第二幕-8
「シュモラー卿、デーンホフ卿…いや、名前も長いし生きている者を数えた方が速いか…私に、ファルケンホルスト卿…7人いた武家貴族が2人か」
「フンボルト卿…1人足りない。フランケンシュタイン卿が居ます…まぁ、ハイルガルトにですが…」
ウルフガルムから遥か離れた場所密林でペンギンの鳥人であるフンボルトとドリルの様なウェーブをかけた金髪の女オーガであるファルケンホルストは暗い表情で地図を見ていた。
彼等2人の軍勢は久々の軍事行動に手間取った為、7月13日にハイルガルトから進撃を始めた。2人の行軍予定は大きく異なり、フンボルトはシュモラーが確保しているであろうウルフガルムに立ち寄ってから、ファルケンホルストは直接帝都へ侵攻する予定であった。
だが、そんなフンボルトの行軍は15日から異変が発生した。異変の最初は何故か鎧や服を傷や煤だらけにした何処の所属か解らない負傷兵十数人を途中で拾った事であった。裂傷や火傷だらけの彼等に事情を聞いても怯えるばかりで話にならず、"虐殺だ"とか"殺される"等の譫言ばかりであり、最終的には"土龍"だ何だと言い出した事でフンボルト軍11万5千には不穏な空気が流れた。
その日を境に彼等は行軍途中で負傷兵や敗残兵の集団と遭遇する事が続発し、その所属は帝都侵攻軍の自分達とファルケンホルスト以外の5貴族がそろう程であった。
いつの間にか軍勢が15万に達した時、流石のフンボルトも危機感を覚えて近くに居るであろうファルケンホルストに連絡を取ろうと伝令を走らせた。それはファルケンホルストも同様であったらしく、フンボルトの元には彼女の伝令兵がやって来て合流要請を伝えてきた。
合流した彼等の軍は、7月20日で元の軍隊を合わせても遥かに多い25万という軍勢になった。
だが、その軍勢の内5万以上は負傷兵や敗残兵であり、彼等の状態は戦力と言える物では無かった。
「さて…どうする、ファルケンホルスト卿?一応、卿と私の軍隊を合わせても遥かに多い25万の連合軍だ。きっと敵は驚愕するぞ」
「馬鹿も休み休み言ってください!4万6千の正気じゃない敗残兵を抱えた軍に誰が驚くものですか!むしろ笑うでしょ!"連中は連敗で手を組んだ上に敗残兵まで駆り出しだ"って!」
「まだ他の貴族が負けたとは判らんだろ?」
「だから…もういいです!」
あくくまで惚けた事を言うフンボルトに怒鳴ったファルケンホルストは地団駄を踏むと、近くに生えた木を力任せに蹴った。
他の貴族からの救援要請を持った伝令が1人も来ない事は、彼女の考えでは軍の指揮者が戦死した事を表していた。
「そう決めつける事も無いでしょう?あんな少人数、しかも田舎貴族に負けたとなれば、恥ずかしがって当然。ひょっとすると何人かは何処かに潜伏して反撃の機会を伺っているのかも知れませんよ」
フンボルトテーブルに手を突くための台の上から副官の女悪魔に紅茶を淹れるよう促すと、諭す様な口調で言った。
その言葉は、現状の南方貴族の状態から考えて起こりそうな事態であるため、ファルケンホルストは何も言えなかった。
「確かに…王は戦で得た戦果はそのままその貴族の独占。負ければ罰を与えると言いました…」
紅茶を受け取りながら語るファルケンホルストの言葉は先程の荒ぶりからは少し冷静になった。それでも彼女はまだ納得しておらず、地図の上の帝国軍を表す駒を大きく前進させた。
「しかし!帝国軍の南侵が大幅に進んでいる事は明らかですよ!ウルフガルムどころかハイルガルト…もしかすると、とっくの昔にマーデン=カールスベルク全体が包囲されているかもしれない!ハイルガルトは南侵にとって最も邪魔な存在だもの!」
