第六幕-5
「良し!ライナルト、エンジンかけろ!全員、ブリッツを押せ!」
密林に良く響く低い声でブルーノが声を出すと、彼の部下数人は一斉に輸送トラックを押した。
第1軍から再編成で第3軍に編成されたブルーノ率いる砲兵連隊は、指揮車両と重榴弾砲の牽引車1両が泥濘に嵌まっていた。
それにより、ブルーノと2個小隊がその対応を行っていた。
「親方様…いえ、准将…ホルガー大佐の言う通り、重砲は編成から外すべきでしたな…」
「そうかも知れんな!"老いては子に従え"だな!数日前の私に言ってやりたいよ!」
ブルーノの横で彼の古株の死霊族の部下が、年齢で深くなったシワだらけの青い顔を赤くしながら牽引車を押して言った。彼の言葉を受けたブルーノも、背中で牽引車を押すと力みながら叫んだ。
車両を押すために残った小隊は、ブルーノを含め中年や老人で構成されていた。これは近代兵器の扱いの方が馴れている若い兵士を戦線に出来るだけ早く到着させる為の苦肉の策だった。
「素早き侵攻こそ最も重要であった筈なのに…砲撃の威力にそれを忘れるとは…このペルファル、戦いの中で戦いを忘れたか…」
「ブルーノ准将!儂ら老人は、もう若い連中にあれこれ言えなくなってしましましたな!」
「おいおい!爺なのに使えるのは頭ではなく体か?儂らは時代遅れだな!」
ブルーノは上着の袖をまくり、筋肉に血管を浮かせながら牽引車を押した。だが、自分自身を批判する程の余裕があるブルーノの姿に、他の隊員達も顔を赤くしながら彼の発言に反応した。
部下達の自嘲にブルーノが笑い始めると、部隊の全員が力みながらも声を出して笑った。
牽引車や指揮車のスタックという事態でも明るかったブルーノ達は、数十分の悪戦苦闘によって日が落ちきる前に牽引車を泥濘から押し出す事に成功した。
「後は、牽引車で指揮車を引っ張り出せば何とかなるか。全員、作業に掛かるぞ!」
ブルーノの指示にて、隊員達は重榴弾砲の牽引車に搭載されたフックを指揮車両の前面にくくりつけた。
そのまま十数人がかりで指揮車を押し、牽引車がフックのワイヤーを巻き取ると、指揮車はゆっくりと泥濘の中から這い出した。
エンジン吹かし車輪を数回空回りさせながらも前進する指揮車に、泥でズボンと靴を汚した全員が安堵の表情を浮かべた。
だが、指揮車の引き上げに牽引車を使っても日暮れには作業が終わらず、ブルーノ達が移動を再開しようとした時には密林は暗闇に包まれていた。
「ホルガー達は…第3軍本部に合流しただろうか?」
「そりゃそうでしょう。今までの行軍速度から考えれば、夕方頃には到着してる筈です」
「なら、急いでも本部近くに到着するのは明日の明け方か…フィデリオ殿には迷惑をかけたかな?」
指揮車内の僅な灯りで時刻を確認したブルーノに、地図を見るヤギ獣人の部下が答えると、彼は壁の梯子に足を掛けると屋根を覆う偽装ネットを掴んだ。
泥濘を避けつつ護衛の歩兵達を率いる連隊指揮車と重榴弾砲と牽引車の行軍速度は、急いでもペースのゆっくりとしたものだった。更に、灯火管制で灯りを殆ど使えない事も彼等の速度低下の要因だった。
「流石に、歩兵用の懐中電灯5つでは数十m先も怪しいか…」
オープントップの指揮車の偽装ネット越しに外を覗き呟くブルーノの言葉通り、部隊の前方は密林の枝葉によって月明かりさえなかった。
帝国の制圧下でも、部隊には薄気味悪いという感覚を通り越した恐怖感が流れていた。
「しかし…こんなに暗いんじゃ待ち伏せにもってこいだ…ん?」
暗闇の前に、使いどころのない片手の双眼鏡を一瞥したブルーノは、周りを何と無しにみ見ながら呟いた。
だが、その呟きは突然止まった。指揮車内の参謀や兵達は、突然黙ったブルーノに視線を向けた。彼等はブルーノの反応から異常を理解したが、それと同時に彼が北西を向いているという事に気付いた。
慌てて車内の全員が後方を見るために車両から乗り出すと、既に多くの歩兵達は北西の方向に警戒を向けていた。
「この中で、ライヒガルムから北西方面から前線に合流する部隊の報告を受けた者は?」
突然得た双眼鏡の使いどころにブルーノは北西に見えると、そこには不自然に多い灯りかついていた。
その光景は灯火管制が敷かれる現状では明確な命令違反である。
その光景に驚く参謀達は一斉にブルーノへ首を横に振ると、ブルーノは外で警戒する兵を見た。彼等はブルーノの視線を受けると全員が首を振って増援の話など聞いていないと主張した。
闇夜の密林の静けさの中でエンジン音が響く事に今更気付いたブルースは、無線を取ると指揮車の操縦士や牽引車の操縦士達に叫んだ。
「エンジンを切れ!今すぐ切れ!」
だが、ブルーノの叫びは遅く、遥か数km先の灯りは男達の雄叫びと共に近付いていた。
「ブルーノ准将!」
「王国軍残党の討ち漏らしか!車両は全速力で進め!」
参謀の言葉にブルーノは無線へ向けて叫ぶと、車両2台は急発進しようと車輪を回しエンジンを吹かした。その車両の乗れる場所やしがみつける所に兵達が取り付くと、操縦士達は車両を発進させた。
「急げ!早く第3軍と合流を…」
そう言いかけたブルーノは、突然車両が揺れて止まると顔を青くしながら車両のタイヤを覗き見た。
ブルーノの視界には泥濘に再び嵌まるタイヤか見え、慌てて前方の牽引車を見ると指揮車同様に再び泥濘に嵌まる姿が写った。
「本当に"老いては子に従う"べきだったか…」
呟くブルーノの後ろでは、既に参謀達が兵を指揮し防衛線の構築を始めていた。
彼等の表情は既に激しい戦闘を覚悟した険しくも穏やかなものであり、ブルーノは自分の口から漏れた嘆きを恥じた。
「ブルーノ准将!敵にみすみすこんな良い物渡すくらいなら、最後の一兵まで抵抗ですよ!」
「こんな所で、内戦を泥沼にさせる訳にはいきませんぜ!」
「若者に世話かける訳にはな…」
指揮車の近くで機関銃座を作る中年の種族の異なる3人組が、ブルーノに笑って言った。彼等の作るその笑顔は、決して死を恐れていない訳ではなかった。
ただ、老人として出来るだけの事をしようという意思に、ブルーノも覚悟を決めると無線機を手に取った。
「第3軍本部、こちら第6砲兵連隊ブルーノ准将。支援砲撃を要請する!」