第三幕-1
ニースヴァイセン州のチロル山脈横にある街道を通って、東から避難民達が大挙して押し寄せてきた。それを率いたブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテルが帝都の国防総省に出頭した事で、各大臣が会議室に勢揃いし報告を聞いていた。
「我々がゾルグルの…いえ、ゾルグル州に着いた時には既にシュペー卿率いる革命軍が民兵を率いて各地を制圧。フランブルク州にいた我が領民も革命の波に襲われ…我々は各地で暴動虐殺を逃れた貴族や市民達と合流し、帝都へと避難しました。報告は以上です」
報告書に多くの情報を付け足したザクセンの説明に、多くの出席者は腕を組んで唸り頭を悩ませた。
「まさか…あの忠義に厚いシュペー殿がそんな愚行をしでかすとは…」
「いや待て!今のシュペーを率いるのは、夫人であろう?本人はかなり前に事故死したはずだ。以降政界にも顔を出さなかったのに…」
大臣達が革命の首謀者であるシュペーについて話していると、軍服姿の1人の男が大きく咳払いをした。
「問題は誰が首謀者では無く、この反乱にどう対処するかだ!総統、ここは陸軍が残りの戦力を全て投入しましょう!愚かな思想に染まった者達を纏めて殲滅すれば…」
陸軍大臣のオーガがその屈強な体つきに似合う良く響く低い声で意見を言おうとしたが、それを隣に座るセイレーンの女が止めた。
「ヴォイルシュ陸軍大臣!全戦力の6割強を南に投入した陸軍が東まで対応するのは無理です!総統、海軍による強襲上陸で海岸線を制圧しましょう。そうすれば陸海両軍による二正面戦を強いる事が出来ます!」
「駆逐艦1隻の海軍に何が出来る!海兵隊とて訓練途中ではないか!それでどうやって二正面戦を強いるんだ、ヴェルモーデン海軍大臣?」
「山岳歩兵が1個連隊しかない陸軍が良く言いますね!それに…駆逐艦は2隻よ…一応…」
ヴォイルシュに戦力を指摘された彼女は、視線を反らしながら長い茶髪を指で弄りながら苦し紛れに嫌味を言った。
「ぐっ、痛い所を…」
その嫌味に言い返せないヴォイルシュはヴェルモーデンと睨み合った
海軍大臣と陸軍大臣が仲良く喧嘩する中、カイムは報告書をひたすら眺めた後にブラウンシュヴァイクに視線を上げた。
「ブラウンシュヴァイク卿…」
「その名前は返上すると…」
「なら…ルドルフ…陸軍大将、何故山脈を超えて早馬なり伝令を出さなかった?そうすれば、こちらの対応もしやすかったのに」
会議前もひたすらに謝罪を繰り返し、止めには名前を返上すると騒いでいたルドルフに、カイムは手を組んで口許を隠しながら質問した。
その質問に、自分の書類を数枚捲ると彼は山脈の地図を指差した。
「どうもこの頃この…チロル?…そう、チロル山脈に!チロル山脈に山賊が出没する様なのです。市民の話では1万を越える戦災難民が山賊になったとか。"鷲の森団"と名乗って、殺しはしないが身ぐるみを剥がされると聞きまして。末端の兵も私の部下です!危険には晒せません!」
「成る程…ルドルフ大将、報告ありがとうございます。長旅に多くの戦闘で疲れたでしょう?ゆっくり休んで下さい」
そう言って頭を下げたカイムに、跪いて頭を下げたルドルフは大きく息を吸った。
「そうはいきません総統!この不始末は私の引き起こした事!この始末は私が…」
吸った息に合わない程の大きな声を上げるルドルフの言葉は、大きな音を立ててテーブルに手を突いて立ち上がったカイムに遮られた。
「過ちを悔やむのは構いません。しかし、悔やみ続ける事こそ無意味です。ただ認め、次の糧にする。それが生き残った者の特権です。今の貴方は…いえ、貴方の軍は数こそあれど士気は低い。ここは現状の帝国軍と親衛隊で何とかします」
カイムが諭す様に言うと、彫りの深い顔を涙で汚しながらぎこちない陸軍敬礼をした。
「帝国万歳!我等魔族、我等のガルツに栄光を!」
室内に響くルドルフの声に全員が耳を痛める中、カイムは敬礼をしながら退室する彼を見送った。
「それで、カイム?貴方の忌避していた事態になったけど?」
ルドルフの退室と同時に、黙っていたアポロニアは椅子の肘おきに頬杖を突きながら言った。投げやりな言葉だが、その内容や態度反して彼女の口調は深刻そのものだった。
上層部において南方の奇跡的快進撃の傍らで、東方の沈黙は常に悩みの種であった。南方程の戦力は無くチロル山脈で侵攻ルートの絞られる共和勢力の侵攻は南方への侵攻へ水を差し、下手をすれば帝国敗退の要因になりかねなかった。
「陸軍は1個歩兵師団と1個機甲大隊、2個砲兵大隊と1個山岳歩兵連隊…即座に投入出来るのはこれだけ。これで東方からの軍を抑える…増援が到着しても、市民と民兵の区別をしつつ進撃となるか…」
「かなり骨が折れますな。市民に偽装した伏兵は勿論、正規兵の大軍との市街地戦…勝ってもかなりの被害でしょう」
現状の戦力を確認して呟いたカイムに、ヴォイルシュが言った。その心許ない戦力に全員が静かになると、カイムは椅子の背もたれに寄り掛かりつつ天井を仰いだ。
「そもそも最初の防衛から難題だ…帝都から…」
