第三幕-6
「敵襲!敵襲!総員戦闘配置!」
チロル山脈横の山道では、フリッツ率いる第1機甲師団第3戦車大隊や歩兵達、その後方の補給部隊が慌ただしく戦闘配置に就こうとしていた。
「いやー、ウチの大隊は敵さんから好かれてますな大隊長!着いて2日も経ってないのにこれで戦闘4回目ですよ」
「統率が無さすぎる…あんなんじゃ本当にただの暴徒だ。これを煽動してる奴は死んだ奴等にあの世でぶん殴られると良い」
そう言ったフリッツは、座っていたキューポラから戦車の砲塔へと飛び込むと近くの戦車から聞こえたヤーコプの軽口に答えた。
双眼鏡を片手に持って遥か遠くから迫る農具を持った暴徒の群衆の姿を見ると溜め息をついた。
「こんな暴動起こしてやりたい放題するくらいなら、働いた方が…いや、せめて帝都に来ないでくれよ…」
元騎士とはいえまだまだ慣れない近代兵器と、それを初陣の緊張で上手く操作できない新兵達の指揮でフリッツは神経を磨り減らしていた。
だが、彼は視線の端に戦車や火砲による一方的な攻撃とほぼ武器の無い暴徒を惨殺する事に疲労感を見せる新兵達が入ると、奥歯を噛み締めながらキューポラのハッチを閉めた。
フリッツが車内に入ると、新兵達が敬礼をして彼へと視線を向けた。
「車長、敵は有効射程に入ってます!」
「今のうちに数を減らしましょう!」
精神的な疲労感を必死に隠した部下達の言葉に、彼は部隊の限界と休息の必要性を感じた。
「前の戦闘の戦死者の埋葬も出来てない。弾薬補給もそこそこにまたか…戦車前進。第3戦車大隊各車へ、こちら指揮車。全車、白リン弾装填」
流れる様な普段通りの口調で出したフリッツの命令は、彼の性格から考えて出てくるとは思えない一言だった。
白リン弾の威力は人道的で無い事は部隊の全員が知っており、化学反応で人体を焼くその威力は使用を全員に躊躇わせていた。
そんな命令を前に無線機が沈黙を流すと、指揮車内の全員が目を丸くしてフリッツを見た。彼は自分の命令に苦虫を噛み潰した表情を浮かべながら、全員の視線から逃れる様にキューポラの覗き窓から外を見た。
「少佐…良いんですね?」
「このまま榴弾ばらまくよりは、大火傷で死ぬ程叫ばれた方が後続の連中の戦意を削げる…上手く行けば連中は後退して、ガキ達の休息が取れる」
「休息の為に…お袋さんが泣きますぜ?」
「お前がお袋だろ?」
「了解しました…聞いたかお前ら!白リン弾装填だ!」
沈黙を破るヤーコプの確認へフリッツが本音と軽口が混ざりに混ざった言葉を返すと、副官たる彼が隊員達に行動を促した。
「大隊長、こちら15号車!正義を守る俺達がそんな事をしたらまずいでしょう!」
「マルクス!お前、命令拒否する気か!」
「やって良い事と悪い事があるって言いたいんです!俺達は正義を守る国防陸軍でしょ!」
命令に納得出来ない15号車の車長とヤーコプの口論が無線に流す出すと、フリッツはキューポラに拳を叩き付けた。
「お前ら、黙れ!」
突然無線にフリッツの怒声が響くと、無線に流れる口論が止まり、再び沈黙が流れた。
「マルクス…いや、この場の全員に言っておく。これは戦争だ。正義も悪も有るものか!そもそも戦争は正義同士の殺し合いだ。何より、正義だ何だが人に殺し合いさせると思うのか?そんなもんはそもそも無い!」
フリッツの正論にマルクスやヤーコプも何も言えなくなった。
「他の奴等もだ!甘ったれたガキ臭い事を言いたい奴がいるなら、何も言わずにとっとと戦車から降りろ!ガキに扱わせるより歩兵の奴等に渡した方がよっぽどましだ!戦車も喜ぶ!」
最後に付け足した言葉は、フリッツ自身不要だったと思いながらも口を裂いて出てしまった。そのことに自己嫌悪の表情を浮かべた。その表情は車内の全員が見ていた様で、全員が気まずい表情を浮かべていた。
「白リン弾、装填完了!御気持ち…御察しします」
ヘッドフォンから各車長からの恐怖を圧し殺した返事を聞くフリッツに、装填手が苦笑いを浮かべて白リン弾を装填しながら言った。
そんな部下の気遣いに、フリッツは装填手の頭を掴んで軽く振った。
「ガキがおっさんを気遣うな…まぁ、隊長なんてのは憎まれ役しかやれる事は無いからな」
部下同様の苦笑いをを浮かべながら制帽を目深に被った。
「全車、装填完了。全部隊、攻撃準備完了しました。止めますか?」
「止めてどうなる?殺られる訳にはいかんだろ。殺らない訳にもな。攻撃開始」
