第七幕-5
「ヨルク殿がベルデダール、カールハイツさんがブルハルツ=ビッターヴェーデルを攻略。随分無茶したなぁ…まぁ、これにベンヤミンさんのズュートダール攻撃で敵の足も止まって連中の決戦思想の御膳立ても出来たかな?」
ナムサウの議事堂の一室を自室としていたカイムは、テーブルの上の国防陸軍と空軍の報告書と航空写真を見詰めて呟いた。
国防空軍からもたらされた敵軍勢の前線への大移動は、帝国国防軍全ての部隊に共有された。
その上で、カイムは敵が攻撃しやすく補給の届きやすい位置へ終結させるため、ズュートダール以外の都市へ全力爆撃を命令した。そのお陰で、意図的に爆撃の被害を抑えたズュートダールに敵の軍が集結する状態となった。
「しかし…今さら数で押しきる戦法を取るなんて、ザクセン=ラウエンブルクは一体何を考えているんだ?これじゃ、まるで…」
自室で1人呟くカイムは、地図上のズュートダールに集められた王国軍戦棋を見詰めて言葉を詰まらせた。その戦棋の中央の駒を取ると、カイムは軽く手の中で遊ばせると指で弾き宙へ投げた。
「まるで…部下諸ともの集団自殺だ…」
宙を舞う戦棋を掴み流れるように地図へ戻したカイムは、テーブルに両手をつきながらただ黙って窓の外を見た。
南側の一室を自室としている事から、窓の外の遥か先の空は戦場の火によって明るく染まっていた。
「何時の世も、独裁は周りを巻き込み自滅する…か?」
思わず呟いた自分の言葉に、カイムは自分の格好を見下ろした。それは、嘗ての世界で忌み嫌われた者達の格好であり、自分がそれをただ真似ているという事を思い出したカイムは溜め息をついた。
「なら、私も何時か討たれるのか…他の誰かの正義に…」
独裁者は国の末期、つまり真の窮地にのみ産まれすい。そして、誰かの為に立ち上がったとしても、独裁という体制は常に批判され崩壊する事はカイムもよく理解していた。
「誰かの為に立ち上がっても…結局、独裁者は討たれる。より良い誰かや、考えを否定する者…そして、身内に…」
国のため立ち上がり英雄となっても、差別主義の虐殺者として歴史の悪役にされた者。腐敗した国を変えるため戦い、民に討たれ吊し上げられた者。国の繁栄と差別に立ち向かい、戦犯にされた者達。
行動するにつれて思想は歪んだり、方法は確かに良くなかったが彼等は民や国家、何より人の為を思って行動していた。必ず悲惨な最後を遂げる先人達を思ったカイムは、己の未来が恐ろしくなった。
カイム自身、今まで行ったあらゆる行為は決して誉められたものでは無い事は十分に理解していた。だが、それでも頼られた誰かの為に頭を捻らせ、蘇らせた嘗ての記憶から状況を打開してきた。
「内戦が終わったら…私に、この国で一体何が出来るんだ」
それゆえに、カイムは他人の力や知識を借りてここまで行動してきた自分の今後に不安を感じた。戦いの無い戦後を考えた時、彼はテーブルから手を離し、己の両手を見た。
「平和な戦後に、血塗れの総統の居場所があるのか…南や東、西の土地を燃やした男を戦後の世界は迎え入れるのか?この国を残酷な国に変えた異物を?無いな…有り得ないな…」
両手が一瞬真っ赤な血で染まっているように見えたカイムは、卑下の笑みを浮かべると近くの椅子に深く座り込んだ。
脳裏に流れるティアナやブルーノ、戦死や重症を負った部下や兵達の事を考えたカイムは、その背筋に冷たい感覚を覚えると肩を震わせた。
「戦災の責任を取って辞任…後は煙の様に消え去るか?身内を殺された戦災者は、こんな男のいる国には居たくないだろうしな…」
背筋の冷たさや、親や子供を殺された南部や東部市民から恨まれる事を考えたカイムは、陰鬱とした自分の感情を払うためにとにかく独り言を吐き続けた。
「戦後はそうだな…誰にも何も言わずに、誰も私の事を知らない所に行こうかな…」
「総統…それは、何かの冗談ですよね?」
地図を横目に見たカイムは、リュック1つで帝国内を旅する自分の姿を思い描くと思わず呟いた。その独り言に、突然背後の扉から声が響くとカイムは慌てて立ち上がり振り向いた。
「嘘ですよね、総統?私達の前から居なくなるなんて…そうですよね?ねっ?」
振り返った視線の先には、閉まった扉の前で呆然とするギラが居た。その手には差し入れのコーヒーが乗ったトレーを持っており、上に乗った品々が震えて音を立てていた。
そのギラの態度にわざとらしさを感じたカイムだったが、彼女の目は明らかに怯えや不安を表していた。
ギラを見詰めたまま黙るカイムは、彼女に背を向け窓の外を見詰めた。
「ギラ…親衛隊は東部戦線で火器無制限攻撃に、市民への無差別攻撃を行った。そして、現在は南部戦線で無差別攻撃を行っている。そうだな?」
「はい…ですが!それは、連中が市民軍だの民兵を多様する戦術を取るからで…」
「だが!ヴァレンティーネの様な1部の親衛隊、国防軍でさえ"浄化"だ何だと暴走する者が多発している」
「それは…ヴァレンティーネは変に親衛隊に心酔してるだけで、国防軍にまでは…」
