでいつの間にか溜まっていた筋疲労で震え出した己の拳を見て呟いたのだった。
そんなミリヤの行動に、ノーラは仮面を被った顔を斜めらせて呟いた。そのカタコトなブリタニア語はミリヤに仮面の下の顔に余裕の笑顔を思わせ、不気味に光る仮面が迫まり、彼女は猛烈な殺気を前に肩を震わせた。
「姫様!」
「姫様を…」
「護れぇ!」
「我らエルフの意地を見せろ!」
「止せ!他の奴らの様を見てるでょ!」
ミリヤがノーラの一閃で首を飛ばされることを覚悟したその時、周りで戦いの行く末を見ていただけだったエルフの騎士達はノーラの前に立ちはだかった。その中の1人に至ってはミリヤの鎧の襟首を掴んで絶命の瞬間に震え固まった彼女を後ろに投げ飛ばしさえもした。
自分の死を防がんと自分の前に立つ男達を前にしたミリヤは、雪原に深々と体の跡を付けながらもすぐに立ち上がり彼等を止めようとした。
しかし、エルフの騎士達の瞳は揺るぎなく、ミリヤの叫びのような制止さえ振り切ってノーラへと突撃をした。
「いちいちウルサイ」
だが、女であり自分達より若いミリヤを生かしたいという騎士達の意地を前にしたノーラは、彼等の意思など解せずに突撃をもって反応した。
エルフの騎士達と同様に突撃をするノーラだったが、その突撃は鎧で武装する彼等と比較しても圧倒的に早かった。帝国騎士として強化されたその肉体だけでなく、確実に雪の積もり方が浅い箇所を踏んで駆け抜ける彼女よ速度は圧倒的であり、騎士達が反応するより遥か先に彼女の深紅に灼熱する刀身が男達の首を焼き切った。
「戦場でサケンデイイノハ撃たれたヤツだけ」
雪原の中に無数の紅い閃光が何度も輝き、その残光がミリヤ達の目に焼き付く度に彼女を護ろうとした男達の首が中を舞った。それが地面に落ちて無機質な兜の金属音と雪の鳴る音が響いたときには、ミリヤの前に立っていたはずの騎士達は誰もいなかった。
魔術を放つ空きもなく徒党を組む騎士達が倒されるその光景は、ミリヤにも加勢せず足を止めていた騎士達にも、練度以上の埋められない何かを感じさせた。
その理解できない感覚は目の前のノーラに不気味さ以上の悍ましさを与え、飛んだ首と持主の体の断面から放たれる焼け焦げた蒸気がゆっくりとその身を起こす彼女を幽鬼のように映した。
「みっ…皆…」
「だっ…駄目だ…」
「勝てる訳ない…」
ノーラが仮面の瞳を光らせて呟くと一言は異様な圧力があり、彼女と死体の山を挟んで尻餅をつくミリヤは頬を伝う生暖かい感覚に手を触れた。それはミリヤの手袋を濡らし、ようやく彼女は自分が恐怖に泣いていることに気が付いた。
そのミリヤの恐怖は一瞬で立とうとしていた足腰から力を奪い、彼女は止まらず頬へと一線涙をながしながら周りで立つ騎士達へと視線を向けた。その視線の先の騎士達は、軒並みミリヤではなく彼女に迫ろうとするノーラへしか視線が向いていなかった。
まだ若い者が多かった周りの騎士達は一様に口から気弱な言葉を紡ぎ、震える手足は雪原の雪を鈍く鳴らしていた。その音の中に雪を蹴り遠ざかる音が聞こえだすと、弱音を吐いていた多くの騎士達は遂に踵を返してとにかくその場から離れようと逃げ出していった。
「このぉ…化け物めぇ!」
「化け物、チガウ」
「だったら…」
遂に味方からも見捨てられたミリヤは、闘魂のない騎士達への怒りとそのような情けない状態へと自分達を追いやった目の前のノーラへの憎しみで力の抜けた足腰を無理矢理立たせた。その肉体を凌駕した精神力は凄まじくも、まだ足は生まれたての子鹿のように震える、震える手は剣に小さな金属音を細かく出させた。
自分もノーラに対して敗北感を覚え始めたことを見せつける自分の体に左拳から血が滲むほど握りしめたミリヤは、自身に喝を入れるように叫ぶとミリヤへとがむしゃらに駆け出した。
「何なんだぁ!」
最早ヤケクソに見えるミリヤの雄叫びと突撃を前に、ノーラは肩を落として頭を抱えて振った。その動作に一瞬の空きを見たミリヤは空かさず残った魔力を腕に通して剣に纏わせた。距離を置いた魔術攻撃が当たらないと理解したミリヤは、その流れを油に見立て、剣を振り上げる動作を着火点とした。すると、彼女の魔力はいつしか燃え盛る炎となって具現化した。
無詠唱によって発現した火炎魔術をもって無策の突撃と油断したノーラへ一気に畳み掛ける戦法を取ろうとしたミリヤは、明らかに回避をしようとせず今更仮面の顔を上げた彼女に必中を予見した。その確信はミリヤに笑みを浮かばせ、駆け抜けるその足に力を与え、燃え盛る炎をさらに強くさせた。
