第六幕-2
エアテリンゲン州を南下する帝国陸軍の進軍速度は一定か低下の2つしかなかった。
そんな帝国陸軍において最も進軍速度が低下していたのは湿地帯を通る西方部隊だった。
「了解した。はぁ…カールハイツ大隊長…」
「聞きたくない…でも、言って…」
「第3中隊の37号車が泥濘にハマって、無理やり前進したら履帯が切れたそうです」
エアテリンゲン州の西側は湿地帯であり、言い換えればジャングルといった環境であった。
湿地の泥濘や隆起の激しい地面、整備されていない道に生い茂る木々は車両にとって最悪の環境であった。だが、通常装備の歩兵だけでは戦力的に心許ない為に、西方侵攻部隊はやむを得ない不適切な戦場への戦車投入を余儀なくされていた。
「折角、カイム君…いや、総統閣下が先行試作の湿地帯仕様を無理して送ってくれたのに…」
カールハイツの言葉通り、カイムや帝国陸軍は夏の目覚め作戦発動直前から量産されている戦車の局地戦仕様の製作に取り掛かっていた。
ベンヤミン率いる第2戦車大隊に配備された砂漠地帯仕様は、エンジンに防塵フィルターや車体の完全防塵に冷暖房等と比較的簡素な改良だけであった。
だが、湿地帯仕様の変更点は他の局地戦仕様と比べ物にならなかった。履帯幅の大幅延長や砲弾ラックの耐湿装置の設置、数えきれない改修により同じ戦車であっても全く別物に見える程であった。
そのため、本来なら湿地帯仕様戦車達は起動試験や様々な試験を行ってから実戦への先行配備となる。
だが、予想より早く帝国軍が優勢となり守勢の戦線が攻勢に転じた事や、カールハイツの通信によるカイムへの直談判で、戦車達は試験無しに実戦を強いられていた。
「大隊指揮車、こちら第1中隊1号車。大佐殿…履帯切れはこれで3回目。行軍停止はエアテリンゲンに入ってから15回目です。第3はウチが援護します。送れ」
「大隊指揮車、こちら第3中隊33号車。申し訳ありません。回収車の手配をお願いします。それと…回収車に"気を付けて走らせろ"と伝えて下さい。送れ」
試作品であるが故に、第1戦車大隊の行軍最中には多くの車両トラブルが発生していた。
その度に各部隊が援護し合う事で、王国軍の奇襲を受けても追い返し奇跡的に戦死者だけは出ていなかった。
「まただ…、また雨だよ」
「小雨に見えて、これがどしゃ降りになるんだろ?嫌だな」
ゴブリンのレオナルトがハッチから外を眺めると運転席の悪魔のヨハンがぼやき、キューポラに立つカールハイツは空を見上げた。生い茂る木々の隙間から見える曇天からは雨が降り始めた。
その雨はヨハンのぼやき通り、雨は数分後に大雨へと変わった。
「はぁ…またこの流れか…そうなると、ハーラルトそろそろ…」
「来ましたよ大佐、第1中隊から通報です。王国軍の弓兵が大隊規模で攻撃してきたそうです。第2歩兵大隊と応戦中との事」
キューポラの覗き穴から外を警戒しつつカールハイツがリザードマンの無線手に問い掛けると、彼は辟易した表情で振り返り答えた。
「確かベンヤミン達の進路が東にずれてたよな。援護で他の部隊も東に寄ってたし…第2歩兵大隊が援護に回ってるとなると…不味いぞ、これで中央との戦線に穴が空く!」
防水加工された地図を片手にカールハイツが呟くと、車長席に座る彼の手元を砲手と装填手の2人が覗き込んだ。
「穴っていっても1kmですよ、大佐。それにその後方2kmには味方だって居ますよ」
「それだと、その"味方"…この第3軍ってのが問題で?」
地図に書かれた味方の印を指差しレオナルトが言うと、彼の言葉に溜め息をついたカールハイツにインキュバスの砲手が続けて言った。
その砲手の言葉に、カールハイツは数回頷くと地図上よ第3軍の先頭部隊を指差した。
「鋭いな、マルク。新設の第3軍は、アンハルト=デッサウ…今はフィデリオだったか?彼が指揮を取ってる。判るだろ?」
カールハイツの説明に、車内の全員が眉をひそめると一斉に黙り込んだ。
「西の連中が装備を持って前線に…」
「大佐!まさか連中が裏切るとか言いたいんですか?」
マルクが帽子を取り生糸の様な細い前髪を掻き上げながら不満気な表情で言うと、その意味を察したレオナルトがカールハイツに詰め寄って言った。
その緊迫した表情に圧されると、カールハイツは軽く手を振りながらレオナルトを席に戻した。
「確かに、連中はゴタゴタを起こしてまで帝国の味方に付いたよ。だけど、王国軍の連中がちょっと負けると直ぐに掌を返すんだ。人数差だけに圧倒されて降伏されたら、装備も兵器も全部敵に渡る。まぁ、可能性の域を出ないけどさ…」
冷酷だが考えられない事もないカールハイツの意見に、車内には冷たい空気が流れた。
その空気に呑まれたレオナルトは、地図上の戦線に空いた1kmが絶望にしか見えなかった。
「カールハイツさん。これは俺の予想ですけど…もしかして戦車を無理矢理編成に入れたのって…」
ヨハンが操縦桿に肘を突き、額から伸びる角に手を添えながら言った。その口調は、彼の中で結論が出ているせいか弱かった。
「裏切った時に、確実に仕留められる様に…ですか?」
ヨハンが言い切ると、車内全員の視線がカールハイツへ向いた。
その視線を一身に受けつつ、カールハイツは深く頷きながら後頭部を撫でた。その表情は苦虫を噛み潰した様であり、その顔を見た全員が何も言わずに静かに黙った。
「第3軍は戦力的ににも大きいし、何より無傷だ。信頼はしてる。でも信用は出来ない」
カールハイツの柔和な目付きが鋭くなり、青い瞳から強い圧を感じると、全員が溜め息混じりに納得したと言いたげに頷いた。
「まぁ…軍人ですし、命令となれば何でもやりますよ」
「国の危機ですもん。敵なんて選びませんよ」
「不穏分子が銃器持つなんて、おっかないですよ…そりゃ、いざとなれば殺りますよ、勿論」
搭乗員達からの納得に、カールハイツは静かに頷くと、背もたれに体重を掛けた。その表情には若干の疲れが見えたが、彼は活を入れる為に自分の頬を叩くと深呼吸した。
「不穏分子との小競り合いやってるんじゃ、新世界は黄昏の国だな。そんな世界を作らない為にも、さっさと王国とか言う連中を始末しようか。ウチの残りとアンネリーエ大隊で巣穴から出て来た毒蛇を包囲、駆除しようか」
カールハイツの物腰柔らかな口調から出る言葉に全員が反応しずらい表情を浮かべると、それぞれが自分の配置に戻っていった。