第七幕-11
12月31日の早朝、戦列を止めた帝国軍の前に無数の王国軍戦列が現れた。
対峙する2つの軍の間は大きく離れ、帝国軍からの視界一杯に広がる王国軍戦列の兵員は、自軍の兵員を圧倒していた。
「こう見ると、やはり王国軍は圧倒的優位だな…」
「軍の総統がそのような事を言いますか?無理にでも"我が軍の優勢だ"とか言うべきでは?」
「いやっ…そのね、事実を捻じ曲げられるほど私は自惚れてないし、今までの戦ってきたのは私ではない。なら、私がきちんと現実を見なければ、総統なんて消えてしまうべきだよ」
親衛隊戦列の後方に位置する指揮所で、カイムは双眼鏡で王国軍戦列を見つめた。彼の覗く視界には横1列に並ぶ盾の壁と、その隙間から伸びる無数の長槍が映っていた。その兵達の表情が怯えながらも自分達を叩き潰さんと自分達を鼓舞する様に見えると、カイムは思わず呟いた。
そのカイムの呟きに、隣に立って戦列を見つめるアーデルハイトは彼の言葉に叱咤する様に言った。その言葉にカイムは、彼女への返答に少し困るとあれこれと事情を話した。
その言葉にアーデルハイトが不満を覚えさせる表情を浮かべると、その表情をカイムに向けると双眼鏡を覗き続ける彼の手を掴んだ。
「総統…いえっ、カイムさん。たとえ口が裂けても"消える"なんて言わないで下さいね」
「わっ、わかりましたよ…」
双眼鏡を持つ手を捕まれた事で、カイムは驚きながら横に立つアーデルハイトを見た。彼女は頬を膨らませながらカイムを無言で見詰め不用意な発言をするなと言う主張をした。
そんなアーデルハイトの握る手が震えている事に気付いたカイムは、一瞬言葉に詰まりながらもたどたどしく答えた。彼の反応に悪戯めいた笑顔を見せるアーデルハイトに、カイムは安心した表情を浮かべた。
そんなカイムは背筋に冷たい視線を感じると、慌てて振り向いた。そこには嫉妬の炎を上げるギラが立っており、周りの参謀や通信兵達も彼女の上げる禍々しいオーラの前にどうしようもない複雑な表情を浮かべていた。
「ぎっ、ギラ、どうした?」
「いえ…王国軍の戦列が前進を始めました…」
「そうか、わかった!ならば頃合いだな」
本部の隊員達の助けを求める視線を受けたカイムは、瞳から光を失いかけるギラへ報告する様に促した。すると、彼女は一旦そのオーラを戻しカイムへと状況を報告した。
その報告を受けたカイムは、若干慌てながらブリギッテやアロイス、参謀達の集まる本部のテント下へ向かった。
「たとえ教皇でも、総統に何かしたら覚悟してもらいますよ…」
「あら、怖い。でも、彼も一人の人間であり相手を選ぶ権利があると思いますよ?何より、総統のお相手が秘書なんて…」
「陰謀に巻き込込もうとする連中が何を言いますか!」
カイムの後ろから聞こえる会話に、彼は自身の未来を憂いながら歩を急がせた。
「カイ…いえ、総統。良いんですか?教皇猊下をこんな最前線に同行させて?そもそも貴方だってこんな敵の目の前に出てはいけないのに」
「総統、私もどうかと思います。猊下の事は置いておくとしても、今の貴方は親衛隊どころか帝国国防軍の総統なんです。御身に何かあったら軍はどうしろと?」
「教皇猊下の件は仕方ないだろ、あれだけ警戒したのに先を越されたんだから…未来予知って能力も考え物だな。何より駄々をこねられたら私に勝ち目は無いよ…」
本部テントでカイムを親衛隊隊員が敬礼で迎え入れる中、ブリギッテとアロイスは彼の後ろでテントに向いながら言い合いを続ける教皇と秘書を見つめて言った。その光景を自分の肩越しに眺めたカイムは気の入らない軽い口調で言い訳を述べた。
