第四幕-1
カイム達3人は早朝に研究所を出たお陰で10時過ぎにはスラム貧民層にたどり着いた。
カイムに時間が判るのは、餞別としてマヌエラから腕時計を貰ったからである。腕に着けるにはかなりの大きさであり、スチームパンクが漂うデザインのアナログ時計であった。
その腕時計から顔を上げて登り始めた朝日を見たカイムは、昨日の研究所での出来事を遠い昔の事のように思えた。
青空を見上げるカイムは、ふと首筋に冷たい視線を感じ振り返った。その先には、ブリギッテがいわゆるジト目で彼を見つめていた。
「別に協力する気はありません。貴方達に任せておくと危険だからこそ、私という監視が必要なんです。私は抑止力です」
「おっ、おう…そうか…」
振り返ったカイムと視線が合うと、ブリギッテは少し軽蔑を含んで言った。そんな彼女に、カイムは困惑すると何も考えずに返事をした。
そのような意味の無いようで有る会話をしていると、通りの前方に小さな人だかりが出来ていた。集まっているのはもちろんスラム貧民層であり、服を着ているのかどうか怪しい集団であった。
数十人の人だかりはオーガから獣人、悪魔からよく解らない種族が集まっており、見た目の歳はカイムの予想でも高くて24で低くて13といった所であった。何より半数以上か少女が集まっているという状態であった。男も小柄が多く、背が高くてもかなり痩せていた。
「いっ、一体何が?」
「暴動ですか?ここは騎士として仲裁を…」
「ブリギッテ、バカ言うな!数の差は技量じゃ埋まらんよ!ここは逃げに徹する!」
スラム等の治安の悪い場所での集団程危険な物はない。集団心理によってどこまでも暴走するからである。その事を理解していたカイムは動揺するアマデウスや腰の剣に手を掛けるブリギッテを制止して、危険を避けるように他の道を探そうとした。
「閣下~!」
そんな時に、カイムは集団の中から聞き覚えのある声を耳にした。すると集団の中央が割れ、1人の小柄なぼろ布を纏った少女が走ってきた。
だが、カイムはその姿には見覚えが無かった。
カイムは少女の歳が19から20くらいに見えたが、青い瞳と病的と言えるほど白い肌にプラチナブロンド、その両側頭部には羊のような角を生やしている事から予想に自身がなかった。更に少女はぼろ布で体つきまでは解らなかったが、走る速度の遅さからかなり痩せていると考えられた。
少女は危機感を覚えて焦るカイムの前まで走ると、息も絶え絶えになりながら言った。
「ほんっ、本当に、もっ、戻って…」
「ちょっと君、とりあえず息を整えて」
対応に困るカイムの言葉に、少女はゆっくりと息を整え始めた。頬を上記させた少女を横目に、カイムはブリギッテと戸惑うアマデウスに尋ねた。
「2人とも…彼女は知り合い?」
「僕は知らないけど…」
「2人とも何で覚えて無いんですか?あの子ですよ!昨日の身売りしてきた子ですよ」
困惑するカイムとアマデウスの言葉に、目を丸くし呆れたブリギッテは2人の襟首を掴んで引っ張ると小声で訴えた。
「あぁ、昨日の、えぇっとギラちゃんだっけ?」
「待ってたんですよ。来ないかも知れないって思ったけど、待ってたんです…良かったよ。これで…私…」
ギラと名付けられた少女の訴えに、カイムは昨日のスラムで起きた問答を思い出した。その時は頭までぼろ布を被っていたため解らなかったが、彼女の声や態度から記憶を呼び覚ますと納得したように頷いた。
ギラはカイムの言葉を受け涙目になると、安堵の混ざる震えた声で言った。それを目の前にしたカイムは一旦安堵すると、彼女より自分達を遠目から見ている集団の方が気になった。
「あの、君さ…」
「ギラって呼んで下さい!そういえば私、閣下の名前を聞いていなかったです」
「それもそうだが…まぁいいか、私はカイム・リヒトホーフェンだ。この国の皇女の勇者だよ」
「勇者…やっぱり凄い人なんですね!」
事情を尋ねようとしたカイムは、興奮気味のギラに脱力感を感じながらカイムは説明した。彼は彼女の熱のある言葉に気恥ずかしさを感じると、片手で顔を撫でると天を仰いだ。
「私の事はいいんだ別に。あの集団は一体…?」
「あの人達は…昨日の私達を見てた人達。私の知り合いは居ないですけど。便乗したいみたいです」
