第七幕-7
「総統、空軍の偵察機からの報告ですわ。敵は全兵力投入して戦線突破を考えているようですわ」
「良くもまぁ…各都市を空爆したのに、これだけの兵力が残っているとはね。軍団規模ってやつかしら?」
「我輩の見立てでは、百万は下らないですぞ。無策の数に物言わせた突撃です。遂に王国も限界に至った様ですな」
広いテントの中央に地図を広げたテーブルが置かれていた。そのテントには多くの種族の魔族が集まり、それぞれの職務に従事していた。
そのテーブルを囲うヴァレンティーネは航空写真をカイムに渡した。その横で地図を眺めるアポロニアは静かに呟き、ヨルクの意見を聞いて頷いた。
「総統、奴等の進軍速度は遅いのです!後退させた前線に到達するまで、あと2日は掛かります!空軍なら前線が接敵する前に敵を殲滅出来ます」
「ならば総統、砲兵師団にも攻撃の許可を!即育の新兵ばかりとはいえ、あれだけの大規模戦列です。何処を撃っても当たります!」
「航空支援に砲撃支援もあるのならば…総統、装甲師団に前進の命令を!
「第3軍としては、まぁ…練度に難がありますか、国防陸軍の総力がここにあるのです。命令とあらば…」
「若様…あの程度の人の波、我が軍は捌けますよ」
テーブルを囲む将兵達がそれぞれの意見を言いながら戦棋を動かした。帝国軍を表すその戦棋は、ザクセン=アンラウ州はズュートダールの境から距離を置き北側を包囲するように配置されていた。戦棋の数は王国軍を表す物が圧倒的に多かったが、駒を動かす将兵達の表情には不安も恐怖も無かった。
砲撃や進軍する事を進言したボルガーやローレは表情から殺気立ち、軽口混じりに進言したフィデリオは笑顔こそ浮かべていたがその瞳は殺意が浮かんでいた。
「おいおい…何だか知らんが、何でこんな物騒な連中と一緒に俺達"鷲の森団"が戦わなきゃならないんだ?"東部戦線"ってやつだけじゃなかったのか?」
「なんて事を言うのだ、貴様は!本来であれば強盗罪に国家反逆罪で刑務所なり死刑な所を総統の御慈悲で国防軍の志願を条件に許されているのだぞ!少しは愛国心を見せ忠義を示せ!」
「エッカルトの爺さんよ、愛国心があって盗賊なんてやるか?生き残るのが優先で…」
「ならこの場で愛国心を学べ!逃げるようならフリッチュの名の下に地獄の果てまで追い掛けるからな。あと爺さん言うな!」
「おー、怖い怖い。まぁ、何だ?俺達、山岳猟兵って奴が平原に居るのはどうかと思うが、命令があれば給料分は働きますよ」
不穏な空気の漂うテントの中で、"鷲の森団"団長であったビョルンが重い空気を押し退ける様に主張した。その主張に対するフリッチュの芝居掛かった反論で、テントの空気は若干ではあるが明るくなった。
「海軍の洋上封鎖も抜かりはありません。命令があれば、海軍突撃隊の上陸作戦も可能です」
「これなら…ちょっとカイム?何でさっきから黙っているの?」
海軍大臣が艦艇の状況を説明する中、アポロニアはヴァレンティーネから受け取った写真を見詰めて黙るカイムに尋ねた。眉をひそめた彼女は、眉間にシワを寄せて伸びたままになった無精髭を撫でるカイムの顔を覗き込んだ。
「ギラ、今日の日付は?」
「12月28日です、総統」
「年が…越えるか…」
髭を撫でる手を止めギラへ尋ねたカイムは、その返答に呟くと席を立ち上がりテーブルへ手を突いた。
「半年前なら、この数の暴力に帝国は屈していただろうな。だが、今となってはもう遅い。そして…半年経っても未だに内戦下か…」
「でも、これで決戦でしょ?この会戦に勝てば、全て終わるんでしょ?」
「王が素直に、私達に討たれればな…」
濁すようなカイムの言葉に、アポロニアや帝国軍将兵達は困惑の表情をみせた。
その表情を見たカイムは、逆に困惑した表情を浮かべると溜息をついた。
「逃げ道が無い敗戦まっしぐらの状況だが、どこかの能無しは隠れ潜んで…有能な砲兵将兵達を失う原因を作った。誇り高く死を選ばず、何としても生き残り敵を討つのが王国軍だ」
テーブルの上の王国軍戦棋を帝国軍へ近付けたカイムは、その戦棋の半分を退かすと王を表す駒と残りの半分を後退させズュートダールの更に奥である州都であるルデルブルクに置いた。
「なら、決戦を挑んでもザクセン=ラウエンブルクを取逃せば泥沼へ逆戻りの可能性もある訳だ…確かに決戦で、ここで完膚なきまでに叩き潰せば確実に内戦は終結だ」
「だったら、なんでアンタは浮かない顔をしてんのよ?」
内戦終結という明るい内容を話しているにも関わらず暗い顔をするカイムに、アポロニアは再び彼の顔を覗き込んだ。
目の前に疑問の表情を浮かべるアポロニアの顔が広がると、カイムはテーブルから顔を上げた。その視界には彼に心配そうな視線を向ける将兵達の姿があり、カイムはまた溜息をついた。
