幕間
共和ガルツの首都であるフランブルク州の州都コンダムに激震が走ったのは湿度の高く嫌に熱い8月16日であった。共和主義による打倒帝政に湧いていた元貴族の議員や富裕層は二正面戦による早期決着を予想していた。
だが、その予想を大きく裏切り軍が敗走し大損害を抱えながら首都に帰還したのだ。いくら冷やしても完治しない火傷や四肢を吹き飛ばされた重傷者の山は、軍から急速に戦意を消失させた。
そんな彼等も、帰還と共に見た首都コンダムの状況にはただ笑うしかなかった。
敗残兵達が焼夷榴弾のシャワーに肝を潰された8月10日の夜から数時間後の11日の早朝、突如としてコンダムの街が東から無数の爆発と荒れ狂う火災が発生した。それはまるで絨毯を敷く様に街を破壊していった。
「軍に最早戦意はありません。まして、共和ガルツの為に戦おうという者は無に等しい…まして連中はこの東部戦線が戦争形態でいうところの絶対戦争と理解している。我々は民の1人残らず殺されます!」
全身を包帯まみれにしたウッカーマンは目の前の人物に何とか行動を促さそうと必死になっていた。
「ウッカーマン殿、貴方の言う事はよく解ります。しかし…私1人に何をしろと言うのです!家長の権力も兵も財も…屋敷だってお義母さまに奪われた惨めな私に!」
「ですが、貴方はかの帝国海軍が誇るシュペー卿の1人娘です!国民から批判されるあの政権に対して、今なら対抗出来る!奴等を黙らせる発言力が貴女にはある!」
帝国空軍初の空襲作戦を何とか生き延びたウッカーマンは、他の生き残った参謀に政府への説明を任せるとフランブルクの斜め左上にあるゲーリンデン州の州都であるアイフルトの南外れに走った。
そこには、共和ガルツ大統領となったシュペーの義理の娘が小汚い屋敷に軟禁されていた。屋敷への潜入に困ったウッカーマンだったが、屋敷周辺には警備の姿は奇跡的に無かった。不自然とも言える警備の薄さに違和感を感じながらも、部屋という部屋を探してシュペー家の令嬢を見つけ出した彼は、何とか彼女に協力してもらおうと促していたのだった。
「確かに…父さんは艦隊を率いていました。けれど、それは第4次国防戦争でヒト族に軍艦を根こそぎ撃沈されてからは批判されるばかりですよ」
「それは一部の愚衆と無知な貴族の戯言です!御父上の指揮がなければ、あの戦争は第5次より悲惨だった…その英雄の名が平和の意味も価値も理解しない愚か者に汚されようとしているのです!」
四方の壁に大きな衣装タンスのある部屋で白い質素な部屋着でソファに座るシュペーは、ウッカーマンがどんなに励ましても諦めの言葉しか口にしなかった。
その態度はやる気が無いという訳では無く、シュペーのあらゆる物を奪われた無力感を表している事をウッカーマンは理解した。
「それに…私はただの貴族の女です…シャハト卿の様に武芸に達者でもなければ、ライヒェンバッハ=レッソニッツ卿の様な度胸もない。何もない女ですよ…」
自分を卑下するシュペーの発言を聞いたウッカーマンは目を見開いた。
「卿よ…馬鹿にしてもらっては困りますな。私とて参謀…いえ、水兵の端くれです。であればこそ、貴女をただの麗しい女性等と考えません」
ウッカーマンは俯くシュペーにただ静かに言い返した。
その言葉にゆっくりと顔を上げた彼女は伸びた前髪の隙間からウッカーマンを睨み付けた。瞳孔を縦に細めた瞳は部屋の灯りを反射して不気味な金色に輝き見開かれていたわ
シュペーの視線はまるで冷たいナイフで胸元を撫でる様であり、ウッカーマンは続けて言おうとした言葉を飲み込んだ。
だが、彼女の視線が自分から少しずれた事や、一瞬だけ彼女の視線から感じる奇妙な感覚が無くなった事で、ウッカーマンは再び口を開いた。
「"艦隊中央突破による敵艦隊分断と包囲撃破"」