その表情は口調に反して暗く、あまり良くない事を考えている事を察した2人はそれ以上何も言わなかった。
「それに、この戦場には総大将の首がある。その場所に私が居なければ示しが付かない」
「それは嘗ての戦争のやり方です。カイムさん、時代は変わりましたし、貴方が変えたんでしょう?」
「ブリギッテ、それは違うよ。今は過渡期に過ぎない。これから変わるんだ。その過程で、アポロニアや全員が後ろ指差されない様にするには、これが手っ取り早いんだよ」
「だけど…」
場の空が重くなっている事に気付いたカイムは、自身にまとわりつく陰の気を払うように首を振ると呟いた。その言葉に眉間にシワを寄せながら反論するブリギッテに、彼は肩をすくめて見せながら言った。
カイムへ更に言い返そうとしたブリギッテだったが、本部テントにアーデルハイトとギラが入って来た事で黙ると教皇に親衛隊敬礼をした。
敬礼を返すギラとお辞儀をするアーデルハイトを前に、ブリギッテは話の続きをしようとした。だが、ヴァレンティーネとツェーザルが敬礼と共にテントへ入ってきた事で、タイミングを失った彼女は開けた口を閉じながら力無くテーブルに手をついた。
「総統閣下、全部隊の攻撃準備完了しましてよ。何時でも撃って出られますわ」
「総統、攻撃許可を!」
本部テントに入ってきたヴァレンティーネ達は、そのまま真っ直ぐカイムの元へ向かうと再び敬礼し報告を行った。だが、ヴァレンティーネの報告の後に続くツェーザルの言葉は詳細の説明では無く感情的な発言だった。
その言葉にその場に居た親衛隊隊員は表情を変えず視線だけをツェーザルに向けたまま黙った。カイムさえ黙りながら頭を掻く中、教皇も黙ったまま同情の視線を彼に向けた。
「敵は倍以上です。総…カイムさん、せめて国防軍の増援を求めるべきです!」
「ブリ…」
「あら?"魔弾の射手"なんて渾名もあるブリギッテ殿は、何もせずに助けを求めるのでして?」
「数的不利はいずれ尾を引き私達を苦しめる。その前に手を打つべきだと言いたい」
「自分はヴァレンティーネの意見に同意します!連中は数しか取り柄の無い野獣共だ。まして、その半数は死にぞこない。形は整って見えるが、榴弾2、3発で崩壊する様な戦列だ。そんなの相手に何を恐れるんです!」
東部戦線終結から親衛隊に蔓延する南部蔑視と過剰過ぎるエリート意識を前に、ブリギッテは軽く咳払いをした。そこ行動に全員が彼女へ視線を向けると、ブリギッテはカイムヘ国防陸軍への増援を求めた。
増援の具申を前に、カイムはブリギッテへ説明しようと口を開いた。だが、テントで真っ先に響いた声はブリギッテを挑発するヴァレンティーネの言葉であった。
内輪もめによる空気の悪化を防ごうとしたカイムは、すかさずヴァレンティーネに注意をしようとした。だが、それより先に間髪入れずツェーザルが支持した事で空気はますます重くなった。
「ツェーザル大尉。希望的観測は軍人である以上捨てなさい。度胸や信念があっても戦力は数が前提です」
「大佐殿、勘違いなさらないで欲しいですわ。私達は敵を侮っている訳ではありません事よ。まして、戦術頼りの戦争は悪手である事も承知していますわ、座学で最初に習いましたでしょ?」
「なら、一体何が言いたいの?」
「俺達は宣誓をしてるから隊服にナイフを持ってる。なのに、あんたは総統が無策で戦おうとしてるって考えるのか!それでも親衛隊か!」
