第六幕-6
闇夜に包まれたエアテリンゲンの密林は、大勢の人間の声による騒々しさに包まれていた。
ブルーノ率いるスタックした車両の救出部隊からの敵襲の報告と支援砲撃要請に、第3軍本部は援護の部隊編成や南方方面軍本部のあるハイルガルトへの通報等で大わらわとなっていた。
「父上…それはどういう事ですか…送れ」
荒れる第3軍だったが、本部の中央テントはまるで異界のごとき静けさに包まれ、ボルガーの驚愕が漏れだした声以外に響かない程だった。
「第3軍本部、こちら第6砲兵連隊ブルーノ准将。支援砲撃を要請する。射撃目標、我が小隊。そう言ったのだ。ホルガー、送れ」
本来でれば突然の奇襲に会ったブルーノ達は、敵を撃退するために敵の本隊や戦闘部隊を目標としてしてするというのが支援砲撃の流れである。それは第3軍本部の誰もが思った事であった。
だからこそ、ブルーノの予期せぬ攻撃目標の指定には、ホルガーどころかフィデリオやカーヤも絶句した。
「親父…父上!馬鹿な事を言わないで頂きたい!早く王国軍残党の座標を報告して下さい!送れ!」
「座標は既に報告したはずた。正確な座標は先程の通りだ。砲の半分は榴弾、残りの半分は焼夷弾と白リン弾で砲撃を実行せよ。送れ」
「その座標がおかしいと言いたいのです、父上!、送れ!」
「何がおかしいと言うのだ!敵を討てと命令しているのだぞ!軍人ならば、上官の命令を遂行してこそだろう!送れ!」
「敵を撃つ砲で味方ごと撃てと言…」
「くどい!」
砲撃命令を承服しかねていたホルガーをブルーノが一喝した。銃声と戦場の雄叫びの混ざる無線の言葉は、本部にいた多くの兵にはただの怒鳴り声に聞こえた。それはフィデリオ達上級士官も同様であり、一瞬だけ作業を止めると直ぐに救援部隊の手配を再開し始めた。
だが、その中で息子のホルガーや砲兵連隊所属の兵達の表情は明らかに子となり、ブルーノの命令が意地になって引っ込みがつかない等というものではないと理解した。
「父上…本気なのですか?」
顔を青くしたホルガーが無線に尋ねると、ほんの数秒の沈黙が流れた。
「ホルガー、私達の戦力は現状2個小隊。だが、敵の数は優に1万近い。保有する火器が機関銃程度の私達には、時間がない。このままでは、敵に車両や武装を鹵獲される。それが王国内に運ばれれば、終戦間近の内戦も泥沼の消耗戦になる」
「ならば父上!武装と車両を爆発処理し後退を…」
「ならん!」
「何が"ならん!"と言うのです、父上!」
「それが解らぬ貴様ではなかろう!」
ブルーノの言葉を受けても、ホルガーはまだ退却を促した。だが、彼の考えを否定するブルーノの言葉で流石のフィデリオも部隊指揮をカーヤに任せてホルガーの元へと向かった。
「ブルーノ准将、フィデリオです。閣下は御自分の命より、敵の装備鹵獲と戦線背後からの奇襲阻止を優先するおつもりか!それは対価としてはあまりにも高過ぎる!再考すべきです、早まってはいけない!」
フィデリオの発言はホルガーも良く判っていた事であった。だが、自分以外の人間に改めて言われた事で、彼は自分の父親の戦死が頭にちらつき冷静さを失いかけていた。
「そうです!生きてこそ得る事の出来る栄光が…」
「ならばホルガー!お前は父に、敵に武器を渡し友軍の背に一太刀へ浴びさせろと言うのか!お前は、父に生き恥をさらせと言うのか!」
フィデリオの発言に合わせるように、ボルガーがブルーノへと後退するため無線に呼び掛けた。
だが、その無線を混線させて叫ぶブルーノの言葉は先程までの余裕がなかった。その声に混ざる銃声はさらに激しくなり、既に敵軍との交戦距離が非常に近いという事実を伝えていた。
「解るであろう。車両や武装の爆破処理をして、どれだけ時間を稼ごうと援軍は間に合わん。ならばこそ!我等が背にいる若人達を守るため、この身を業火に焼かれるのは惜しくない!今ここで戦う兵は、大群を前に逃げず戦っている。己の死の未来を知って戦っているのだ!ならば!諸君らは将兵としての責務を果たせ!」
無線にブルーノの言葉が消え、彼が発砲したと考えられる銃声が響くと、ホルガーは受話器を握りしめた。
「父上…」
「ホルガー!撃て!お前は、父を後の世の歴史家に"無能"と言わせたいのか!敵を討て、ホルガー!父の屍さえも踏み越えて!」
震える受話器に呟くホルガーに、ブルーノの言葉が響いた。彼の最後の命令に言葉を無くしたホルガーだったが、彼の横に砲兵士官のイヌワシ男が陸軍敬礼と共に立った。
「ホルガー連隊長!砲撃準備完了しました…何時でも撃てます!」
その士官の言葉に、地図を手にしたカーヤとフィデリオはホルガーに歩みった。
「ホルガー大佐!ブルーノ閣下の部隊との距離ならば、急げば間に合います!」
「ホルガー、早まるな!お前達親子の策は悪手中の悪手だぞ!」
引き留める2人に見向きもしないホルガーは、イヌワシ男にただ頷くと深呼吸した。
「父上…言い残す事はありますか?」
先程までの熱のあった口調と異なり、ホルガーの言葉は冷静さを見せていた。
その言葉とうっすらと涙を流すホルガーの横顔を前に、参謀達どこかフィデリオやカーヤも黙るしかなかった。
「姫様と、カイムの小僧を支えてやってくれ。お前より若いあの2人は、何だかんだ言っても甘い。王国を裏切る南の連中をあっさり受け入れてるんだからな。私が出来ん以上、お前が引き継げ。それと…」
雄弁に伝えていたブルーノは突然口調を弱くした。それを前に、ホルガーは一瞬眉をひそめたが、全てを理解すると1度だけ頷いた。
「母上には自分が伝えます。お任せ下さい」
「家にお前と同じ歳のワインがある。内戦が終わったら、母さんと一杯やってくれ…最後に、私以上にもっと良い男になってくれ」
無線に響くブルーノの父親としての声に、ホルガーは鼻をすすると歯を食い縛った。
「ホルガー・フォン・ペルファル大佐!ブルーノ・フォン・ペルファル准将、連隊長命令である!野戦任官准将として、第6砲兵連隊を率い敵を討て!後は任せた」
ブルーノからの通信が切れ、無線にはただ雑音しか流れなかった。
その無線を前に立ち尽くすホルガーは、肩を震わせながら受話器を置いた。そのまま胸元から白いハンカチを取り出し広げると、顔軽く拭いた。
同情の声を掛けようとしたフィデリオは、カーヤに肩に手を掛け止められると、王国軍残党討伐の配置を変更するための作業に入った
「ホルガー准将、拝命いたしました!」
目元を赤くしたホルガーは、無線機の前で敬礼をすると彼同様に涙を流す砲兵達に向き直った。
「これより、第6砲兵連隊は敵を撃つ!ブルーノ准将へのせてめもの手向けだ、派手に吹き飛ばすぞ!」