第七幕-8
ズュートダールから出撃したザクセン率いるガルツ王国軍は、ガルツ帝国軍の戦線へ接敵しようとひたすらに前進を続けていた。
戦局を覆す為に戦線へ進む王国軍は、ズュートダール出撃後数時間はまだ安全であった。森林を抜け平原を進む彼等の足取りは、敗北を続け敗戦間近の軍とは思えない程に明るかった。それは、誰もがこの攻撃によって王国軍が帝国軍を南方から駆逐出来ると信じていたからだった。
「フランケンシュタイン卿、帝国軍は何もしてきませんね?」
「さて…どうなる事か…」
「どうなるとは?」
部下の不安そうな言葉にフランケンシュタインは陰鬱そうな表情で答えた。その部下への返答に、周辺を警護する兵達がヘルムの下で疑問の表情を浮かべながら尋ねると、彼は溜息と共に雲の流れる青空を見上げた。
「ヒト族は龍騎兵なんてものを使っていた。だが、それも少数だったんだ。それがどうした、今となっては帝国軍はあの翼の生えて爆音響かす何かで空さえ支配したんだ」
周りに気を配るフランケンシュタインは、青空の彼方へと指差しながら呟いた。その一言は周りの戦意に気遣った呟きだったのだが、周りの部下達は彼が帝国軍の兵力に対して不安しか感じていと理解した。
「今夜は見張りを増やします」
「特に夜空は気を付けろ。今までは屋根があったがまた野ざらしだ。夜も眠れんよ…」
フランケンシュタインの最後の一言は多くの部下の心に響き、彼等は深く頷いた。
そんなフランケンシュタイン達に反して、彼等の前方を行くザクセン率いる第1軍団は意気揚々としており、時折歌声さえ聞こえる程だった。
「せめて、接敵出来れば御の字だな…」
だが、フランケンシュタインの杞憂はその夜に轟音として的中した。その轟音は真夜中の反抗軍団の野営に起こった。
「なっ、何だ!何事だ!」
「わかりません!突然そこらじゅうが…うっぷ!」
胸甲を着込んだスズメの鳥人の指揮官がテントから飛び出してきたフランケンシュタインへ報告する中、至近弾の爆発の土埃や煤が2人を襲った。
「クソッ!空からか!何故気付かなかった!」
「突然です!第3遊撃隊が"風切り音"とか何とか言い出した途端にそこら中がっ!糞がっ!報告の時ぐらい静かにしろ!」
その場に伏せてフランケンシュタインへ報告するスズメ男は、降り注ぐ爆撃に文句を付けた。そんな2人の元に何処からか千切れ飛んだ腕が落ちてきた。その腕は昆虫族の腕であり、茶色い甲殻と服の袖の隙間から赤黒い血と筋肉、骨が見えた時に2人は顔を青くした。
「不味いぞ、何であろうとこんな開けた平原で塹壕も完全じゃ無いんだぞ!兵の状況は?」
「滅茶苦茶です!最初の1発がライニンゲン卿のテントを吹き飛ばした事で指揮系統が混乱。その後直ぐにこれですから、兵は錯乱状態ですよ!前方の第1軍団からの伝令もまだ来ません!」
「お前を伝令から引っ張り上げた甲斐があったよ、こんちくしょう!接敵まで後4kmだというのに!」
爆発に身を庇いながら2人は状況確認をしつつ現状の不味さを理解した。
そんな土や誰のものか解らない血に汚れた2人の元へ既に2人よりもっと悲惨な格好をした兵士達が爆風の波の中を駆けて飛び込んできた。その男達の多くは、まるで今にも死にそうな恐怖に歪んだ表情であった。
「フランケンシュタイン卿!第1軍団から伝令です!"直ちに全軍前進。前方の森まで前進せよ"との事。」
「森まで逃げ込め?あっちこっち炸裂して滅茶苦茶なんだぞ!これなら直ぐに畑が出来る!」
「肥料要らずですな!これだけ人がくたばって土が耕されれば良い野菜が育ちますよ!」
「素晴らしい冗談だ…全軍、ズュートダールまで走れ!足を止めるな!」
伝令の言葉に悪態をつき、スズメ男の冗談に笑うとフランケンシュタインは叫んた。