「落ち着きなさい、麗しき戦乙女。女性がそんなに声を荒げるものではありませんよ」
5万近くの敗残兵の薄暗い狂気に呑まれかけたファルケンホルストを紅茶片手に諌めると、フンボルトは短いフリッパーを必死に伸ばして大きくずらされた帝国軍の駒を戻そうとした。
「そうですよ侯爵さま。そんなに悪く考え過ぎると何も出来なくなってしまいますよ」
駒に手の届かないフンボルトの代わりに駒を戻すと、彼の副官の女悪魔がソバカスの少し残った顔に笑顔を浮かべて言った。そんな彼女に、気まずそうな表情のファルケンホルストは右側にしか生えていない角を撫でるた。
その表情を受けて、副官の彼女は会話に割って入った事を謝罪するように赤茶けて天然パーマの頭を下げた。
「あぁ、いや…気にしないで。別に怒ったりしてる訳じゃないの。これは…癖なのよね。考え事する時の」
「その気まずそうな表情も?」
頭を下げた彼女にファルケンホルストは穏やかな表情で言ったが、フンボルトの一言に眉をしかめると露骨に不機嫌そうな顔を浮かべて紅茶を一気に飲み干した。
「しかし…君の言う通り、迂闊に近寄って良いものではないね…このウルフガルムは…」
「よく知った場所な筈なのに…いつの間にか魔境よ、ここは。まるでリリアン大陸よ!」
紅茶の一気飲みにやれやれと言った具合に肩を竦めたフンボルトだったか、ファルケンホルストの口から出て来た土地の名前に持っているカップを少し震わせた。
「リリアン大陸…ハイエルフの住む大陸…か…」
震える声のフンボルトにファルケンホルストは不味い事を言ったと表情で語り、慌てて頭を下げた。
「済まない、フンボルト卿!私は別に卿の兄上の事を…」
「いやっ…こちらこそ済まない!女性に不快な思いや不要な謝罪をさせた!」
そんな彼女の頭を上げさせようとカップを置いてフリッパーを宙で振るフンボルトは頭を下げた。
「兄の事は…あの人は、運がなかった。まさかあの差別主義で残虐な耳の長い獣の軍と真っ向からぶつかってしまうとはな…好い人だったし、弟として尊敬する。だから…少し昔を思い出しだだけだ、気にしないでくれ。あぁ、私の愛らしいペンギン顔が、怒りのせいでシワだらけだ」
「公爵、貴方のお顔では表情が分かりにくいですよ」
「そうだな!真っ黒だからな!私でさえ自分の目が何処にあるか時々判らんよ」
副官の2人とコントをして暗くなった空気を明るくしたフンボルトは、空になったファルケンホルストのカップに自ら紅茶を注いだ。
そんなに彼等の優しさに笑みを浮かべると、彼女は礼の意味で頭を下げた。
「そうだな…君の言う通り、ここはさながらリリアンかファンダルニアだな。そんな暴力と狂気渦巻く土地へ、こんな少戦力で攻めるなんて勝ち目がないな!」
少しわざとらしく言うと、フンボルトは近くにあった自分達の軍勢を表す駒をハイルガルトまで戻した。
「兵達の治療も必要だ。薬に包帯も少ないから後退の理由にもなる。そこで戦力の再編に、王へ増援の要請を送ろう」
その一言が決定打となり、その後の各指揮官を集めた会議でも一旦ハイルガルトへ後退する事が決定した。
そんな彼等の軍団がハイルガルトにたどり着いた24日の夕方に、再び彼等は異変へと遭した。
軍団が近付いているのに、遥か先に見えるハイルガルトの城壁は開く事がなく、さらにフンボルトが見たくない旗が城壁に登っていた。
「前方から接近する賊軍に継ぐ!こちらはガルツ帝国軍国防陸軍第1機甲師団第1戦車大隊長カールハイツ・レトガーである!ハイルガルトは我等ガルツ帝国の領土である。よって、それ以上の進軍すれば攻撃行動と見なし、反撃を行う!」