第六幕-7
「しまった…ワインの樽がどれだか伝え忘れた…まぁ、息子の事だ判るだろうな…」
あちこちで火の手があがる密林で、ブルーノは満月を見上げながら呟いた。彼は隆起した木の根を利用した即席の機関銃座に座り込み自分の左肩を軽く叩いた。その肩には深々と矢が突き刺さり、彼の軍服を真っ赤に染めていた。
「まさかあんなに弓兵が居るとはな…闇夜の密林となれば、無音の弓は強力だな…」
「はっはっは!機関銃にも消音器があればいいですがね?」
「馬鹿言え。サブマシンガンならともかく、そんなの直ぐに壊れるだろう」
密林の中に煌々と輝く松明の灯りを見つめて言ったブルーノの言葉に、衛生兵のワーウルフが彼に刺さる矢をへし折りながら笑って言った。その衛生兵の言葉に呆れて反応したオークの兵士は、機関銃座に刺さった矢を払うと弾帯の給弾クリップを押し込むとフィードカバーを勢い良く閉じた。
「しがし…皆良く耐えている。先に散った左翼の機関銃座の者達も、良くやってくれた」
「ブルーノ閣下、"何のこれしき"って奴ですよ!」
「爺だからって、早々にくたばる訳にはいきませんぜ」
「せてめ…ホルガーの坊っちゃんのために、敵を引き付けませんと」
ブルーノ達は2個の小隊をそれぞれ左右に配置し、中央に完全爆破処理された車両の火を囮とした。
立ち上る火を囮と気づかない王国軍残党は大破した車両へ真っ直ぐ突撃を敢行していた。そのおかげで、ブルーノ達の機関銃座による十字砲火は迫る王国軍残党の勢いを一瞬で止め、刀剣類で武装した騎士達の多くを排除した。
だが、機関銃が給弾作業に入る頃には敵との交戦距離が700m程度になっていた。それに加え、機関銃の制圧射撃や発砲の閃光を頼りにした弓兵達の放つ無数の矢や、手榴弾等の爆薬兵器の殆どを車両の処理に使用していた為、いつの間にか左翼の部隊が沈黙した。ブルーノが無線を切った時には、彼の目に左翼から機密保持の為の爆破処理の炎が天高く上がっていた。
「皆、私の意地に付き合わせて済まない…今からでもまだ…」
迫り来る残党を前に弱音を吐こうとしたブルーノだったが、小隊全員が機関銃の射撃に合わせて一斉に射撃を開始した事でその内容は銃声に掻き消された。
「閣下、それは言っちゃいけない!死にたくない奴なら、とっくに逃げ出してる」
「ここに居るのは中年以上だ。たとえ死んでも帝国軍人の家族だ、下手な連中よりよっぽど強い!」
「だからこそ…安心出来る」
降り注ぐ矢を物影に隠れたり上方を守れる板などで被いながら、兵士達は応戦しつつブルーノへ言った。
応戦する全員の表情は笑顔の中に死の恐怖が見え隠れしており、ブルーノは自分の軽率な発言に血の垂れる左拳を握りしめた。
「皆の意思…確かに受け取った。ならば…今はただ撃ち続けるのみだ!」
叫んだブルーノは、握っていた拳銃を前方で揺れ動く松明の灯りへ向けて撃った。彼の拳銃弾が小隊の発砲音に混ざり、小隊はその戦意を弾丸に乗せ有らん限り残党へ放ち続けた。ブルーノに至っては、弾の切れた拳銃をホルスターへ戻すと片手でサブマシンガンを乱射し始めていた。
「撃て!銃身が焼き付くまで撃ち続けるんだ!」
ブルーノや兵士達の雄叫びと共に、闇夜の密林に無数の銃声が響いた。
だが、ブルーノ達の戦意に反して弾薬の消費の早い機関銃から沈黙が始まり、気付いた時には携行火器の弾薬は完全に底をついていた。
「時代は変わったな。雌雄は戦場で付くはずなのに、この戦場に勝利者が居ないとは…」
密林に再び沈黙が訪れ、ブルーノは全てやりきった表情を浮かべながら木々の隙間から星空を見上げた。彼の周りでは、部下達が最後の時を思い思いに過ごしていた。家族への短い手紙を書きブーツの中へ仕舞う者や体のあちこちに名前を書くと足首に認識票を付ける者、そして最後の一服をする者等する事は様々であった。
「閣下、よろしければ1本どうです?」
空を見上げるブルーノの横で、紙巻タバコを吹かしている部下のシカ獣人がシガレットケースを開ながら彼に向けた。
その箱を眺め右手を伸ばそうとしたブルーノだったが、虫のごとく指を動かすと勢い良くその手をポケットに押し込んだ。
「止めたのは知ってますよ。でも、最後ですよ?」
「でもな…妻がタバコ嫌いでな。死体に眉をしかめられては堪らんよ」
ブルーノの言葉に部下が彼を見ると、片手のシガレットケースを胸にしまった。だが、今度は逆の胸に手を入れた。
「使って下さい」
「鼻もかむ!あの世で洗って返す!」
「まぁ、ハンカチくらい、いいですけど」
涙を流すブルーノに白いハンカチを渡す部下に、彼は鼻をすすりながら顔を赤くしてそれを取った。
「そろそろ…」
「ペ~ル~ファ~ル~!」
何度も鼻をかんでいたブルーノは、もう一度空を見上げ呟いたが、彼の声を掻き消すような雄叫びが響いた。
呆れる仕草で前方を見た小隊の視線には、彼等の必死の抵抗で殲滅した3千人以上の王国軍残党と、今さらの様に旗を掲げて突撃してくる豪華な鎧の騎士達のだった。
「あれは…閣下、連中テンペルホーフの兵ですよ」
「それなら、先頭の男がテンペルホーフか?変わり果てたな」
そう評価するブルーノの言葉通り、顔から精気の抜けきった姿を見せるテンペルホーフは、最早執念と憎しみだけの幽鬼そのものだった。
「ペルファ~ル!聞こえているのだろう!今その素っ首はねてやる!」
叫びながら一直線に走ってくるテンペルホーフに、ブルーノは両手を挙げた腰に当てて空を見上げた。その空には、白い尾を曳く無数の光があり、そればまるで流星群のようであった。
その轟音響かせる濃紺の星空に、小隊全員はただ黙って見つめていた。
「ホルガー…躓いてもいいから、元気でいろよ…」
砲弾の流星群はブルーノ達に降り注ぎ、エアテリンゲンの密林に闇夜を忘れさせた。木々を凪ぎ払い大地を耕し、地形さえ変えかねない砲撃は、日の出まで続いた。
敵味方合わせて、まともな死体は1つとして見付からなかった。