第二幕-10
「フランケンシュタイン閣下!報告します!フリッチュ卿の西方侵攻軍が退却してきました!」
「なっ!馬鹿な!50万を軽く越える軍勢が逃げて来ただと!」
7月14日の夕暮れに城壁から伝えられた報告は、ハイルガルトに激震を走らせた。前日の13日にようやく最後まで残っていつフンボルト達の軍が出立した事でフランケンシュタインの天下が再び訪れたハイルガルトは平和そのものであった。
むしろ、ウルフガルムから避難して来た住人も要塞都市の労働力になった事で、ハイルガルトは以前よりさらに豊かになったとさえ感じる程だった。
そんな豊かさがさらに伸びると思いながら、広くなった要塞指令室で過ごしていたフランケンシュタインは飲んでいたワイングラスを落とかけながらスズメ鳥人の伝令兵に笑いかけた。
「冗談も大概にしてくれ…せっかく小うるさい連中が居なくなったのに…」
「伝令兵が、要塞指令に冗談を伝える訳無いでしょう!本当に来たんですよ!西への道を真っ直ぐこっちに。戦死者は解らないですが、全員がぼろぼろですよ!」
あくまでも冗談を言っていると理解しようとしていたフランケンシュタインだったが、伝令兵が遂に声を荒らげた。
黒い嘴から響く怒り半分の言葉に、彼はまだ疑いの視線を向けたまましぶしぶ窓の近くに立って単眼鏡を覗いた。そこにはハイルガルトの城壁越しに逃げ帰って来た軍勢が見えた。先頭を歩む兵は鎧か傷だらけであり、血の滲む包帯まみれの兵達で溢れていた。
その事実に驚愕したフランケンシュタインだったが、その軍集団にほんの少しの違和感を覚えた。最初こそ、他の被害が大きすぎる為にどうでも良いと思えたが、見れば見る程彼は気になってしまった。
「敗残兵の軍団にしては…行軍が早くないか?」
「死にたくない一心で行軍しているのでは?」
窓際で呟くフランケンシュタインに副官が答えた。
「だとしてもだ…あの包帯に滲むあの出血量なら、今すぐにでも倒れておかしくない。なのに歩いてる。さらには何だあの馬車は?馬の何倍の大きさをしている?煙も吹いてるし。あんなの来た時に有ったか?」
「えっ!あっ、本当だ…指令、あれは煙というより蒸気では?」
彼の記憶にはフリッチュ達の持つ馬車の殆どは幌馬車であり、1頭引きの小さい物だった。だが軍団中央に見える馬車は3頭引きの馬車は、全て金属で出来ており、車輪ではない金属の帯が巻かれた何かで進んでいた。何より、屋根の上に箱の様な構造物と、そこから伸びる筒が彼は気になっていた。
フランケンシュタインの不審が滲み出る言葉に副官が納得した様に頷くと、単眼鏡の狭い視界に遥か先の開く城門が見えた。
「なっ…誰だ!誰が開門を許可した!今すぐに閉めさせろ!」
「国王からの命令です!相手が侯爵である以上、現場は命には逆らえませんよ!」
フランケンシュタインはフリッチュの行動を前に嫌な予感を過らせていた。
そんな彼を無視して、開門と共に続々と入城する敗残兵達は多くのハイルガルト市民から迎え入れられた。その帰還には奮戦に対する歓声が湧き、要塞指令室にさえ聞こえる程に響いた。
多くの兵が弱々しく手を上げて歓声に答える中、御者席から兵達が降りると、道の途中で多くの馬車が不自然に止まった。その馬車達はモーター音を響かせながら、上部の砲塔を旋回させてハイルガルト要塞都市の総司令部に砲門を向けた。
「何だ?連中何で…」
額に汗かくフランケンシュタインが単眼鏡を覗きながら声を疑問を言いかけると、馬車達の上部構造物が灰色の煙を上げた。
その煙に驚くフランケンシュタイン達の視界には、同様に驚く多くの市民と嘶く馬を押さえながら飛び乗るフリッチュ軍の兵士が見えた。その光景を見ている彼等の耳に爆音が少し遅れて響くと、指令室は大きな揺れに襲われた。
「なっ!何だ!何が起きた!」
「しっ、指令!あれを!」
慌てるフランケンシュタインが止まらない爆音や大きな揺れに倒れると、テーブルで姿勢を維持する兵の1人が窓を指差した。
そこには瓦礫となって落ちて行く司令部の外壁があり、上の階に居た兵達数人が遥か下の地面に放り出されていた。
「閣下!これは一体何が…」
「知るか!とにかく、フリッチュ卿等の謀叛乱心!あいつ等…敗残兵に化けて、このハイルガルトに敵を引き込みやがった!」
ようやく戦車隊の砲撃が止み、指令室で伏せていたフランケンシュタインは怒鳴った。他の兵がまだ伏せる中、彼は慌てて立ち上がると窓から再び状況の確認をした。
