第七幕-4
ズュートダールはガルツ王国の首都であるルデルブルクに隣接した都市であり、現在の王国軍防衛部隊の最前線となっていた。
街の外周には仮説された木製の外壁と同じく仮説された煉瓦造りの外壁、帝国軍の戦法を真似た塹壕を敷設して厳戒態勢となっていた
「敵襲~!敵襲~!敵…なっ!」
その外周の木製外壁に付けられた鐘楼から鐘の音と警備の叫び声が響くと、塹壕でうたた寝していた王国軍兵士達が飛び起きた。彼等は素早い手付きでボウガンの弓を引き矢をつがえると、塹壕から身を乗り出して構えた。
だが、塹壕の兵士達の耳にけたたましく響く鐘の音も、飛んできた砲弾で鐘楼が吹き飛ばされる事で直ぐに止み、塹壕の遥か先に見える森林から無数の戦車と装甲車が歩兵を引き連れて表れた。
「せっ…戦車だ…機甲師団ってヤツだ…」
「終わりだ…ここも、もう終わりだ!」
「嫌だ!死にたくない!ここから出してくれ!」
塹壕の兵士達は眼前に広がる戦車達に絶望すると、多くの者が諦めた様に塹壕内へ戻って行った。その表情は死や敗北を覚悟した表情しか無く、悲鳴に近い声を上げて逃げ出そうとする者が多発する始末であった。
「狼狽えるな!気持ちは解らんでも無いが、とにかく落ち着け!戦闘用意!」
敗戦ムード漂う塹壕の後方へと続く通路から黄土色の迷彩がかけられた服を着たハーピィの男が叫ぶと、兵達は渋々と言った具合に再び武器を構えた。
「フランケンシュタイン卿のお陰で、これまで生き残ってきたであろう!また素晴らしき策が我等を救ってくれる。それまで耐えるんだ!」
男が激励を飛ばしつつ腰の矢筒の矢をつがえると、溢れかえっていた敗戦ムードは少しだけ薄くなった。
「ラティボル卿…」
「言うな…俺だって怖い。俺達が今攻撃しても奴等には届かないし、敵の砲撃とか言うのは届く。負け戦まっしぐらの戦場で持久戦。それでもフランケンシュタイン閣下なら奇策の1つでも思い付かれる筈だ」
「私もそうである事を願いますよ」
副官のゴブリンが不安な表情でボウガンを肩に担ぎ呼び掛けると、ラティボルと呼ばれたハーピィは苦い表情で被っている鉄兜を直した。
待ち伏せ戦法を貴族に進言していたフランケンシュタインは、鎧や盾に意味がないと判断していた。そこで彼は部下に鎧と長剣を捨てさせ身軽な服装とボウガンに装備を切り替えていた。
多くの貴族から帝国軍の猿真似と揶揄されていたが、それでも死傷率を下げた事で配下の兵からは信頼されていた。
「まるで…ヒト族の侵攻ですな」
「少し前までなら、奴等よりまだ慈悲が有ったがな…来るぞ、衝撃に備えろ!」
塹壕から身を乗り出しボウガンを構えながら外の様子を覗いた副官が呟き、その隣で双眼鏡を覗くラティボルは戦車の群れに煙と光を見た瞬間叫んだ。
ラティボルの声が響き塹壕でボウガンを構えていた兵達が慌てて中に飛び降りその場で伏せた。その瞬間、伏せていた兵達を轟音と衝撃が襲いラティボルは伏せていた場所から吹き飛ばされた。至近弾によって塹壕通路の壁に背を打ち付けた彼は、爆風に流されるまま通路を転がった。
「がふっ!うぁ…」
「ラティボル卿!ラティボル卿、しっかり!」
「全く…最初の1発で挽き肉になる所だった…」
転げる勢いが止まり肺から息が吹き出て横たわるラティボルへ副官が駆け寄ると、彼は首紐の千切れ近くに転がる鉄兜を取った。敵弾に当たった訳ではないにも関わらず、へこみと歪みが出来ていた。
「俺も…よく生きてたな…」
「ラティボル卿、お怪我は?」
「大丈夫だ、問題…」
鉄兜を被り直したラティボルは、副官の言葉によろけながら答えた。だが、彼の言葉は続く事無く途切れた。
塹壕の手前から塹壕通路、後方には砲撃の着弾によって窪みが山程出来ており、塹壕通路には惨状が広がっていた。
「あぁ…うぁ…」
「腕が!俺の腕が!」
「衛生兵!えっ、衛生兵はどこだ!」
積み上げられた土嚢や地面があちこちで抉れ、その周辺には人だった物が散らばっていた。血溜まりには内蔵や皮、服の切れ端が散らばっていた。その周りでは直撃を逃れた代わりに重症を負った兵達がもがいており、未だに響く轟音が同様の惨状を量産していた。
「おっ、応戦だ!応戦しろ!」
立ち上がったラティボルは足元へ違和感を覚えると、千切れた右手を踏んでいる事に気付いた。その右手に恐怖すると、彼は叫びながら迫る戦車達に矢を放った。