その叫びは大きく響き、近くにいた兵士達は混乱するように辺りを見回した。だが、近くで爆発が起き15人程が吹き飛ばされると、1人が一目散にもと来た平原を走り出した。それを見た兵が1人、また1人と走り出し、最後には全員が走り出した。
「フランケンシュタイン卿!まだ…」
「バカ言え!こんなの戦争でもなければ一方的な虐殺だ!こんな所で意地を貼る程、私は勇ましくないわ!」
「流石我等の公爵閣下だ!」
「貴様等、間隔を空けろ!固まっていると纏めて吹き飛ぶぞ!」
引き留めようとする伝令兵に盛大な敵前逃亡を宣言するフランケンシュタインに、周りの兵士達は喜び声援を上げながら付いていった。
逃走を始めたフランケンシュタインとその兵であったが、その逃走する集団は彼等の軍勢以上の人数であり、中には幌や車体を鉄板で改造した馬車の集団も走っていた。
「おい!その馬車、止まれ!お前ら降りろ!」
「お前達!早く降りろ!」
自分達の真横を爆走する馬車に叫んたフランケンシュタイン達は、何とか走る馬車を止めようと手を振った。
だが、その馬車から身を乗り出す兵士達は一向に話を聞く素振りが無かった。
「この馬車は満員だ!大体、この戦争はお前等貴族の起こしたもんだろ!」
「俺達は勝手に無理矢理動員されただけだ!」
「偉いさん等が死んだなら、勝手に逃げるも自由だろ!」
馬車から飛んでくる罵声に走る速度を落としたフランケンシュタインは、走る馬車のはためかせる旗が自分の家紋でない事に気付くと足を止めた。
「貴様等!フランケンシュタイン卿に何て口を…」
「おい!さっきの馬車はどこの家の兵か?」
「えっ…いえっ、自分は…」
「オルトレップ侯爵の物です」
周りの兵士に尋ねたフランケンシュタインだが、彼等はお互いを見回して知っている者の発言を待っていた。その中で発言の声がすると、フランケンシュタインは後ろを振り返った。
そこには、ザクセン達からの伝令を持ってきた兵士が駆けており、彼は被っていた兜を放り投げると膝に手をつき肩で息をしながら止まった。
「まだ話は終わってないのに…走るから…」
「君!どういう事か?」
息を整える伝令兵のウサギ獣人の肩を掴んだフランケンシュタインは、伝令兵に顔を青くしながら詰め寄った。その表情に伝令兵は急いで息を整えると姿勢を正した。
「報告します。オルトレップ卿以下侯爵位の方々が戦死しました。現状の指揮権は、フランケンシュタイン卿にあります」
「指揮権が私に?何を言っている、侯爵全てが戦死など…」
「全員が戦死なのかはわかりません。しかし、現状で指揮能力があり生存しているのは閣下のみですので」
驚きに呆気に取られたフランケンシュタインは、周りのズュートダールから来た道を逃げる友軍を見ながら頭を抱えた。
「まさか、私が逃げているから全員逃げているのか…」
「あり得ないだろ!自分の主を無視して逃げる騎士があるか!」
「そうだ!こんな状況だからこそ主の元に…」
驚くフランケンシュタインが周りで伝令兵に文句を付ける部下達へ静まるよに身振りで示した。
突然のフランケンシュタインの行動に近くに屯する全員が黙った。
「全員、何故に私達は彼是と話せる?さっきまで爆発に晒されていたのだぞ?」
「爆発が止んだ?」
「帝国連中は攻撃を止めたのか?」
フランケンシュタインの言葉に全員が周辺を見渡すと、未だに逃げ続ける兵士と彼等同様に爆発が止んだ事に気付いて止まった者が見えた。
その光景に全員が若干怯えながらも安心して一息つこうとした。
「フランケンシュタイン卿、帝国軍も攻撃を中断した事ですし。1度、侯爵位の方を探し前方の…」