「年の瀬なんだぞ!年末の…新しい年を迎える直前にだ。老いも若きも男も女も、やってる事は内戦でそれを批判する事も無い!同族を殺してるんだぞ…」
カイムの発言はこの内戦の状況を彼なりにきちんと見た上での正直な意見だった。ベンヤミンの様な内戦における戦闘に非肯定的な士官や兵の存在を考えたカイムは、自身の撒いた帝国第一主義を否定する者が必要と考えた。
東部戦線の戦場で考え方を変えたブリギッテが抑止力として機能しなくなった事から、国防軍のヨルクの様に過剰な行動に出ていない将兵に暴走を止める抑止力として機能するよう誘導したかったのだった。
「カイム君、君が吾輩達に何を求めているのかは大体解る。だが勘違いしないで欲しいな。吾輩達は君が思っている程良い人間ではないさ」
「ヨルク将軍…それはどういう事です?」
「総統、この国は5回もヒト族に侵攻を受けているのですよ?確かに王国を名乗って独立戦争を吹っ掛けてくる愚か者はいませんでしたが、ヒト族に迎合しようとする者は当然現れます」
「同族殺しなんて望まない…だが、生き残り平和を掴む為なら喜んで切り捨てるくらいには冷酷ですよ、私達は」
「武家…いや、軍人貴族として汚れ仕事は引き受けなくてはな。昔も今も、これからも」
ヨルクの言葉にカイムは疑問を投げ掛けた。その答えはヨルクだけでなくローレやホルガー、フィデリオからも返ってきた。
驚いたカイムはテント内の全ての将兵に否定する事を求める視線を向けた。たが、各軍の大臣さえ否定せずに黙って頷くと、カイムは力無く椅子に座った。
「カイム殿…罪なき民や戦災を悔やむ気持ちは解る。そして、自分を責めたくなる気持ちも解る。だが、それを頼んだのは吾輩達だ。"この国を救ってくれ"と、"手段は問わない"と…」
カイムの元へと歩み寄ったヨルクは、小脇に持っていた帽子を被り直すと彼の前で姿勢を正した
「吾輩達に出来るのは、兵を戦わせる事くらいだ。こんな奴らばかりだったからこの国は混迷した。だが、今は君がいる。君が悩むその責は吾輩達にもある。だからこそ、君が正しいと思った事を命じてくれ」
「何を…ヨルクさんの方が…」
「吾輩達が何年経っても出来ない事を君はやっている。自分を低く見たくなる気持ちも解るが、今の君は総統だ。それに、新しい時代は若者が創るべきだ」
ヨルクの言葉に合わせて、将兵全員が姿勢を正すとカイムはどう反応すれば良いのか解らなくなった。
そんな俯くカイムの態度に、アポロニアは短い間貧乏ゆすりをすると、我慢ならないといった身振りで立ち上がった。そのままカイムの肩を掴むと立ち上がった勢いでアポロニアは彼を無理矢理立たせた。
「アンタねぇ…私が議会で言った事忘れたの?」
「宣戦布告か?」
「アンタ…まぁ、良いよ。貴方にとってはその程度の…」
「暴君になるって話か?」
口調を荒く訛りを隠さずに言ったアポロニアは、カイムの気の抜けた言葉に俯いて肩を落とした。たが、思い出したカイムが空かさずに言った言葉で、アポロニアは勢い良く顔を上げるとカイムの浮かない顔に自分の顔を寄せた。
「いい!忘れかけてるみたいだから言っとくけど、私はこの国の暴君なの。そうなるって決めたの!そしてアンタは総統、この悍しき暴君の剣にして盾。この帝国を脅かす獣達を薙ぎ払う嵐なの!それが、私に逆らう獣相手に優しさなんて見せないでよ…」
早口で捲くし立てるアポロニアは、掴んていたカイムの肩から手を離し、彼の胸をその両手で叩いた。
「アンタがそんなヘタレじゃ…私の覚悟が揺らぐの…しっかりしてよ!」
涙目になり頬を赤くして叫んたアポロニアに、カイムは表情を無くした。彼女の苦しむ表情と隠していた感情の発露は、カイムの心にナイフの様に刺さると同時に緩みきっていた彼の覚悟を再び引き締めた。
「剣で盾…嵐だと?違うな…私は人斬り包丁より質の悪く、嵐の如く全てを砕き津波の如く敵を飲み込む総統さ…」
根暗な言葉でこそあれど、カイムはゆっくりと深呼吸すると笑って呟いた。
その表情はカイムなりの格好を付けたものだと理解したアポロニアは、彼から一歩離れると眼前に人差し指を突き付けた。
「ならば、カイム!皇帝命令だ。私に逆らう連中は、女子供も市民も全て!怪物、獣に違いない。全て見つけて蹴散らしてこい!この国を救ってこい!」
「仕方あるまい…引き受けた」
カイムはアポロニアの言葉に跪くと呟いた。彼はそのまま流れるように立ち上がり、姿勢を正して二人のやり取りを見詰める将兵達と向き合った。
「諸君。度々言われるが、私は英雄では無い。英雄と名乗る気も無いし、英雄であろうという気概もない。それは、英雄という存在は何時の時代も人の為に戦っているからだ」
将兵を前にしてカイムは自分の胸を叩きながら語り始めた。その姿は生き生きとしており、将兵やアポロニアは彼がようやっと勢いを取り戻した事に安堵した。
「私はただの総統だ。この帝国の平和の守護と残虐な暴力の象徴だ!