カイムの発言を受けて、ギラは彼の弁護をしようとした。
だが、カイムは上手く弁護出来ないギラの前でテーブルの上の書類を手に取った。
「ローレ中将の旧第2機甲師団、現第2軍はかなり前から選民思想的な発言があった。最近じゃ新設されたばかりの第3軍やヨルク将軍配下の部隊にまで…帝国至上主義とか言うのが横行し始めた」
「統一国家として良い事ではないですか?それを何故です?貴方はどうして憂いているのです?」
「思想の暴走が軍を侵食しているんだ!私は富国強兵は国家成長の前提と思う。だが、軍の暴走を許すのは国の崩壊の究極だ!」
持論をギラへ語りつつ、カイムは書類をギラに渡した。
その書類は侵行中の国防軍と親衛隊各部隊の戦闘報告書を纏めた物だった。その書類を捲るギラは、戦闘における王国市民の被害が多い事や、帝国へ避難中の市民を"危険思想の不穏分子として処理した"等と書かれたものさえある事に気付いた。
「残酷な行為や酷い判断は戦争の常だ。多少の事はやむを得ないとも考える。だがな、上層の関知しない行為は暴走だ。そうなればいずれ、軍は勢力拡大と権利主張を増大させる」
「ならば!それを行った者達へ処罰をすれば良いだけではないですか!総統は…」
「それを煽動するだけして制御しきれていない。だから、彼等を罰して…私も全権を帝国に返還して消える。それが、暴走を止める手っ取り早い方法だ」
頭を掻きながら地図上の戦棋を取ったカイムは、その戦棋をギラの持つトレーに置きコーヒーカップを手に取った。そのまま振り返り、カイムは席に戻ろうと歩き出した。
「親衛隊は…どうなるんです?」
カイムはギラに裾を掴まれ声を掛けられると、歩みを止めた。
「そうだな…帝国軍傘下になるか、帝国近衛に編入させるか…そこはアポロニアの判断に任せるよ」
カイムは我ながら情けない事を言うと思いながら、うなじに視線を感じつつ呟いた。
その呟きに、ギラは少し間沈黙で返した。
「貴方の言葉にいつもの根暗が混ざっていても、真面目に考えているのなら…私達は従うだけです」
「そうか!理解してくるなら…」
「ですが!」
背後から聞こえるギラの納得した声に安心したカイムだったが、安堵の表情の彼は突然の肩を掴まれるとギラの方へ振り向かせられた。
「その命令…親衛隊の全員が了承するとお思いですか?」
「何を言っている?親衛隊は…」
真剣な目付きで見詰めて言ったギラの言葉に、カイムは嘘ではないと理解し問いただそうとした。
たが、その口はギラの人差し指で塞がれ、彼女は呆れる様に溜め息をついた。
「宣誓したでしょう?私達は"貴方"には従いますが、私達を棄民とした皇帝に従う訳ではありません。貴方が従うから、従うだけです」
「なっ、何を言ってる!従うと宣誓したなら、私の命に従って帝国に…」
ギラの呆れ半分の言葉に、カイムは反論をしようとした。だが、口を開こうとしたカイムは突然ギラに鼻をつままれた。その事に驚いたカイムは口を一瞬接ぐんだ。
それでも、反論を続けようとしたカイムは、ギラの口によって完全に沈黙させられた。
「親衛隊は総統が最上位指揮権である事が大前提です。総統の居ない帝国で、"実戦も知らない近衛の命に従え"と?他の者は知らないですけど、少なくとも私は無理です。責任を取るのも消え去るのも構いません。ですが!最低1人は隣に居る事を忘れないでください」
口の中に不思議と甘さの残るカイムは、畳み掛ける様に言い切ったギラに何も言えず静かに頷くしか出来なかった
「なっ、何でいきなり口付けを?」
自分の肩を掴み見詰めるギラに、ようやく開いた口で質問した内容にカイムは顔を赤くした。
そのカイムの表情に悪戯をした子供の様に笑ったギラは、彼の持つコーヒーカップをソーサーごと取るとテーブルの上に置いた。
「好きな人が私の愛撫で奮い立つというなら、私はそれをするだけです。少なくとも、内戦が終わるまでは総統なんですから、ただのカイムに戻るまでは頑張ってもらわないと。お砂糖は2つね?」
「あっ…あぁ、そうして…くれ。いやっ、ください」
「わかった」
ギラの言葉とその笑顔に、カイムは赤い顔のまま動揺した態度になっていた。その態度に、少なからず陰の気が飛んだと理解したギラは安心した表情でコーヒーに砂糖を入れた。
その後ろで電話の呼び鈴が鳴り響くと、カイムは頭に登った血を戻す様に頭を振ると受話器を取った。
「私だ。一体何が…そうか…あぁ…わかった、直ぐ行く」
受話器の向こうと話すカイムの表情は、ゆっくりと感情が薄くなり、受話器を戻す頃には総統の顔へとなっていた。
「カイ…総統、どの様な報告が?」
「ズュートダールへ誘導させた王国軍に国王が合流したらしい…内戦も不自然に速く決戦だよ」
カイムの言葉にも驚くギラは言葉に迷った。その表情を見たカイムは、ギラの持つコーヒーを一気に飲み干すと身振りで彼女に同行するよう促した。
急いで扉に向かったカイムは、少し間扉のノブを握ると勢い良く部屋から飛び出した。