スズメ男が安心してフランケンシュタインへ提案をしようとしたが、彼は開いた口を閉じられた。スズメ男を黙らせたフランケンシュタインに全員が視線を向けると、彼は怯えた表情で夜空を指差した。
「もうこの際私が指揮官でいいからとにかく逃げろ!」
叫ぶフランケンシュタインの指の先には、月明かりの浮かぶ夜空に鏃の様な形で列を作る黒い影の群れだった。それが今までの敗走で散々見た帝国空軍の爆撃機である事を理解した。
爆発が止んだ事が自分達を空爆で正確に叩き潰す為だと理解した全員は、先に逃走を再開したフランケンシュタインの後を追った。
「走れ!人は走れ!馬は駆けろ!急げ!」
フランケンシュタインが走り出した事で、上空の月に浮かぶ爆撃機の大編隊に気付いた多くの兵士達は逃走を再開した。
すると程なく爆撃機から無数の風切り音と共に爆弾が降り注いだ。
「きっ!来た!来たぞ!」
「走れ!走れ!」
誰もが慌てふためいて走る中、無数の爆弾は空中で突如分解すると小さな爆弾に分かれた。
「全員、伏せろ!」
フランケンシュタインが叫び、爆弾が地表近くの空中で炸裂すると、平原を逃走をする兵達の頭上に爆風と避けようの無い鉄片をばら撒いた。その鉄片は獣人も悪魔も、種族関係なく全ての生き物の生存を否定し肉片へと変えた。
硝煙と巻き上げた土で視界を塞がれていたフランケンシュタインは、煙が晴れる前にその耳に入る無数の声に恐怖した。
「あっ、足が!足〜!」
「誰か!医者を…医者を!」
「衛生兵!衛生兵!」
煙の隙間からみえる光景は、最早人と言えるかどうか怪しい肉塊が散らばり、その隙間に手足が吹き飛ばされた兵士達が無数のうめき声や叫び声を上げていた。
「フランケンシュタイン卿…ご無事で?」
「私よりお前の方が酷いぞ?」
「えっ…うわ!だっ、誰のだこの内臓!肝臓か?」
「図太い神経だ…」
惨状に言葉を失ったフランケンシュタインだったが、匍匐前進で近付いてきたスズメ男の血みどろの格好と言葉に少しだけ冷静になった。
見上げると上空には爆撃機の大編隊が南に向けて飛び去っていた。自身の周りに広がる惨状を何とも気にせず進む編隊に、フランケンシュタインは急いで周りに伏せる生き残りを立たせた。
「急げ!次が来るぞ!動ける者は立て!重症者はやむを得ん、無視しろ!」
誰が生きて誰が死んでいるのか解らない平原へフランケンシュタインが叫ぶと、幽鬼のような王国兵達は再び逃走し始めた。
そんな集団の中に、奇跡的に無事だった馬車数台が地面でうごめく味方を踏みつぶし逃げる兵士を撥ねて進む改造馬車が見えた。
「おっ…お前等!降りろ!狙われるぞ!」
「早く降りろ!狙われるぞ!」
「バカ野郎!下手に目立つ…」
爆走し血飛沫を撒き散らす馬車に大声を上げるフランケンシュタイン達だったが、その言葉を遮る様に上空から音が響いた。その音は虫の羽音の様な音であったが、彼等が怯えながら見上げる頃には耳を引き裂くようなサイレンの音が響き単発爆撃機編隊が馬車隊目掛けて上空から舞い降りていた。
「飛び降り…うっ!」
馬車隊へ叫んたフランケンシュタイン達だったが、彼等が叫んだ頃には既に馬車隊は降り注ぐ爆弾によって吹き飛び、金属片を撒き散らし黒煙を上げながら横転していた。
「閣下!」
「また敗走か…まぁ、死ぬよりはマシだ…」
ピンポイント爆撃をあちこちで撒き散らし、機銃掃射て逃げ惑う王国兵達を薙ぎ払う爆撃機や戦闘機達を見上げながら、フランケンシュタイン達はひたすらにズュートダールへ駆けていった。
爆風から身を庇い走るフランケンシュタイン肩越しに北側へいた第1軍団の見たが、そこには既に第1軍団の姿はなかった。
ただ、遥か北の森にも無数の煙が上がり爆撃機や戦闘機達が群がっていた。