ラティボルに続く様にまだ正気を保っていた兵達がバラバラではあるがボウガンを放ち、前進する帝国陸軍を止めようとした。
弧を描き矢の雨は帝国軍に降り注いだ。だか、戦車を盾にする歩兵達にはあまり矢が当たらず、戦車は塗装が剥げる程度だった。
歩兵への目立った被害を与えられず、ラティボル達王国軍は止まる事を知らない砲列に、ただ無意味に矢を放ち続けた。
「糞っ!こんなん意味ある…」
直接狙いを付ける程に戦車が近づいた塹壕で兵達がボウガンに再装填する中、榴弾とは異なる弾ける様な音が濁流の様に塹壕を飲み込むと、頭や体の1部が外に出ていた全ての兵士がその部分を消失させて吹き飛ばされていた。
「きっ!機銃掃…」
「うぇあっ!全員伏せろ!塹壕の中へ!」
驚く副官が流れ弾に当たり喉を引き裂かれ倒れると、ラティボルは顔面蒼白なりながら叫び塹壕へ飛び降りた。
「死ぬっ…皆、ここで死ぬんだっ…母さ~ん!」
「ラティボル卿!どうするんですか!」
「連中は!俺達を皆殺しにするつもりです!」
「ラティボル卿!どうすれば良いんです!」
恐怖で思考の止まった兵士達が塹壕で震え、半狂乱の者達はラティボルへと駆け寄った。
その叫びでラティボルは対抗策の無い王国軍の状況に苛立ち、鉄兜を歯を食いしばって地面に叩き付けた。
「糞が!あんなのどうすりゃ良いんだよ!」
怒鳴るラティボルに、周りで叫んでいた兵士達が静かになりながら彼へ注目した。その視線を受けたラティボルは、謝罪する様に手を上げると、ポケットからから手鏡を取り出し反射で外を見た。
鏡には迫る戦車とそこから放たれる砲弾と機銃、戦車の後ろに隠れる事を止め1列に並び塹壕へ射撃をする帝国兵の姿があった。その視線には一切の迷いが無く、この場で降伏しても撃たれないか疑問に思える状態であった。
目の前に広がる絶望を前に、ラティボルは苦しみの表情を浮かべた。後方へと伸びる通路を見た彼だったが、その通路に砲弾が飛び込み炸裂する状態や、木製の外壁や鐘楼が原型を留めない程の崩壊の前に決断が出来なかった。
「全員、突撃だ~!窮地の戦友を救うのだ~!」
絶望の空気が流れただ死を待つだけだったラティボル達の耳に、遠方から突然迫りくる怒声と無数の足音が響いた。
「とっ、突撃!誰だ、そんなバカな事言うヤツは!」
突然の声に驚いたラティボルは慌てて声の方向に鏡をずらした。
鏡に写っている光景は、塹壕を発砲する戦車や歩兵と、砲塔をずらして別な方向を狙おうとする戦車。そして一方的に王国軍を追い詰める帝国軍へと突撃する貴族とその軍が写った。
「アっ、アルニム卿!」
「援軍だ!援軍が来たぞ!」
アルニムと呼ばれた貴族は豪華な鎧を着たゴブリンであり、5万人に近い王国軍が帝国機甲師団へと突撃を開始していた。
「ラティボル卿、これなら!」
「アルニム卿、無茶だ!後退しろ!」
塹壕の兵士達が歓喜に湧く中、ラティボルは掃射の続く塹壕から叫んだ。
だが、轟音と雄叫びの前にはラティボルの声など蚊の羽ばたきに等しく、アルニムの軍勢は止まらず周りの兵士達さえ彼の言葉を聞かなかった。
「糞っ!このどさくさで逃げるしかない…全員、第2防壁まで退却!」
「ラティボル卿、味方を見捨てて…」
「お前はこれから先も予想出来ないのか!退却!」
外を見るための手鏡が被弾し砕けると、ラティボルは堪らず叫び後方へと繋がる通路へと走り出した。
それを呼び止める声が響いたが、その声は彼が叫ぶ前には止まっていた。
「退却!全軍退却!」
無数の爆音が響く後方を見たラティボルの視界に、榴弾で吹き飛ばされるアルニムの軍勢と帝国軍歩兵が火炎を放つ姿が写った。
「だっ!誰か火を消してくれ!」
「衛…生兵…衛生兵!」
「母さん!母さん、助けて!」
突然の増援に驚く事も無い帝国軍の攻撃を前に、アルニム軍勢は剣も槍も弓さえ交える事無く無数の損害を出し退却していた。
散々見てきた兵達の惨殺死体や内蔵を剥き出しにして母親を呼びながら泣く少年兵、火だるまになってのたうち回る兵を見たラティボルの足は更に速くなった。
「もう嫌だ!助けてくれ!」
「逃げろ!逃げ…」
「何が援軍だ!食糧も建物だって!街の殆ど吹き飛ばされて…うぁっ!もう…もう終わりだぁ!」
この世の終わりの様な酷い光景に、ラティボルの部下達も彼同様に泣き叫びながら榴弾が炸裂する通路を見た走り後を追った。