第七幕-2
帝国歴2413年12月18日の夕刻、ガルツ帝国国防陸軍は遂にジークフリート大陸最南端の州であるザクセン=アンラウの州境を突破した。
エアテリンゲン州におけるガルツ王国軍のアンブッシュ作戦は帝国軍の進軍速度を大幅に低下させた。基礎訓練終了後の高等訓練の期間短縮により戦闘に不馴れな新兵達には効果てきめんであり、戦死者を極端に恐れる帝国軍は待ち伏せていた王国軍部隊を完全に撃滅しなければ前進出来なかった。
そこに北方出身者が構成員の半数以上で熱帯雨林の密林や砂漠という高温多湿という気候に対応しきれなかった事が重なり、王国首都を擁するザクセン=アンラウ到達は、カイムや現場の将兵の予想より大幅に遅れた。
それでも、カイムの実施した軍装備の近代化と大量に投入される新兵器を前にした王国軍は敗走し続けた。
「これじゃ、敗戦を引き伸ばす為の時間稼ぎね」
「いやっ…国王一派の国外逃亡の為の時間稼ぎか?」
「あんた…流石の髭もそこまで馬鹿じゃないでしょ?ジークフリート大陸を出て、魔族が何処に行くっていうのよ?」
「いやっ…その…可能性の話だよ」
そんなザクセン=アンラウ州境の森林に設置された帝国軍南部方面軍総司令部テントでは、中にいる全ての人間が嫌な汗を流す様な空気に満ちていた。
「ヴェルモーデン海軍大臣、州内にある湾口の状況は?」
「はっ、総統閣下!潜水艦8隻にて完全に閉塞しております!外洋には駆逐艦シュトゥルムヴィントとシュターカーレーゲン、補給艦が湾内へ砲撃を行っております。蟻の子…いえ、イワシ1匹だって出られません!」
総司令部テントにて、カイムが状況確認の為にヴェルモーデンへ尋ねた。その言葉に、彼女はすぐさま答えると困った視線を隣のヴォイルシュへ向けた。
ヴエルモーデンの視線を受けたヴォイルシュは、歯を食い縛り深く息を吐くとゆっくりとした足取りでカイムへ歩み寄った。
「失礼ながら総統閣下!ここは最前線であり、御身は帝国国防軍総司令であります。このような最前線に出陣するのは…」
「内戦である以上、兵も同胞を討つので士気が下がります。ならば、指揮をする者も最前線に立ってこそ彼等も張り合いがある。何より、前線より遥か後方で指揮する者の言葉を真に受け入れる者は少ないでしょう?」
「閣下…ペルファル殿の事は…」
「"王様から動かないと、部下がついて来ないだろ"と言う言葉が有ります。東部戦線終結で気の抜けた私は御飾り総統だった。だからこそ、行動が必要なんですよ」
ヴォイルシュの言葉にカイムは卑下の笑みを浮かべて答えた。彼から直ぐに返されたその答えに、ヴォイルシュは返す言葉に迷うとただ黙って深く頭を下げた。
「止めて下さい、陸軍大臣。無能が必死になってるだけです」
「そうね、この根暗はほっといて勝手にやらせるのが1番。参っててもやることはやるし、行動力が有るから。でしょ、ブリギッタ?」
「私に振られても…そうですね。実際、総統が来てから進軍速度は上がりました。面倒な性格ですが、内戦の年内終結の為には必要かと思います」
頭を下げるヴォイルシュにカイムが声をかけると、アポロニアが茶々を入れブリギッタが巻き込まれながらもフォローを入れた。その発言で、テント内の軍高官たちは今後の不安から冷や汗を流した。
10月5日のペルファル戦死は直ぐにデルンの国防省に報告され、東部戦線終結に伴うインフラ整備や戦災地域への復興支援に頭を悩ませるカイムの筆を落とさせ呆然自失とさせた。
ペルファルの戦死は帝国の新聞各社でも大きく取り上げられ、帝国の内戦における戦勝ムードを一気に払ってしまった。内戦自体は勝っていても、貴族としてなの知れた将兵の戦死は大きな影響力があった。
そんな暗い空気に包まれる帝都とは正反対に、親衛隊本部は東部戦線後の再編成も程々に慌ただしく軍事行動を再開した。
そのカイムの独断による総統と親衛隊の南部戦線参加を察知したブリギッタは、個人の見解ではなく新設された皇帝近衛としてアポロニアに報告した。
