第四幕-2
「現在ドレスツィヒに居る全ての方に告げます。私はテオバルト教の教皇をしています、アーデルハイト・ゲーテです。
前日に行いました準備砲撃から5時間が経過しました。8月26日に伝えましたが、これは最後の勧告となります。
帝国は現在、貴殿方を内戦に先導した共和ガルツと戦争状態にあります。これはこの国の…いえっ、この大陸に住む全ての魔族のテオバルト教を統べる者として、誠に悲しい事です。
この争いは、今までのヒト族の侵略。そしてその戦後処理が元凶である事は理解しています。
しかし、それは一部の貴族が自身の利益の為に独断を為していたからであり、帝国を悪と見なすのは早計過ぎると思えます。ましてやそれを暴動という形で表し、他の者から財を奪う事で富を復活させるなどヒト族の蛮行と同じです。
これは…テオバルト教以前に魔族として受け入れがたい事です。
私は教皇として、魔族同士の争いを受け入れるのは良しとしません。しかし、窮地に貧する国や人々を前に利己的な暴力に走り、無抵抗な人々を無慈悲に虐殺し追放するという共和ガルツの諸行は許されるものではありません。
よって、教皇アーデルハイト・ゲーテの名の元に、1時間後までに投降しなかった者は破門、国家と国教への反抗として帝国軍に鎮圧を要請します。
皆さんが、今一度自身の状況や国の状況、世界の状況を考え理解し、己が社会の為に本当にすべき事が何なのか解る事を切に祈ります」
前日に行われた準備砲撃の煙がまだ登るドレスツィヒの街に、女性の透き通る声が静かに響き渡った。
山脈の抜け道から東側にやって来た補給部隊からカースナウにて物資や機材を補填した親衛隊と鷲の森団混成軍は、各州の防衛線を踏み潰し東側の都市を制圧していた。
その補給部隊と共に、親衛隊には帝国国防陸軍の増援も合流した。だが、その軍勢の中にはカイムの予期しなかった人物達が紛れていた。
「流石、我が孫だ!見事だったぞ!」
マリウスが満面の笑みで拍手をすると、他の従軍司祭達も歓声を上げて拍手をした。
増援として送られてきたのはアポロニアを最高指揮官として運用される首都防衛師団であり、その軍勢の中には教皇アーデルハイトを含めたテオバルト教の高官達が紛れていた。
「おい、枢機卿のおっさん。あんたバウニッツでも同じ事言ってたぞ」
「なんだゴブリンのデッカイ小僧。枢機卿をおっさん呼ばわりするでない!ワシだから許すが、他の者の前では口が横に裂けても言うなよ」
「元々口は横にしか空いて…」
「すかたん!タコ系の魚人は縦に裂けとるわ!」
ワシの森団の団長であるビョルンとマリウスが口喧嘩をする姿を横目に、カイムは総司令部テントの隣の席に腰を下ろすアーデルハイトを見た。
「まさかここまで付いてくるとは…貴女は御自分の立場を解ってるのか?戦場の…しかも最前線に立つ教皇なんて聞いた事がないですよ」
彼女とは逆に、カイムは溜め息混じりに立ち上がると地図とその上に置かれた兵棋をみた。
「皇帝…いえっ、アポロニアたってのお願いでしたから。"あの馬鹿が無断で東部戦線に出てった!私は行けないから、あいつが無茶とかしないように見張ってて!"って」
カイムの立ち上がる姿を見たアーデルハイトは、カイムを追い掛ける様に立ち上がると彼の近くに流れる様に立った。
そして、ポットとカップを手に取るとコーヒーを2つテーブルに並べた。まるで子ガモの様に付いてきて甲斐甲斐しく世話をしてくる歳上の美女に、カイムは不思議と嫌な気はしなかった。
だが、ビョルンとの口喧嘩を止めたマリウスの熱く鋭い視線を感じたカイムは、カップを受け取るとアーデルハイトから2歩離れた。それに2歩積めてくる彼女との距離感にギラが嫉妬の視線を送り始め、2つの妙に肌に貼り付く視線を前にカイムは溜め息をつきながら座った。
「しかし、カイムさん…いえ、総統。私、アマデウスさんから色々聞いていたんですよ。"カイムは敵に対しては容赦がない"と。てっきり、降伏勧告より無慈悲な殲滅の方が多いかと。まさか何度も私やテオバルト教を使って降伏を促すとは…」
「誰が血も涙も無い冷血漢ですか…私だって流石に色々考えますよ。彼等の範疇では、帝国の税は高かったし、復興は全くなされてなかったし、そして貴族は屑ばかりだった。山脈で隔たれた無知な彼等は極端に視野が狭いんですよ」
椅子を隣ずらしてカイムの横に座るアーデルハイトは、すっとんきょうな声で驚きを口にした。その言葉にカイムは呆れる様に説明しすると、ジークフリート大陸東部の地図に書かれるチロル山脈を左手でなぞった。
