第五幕-6
「あっ…えっ…ふっ、船が砕けた?」
湾の先で轟沈する偽装貨物船は、もはや船であった事さえ嘘のような木片に変わった。奇跡的に船の形を残していた船尾は猛烈な炎を上げながら海中に飲まれていった。
「いやはや…海の狼さんは派手だね。貨物船とは言え、あんな帆船1隻に魚雷を何発使うんだ」
「全門で6発なら、あれ4発くらいじゃ無いですか?」
「帆船に魚雷4発って…これは流石にやりすぎですよ」
「出番が欲しいんだろ、海軍さんはよ?何たって潜水艦以外は何も無いんだからよ」
「話し半分で聞いてましたけど、まさか本当にこっちに来てたんですね、潜水艦」
「だって総統が直接指示出してんだろ?なら来るに決まってるだろ」
憎んでいた復讐の対象達が突然海の藻屑となった事に、悔し涙を拭う事を忘れ呆然とするカテリーナの横で、キルシュナーとクラリッサを含めた空挺中隊第1小隊が燃える流木だけになった貨物船を眺めて感想を呟いた。
その口調は至って軽く、そもそも現状を理解出来ていないカテリーナにはそんな彼等の反応が理解出来なかった。
「これは…一体…」
そう呟く彼女の視線の先には闇夜の湾が広がっていた。その湾も火と煙を上げる貨物船の残骸の周りは明るくなっていた。
その残骸の近くが不自然に波打つと、まるで海面を斬るような大きな波が立ち始めた。その波は瞬く間に大きくなり、最後には剣先の様な潜水艦の艦首が海面を切り裂いて現れた。
突然の潜水艦登場とそれを初めて見たカテリーナは、驚きの余り口を開いたがそこから言葉は出てこなかった。
「なっ!なっ…あれ!あれ、何ですかあれ!化け物!」
やっと言葉が出て来て彼女も、普段の人を食った様な態度も忘れて叫んだ。
そんなカテリーナの反応に、親近感を覚えたクラリッサは茶化し半分で呆れる様に肩を竦めた。
「そんな慌てて…未来の海軍将兵が自軍の兵器を化け物って…」
「だって!だって、そうでしょう!あんな船を粉々に砕くなんて伝説の中の海龍とかでしょ!」
クラリッサの言葉に、継母やその仲間への鉄槌を下せなかった悔しさや突然の急展開に追い付けなかったカテリーナは堪らず叫んだ。
そのまま同意を求めるように隊員達へ視線を向けたが、殆どの隊員は苦笑いを浮かべていた。
「まぁ、自分も実物は初めて見ましたから。知ってると知らないとでは感覚も違いますよね」
唯一血糊まみれのシュテファンが庇うような発言をしたが、海軍の兵器だという発言を今更理解したカテリーナの耳には全く届いていなかった。
「クラリッサさん…今さっきあれが海軍の兵器と言いました?」
ようやっとクラリッサに潜水艦について尋ねたカテリーナは、ただ黙って指差す彼女の指を追った。
その指は偽装貨物船が停泊していた桟橋に向かう潜水艦を差しており、完全に浮上した艦橋や甲板には水兵達が監視の目を光らせていた。
「私は空軍ですから細かい事は知らないですけどね。あれは潜水艦って言って…総統とか軍の上層、私達みたいな特殊部隊しか知らない秘密兵器ですよ」
「潜水?船なのに海中へ潜るんですか?なら、どうやって攻撃を?そもそもどうやって…」
軽く説明をするつもりだったクラリッサにカテリーナが詰め寄ると、彼女はその熱意と切り替えの速さに若干引いていた。
そんなカテリーナの肩を掴んで引き剥がすと、クラリッサは数回軽く頷いた。
「解ったから…細かい事は、あそこの偉いさんに聞いてみて下さいよ」
自分を見詰めるカテリーナの頬に手を当て横を向かせると、クラリッサは改めて桟橋へ近付く潜水艦の艦橋を指差した。
そこには海水でくたびれたシャツにシワだらけの海軍の制帽、汗や塩で荒れ放題の灰色の体毛に左眉から頬に切り傷を残すオオカミ獣人の男だった
「接岸用意!お前ら、さっさと動け!」
「了解ですよ!艦長殿!」
そのオオカミ男が指示を出すと、甲板の男は桟橋への接岸の為の準備を素早く行い始めた。
桟橋近くに停まった瞬間に、甲板の水兵達は係柱にもやいをくくりつけ瞬く間に艦を停泊させた。
「任務、お疲れ様です!帝国空軍空挺第1中隊中隊長のファイト・キルシュナー大尉であります!」
「任務ご苦労。U-001艦長のクリストフ・ツー・クレッチマー海軍大佐だ。予定通り…とは少し違うが、貴官等を回収しに来た」
桟橋へ足早に向かったキルシュナーは空軍敬礼に所属の報告を入れると、クレッチマーは海軍敬礼で返礼しつつ後方にまだ浮かぶ残骸を見て言った。
「面目次第も御座いません。こちらの不覚です」
桟橋を下りるクレッチマーに頭を下げてキルシュナーが謝罪をすると、空挺第1小隊隊員全員が慌てて整列すると頭を下げた。