突然の爆音で市民が逃げ、その市民の誘導や突然の総司令部爆発倒壊に混乱したハイルガルト市街内の兵達は狂乱状態だった。
一方で敗残兵に偽装していた軍団は、早々に城門を確保するために城壁にある城門の開閉機構を護る衛兵達に突撃を敢行していた。衛兵達も門を護りつつ閉門しようと必死になっていた。
だが、盾を構えて突撃破砕陣形を組む彼等に灰色の格好に鉄兜を被った数人が黒い何かを構えて煙を吹かせた。その後、衛兵はドミノ倒しの様に地面に伏せると動かなくなり防衛線は一瞬で崩壊した。
閉まりかけていた門が再び全開になると、濁流の如き帝国亡命軍の攻勢が始まった。その攻勢は市民と兵を明確に分けており、兵は容赦なく斬り殺されるが市民には手を出される様な事が無かった。
「我がガルツ帝国国防軍は、一般市民対しては一切危害を加えるつもりはありません!」
その宣言通りの一方的で奇怪な攻撃を前に、フランケンシュタイン軍の兵達は抵抗虚しく市街地を後退していった。
「こうなれば…各駐屯地に伝令を出せ!総司令部を放棄して市街地南方に防衛線を張る!」
「城の伝令をかき集めろ!急げ!」
総司令であるフランケンシュタインの命令に室内の全員が室外に走り、彼も防衛指揮の為に部下を引き連れ城の中を走った。
「落ち着いて対処しろ!無茶さえしなければ死にはしない!」
「閣下、どう対処するつもりで?」
「散兵戦だ。密集した市街で大軍を迎え撃つにはこれしかあるまい!」
クモの巣の様に張り巡らされた要塞地下通路を数十分間歩いている間フランケンシュタイン達は、都市の各地域から走ってきた伝令達から報告を受けつつ防衛線へと走った。
ようやく目的の場所に着いた彼等は、梯子を上りマンホールに偽装した出入り口から大通りにバリケードを張っている部下達に合流した。
「盾を持った兵が血塗れになって、妙な爆発まで起きるんです!総司令、あれは一体どこの軍隊なんです?まるでヒト族だ」
現場指揮官のグールの男が鎧を傷だらけにしてフランケンシュタインの元に走ってきた。
「我がガルツ帝国国防軍は一般市民に対しては一切危害を加えませんので、しばらくの間屋内に避難した上で…」
「あれで帝国軍だとさ!全く、本当に…」
爆音と共に響く警告を聞くと、フランケンシュタインがグールの質問に答えた。
「来たぞ!」
だが、その言葉も兵の叫びに直ぐ掻き消された。
「正面だ!」
弓兵の1人が叫びつつ、大通りの正面へと矢を放った。その矢は広い通りを前進する帝国兵へと放たれたが、即座に伏せられた為に空を切った。
その兵は右手に持ったライフルのボルトを下げて弾丸を込めると、弓兵に対して反撃をした。狙い済ました弾丸が、数百m先の兵士の眉間を貫くと、フランケンシュタインはその吹き出した血を顔面に浴びた。
「矢を放て!とにかくは放ち続けろ!連中を近づけるな!」
まだ距離がある敵からの突然の反撃に、指揮官のゴブリンが勝手に叫び出した。その言葉に弓兵達は矢継ぎ早に放ったが、フリッチュ達反乱軍は防げても訓練された帝国軍兵は全く止める事が出来なかった。
遮蔽物や死角で身を隠しつつ確実に前進する帝国兵は、必死に反乱軍を押さえる事に必死なフランケンシュタイン達に気付かれる事なくバリケードまで数十mの距離に近付いた。
「手榴弾!」
バリケード近くに響いた声にフランケンシュタインが視線を向けると、指揮官のグールの足元に金槌の様な物が落ちてきた。それに対して街の爆発を連想した彼は慌てて走り出すと飛ぶように伏せた。
「爆発するぞ!伏せろ!」
彼の叫びは全員に聞こえたが、突然の事に全員の反応が遅れた。
そして、立ち尽くす彼等は爆発で飛び散る破片に身を裂かれ、爆風に内蔵を叩き潰された。
「一画後退!後退だ!」
爆風で酷い耳鳴りに襲われるフランケンシュタインは血肉と内蔵を撒き散らしたバリケード内に向かって叫んだ。立ち上がりながら駆け出した彼に、多くの生き残りが同行すると隣の通りの部隊も後退を始めた。
「久しぶりの実戦で鈍ったか…戦線を広げて…まるでド素人だ…」
既に要塞都市の半分を占領されたフランケンシュタインは通りを部下と後退しながら卑下した。広大なハイルガルトの市街地戦は彼の散兵戦による必死の抵抗で3日間も続いた。
結果的にはフリッチュ反乱軍に死者983人と負傷者7000人を出して、フランケンシュタイン軍は敗走しハイルガルトから撤退した。