この結果、帝都デルンでは出撃しようとするカイム達親衛隊第1師団とアポロニアが陣頭指揮を取る首都防衛連隊が正面衝突するという異様な状態がデルン街道に成立した。
結果から言えば、アポロニアとカイムが直接交渉する事となり、駄々をこねたアポロニアにカイムが対抗し続けた事で皇帝自ら出陣という緊急事態になった。
「恐れ多くも皇帝陛下、一応は軍属である総統は未だしもガルツ帝国皇帝自ら最前線に出向くのはもっての他です!これでは、敵に起死回生の機会を与える様なものです!どうか、せめて皇帝陛下だけでも帝都へ…」
「仕方無いじゃない?それにその言い方は出過ぎよ、控えなさい。軍の統帥権はカイムにある以上、彼が前に出てくる様な状態を作った事に問題がある…て言ってるのに、この男は止まらないから。"止めても行くって言うなら、私も同行させなさい"って言って、本当を同行させるとはね」
「要人の誰も居ない帝都…帝国においては初ですよ…」
冷や汗を流し続けるアルデンヌが顔を強張らせ頭を下げた。その彼の発言に眉をしかめたアポロニアは、地図を見ながら参謀達と共に戦力配置を確認するカイムを見ると笑顔と共に呆れた口調で言った。
口調に判してアポロニアの笑顔には信頼とほんの少しの憂いがあり、そんな彼女へブリギッタは頭を抱えた。
「だが、アルデンヌ空軍大臣の発言も一理ある。陛下が…」
「アポロニア…でしょ?」
「アポロニア…陛下がここに居る事で、政府高官まで動向し始めた。その結果、過剰な護衛の戦力が必要になる。そのせいで補給線が圧迫される。おまけに前線へ動員できないから、敵の防衛線突破にも繋がらない」
ザクセン=アンラウの地図を見たカイムは、戦線の進みの遅さと無駄に多い後方の守備隊の戦棋をつつき言った。
その行動に眉をひそめたアポロニアは、ゆっくりとカイム達の居るテーブルに近づいた。参謀達が近づくアポロニアの為に離れると、彼女はカイムの横に立ち地図の上の総統を表す駒を取った。
「そもそも、貴方がここに居るのがおかしいのよ。それに、貴方が動けば首輪も動く訳だし?」
「教皇を首輪にてくれた奴がよく言う…君が付いて来たお陰でせっかく撒いた彼女も引っ付いて来るし、それで前線も後方もてんやわんやだ。最近じゃ、面倒だから放っておいた余分な教会騎士団までハイルガルトに来てるんだぞ」
「"戦いは数"じゃないの?そんなに進軍が遅いって言うなら、前線に全ての兵力を送れば良いんじゃない。何なら私が前にでれば、他の兵も前に出る」
苦々しい表情を浮かべるカイムを前に、アポロニアは悪戯めいた表情を浮かべながら、自分を表す戦棋を含めた全ての駒をまとめてルデルブルクへずらした。
その身振りがアポロニアの人柄に合わない行動に感じたカイムは、彼女が無理をしているように考えた。そして、その原因が自分に有る事を思い出すと、カイムは自責の念に奥歯を噛み締めた。
「前線の補給が圧迫される。何より…これ以上、乱戦だ何だで戦線の混乱や賊軍の奇襲を許す訳にはならない」
自責の念に苛まれながらも言葉を絞り出したカイムは、アポロニアのずらした戦棋を戻した。
そんなカイムが普段の様な軽口を放つのを待ったアポロニアは、黙ったまま振り向き敬礼する彼に黙って驚いた。
「親衛隊の指揮がありますので、これで失礼します。国防各軍は状況及び進行経路の誤差を報告せよ。以上」
感情なくアポロニアへ挨拶しつつ各大臣へ指示を出すと、カイムは足早に国防軍のテントを出ていった。
「また親衛隊か…あの方は帝国軍の総統なのだぞ。親衛隊だけに御執心されては困るというのに」
「ヴェンデル、堅物の…いえ、むかしから騎士団長等をやっていた貴方には解らんでしょう…」
「そうでもないさ。総統が国防陸軍を信用出来んと考える理由は解る。ハイルガルト攻略の戦果で国防陸軍は調子に乗った。待ち伏せで進軍速度が遅くなっているにも関わらずだ。その結果が、ブルーノの戦死だ。同胞の戦死に慣れている訳ではない」