「彼等は、自分達が優遇されていた事を知らない。自身の無知さを知らないんです。言ってしまえば、共和ガルツなんてのは我が儘言って暴れる子供な訳ですよ。まぁ、その暴れる被害が尋常じゃないですが…そして、悪い大人である貴族の甘言に踊らされる…」
語るカイムは自分に対して安心したような目線を向けるアーデルハイトに気付かず、彼は淡々と語った。そんな彼の話をアーデルハイトは両手で持ったコーヒーカップを傾けて飲みながら黙って聞き続けた。
そんな彼女の視線に気付いたカイムは、話す速度をゆっくり減速させた。
「そんな彼等も国教からの破門なんて言われれば…さっきから何です?その子供でも見るような目は?」
「いえっ。最近は変に落ち込んで…違いますね。内戦による国の被害に心を痛めていたでしょう?私、そんな暗くなっていた貴方を心配していたんです。正直に言うと、カイム…貴方が東部戦線に出て行ったのも、少なからず敗戦が無くなった帝国から去ろうとしたのかと…内戦という形で国を統一しようとしたその損害の責任を取ろうとして…焦りました」
カイムのひざに手を置き顔を近づけ微笑むアーデルハイトに彼は頬を赤くした。
「総統カイムの存在は、今となっては私達にとっては絶大なのです。私がここに来た意味をもう一度よく考えて下さいね。今の貴方は親衛隊の総統ではなく、国の…"私達"の総統なのですから」
目と鼻の先で変わらず微笑むアーデルハイトが距離を更に近づけ、カイムは心拍数を速くした。
「私達は…再び英雄を失う訳には…」
「総統!総統、ティアナ中尉が報告が有るそうです!こちらに来て下さい!」
アーデルハイトとカイムが軍の総司令部テントにそぐわない空気を流す中、目を血走らせたギラが2人の間に割って入ると敬礼から流れる様にカイムを引っ張り出した。
ギラに腕を引かれるカイムは、その強引さに驚くと空いた片手で彼女を止めた。
「落ち着けギラ」
「落ち着けって…総統、やっぱり歳上の方が良いんですか?あのまま仲良くしてたかったんですか?あの人は皇帝が貴方を取り込む為の餌です!」
興奮して声を荒らげるギラの肩をカイムは数回叩いた。カイムの行動に少し落ち着いたギラだったが、彼の肩から覗くアーデルハイトの余裕の笑みに腹の底へ怒りを貯めていた。
「なぁギラ。その変に嫉妬深い所、直した方が良いぞ」
「愛が深いんです!それより、士官達の間で少し問題があるんです」
カイムの指摘に不貞腐れたギラだったが、カイムをテントから引っ張り出すと突然冷静な口調で報告がしドレスツィヒ制圧の準備をしている兵達の元へ連れて行った。
そこには市街地攻略の為に侵攻ルートを確認する各部隊の隊長達が集まっていた。だが、カイムには彼等の様子は話し合うというよりは、ティアナを抑えようとしているように見えた。
「落ち着けティアナ中尉!そういう考えは自分を殺すぞ」
「ハルトヴィヒの言うとおりだ。お前は変に優しすぎるんだよ」
「そうだよティアナ!あんただけじゃ無くて他の奴が死んだらどうするの!割り切れって言ったのはあんたでしょ!」
ハルトヴィヒにツェーザル、リヒャルダがティアナに詰め寄りアロイスやヴァレンティーネが黙って考えるその光景は、普段とまるで逆であった。カイムは親衛隊に何か異常があると感じさせた。
そんな彼等も、カイムの姿を視ると言い争いを止め敬礼をした。
その敬礼に返礼したカイムは、何もも言わず身振りだけでアロイスに説明するように促した。
「我が軍は1時間後に全戦力をドレスツィヒへ投入するという予定ですが、ティアナ中尉はどうも…」
「総統!発言許可を願います!」
アロイスの説明を遮りカイムの前に出て来ると、ティアナはカイムに頭を下げつつ言った。その時は行動に困惑したカイムは周りの士官に視線を向けると、全員が黙ったまま肩をすくめた。
「構わん。一体どうしたんだティアナ中尉?」
カイムが許可を出すと、頭を勢い良く上げて彼を見詰めた。
「ドレスツィヒ攻略に国防陸軍を含めた4万5千に装甲車は過剰です!歩兵1人の最低装備でも敵1個中隊とやり合えるんですよ!それを親衛隊へ先行配備された新型の装甲車。しかも2cm砲装備なんですよ。これまでの戦場に居たのは民兵ばかり。これでは親衛隊の印象も悪くなるかと思われます!」
ティアナの発言はカイムに一理あると考えさせた。
東部戦線は銀狼作戦で南からの進軍す第3戦車大隊を含む侵攻軍からも、戦闘に参加しているのが民兵ばかりであるという報告が多かった。
「後方の市民に、下手をすれば軍隊とも言えぬ暴徒の集団を圧倒したと言って好感を持つ者は…」
「いい加減にしろ、ティアナ中尉!後方の市民も、連中が人でなしだと理解している。だから多くの民がこの内戦に協力している!」