軽く息を吸って自身に喝を入れると、カイムはギラに尋ねながら集団に指を指した彼の指差す方を見た。その方向を見た彼女は、カイムとの会話と比べ明らかに冷たい口調で答えた。
「あの人達も巻き込むんですか?」
カイムの後ろでブリギッテが冷たい口調で言った。その声には露骨に解る程の不満が混ざっていた。だがカイムがブリギッテの方へ振り向いている間に、その敵意を理解したギラは彼女へ眉をひそめた。
そのままギラはブリギッテに視線を向けると、視線を受けたブリギッテはうっすら顔を青くして後ろに一歩退いた。
その動きにカイムと集団を見つめていたアマデウスもギラを見たが、彼女は何でも無いと主張する様にカイムへ微笑みかけた。
「おい、ギラ…」
「それで、私は何をすれば良いんですか?」
笑みを浮かべ続けるギラは、ブリギッテの行動に困惑するカイムを受け流す様に城へ目線を向けると彼に尋ねた。
「そうだな…とにかく一旦、城に戻るか」
「良いのかい?あれだけの人数いたら…」
「こっちは指導出来るのは私1人だ。少なくとも志願者がいるのは良い事だが、流石に管理しきれん」
短い時間で無駄に疲労感を感じたカイムの発言に、アマデウスは驚きながら尋ねた。その言葉にカイムは、これからの予定には確かに彼らスラム貧民が必要だが、大人数の指導管理に自信がなく首を横に振るしかなかった。
「とりあえず付いてきてくれ」
「はい!カイム様!」
カイムはギラの背中を軽く押し彼女に進むよう促すと、アマデウスやブリギッテに城へ進むよう手を振った。
たが、1行が人だかりを後にしようとした時、その中の1人がカイムに声をかけた。
「あっ、あの!」
「うっ…なっ、何だ男か、焦った…」
声を聞いて振り返ったカイムは呼び止めた声の主を見た。声の主は少年であり体は小柄で痩せ細っている14程の犬系獣人だった。顔つきだけなら少女と見間違う程でカイムも言葉を失いかけたが、胸を隠さない所から男と解ると深く安堵した。
「ぼっ、僕は、その、男ですけど…」
「貴族様、よろしければ私も働かせて下さい」
「貴族様、お願いいたします!」
意を決した少年がカイムへ身売りを始めると、彼に続いて周辺の少女達が更に集まり身売りを始めた。それを受けるカイムは、帝国の貧困の度合いの酷さは理解した。だが、貧困に苦しむとはいえ自身の権利全てを放棄するに等しい身売り行う少年少女達の精神が理解できなかった。
「何だ貴族ってのは男だろうと見境なしか!とんだ変態だな!」
「奴隷相手じゃなきゃ、ヤれないってか」
「余程、自信が無いんだろ!」
自分の元に集まる身売りの若者達に困り果てるカイムは、その人だかりの向こうから野次が投げられた。その野次により、カイム達3人は身売りの人だかりの向こう側にいつの間にかガラの悪い見た目をした集団が集まっている事に気が付いた。
野次を飛ばしたチンピラと思われる8人程の男達は、羊のような角を生やしている事から、この集団は悪魔族とわかった。
「貴族さんよ、そのへなちょこは俺らのなんだぜ。勝手に持ってかれちゃ困るぜ」
別な男が少年に指を指しながら言った。3人は、少年がこの悪魔集団の使いっ走りであることがわかった。
「何だあんた。ホントに男も行けるってか!だったら俺も養ってくれや!」
「下衆が。魔族の恥め」
近寄ってくるチンピラ達を前に、カイムは少年を庇うように前へ出た。それを見て下衆いた笑いを響かせた集団に、流石のブリギッテも怒りを覚え剣を引き抜きかけた。
だが、最初に集団を侮蔑したのは彼等ではなくギラであった。突然の彼女の発言に、一瞬場は静まり返ったが悪魔の集団は顔を赤くしながら喚き始めた。
「売女のくせに何だとてめぇ!」
「売女じゃない!買ってくれとは言ったけど…身を捧げるといって欲しいな!」
「何が違うってんだよ、同じだろが!」
「お前達の様な連中には解るまい!」
チンピラの言葉に、ギラは1部分だけ小声であったが空かさず反論した。ギラと口論をしながらチンピラ集団が迫ってくると、ブリギッテが剣を引き抜き構えようとした。
だが、ブリギッテより先にカイムはチンピラ達の前に出ようとした。これは彼が少なくともこの国ではかなり強靭で在ることがわかっていたからこそできた行為である。