「撤退は駄目!何が何でも駄目!そもそも南の侵攻軍を孤立させるでしょ!そんな兵を見殺しなんてあたしが…私が絶対に許さない」
カイムの言葉に訛りを忘れかけたアポロニアが椅子から彼の方向に身を乗り出して言った。
「ばっ!そんな事する訳が無いでしょう。それに…山脈に…"鷲の森団"だったか?そんな連中が潜んでいたら、共和…賊軍も山脈横の山道を通る。そこを塞ぐしか無い」
天井を見る視界に角が見え、カイムが視線を下げるとアポロニアの整った顔面が直ぐ側にあった。その事に動揺しながらも、カイムら直ぐに顔を反らした。
その2人のやり取りを微笑ましく見ていた大臣達や、満面の笑みで見つめるアマデウスに恥ずかしさを覚えたカイムは勢いよく咳払いをした。
「でも、南方の戦況が良いなら少し軍を引き抜いて東に回せば良いのでは?」
「アマデウス宣伝相、南の戦況は国民に喧伝されている程順調ではなくなったのだよ。戦列行軍を止め始めた南の賊軍は、散兵戦による奇襲や待ち伏せを多用し始めた」
「それでも勝ち戦でしょう?多少なり戦力の工面は出来るでしょう?」
アマデウスの考えは、あっさりとヴォイルシュに否定された。そんな彼にアマデウスが尋ねると、ヴォイルシュは沈黙の末に持っていたコーヒーカップを置いた。
「攻める側になったとはいえ、国防陸軍は慢性的な戦力不足だ。訓練を終了した兵や部隊を逐次投入では、攻勢に転ずれなくなった。連中は近代軍隊への適応し始めたのだよ」
空のカップへコーヒーを注ぐと、ヴォイルシュは一気にそれを飲み干した。その光景は南方の現状をそのまま表しており、アマデウスは何も言えなくなった。
「駆逐艦が無理なら潜水艦で…」
「ヴェルモーデン!あれはまだ極秘だ!何よりあれこそまだ訓練最中だ。全く、海軍より陸軍がそちらの現状を知っているとはどういう事だ…」
「お互い様でしょ!」
誰もアイディアを出さなくなり、会議室に嫌な沈黙が流れた。考えを出してくれると考えていたカイムさえ書類を見詰めて黙っている状態であり、アポロニアはその沈黙が苦しかった。
他の大臣も同様であり、軍関係でない大臣ほど場の空気を変えようと焦った。
「労働者の状況は良好の一言です!後方の兵器生産や食料生産も安定しています」
「各貴族の税収で国庫も安定しています。新兵器開発要請も可能です、総統!」
大臣達の言葉は、カイムに敗軍の将を思わせた。
そんな時、カイムは兵器生産と新兵器という言葉に眉を動かした。その動きに、会議室の全員が彼へと注目した。
「アルデンヌ空軍大臣、空軍の現状はどうなっています?」
カイムが不敵の笑みを浮かべて尋ねたのは、タカの頭をした鳥人の中年男だった。
アルデンヌは自分に話題が振られると思っていなかったのか、質問を受けると動きが止まった。その後に続く全員の視線を受けると、親指で自分を差しながら頭を傾げた。
「お前さんだよ、ヴィンフリート。ボケたのか?」
「いや、貴方程の歳でもないんだが…」
ヴォイルシュの言葉に軽口混じりに答えると、空軍敬礼をしながらその場に立った。
「現在、空軍は6発大型爆撃機2機に4発大型爆撃機3、双発中型爆撃機3機と単発爆撃機6機、それと単発の汎用戦闘機8機が訓練中です。まぁ、教官と言える者がいませんので、マヌエラ殿やレナートゥス殿による訓練です。オイゲン殿や4姉妹まで訓練に参加し始めて…あぁ…まさか…」
「敵に制空権を脅かせる脅威は居ない。良い実戦訓練だ。稼働出来るか?」
カイムの考えを察したアルデンヌの問いかけに、カイムは明確に答えた。冗談と受け取った仕草をしようとしたアルデンヌだったが、その瞳が至って真面目だった為に咳払い1つすると真面目に答え始めた。
「各機体とも往復の距離は余裕で航続距離の範囲内です。何なら東を爆撃してそのまま南の髭も…」
「爆撃機だけじゃない。空挺部隊については?」
カイムの質問にアルデンヌは目を丸くした上に、反応に困った様に頭を掻いた。
「いやっ、そのですね…オイゲン殿の3女が空挺部隊に志願してしまいまして…」
「投入出来るのか?」
貴族のオイゲンが志願したという事を理由に渋ったアルデンヌだが、遂に首を縦に振った。
「実機を使った降下訓練は合計4回程…どれも問題はありませんでした。強いて言うなら、降下後の部隊集結に手間取っているくらいです」
そのアルデンヌの言葉に、カイムは黙ったまま頷いて立ち上がった。
そのままゆっくり歩き出そうとすると、控えていたマックスが、慌ててカイムの向かおうとしていた電話のある机に走りそれを取った。
「あっ…いや、それぐらい自分で…」
「御自分の立場をお考え下さい、総統!今の貴方は統帥権を持つ最高指揮官なんですよ!」
血相を変えて言うと、彼は電話で親衛隊本部の番号を押しつつ受話器をカイムに渡した。
「アロイスか?文書保管庫のA-48から東部作戦計画書を持って来てくれ、大至急だ」
手短に伝えたカイムは、受話器を戻しつつ会議室の全員に笑いかけた。
「昔に冗談半分で組んでみたが…予想外に実行出来そうだ。諸君やるぞ!これからが本当の近代戦争だ!」