ティアナの発言を遮ってハルトヴィヒが渇を入れた。
だが、それでもティアナは気圧される事なくむしろハルトヴィヒに食らい付く様に睨み付けた。その眼孔は彼女に似合わない程鋭く、汗を一筋垂らしたハルトヴィヒは逆に黙って引き下がってしまった。
「戦後の復興もあります。余計な戦死者は復興速度を低下させます!それと、これだけの勧告と警告砲撃を行っても馬鹿は上からの言葉をきちんと聞こうとしません。だから、こちらから出向いてきちんと説得をしつつ制圧すれば不要な弾薬の消費も抑えられます。それに、私みたいはちょっと馬鹿な人の話なら、ああいう大馬鹿達でもきっと話を聞くと思うんです!」
周りの批判の視線に耐えつつ、総統という自分達の長に説明するティアナの肩は震えていた。
カイムは、彼女が割り切って仕事が出来る代わりに変に優しさを捨てきれない事を知っていた。かつて首都で行われた商業組合殲滅の時、彼は彼女を呼び出して敵を取り逃がした事について追及した。その時に、彼女は逃走する男達の怯えた視線を受け冷静に対処出来なかったと報告した。
カイムもティアナが軍隊、特に現場に居るには優しすぎる事を理解していた。
だが、カイムは彼女の有能さや、その優しさが現場の暴走を抑えてくれると考え現場に残し続けていた。
「善意とは、受け取る相手に善意が無ければ成立しない」
「善意の無い人間なんていないです」
「兵に死者が出たら…」
「決して出しません!仮に出ても、私だけです!」
カイムの問い掛けに言い切った彼女は、何を言っても揺るがないという目をしていた。
その視線に諦めたカイムは、溜め息混じりに帽子の鍔を掴むと小指で頭を掻いた。
「確かに…私の親衛隊が血も涙も無い冷血集団と思われるのは困るしな」
「まさか、総統!そのような…」
カイムの発言を前に、意見具申しようとしたヴァレンティーネはアロイスに小突かれると黙った。
アロイスを睨み付けたヴァレンティーネだが、彼が目線でカイムを軽く示した。彼女が視ると、カイムはティアナに反対していた全員に納得してくれと視線を送っていた。
その場の全員が頷く中、カイムは話し合っていた彼等のテーブルの上のドレスツィヒの地図を指差した。
「部隊を3つに分ける。北側と中央、そして南側だ。装甲車大隊も3中隊をそれぞれの護衛に付ける。自身の身の安全と投降者と非戦闘員の保護を優先する。敵との交戦もしくは敵の攻撃が来た場合、無制限攻撃を行う」
「まさか…市街地での白リン弾使用もですか?」
「無制限だ。投降も許可しない。街にいるのは全て民兵だ。女子供でも容赦はするな。これが条件だ、中尉。納得出来ないなら、君の部隊は総司令部の護衛に付け、従来通りの作戦だ」
感情を押し殺したカイムの発言に、ティアナは深呼吸すると姿勢を正しい敬礼した。
「総統!ありがとうございます!」
冷酷だと言われると考えていたカイムは、彼女の言葉と納得しきった表現に面食らった。そして、彼は周りの隊員達を見ると全員がこの結末を解っていた様に手早く作業を始めていた。
そんな光景に、カイムは咳払いをするとティアナの肩を叩いた。
「これだけ大口叩いたんだ。結果を出せ。ただし、君も含めて誰も死なすな。他の連中も誰も死なすな!死んだらティアナ中尉の軍法会議だからな!」
「了解!」
カイムの発言にそれぞれが敬礼して答えると、士官達は全員が自分の部隊の元へ帰っていった。
ティアナも他の士官達同様に部隊の元へ帰ろうとしたが、いつの間にか近くに居たアーデルハイトに手招きされた。彼女の行動に違和感を感じつつ、ティアナはアーデルハイトの元へと走ると敬礼した。
「ティアナさん…でしたかしら?貴女は優しいのね」
「はっ、はぁ…そうですね。自分でも良くないと解ってるんですが、どうも…」
苦笑いを浮かべ後頭部を掻くティアナに、アーデルハイトは手を組んで祈った。
「慈しみある貴女に、神の御加護があらんことを」
彼女の祈りに会釈すると、ティアナは足早に去っていった。
ティアナの後ろ姿を見送ると、アーデルハイトは本部テントで各部隊に連絡を取り合うカイムの元に歩んだ。
「彼女…とても優しいのですね」
通信を終え受話器を通信兵に渡したカイムは、アーデルハイトの言葉に苦笑いを浮かべた。
「優しくて良い人間程戦争に駆り出される。そして、そういう奴程先に死ぬ」
カイムは自分の皮肉に嫌な表情を浮かべた。
その表情に、アーデルハイトはただ静かにカイムの肩へ手を載せた。
「貴方なら、早く終わらせられますよ」
アーデルハイトの気休めに笑顔で返すと、カイムは広大なドレスツィヒの街を遠目に見た。