火の粉が辺に撒き散らされ自身の魔力の炎の強さに頬や髪が熱さえまとうミリヤは、目と鼻の先まで迫ったノーラを袈裟斬りにせんと振り上げた剣を一気に振り下ろした。
「うわっ!」
ミリヤの渾身の一撃はノーラの被る仮面の数cm先まで迫った。
しかし、ノーラに刃が当たる瞬間を見ようとして彼女を注視していたミリヤには、ノーラが予備動作なく振り上げた右足も腹部に迫る足裏には対処できなかった。それでも無理矢理に刃をぶつけようと振り下ろすミリヤの剣も、足裏を避けるような動作を取ってしまったために若干ノーラが首を反らすだけで激しく宙を切り裂き、余波の炎は軽く彼女の仮面を焼いたが、積もっていた雪原に大地の色を見せさせるだけに終わった。
必中だったはずの剣は外れ、保険でつけた魔術さえも空振りとなったミリヤはノーラの蹴りに体勢さえも崩され、雪が溶けて湿る地面に呆気なく声を上げてうつ伏せに倒れ込んだ。鎧は土によって汚れ、顔から突っ込んだミリヤの頬や額、髪は土塗れとなっていた。
「ワタシ、貴方のオトモダチ。だってジャレテアソンデル」
「だから化け物なんだよ!」
土に塗れるという騎士としても女としてもみっともない状態に、死と隣り合わせの戦場の中でありながらミリヤは顔を真っ赤にした。握り締める拳には濡れた土の感触があり、それを感じるたびにミリヤの拳だけではなく肩さえも震えた。
そんな倒れるミリヤへと声をかけるノーラは、彼女を見下げていた。腰に手を当て首を鳴らしながら腰を折って自分を顎で指すノーラの姿は余裕そのものであり、若干焦げた仮面さえもまるで悪戯を楽しむ子供のように肩を震わせて笑うのだった。
ノーラの態度はミリヤの屈辱感を逆撫ですると、彼女は魔力も体力も少ないながらに手の近くに落ちていた剣を再び取ると、振り返りざまにその剣を振った。横一線に振られた剣は遠心力がかかり、当たれば人体など軽く切断できるものであった。
「しまっ…ぐぁっ!」
しかし、ミリヤの剣に対してノーラは再び蹴りによって応じた。その爪先は見事に剣の柄を握るミリヤの手へと直撃し、彼女の人指や中指の骨を砕きながら遥か剣を吹き飛ばした。
手袋や手の甲に付けられた装甲によって指が千切れることが防げたとしても、激痛が彼女の指を駆け上がりミリヤの脳を揺さぶった。
衝撃は彼女の口から一瞬のうめき声を生み、あらぬ方向や逆関節に曲がった右指を左手で抱えながら蹲るだけだった。
「何故…どうして、こんなに…」
「アラ、もう限界?随分ト根性ナイノネ」
「なん…だと…?」
「話にキイテタ魔術も派手なだけでソンナだし、オマケに剣も無駄な振り方ばかりデイマイチだし。アナタ、中途半端ネ」
小指さえ折れていたミリヤは、自分の背中から遠く地面に突き刺さる自分の剣と砕けた右手を交互に見ながら呟いた。震えるその手には大粒の涙が溢れ、手の甲に落ちるたびにミリヤの屈辱と敗北感は彼女の体を震わせた。その震えが強くなるたび、ミリヤの嗚咽は心の奥底に居たはずの弱音の手を取り、彼女の口から蹴落とした。
目の前に座る鎧を纏っただけの少女に、ノーラはただ軽く肩を落として呟くと、手に持っていた熱光剣のヒルトの先を地面に向けた。これまで一度も水平より下の角度に向けていたなかった剣の刀身発生部は彼女の退屈を露骨に示した。
そして、ノーラのミリヤの心へ刺すような不満の言葉は肩を震わせる彼女を一瞬だけ騎士に戻した。その反応した肩にミリヤ同様肩を震わせるノーラは、彼女の喉元へ噛みつかんとばかりに挑発の言葉を続けた。その口調は愉悦であり、まるで嘲笑するようにミリヤを指す指先は笑いに震えていた。
「言ったなぁ!」
「おぉ、オコッタおこった!そうだ、オコレ!」
「お前のその首は、私が貰う!父上に…皆に見せつけてやるんだ!」
ミリヤの脳に、痛みを超える怒りが駆け抜けた。その時には既に彼女は痛む右手を放り捨て、その手を斧か鎚かの如く振りかざしノーラを殴り倒さんと迫った。
ノーラは笑った。目の前の敵が、己には絶対に勝てないと解る弱い敵が涙を流し、痛みに体を震わせながらも自分を倒さんとするその姿に彼女は楽しく笑った。己へと叫ばれる恨みの言葉はノーラには歌のようであり、2人は歌劇の中で踊る歌姫だった。
「でもね」
「うぉ!ぐぇあ!」
「オクチだけならナンダって言えるんダヨ、獣が」