ツェーザルへ問ただそうとしたブリギッテに、ヴァレンティーネが噛み付くと2人の間に火花が散った。あくまで態度を崩さないヴァレンティーネに少し感情的になったブリギッテは、高圧的に尋ねると、割って入る様にツェーザルが彼女へ突っ掛かった。
「そっ、それは…いえっ、そうではなく!策があっても、東部戦線で戦死者や負傷兵が出ています!今の兵達は訓練も実戦経験も不足している。貴方も士官なら、感情に囚われず大局的に物を見なさい、ツェーザル・オークレール大尉!」
「俺が何時、感情的な考えをしたって言うんだ!あんたの方がヒビって感情的になってんだろ!」
「無茶な戦いをして、ティアナさんが帰って来るとでも思ってるのか!」
ツェーザルの止まらない反発を前に、遂にブリギッテも強い口調で彼に怒鳴った。その言葉に未だ噛み付くツェーザルの前に、ブリギッテはトドメの一言を言った。その言葉は東部戦線終結から多くの者が決して言わなかった1言であり、言った彼女でさえバツの悪そうな表情を浮かべると彼から顔を反らせた。
「貴方達、いい加減に…」
「いい加減にしなさい!貴方達はカイムさんの親衛隊なのでしょう!なのに、何時までも仲間割れをして…止めようとしたカイムさんすら無視するとは何事ですか!」
白熱し今にも取っ組み合いを始めかねない3人に、見かねたギラが声を掛けようとした。だが、ギラより早く3人にの元へ歩み寄ったアーデルハイトは、穏やかな彼女に似合わない大声で叱り付けた。
テントに響いた予期せぬ声にはその場に居合わせた者だけでなく、テント周辺に居た隊員達も驚きの視線を向けた。
「ゔぅん…カイムさん、どうぞ」
「ここで私に振るのかい…まぁ良いけど」
自分を突き刺す無数の視線に気付いたアーデルハイトは、咳払いを1つつくと後ろで唖然とするカイムに話を振った。彼女の無理矢理な前振りに頭を抱えながらも、カイムは真剣な表情を浮かべて言い争っていた3人の前に立った。
「ツェーザル、お前がティアナにどの様な感情を懐いていたかは知らない。だが、今は戦場だ。感情的になった者から容赦無く死んでいく。そしてヴァレンティーネ、悪手を強要している私は無策の指揮官より質が悪いぞ。何より…」
ツェーザルとヴァレンティーネを指差して言ったカイムは、テントの外に広がる会戦を見詰めた。
「あの男は私が自ら討たなければならないんだ。ブリギッテの言うとおり、本来は陸軍への増援要請をすべきだが…もし、あの男が私の妄想通りの男なら…」
全員に背を向けたまま語るカイムは、正面から駆け寄って来る伝令兵力の姿が目に入ると、語る口を止めた。
「総統閣下、前線が指示を求めています」
「無駄話はこれまでだな。とにかく、状況は始まってる。前線には攻撃開始を伝えよ」
「了解しました。カイム万歳」
伝令兵の報告を受けたカイムは、命令を出しつつテントの中に戻るとギラへ向けて片手を差し出した。何時の間にか戦闘用に装備を整えていたギラは、カイムに持っていた自動小銃を渡すと手慣れた手付きで彼が装備を整えるのを手伝った。
カイムが装備を整えている間に、テントの中の隊員達は通信兵からブリギッテに至るまで戦闘のために装備を身に着け始めた。
「さて、いい加減に内ゲバも終わりにしないとな…外にも敵が山程居るのに、このまま潰し合っても無意味だものな…」
カイムの準備が整う頃には、他の隊員全員が準備を終えていた。その中でカイムは呟くと、テントの外に出た。
そこには本部護衛の為に待機する戦車数台と歩兵部隊、更には鎧を装備する聖堂騎士達さえ整列していた。
「総員、搭乗!」
ギラの号令に整列する兵達は装甲輸送車に乗り込み、カイム達も指揮車に乗り込むと親衛隊本部は前線へ出動した。