「協力者は無線機も無い。味方も殆どの居ない。噴進砲もなければ銃火器だけなんだ。君達は善くやった」
そう言いつつ頭を上げさせたクレッチマーは、空挺部隊の中に居るカテリーナを見付けた。彼は乱れた顎の体毛を撫でつつ彼女の前に立つと、切れの良い動きで敬礼をした。
「初めまして、シュペー卿。クリストフ・ツー・クレッチマー海軍大佐です。以後、お見知り置きを」
「初めましてクレッチマー大佐。カテリーナ・フォン・シュペーです。大佐殿、民間人にそこまで畏まらないで下さい」
クレッチマーの敬礼に一礼で返すカテリーナは、弱々しくもかしこまった態度で答えた。
「見え透いた小娘のフリは止めて戴こう。北の海軍軍人とは言え、シュペーの話は知っている」
その態度に軽く言葉を返したクレッチマーに、カテリーナは態度を改めた。
「東方海軍の秘蔵っ子という割に、私は有名人ですね」
「海軍では…ですがね」
潜水艦を眺めながら言ったカテリーナの皮肉に、クレッチマーは顔の毛並みを整えながら答えた。
「キルシュナーさん達を回収しに来たと言いましたが、何故あの大統領の船を…沈めたでいいのかしら?」
「轟沈が正しいかと。沈むのに3分も掛かりませんでしたからな」
「なら、何故轟沈させたのですか?これだけの力が有れば…拿捕だって…」
カテリーナの暗い口調にクレッチマーは毛並みを整える手を止めると、撤退準備を始める空挺第1小隊を一瞥した。
「そもそも、彼等の任務はシュペー内閣官僚の暗殺とコンダムの混乱を発生させ共和ガルツの戦意を削ぐ事。あんな女はそもそも捕まえる必要も無い。総統からの命令も、彼等が大統領一味を取り逃がした時に纏めて消し飛ばせというもの。それに…共和ガルツへ無制限攻撃の命令も出ている。前線は…あっちで起きいてる暴動よりもっと過激で残忍だ。つまり、貴女がわざわざ手を下す必要も無いという事だ」
騒乱の明かりが見える街の西側から書類ではち切れんばかりの荷物を持った空挺第2小隊を更に一瞥しつつクレッチマーは言った。
その口調は冷静そのものであり、復讐の熱がまだ残るカテリーナの口調とは相反するものだった。
「貴女も軍人なら、大局的に物を見なさい。個人の復讐を混ぜたからこそ、貴女の作戦には綻びが生まれた。軍人ならばこそ、持つべきは大義だ。負の感情ではない」
諭す様に言ったクレッチマーは、髭を蓄えた副官のゴブリンであるヴェルナーから書類を受けとるとカテリーナへ渡した。
「だが…東方の共和主義や共産主義を根絶やしに出来た事を総統は評価している。損害を出させたのは不幸だったが…仮にあれが復讐一心で考え準備させ実行したなら、この書類は受け取るな。そうでないのなら、受け取ってくれ」
クレッチマーの手に持つ書類を奪うように取ると、カテリーナはその書類を素早く捲り確認した。
「帝国軍の進行予定図に…"カテリーナ殿に共和ガルツの鎮圧と帝国への降服を促す様に内部工作を依頼したい"…冗談か何かで?」
「総統は東方での内戦による被害を抑えたいんだ。その点で、軍に内通し知名度もあり有能。そして…」
「シュペーの娘だから?」
カテリーナの発言に言葉を詰まらせたクレッチマーは、帽子の鍔で顔を隠すと自身の艦を見た。
既に撤退準備を完了させていたU-001は何時でも出発点できる状態だった。
「無理なら構わないよ。その書類も好きにして構わないそうだ。それでは」
「クレッチマー大佐!待って!」
カテリーナの問い掛けを無視して桟橋へ向かうと、クレッチマーは艦を出港させた。
突然身に降り掛かった様々な出来事に呆然としたカテリーナは、1人になった桟橋で佇んだ。
「カテリーナ様、遅くなりました!あれ?空挺部隊の連中は?」
遅れて部隊を引き連れ到着したウッカーマンが謝罪をしつつカテリーナへ尋ねた。
そんな彼や彼の引き連れた部隊を無視すると、カテリーナはまだ騒乱の収まらないコンダム中央へ向けて歩きだした。
「ウッカーマン…参謀本部は?」
「健在です。軍は我々の息の掛かった連中のみで、前線の馬鹿連中は帰って来ませんよ」
「今の冗談は?」
「参謀本部が暴徒に協力したことで、代理政府は我々が引き受ける事になりました」
カテリーナの質問にウッカーマンが淡々と答えると、彼女は突然歩みを止めた。
「ウッカーマン。私は軍人に見える?」
「この場の誰より軍人ですよ」
即答したウッカーマンへカテリーナは軽く振り向くと、彼の部下立ちさえも強く頷いていた。
「そう…なら…私以外に適任は居ないのね…」
片手の書類を強く握ると、彼女は再び大統領府へ歩み出した。