ヤーコプの報告に感情の無い言葉で呟くと、フリッツは攻撃の命令を下した。
三重の防衛線を築いた戦車や野砲全てから、無慈悲な砲撃が硝煙を曳き迫る無数の群衆へ落ちた。その砲弾は真っ赤な爆風と白い煙を巻き上げながら、遥か彼方から迫る群衆を天高く放り上げた。
だが、多くの歩兵は爆風が弱くやたらと白い煙が爆心地付近を漂っている事に違和感を感じていた。
「第3戦車大隊、こちら観測担当第15歩兵小隊。砲撃の威力小さく、敵はこちらに侵攻中!追加砲撃を…」
「隊長!あれ!あれを見て下さい!」
観測担当の無線を無視する様に、フリッツはキューポラのハッチを開けると身を車外に出し双眼鏡を覗いた。
その先には青白い煙の中から報告通り多くの人影が見えたが、先程までの勢いがなくゆっくりと歩いている様に見えた。東方の群衆は砲撃直後は爆発に驚きながらも雄叫びを上げて前進を続けていた。
だが、煙から抜け出して来た数十人は苦痛から絶叫を上げ、地面をのたうち回っていた。
青白い煙が晴れてゆくと、その砲撃による敵への損害が明確になっていった。煙の中には、そこから這い出して来た者の数倍は下らない暴徒達が倒れており、爆風で焦げた衣服の隙間には、爛れた火傷があった。
その火傷は普通の火傷と異なって白く変色しており、周りの皮膚は黄色く腫れていた。軽い火傷であればまだのたうち回れたが、殆どの負傷者は重症であり軽く呻いて震えるだけだった
その姿や異臭は前進しようとしていた後続の暴徒達の足を止めた。その姿はフリッツに自身の出した命令の残酷さを理解させた。
「怨むなよ…せめて、自分の馬鹿さを怨め」
溜め息混じりに口を言いつつ、フリッツは自分同様に車外から出て惨状を見る部下達をみた。彼等は自分達の用いる武器の恐ろしさを改めて実感したらしく、榴弾で初めて対人砲撃した時より恐怖を感じていた。
「5秒間連続砲撃を行う!全車、白リン装填」
フリッツは更に攻撃命令を出すと、戦車や野砲が再び白リン弾を装填し、強大な被害の前に困惑する暴徒へと再度照準を定めた。
「全車、5秒間撃てるだけ撃てよ。攻撃始め!」
フリッツは再び攻撃命令を出しながら、キューポラの上から着弾地点の状態を確認をした。
「5、4、3、2、1、撃ち方止め」
双眼鏡で確認しながら砲撃停止の指示をタコホーンに言うと、大隊の戦車や野砲は砲撃を止めた。
そのまま煙が止むまで多くの兵が銃を構えたまま待機したが、発砲は命令されなかった。
「連中…負傷者無視してとんずらかよ!てめぇらそれでも人間か!」
煙が晴れると、砲撃による負傷者とそよ奥で逃げて行く数万暴徒を見た兵が叫んだ。その言葉は自分達の行為を棚に上げていたが、それでも遁走する敵にはフリッツも怒りを感じた。
「負傷者の保護を行う。第1小隊、第11歩兵大隊は前進!衛生兵、現場はエグいぞ覚悟しとけ。ペートルス、戦車前進」
そう言ったフリッツは操縦士や他の隊に号令を出すと、キューポラに肘を突いて惨状を眺めた。
「カイムの坊主が知ったら、怒るかな…いやっ、平等を叫ぶ奴程差別主義かな…なら怒るまい」
呻き声を上げる暴徒を治療するために護衛に守られた衛生兵が近づき、それと同時に死体の処理も始められた。それを見たフリッツキューポラの中に戻りながらが呟くと、それに共感した数人が頷いた。
「そもそも、こんな奴等の為にこの先戦うなんて御免です」
「確かに。平和になってから背中を刺されたんじゃ意味ないしな」
「言えてるな。無差別虐殺をやってのける連中を守る気にはなれないよな」
車内にフリッツへの同意の言葉が響くと、発言しなかった通信手も深く頷いた。
「俺は本当にツイてるな。俺みたいな糞野郎達が指揮車所属で」
フリッツが隊員に笑みを浮かべ砲手の肩を叩くと、車内に沈黙が流れた。隊員達はフリッツを含めてお互いを見詰めると、吹き出した。そんな穏やかな空気が流れると、通信手の魚人の男が慌ててフリッツへ振り向いた。
「少佐!国防省から緊急通信です!総統が…総統が親衛隊を直接率いて山脈越えをするとの事!」
「噂をすれば何とやらか…まぁ、彼の事だ、そろそろ何かしようとするかと思ったが…ヨルク殿怒るだろうな」
通信手の報告を聞きながらキューポラの縁へ立ったフリッツは、カイムの突然の行動から、作戦が進展する事を予感した。
「頼むぜ総統殿…そろそろ迎撃ってのにも飽きたんだ…」
左に広がる巨大な岩壁と、その先の山脈を眺めならフリッツは呟いた。