第六幕-1
「全くよ…何で南ってのは昼は暑いのに、夜はこんなに寒いんだ?ハイルガルトはそんな昼夜に差は無かったぞ!流石の俺でも布が薄いから寒いぞ…」
「だったら車内に入ったら良いじゃないですか、ベンヤミン中佐?せっかく砂漠地帯仕様なんですから」
「冷暖房は苦手なんだよ…空気が乾燥してな…」
南部戦線がマーデン=カールスベルク州を越え、エアテリンゲン州に突入すると戦闘の状況は大幅に変化した。
エアテリンゲン州はジークフリート大陸の南方の大部分を占める州である。その地理は西側に湿地帯が広がり、中央には砂漠地帯、東側には鉱山が乱立する山岳地帯という州である。
そんなエアテリンゲン州の中央にある砂漠地帯をベンヤミン率いる第2戦車大隊が前進していた。
帝国軍が内戦において攻勢に転ずると、それに対応しようとする王国軍は帝国軍の行っていた散兵戦や待ち伏せを多用し始めた。
その結果、帝国陸軍は突出した戦線を持つ事を避けるために西側と中央、東側の3つの方向から一斉に進軍を始めた。
「たっくよ…空の月はメルクス=ポルメンと変わらねぇのに、右見れば砂。左見れば砂丘…エアテリンゲンなんて3日で飽きるよ」
「エアテリンゲンは場所にも依りますし、砂漠は砂漠で楽しめますよ。まぁ、1月は耐えられなくちゃ…」
「そう!イーヴォの言うとおり。あっ、車長!野生のラクダ!」
「ドミニク…砲の照準器は観光用じゃないぞ…」
一見優勢に見える帝国軍は度重なる王国軍の待ち伏せと兵力の不足、伸びきった補給線の安全確保の前に進軍速度が低下していた。
その結果、10月1日になってもエアテリンゲン州を突破しザクセン=アンラウ州に侵攻出来ない状態だった。
「へぇ~、東部戦線は1月前に終結したのにな…イーヴォ曹長、定時報告は?」
「第1から第3戦車中隊も、先行する第1から第3偵察小隊も異常なし。後方の第1歩兵大隊も、他の部隊からの通報も無し」
「敵さんも夜中の2時には戦争したくないか…」
砂漠地帯様の薄手の軍服のベンヤミンが、キューポラから車内を覗き通信手である悪魔のイーヴォに報告を求めた。だが、彼の報告は車内に気だるい空気を撒き、砲手のトラ獣人のドミニクが堪らずぼやく程だった。
「月明かりに照らされる砂丘ね…俺は飽きたけど、娘には何時か見せてやりたいな…」
そんな暗い車内に身を半分残し砲塔の側面ハッチから双眼鏡で警戒するイグの装填手が呟いた。
その発言に大隊指揮車内の全員が驚愕すると、イグの男をドミニクが車内に引きずり込みベンヤミンさえ車長席に戻った。
「アンドレアス!お前子供居たのか!男か女か?そもそも結婚してたのか!」
「ドミニク、引っ張るなよ!尻尾が伸びるだろ!」
「うるさい!何で黙ってた!独身が俺だけだから気を使ったってか!」
アンドレアスと呼ばれたイグは、長い尻尾と襟を掴んで揺するドミニクに口をへの字に曲げて嫌そうにした。
襟と尻尾から手を離しても嘆き続けるドミニクに、アンドレアスは胸ポケットから小さな紙切れを取り出した。
「写真なんて良い物は無いがな…娘からの御守りだ」
大事そうに掴むアンドレアスに、ベンヤミンはジェスチャーで貸してくれと頼んだ。それに頷くアンドレアスは、左斜め上のベンヤミンに渡した。
「"お父さん、早く帰ってきてね。お母さんと待ってるよ"か…」
「中佐こそ、娘さん2人に奥さんでしょ?写真とか持ってないんですか?」
アンドレアスの娘からの御守りの内容を読むベンヤミンに、アンドレアスは彼を指差しながら尋ねた。
アンドレアスの言葉に、ベンヤミンは気恥ずかしそうに帽子を取って頭を掻くと、その手を帽子の中に突っ込んだ。
帽子から出たベンヤミンの手には、シワの付いた1枚の白黒写真が出てきた。
「ほら。俺の奥さんのカロリーネに、娘のラーラとツェツィーリエだ」
「おぉ、本物の写真だ…」
「ドミニクさ…驚くべきなのは写真じゃなくて、何でこんな強面の男がこんな美人な…悪魔族?」
「アンドレアス、強面が美人なヤギ獣人の奥さん貰って悪いのか?」
「中佐、アンドレアスの言う通りですよ。あんた女の前だとおっかない顔して黙るでしょ?皆、怖がって逃げるのに…」
「イーヴォ…言ってやるなよ…」
戦車内でベンヤミンの写真が回されると、それを見た搭乗員全員が感想を述べその感想にベンヤミンが反論を言った。
だが、イーヴォの発言とその隣の操縦手の発言により、車内は微妙な沈黙に包まれた。
「カールハイツさんの手引き?」
「フリッツさんって、女の知り合い居たっけ?」
「いや、どうだろうな?あの人意外と奥手だから…」
「じゃあ、中佐が口説いたの!まさか…ねぇ…」
車長席のベンヤミンを無視して搭乗員の全員が意見を交換すると、額に血管を浮かせたベンヤミンが隊員それぞれに四肢を飛ばした。
「うっせぇ!お前ら、俺をおいてくっちゃべるな!いいぞ、どうやって付き合ったか当てた奴は俺が100ベルクくれてやる!そら、賭けろ!」
ベンヤミンの半笑いで言った言葉に、全員は1度沈黙するとお互いを見回した。
暫く沈黙が続くと、全員が耐えられなくなり吹き出して笑いあった。その声は車内に響き、近くを走る護衛戦車のキューポラにいる車長まで気付く程だった。
「なら、全員で生き残って賭けないと…」
「第3偵察小隊から緊急通報!南東10km先に敵集団!報告にあった重装トロールが居るようです!」
ドミニクが納得したように呟いた時、通信手のイーヴォが叫んだ。
その言葉に、全員が一斉に緩んだ空気を引き締めベンヤミンがキューポラから車外に身を出した。
「第3偵察小隊から10kmなら、第3戦車中隊から11km。ここからは12kmはあるのか…」
キューポラで車内の灯りを利用しつつ地図を確認したベンヤミンは、随伴の車両にハンドシグナルを送るとタコホーンのスイッチを押した。
「第2戦車大隊、こちら大隊指揮車。通報にあった敵集団を撃退する!全部隊集結!戦車前進!」
ベンヤミンの指示に、大隊全車が集結の為に動き出した。
「早く…家に帰りたいよ…」
キューポラでぼやいたベンヤミンの言葉は、誰も聞いていなかった。