「"騒がしいバカ程、居ないと虚しい"と言うつもり?」
「ただの馬鹿なら構わんよ。だが、奴は有能な馬鹿だ…何より友人だ。それが、短いながらも"自分を支えてくれた将"ともなれば、総統の虚しさも解る。私も鎧から産まれた訳ではないからな」
ヴェルモーデンの言葉にヴォイルシュが静かに自分の意見を言うと、総司令部テントはみるみると暗い空気に毒されていった。
「止せよ、2人共。陛下の前だぞ」
「構わない。貴方達とて人間よ。"愚痴や皮肉は下から上に流れるもの"ってどっかの誰かも言ってた。なら、その不満を受けるべきは私よ。そうね…そう考えると、カイムは不憫ね。愚痴の1つも言えないんだから」
アルデンヌが暗い雰囲気を放つ大臣2人へ指摘すると、アポロニアはカイムの去った入口をただ見つめながら呟いた。
そのアポロニアの一言によって、再びテント内の高官達に沈黙が流れた。
「カイムさん、お茶を…あら?」
沈黙に沈むテントに明るい女性の声が流れると、入口から茶器を持った教皇アーデルハイトが入ってきた。笑顔で入る彼女は、普段来ていた白い教皇服ではなく黒を基調とした細身の服を着ていた。
「きっ、教皇猊下!軍のテントに一体何かご用がごさいましたか?」
「いえ?用という用はごさいませんよ?ただ、カイムさんから教わった"美味しい紅茶の入れ方"を実践してみたのです。せっかくですから、カイムさんに飲んで貰おうと思ったんです」
「猊下が自らお茶…ですか?」
慌てたアルデンヌがアーデルハイトの元へ血相を変えて駆け寄り敬礼すると、彼女は微笑みながら事情を説明した。その説明にはテントに居る高官達が驚きに黙り、ヴェルモーデンが呟いた。
「なら、カイムは親衛隊の所。ここには居ない」
「あら、そうなの?なら私はこれで失礼しますね」
アポロニアがアーデルハイトに一言いうと、彼女は茶器を乗せたトレーを持ち直してテントから出ようとした。
「神の使いが男追っかけて良いものなの?ましてや軍人でしょ?私が同行を頼んだのは東部戦線だけだけど?」
「神話から飛び出してきた"英雄"ですから。それこそ、神の使いだからしっかり使えないと。それに、彼は私達の思っている以上にまだ若い。そして繊細ですから」
「そうね、知識が有って運が良い若造ね。私でさえ現実を受け入れたってのに、まだ悔やみ続けてる。何が"過ちを悔やむ必用は無い"よ」
テントから出ようとするアーデルハイトの背中に声を掛けたアポロニアへ、彼女は笑って返した。その言葉に苦笑いで返すと、アポロニアはアーデルハイトへ軽く手を振った。
「速く行って、少しはあのイジけた態度を何とかさせて。でないと、隣に立つ私の程度が知られてしまう」
「そうですね。変な訛りが何時までも取れない皇帝に、お子ちゃま総統ですか?」
「なら貴女はどうなの?病みがちな教皇猊下?」
お互いに皮肉を言い合うと、アーデルハイトはうっすらと微笑みを浮かべてテントを去った。
そんな教皇の背を見送ったアポロニアは、深く溜め息をつくとゆっくり席を立った。
「コーヒーでも淹れようかしら」
「陛下!用意させますので…」
「結構、自分でやる。喫茶店開けるくらいには上手いつもりだから」
「しかし…」
「趣味なの。何なら、貴方達の分も用意するから」
歩み出すアポロニアをヴェルモーデンが止めようとしたが、彼女はそんな大臣達の言葉を聞かなかった。
「解りました…なら、お手伝いくらいはしますよ。私もコーヒーは趣味なので。酒は忍ばせますかな?」
「そうね…アイツの腹の底に貯まった毒を吐かせないと。柄にもなく趣味の1つもしないで戦争ばかりしてるから」
「それが彼の仕事ですよ、陛下?」
「気を抜いて気持ちを整理する必要があるって事。休む事も仕事の内なの」
準備を始めるアポロニアをアルデンヌが手伝い始めた事で、テントの中の誰も彼女を止める事が出来なかった。
カイムはコーヒーと紅茶に困る事が無かった。