シュペーの心臓を刺すような視線による沈黙を破った彼の言葉で、再び彼は彼女の視線を浴びたが黙る訳にはいかないウッカーマンは喋り続けた。
「先代シュペー卿の戦術が彼一人の思考でないことは知っています。参謀なら誰でも…貴女は…海軍の全戦力と引き換えとはいえ、姑息な魔法を使うヒト族の艦隊の半数を殲滅した。その貴女を無力な女?冗談は大概にしていただきたい!」
口を開き喋る程に殺意じみた感覚が背筋を走り、ウッカーマンは目の前の少女とも見える魔人の女を直視出来なくなった。
「何か策を考えているのでしょう!そうでなければ参謀達が各地で頭を下げた意味が無くなる。何とか軍に共和を持ち込ませず、貴女をザクセン=ラウエンブルクの妹から護った意味が無くなる。真実を隠した意味が無くなる!」
絞り出した言葉には恐怖が混ざっていたが、滲み出る尊敬があった。そのことに、目の前の男が少なからず信用出来ない出来ると考えたシュペーはその儚げな雰囲気を捨てた。
「ふんっ、まぁ良いでしょう。父さんと比べればまだまだですけど、人を見る目は有るようね?」
口調さえ変えた彼女の言葉は、壮麗な見た目と反した油のようなへばりつく殺意や怒りに満ちていた。最早そこには先程までの可憐な乙女の姿はなく、敵に死を撒く怪物がいた。
「はぁ~…まぁ、そうね。いい加減この埃っぽい屋敷から出たかったのよ。それに…あのうるさい雌牛が帝国空軍に盛大に負け戦をした事は聞いているわ。あんな馬鹿が勝てる相手ではなかったという事よ。爆撃機や戦闘機に、ただの兵が勝てるわけ無いのに。ウサギがワシに勝てない事は、子供だって知ってるわ」
「帝国空軍?爆撃機?シュペー殿何を…」
突如として饒舌に語りだしたシュペーを前に驚き、ウッカーマンは彼女の前に踏み出そうとした。だが、その背中に固く円形の名にかが突き付けられた。
部屋に不穏な空気を感じたウッカーマンは、その場で動きを止めると周りの気配を必死に確認しようとした。
背後に3人以上の人の気配を感じた彼は、今まで気付かなかった事への驚きに冷や汗をかいた。頬の鱗に汗が伝う中、彼はその集団が気配を消して潜伏できる程の手練れである事を理解した。
「おっと…ウッカーマンとやら。ちょっとでも動けば腹と背中がくっついちまうぞ?」
「大尉…"くっつく"じゃなくて"なくなる"では?」
ドスの効いた渋い声が脅し文句を響かせたが、それに続く若い女の声が指摘を入れると部屋に流れた不穏な空気が崩れた。
「馬鹿!クラリッサ、お前!こういう時は取り敢えず"大尉の言う通り、大人しくしなさい!"とか言えば良いんだよ!何で指摘するんだよ!」
「だって!この距離で散弾なんて撃ったら、下手すればお腹どころか胸まで無くなりますよ!なら"くっつく"じゃなくて"吹き飛ぶ"の方が合ってます!」
「ちょっと2人共!こんな時にそんなどうでも良い事で…」
「「良くない!」」
自分が命の危機にある中で背後で繰り広げられるコントに混乱するウッカーマンは、目の前ので可笑しそうに笑うシュペーを前に笑うしかなかった。
「そうね…確かにクラリッサさんの言うとおりね…下手をすれば私もお腹と背中が"くっつき"そうですね…」
声を上げて笑うのを必死に堪えるシュペーは、深呼吸すると演技がかった身ぶりで手を3回顔の横で叩いた。
「皆さん!もういいですよ!出て来て下さい!」
彼女の透き通った高い声が響くと、衣装タンスの扉が中から開かれた。そこからは膝までのツナギ状の降下迷彩スモッグにヘルメット、完全装備の落下傘猟兵達が山程現れた。
「ウッカーマンさん?貴方、何をそんなに驚いてるの?貴方も言ってたでしょう?"策を考えている"って…見せた以上は、協力してくれますよね?」
不気味に笑うシュペー達に、ウッカーマンはただ笑うしか出来なかった。