皇女暗殺を狙い突撃してくる暴徒を叩き潰すのが好きだ。私の親衛隊の銃口揃えた一斉射撃が戦列をかき乱し、逃げる愚か者の背中を引き裂いた時は歓喜に震えた。
陸軍の装甲部隊が雑多な武器で立ち向かおうする賊軍を踏み潰すのが好きだ。放たれた白燐弾の雨に焼かれのたうち回る敵兵を榴弾の雨が肉塊にした瞬間は心が踊った。
空軍の爆撃が都市区画ごと敵を吹き飛ばすのが好きだ。突然何が起きたのか理解しきれず無策にとにかく逃げる敵兵を包囲して殲滅した時は恍惚とした。
海軍の艦艇が敵船を轟沈させるのが好きだ。近代技術になす術なく海に投げ出される海兵を見捨てて逃走する船舶が砲雷撃で海の藻屑と消えた時は心の底から感動し、補給の切れた敵兵を帝国軍が嬲り殺した時は拍手を贈りたかった。
諸君、私は英雄ではない。むしろ、後の世で悪党大罪人と侮蔑される戦争狂だ。国を救って見えるのは、この内戦の一時だけかもしれない。何時か、諸君らを闘争の果てへ誘いヴァルハラへ引き込むかもしれぬ。帝国の平和を求めるあまり、死神を拝んでいるかも知れぬのだ。
それでも!それでも諸君は、皇帝の定めたるこの私に…このカイム・リイトホーフェンに従うか!」
カイムは嘗ての記憶から、狂気だ邪悪だと言われる者達の言葉をひたすらに思い出し紡いだ。彼の言葉では無いにしろ、彼の本心を表し格好を付けるのに最適な方法はこれしか無いとカイムには思えた。
「「ジーク・ハイル!」」
カイムが将校達にあらん限りの声で尋ねると、ヨルクを含めた多くの者が、それぞれの敬礼をしつつ叫んだ。その返答に将兵以外の声を聞いたカイムがテントの周りを見回すと、彼の話を聞いていた多くの兵が将校同様に敬礼をしつつ叫んでいた。
兵達の姿に拳を握ったカイムは、アポロニアへ目配せをした。それを受けた彼女はただ黙って頷いた。
その反応にカイムは深く息を吸うと握り締めた拳を上げ、勢い良く振り下ろした。
「ならば諸君、賊の骨身に奴等の道理で倒せぬ敵が居る事を教えてやれ!奴等の耳に、我等の軍靴の音を忘れられぬように響かせろ!」
「「ハイル・カイム、ハイル・アポロニア、ジーク・ライヒ!」」
カイムの叫びに、彼の声に負けじと返す将兵の声が南部戦線本部に響いた。
その万歳三唱が止むと、カイムは満足そうな笑みを浮かべつつ手を組んだ。
「奴等にヴァルハラ等は過ぎたものだ…ならばこそ。さぁ、諸君。地獄を作るぞ…」
祈る様な姿から聞こえるカイムの残虐な言葉と共に、将校達は決戦の為の戦術を再度練り始めた。
王国軍への戦術行動が決定した後の事である。カイムは、自室代わりに使っているテントで決戦の為の彼是を準備し始めていた。
「総統…本気なんですか?」
「当たり前だ。何より、王国軍は半年前の開戦から何故か全力を投入しなかった。それどころか、奴等が本腰を入れ始めたのは、何もかもが手遅れになった時だ」
カイムはボルトをブラシで清掃しながら不安感を混ざるギラの声に答えた。
「今更になって必死の反撃を…それこそ、多くの王国貴族の戦死を厭わない反撃をしている。国を存続させるなら重鎮、まして最高権力者が最前線に出るのは愚策過ぎる。まるで…」
「"国諸共に滅ぼうとしている"ですか?」
「わざとらしく開戦祝賀パーティなんて開く武家貴族があるか?」
ギラの呟きに、カイムはレシーバーへボルトを填めると分解していた部品を元に戻して組み立て始めた。黙々と作業を続けるカイムに、ギラは黙って手伝い始めた。
「他の者には伝えていません。ですが、私は是が非でも同行しますから」
「本当なら、一人でも良いと思うがな…彼と私の考えている事が同じなら彼は一人だし、彼に続く者は無い…」
弾倉を填めながらボルトを引いたカイムは、ただ静かにつぶやいた。