その歌もノーラの一声で止まり、ミリヤは蹴られた頬を赤く染め、口の端から血を吹き出して再び土に塗れた。闘魂溢れる一撃も一瞬の反撃に終わり、倒れるミリヤへノーラは嘲笑して吐き捨てた。
わざわざ腰を折りしゃがむことなく上から罵声を飛ばされる状況はもうミリヤの砕けきったプライドには何ら響かず、目の前のノーラに一発殴り込みたい一身の彼女はまともに嘲笑も聞かずに立ち上がった。
その姿は闘争心によって突き動かされるようであり、ノーラの言うような獣のそれであった。吐き出す血も砕けた手さえも気にしないミリヤは怒りそのものであり、頬を内出血で赤くしてもまだエルフとしての美しさを残して居たはずの彼女は、もうエルフでも女騎士でもなかった。
「どの口が言うんだ!ヒト族如きが私達エルフに楯突くなど…ゔぁえ!」
どれだけ振るっても、ミリヤの拳はノーラに届かなかった。左腕から振っても、砕けた右拳を振り下ろしても、足裏から蹴りつけても足の甲で回し蹴っても全て既のところで避けられる。
届きそうで届かないところに何時までもいるノーラの上下する肩はミリヤの怒りを更に加速させた。
その怒りからなんの考えもなく出た一言は、ミリヤの首に猛烈な衝撃と圧迫感を与え、彼女を黙らせた。
「あんな獣と一緒にするな!三枚下ろしにするぞ?」
「騎士を愚弄して…倒れた者を足蹴にして…武人として恥はないのか!」
「ジャクシャを嬲ってツヨイモノ気取りするオマエラよりは遥かにスウコウ」
ミリヤを締め上げるノーラの声は少しも笑っていなかった。その声はミリヤの湧き上がる怒りと異なり、まるで静かに軋むかのようだった。その軋みはミリヤの細い首さえも軋み上がらせ、ノーラの細い指は糸のように彼女の白い肌を締め上げた。
それでもなお、ミリヤの言葉は止まらなかった。その言葉は騎士でも武人でも、ましてエルフの姫でもなんでもないただの喚きであった。だからこそ、理論も道理も何もなく、脈絡もなくミリヤはノーラに噛みつくのである。
その喚きに苛立つノーラも反論すると、2人はただの子供のように言い合うのであった。
「ふんっ!お前らみたいなクズを指揮する奴は、相当な恥知らずなんだろうな!」
だが、ミリヤと違いノーラには思想があった。それ故に、ミリヤが触れてはならない一言に触れ、ノーラは子供ではなく親衛隊へと猛烈な勢いで連れ戻された。
「ぶっ…がっ!」
「言ってはいけないことを言った…お前は…言ったな…」
「ぐぅっ…やめ!止めろ!ぶぉ!」
ノーラに湧き上がり始めた怒りは彼女に拳を振り上げさせ、体力や筋力的に劣るミリヤは抵抗の余地はなかった。頬を殴られ顔を殴られるたびに声を上げミリヤへ、ノーラはただ経を読むように呟き拳を振り上げた。
もうノーラの耳にはミリヤの声は届くことがなく、ただ仮面の奥から漏れ出してくる薄暗い怨念はミリヤを再び恐怖させた。それはただ心のままに戦っていたミリヤに異様な不快感を与えると、止まった拳から彼女は目が離せなかった。
「総統閣下は…ジーモンに平穏をくれた。侵略で家族を…奥さんと子供を殺された彼に…私に自由をくれた。殺すことしか知らなかった私に!」
「侵…略…だと?」
ノーラの怨念は言葉にも流れた。その口調は穏やかな波のようであった。
だが、その波のような怨念はどこまでも深い自分が感じたことのない異質なものとミリヤに思わせた。
それ故に、ミリヤは殴られ腫れ上がり痛む顔に耐えてノーラへと聞き返した。
「シラナイふり?ムカつくな、これだからケダモノは!」
「ぶふっ…がぁっ!もう、止めっ…痛い…イヤっ!」
「モット泣け!叫べ、サケベヨ!イタガレ!」
だが、ミリヤの聞き方はノーラの怒りに火をつけた。ミリヤの思惑とは異なる受け取り方をしたノーラは殴り疲れた拳を激しく鳴らしながら叫ぶと、潰れたカエルのような声を出すミリヤへ拳を振るい続けた。瞼は切れ鼻血が止まらず、歯茎からも血を出すミリヤは必死に腕を盾にしてノーラの拳から自分の顔を護ろうとした。
その腕さえも殴られる痛みに悲鳴を上げ始めると、遂にミリヤは悲鳴を上げた。その声が響くほどノーラはただ拳を振り下ろした。
「親衛隊は、閣下のノゾミを実現するタメニ存在する。オマエのようなヤツは…」
「よっ…止せぇ!」
「消えろぉお!」
だが、ミリヤの抵抗がなくなったことで拳を振るうのをやめたノーラは、ただ静かに熱光剣の真紅に燃え上がる刀身をヒルトから引き出した。その燃える刃と反するようなノーラの冷たい言葉は、ミリヤの中で熱膨張を起こし、2人は絶叫した。