それと同時に1人の男がギラの肩を掴んだ。だが、瞬く間に男が宙を舞うと、土煙を上げて地面に背中を叩き付けた。小柄な細腕でやってのけたとは考えにくい事だったが、男を宙へ背負投げたのはギラであった。
「いっ…てぇ…」
「おいおい、嘘だろ?」
「なっ、舐めるなよ…わたっ、私はただの…雑魚じゃ…ない」
チンピラ達も驚く程であったが、ギラも体力的に辛かったのかかなり息を荒くしていた。
体格差のある男を見事に投げたギラにカイムは驚愕しつつ、"彼女が居ればこの人数を受け入れても何とかなる"という気がした。
「こんの、ガキっ!」
仲間が投げ飛ばされた事で、チンピラ集団が怒りの表情で一斉に飛び掛かって来た。だが、カイムからすれば"軽い拳の空撃ち"1つで、チンピラ達は道の端まで吹き飛ばされた。
人数差をものともしない魔人の力を前に、身売りの集団から歓声が上がるとカイムは複雑な表情を浮かべながら片手で歓声を制止した。
「わかった、わかったよ。集団人身売買には驚いたがな」
あまり明るくない声音だが、カイムは獣人の少年や身売りの人だかりに声をかけた。
「少年、君はどうして私にその身を売ろうとした?もしかしたら暴力の捌け口にされるかも知れないぞ。命を奪うとか…」
「カイム閣下はそんな事する方じゃありません!」
「すまんギラ、少し静かにしてて」
獣人の少年に語りかけたカイムだったが、唐突にギラが割り込んできたためにペースが少し崩れた。彼は彼女へ静かに呟くと、ギラはただ静かに何度も頷いた。
「それは…その…」
「ギラ…そこの少女の様にこれと言った根拠は無いと。そういうことかね。君達もそうかい?」
カイムの問いかけに言い淀む少年へ畳み掛けるように、彼は少し強めに言った。少年同様に後ろにいた集団も何か発言する者は居なかった。
「おい!無視してんじゃねぇ!」
身売りの者達へ問いかけるカイムに、チンピラ集団から怒りの声が出たが彼は最早眼中に無かった。
「君達は力が無い弱者だ。頼るべき者も居ない孤独な弱者だ。故に彼女、ギラが自身を引き換えに頼ろうとした私に何かしらの希望を感じた訳だ」
そこまで言うと、カイムは獣人の少年の肩に手を置き言った。
「なら良いだろう。君たちに頼られよう、救ってあげよう。私が君達の命を保証しよう。ただし、対価は勿論要求する。君達の全てだ」
カイムは数回頷くと、片手で少年を含めた身売りの集団を指差した。
「君達の全てを差し出せ。全てを捨てて私に従え。従うならば、君達に生きる価値を与えよう。存在する意味を与えよう。もう二度と、こんなごみ溜めに戻れない価値観を与えよう」
カイムに指を差された事で身を竦めた少年少女に、彼は拳を握り天へ掲げながら力強く声を上げた。
「拒むなら構わない。悩むなら城までの間考えれば良い。城で去っても構わない。だが私の元に、私と共に歩めば、私は君達に生きる希望と誇りを与える。私が言えるのはこれまでだ。後は好きにすると良い」
「カイム…まだ先行きあやふやな所有るのに良いのかい?」
力強く語るカイムにアマデウスは小声で尋ねた。その疑問に目を細め眉間にシワを寄せる彼は、唸るように息を吐くと自分を見つめるギラの頭に手をのせた。
「成るように成る…しか言えない。正直勢いで言っちゃった…」
「貧する民を…」
ギラと少年の背を押し歩かせながらカイムは後ろのアマデウスに真顔かつ頼りない小声で言い、そんな彼に付いて行こうとする少年少女を見つめてブリギッテは嘆いた。
「てめぇ、勝手にペラペラしゃべりやがって…!しかも逃げんのか!」
「地べたに座り込んで逃げるのかって…流石に恥ずかしく無いのか?」
騒ぐチンピラの負け惜しみにノリと勢い半分で事を進めてしまったカイムは、つい素で答えてしまった。
「んっうん。お前達も突っ掛かってきた根性は認めよう。だがな、こんなごみ溜めで王様気分ではたかが知れてるな。悔しかったら付いてこい。負け犬チンピラから少しはマシにしてやる」
これ以上ゴタゴタを起こしたくないと思いながらも、カイムは咳払いをしつつ勧誘をすると、とにかくシュトラッサー城へ向かう事だけ考えた。




