第三幕-8
「統率の無い暴徒達では駄目だったか…だが、万を優に越える群衆が6度も追い返されるとは…」
ヴィッセン州の州都であるカースナウの帝都侵攻軍司令部となっている高級ホテルの一室で、サバの魚人の男が呟いた。白に金糸の装飾がきらびやかな服を着る彼は、報告書の内容に唖然としながらテーブルの地図をつついた。
「"8月8日の最後の突撃で、共和国民兵を含めた暴徒合計29万の暴徒は死者負傷者の詳細不明なれど壊滅は確定。山脈の南山道突破は不可能と断言できる。"か…大統領にどう説明するつもりウッカーマン参謀?」
「責任は大将である貴方にあるでしょう、ライニンゲン卿!いえっ、ライニンゲンさん。私はあれ程無意味だと言ったのに!その結果が、共和主義にとって重要な!民から無駄な死傷者が出たのです。数え切れない程に…」
帝都への侵攻で発生した割りに合わなすぎる損害に嘆くウッカーマンから報告書を取ると、ライニンゲンと呼ばれた魔人の大男が他人事の様に伸びをしながら尋ねた。
脂肪の塊の様な男のその態度に怒りを感じたウッカーマンはテーブルに拳を叩き付けて怒鳴ったが、その言葉を全く気にしないライニンゲンはゆっくりと豪華な座席に座った。
「所詮は民だ。よく言うだろ?"民草は畑から取れる"とな。死んだならまた植えて育てればいい。それに共和国軍30万は無傷だ。なら作戦も立てられる…この椅子小さいな…誰か!誰か、もっと大きな椅子を持ってきてくれ!」
椅子の脇にある小さなテーブルからワインを取ろうとしたライニンゲンは、椅子に挟まった巨体を揺らしながら言った。
魔族は無駄に生命力があるために、侵攻後でも出生率は低下せず貧する国であっても子供は多かった。その状態を皮肉り国民を軽視するライニンゲンの言葉は部屋に居るウッカーマン以外の軍人も眉をしかめた。だが、彼の言う軍が無傷である事や参謀達で作戦を立案した事も事実であり、誰も文句を言い返せなかった。
「それで、君達の提出した作戦案…この軍勢で山脈の北側山道を進行するというのは正気か?」
そんな他人事に口を挟むような口調で必死にワインの栓を開けようとしながら椅子を変えた彼も、テーブルのワインクーラー脇の書類を一瞥すると表情や口調を変えた。
「確かに正気を疑う戦術です。万を越える軍勢で山脈突破は進行速度低下と部隊がはぐれる危険性もあります。しかし、南側の山道を封鎖された以上、高山病や様々な危険を考慮してもこれしかありません」
「だが…登山だろ?むしろ遠回りではないか?それに登山は骨が折れる。折角の軍勢も敵前でくたびれては意味がない」
ウッカーマンの発言を聞きながらワインを勧めて言ったライニンゲンは、彼に無言で断られると一気にグラスの中を香った。
「それに…軍を出そうにもまだまだ準備に時間が掛かる…」
「それは貴方の暴徒頼りな進行が招いた事でしょう!補給線がここまで途切れ途切れの戦場など聞いた事が…」
「うるさい!貴様は参謀でありながら大将に苦言を言うか!」
子供の言い訳の様に軍の出発を渋ったライニンゲンに、ウッカーマンは遂に怒鳴った。だが、彼の糾弾を前にライニンゲンはウッカーマンに怒鳴りつけると彼に勧める為に注いだワインを彼にかけた。
「大体!貴様らが出陣を止めたのだろう!まだ早い等言って止めたのだろう!それを今になって私に文句を言うとはどういう了見だ!」
「それは2日の話でしょう!2回目の暴徒の侵攻が失敗した時には前進を勧めたでしょう!」
参謀達に責任転嫁しようとしたライニンゲンをウッカーマンが糾弾しようとした。彼もワインをかけられた事で冷静さより感情が前に出た為、周りの参謀達の制止の視線に気付かなかった。
「そもそも、あれだけの暴徒を民兵達が上手く制御していたのに、それをわざわざ分断させて山道に向かわせたのも無駄です!数で押しきるのが数的有利の鉄則で…」
「黙れ!上官不敬で殺されたくなければ出て行け!」
そんなウッカーマンの糾弾に耐えられなくなったライニンゲンは、腰のサーベルを引き抜くとぎこちない動作で切っ先を彼に向けた。
その行動で部屋は殺伐とした緊張感に包まれた。自分を糾弾された事に震えるサーベルを前に、ウッカーマンはライニンゲンを鼻であしらうと部屋を去った。
「戦後は貴様を裁判にかけてやる!」
「軍法会議だろ…」
扉の奥から聞こえた捨て台詞に苛立ちながら床を蹴ると、ウッカーマンは広く豪華な廊下を壁に八つ当たりしながら進んだ。
「ウッカーマン!待てよ、ウッカーマン!あれは不味いだろう、あれは。あんな豚みたいな奴でも大将なんだぞ」
「ヒッパーか…そんな奴に俺達参謀がコケにされたんだ。黙ってられるか…」
八つ当たりするウッカーマンの後を追って来たヒッパーと呼ばれたウミネコの鳥人は、肩で息をしながら彼の肩に手を掛けて言った。その言葉に、ウッカーマンは八つ当たりを止めながら渋い顔をして呟いた。
そんな彼の怒りが自分1人ではなく、兵や軍を暴徒から守るために共和国へ頭を下げた参謀全員を侮辱された事から来ている事を理解すると、ヒッパーはウッカーマンの背中を励ます様に叩き続けた。
「取り敢えず…頭を冷やすついでに酒でも飲もう。旨い店があるんだ」
ホテルの正面入り口に近づき暑く乾いた夜風を感じた所で、黙ったままだったヒッパーが口を開いた。
その言葉に、ウッカーマンも不貞腐れながらも頷いた。
「久々に自由に酒が飲めるな!追い出し万歳だ!流れ星もあんなに流れてるしな。今夜はいい夜だ!」
そう言ったヒッパーの言葉にウッカーマンも空を見た。彼の言う通り、その夜空は雲1つ無い星空だった。空には赤や青く、白い星が瞬き流れ星の様なものが進んでいた。
「おい…ヒッパー…流れ星にしては、やけに大きくないか?それに星も黒く隠れる」
「気のせいだろ。何だ?怒りで目まで…」
ウッカーマンの疑念の言葉を否定しようとしたヒッパーはそのまま黙った。ウッカーマンが彼に話し掛けようとしたが、それは彼が嘴の前に指を立てた事で止められた。
静かな夜空からは耳を澄まさなけば聞こえない低く唸るような音が響き、ウッカーマンはそれが奇妙な流れ星から聞こえている事を理解した。
更に、彼等の耳にはその音がみるみる高くなり音が大きくなっている事に気付いた。その音は周りで駄弁っていた兵士達にも聞こえたようで、全員が空を見上げた。その視線の先には、彼等から見て右側に赤い星と左側に青い星が規則的に三角形を描いており、その明かりと影はみるみる大きくなっていた。
「おいおい!ウッカーマン!」
「ヒッパー伏せろ!」
本能的に危機を察知した2人は、星空から耳を引き裂く高音を撒き散らし、真っ逆さまに舞い降りる鳥とも考えられない巨大な何かを前に慌てて伏せた。
突風と爆音に2人が身をすくめ周りの兵士が尻餅を突く数秒後、総本部のホテルが煙を上げて爆発した。