第二幕-7
帝国貴族であるシュモラーには誇りがあった。それは貴族と言うよりは武人としての誇りだった。武家貴族であるシュモラーの長男として産まれた彼は、常に勝負と共に人生を歩んでいた。勝てば得られて負ければ失う。勝者が正しく敗者は消えるというのが家の常識であり、彼の常識だった。
だがらこそ、彼は強い力を持つザクセンの肩を持ち理想ばかりの弱い皇女を切り捨てた。力無い者が権力を握る事を嫌う彼からすれば、皇女が自分達に首を斬られるのは当たり前の事だった。何より、彼には権力を欲する野心が有った。
シュモラーには嘗てのヒト族の侵攻で、山脈横の道を通り南に軍を向けたヒト族を追い払ったという功績があった。
だが、その軍は帝都へ侵攻する数百万の軍勢と合流しデルンを襲った。そんなヒト族から市民と兵の死者を出さず撤退させたヨルクの"無血の大撤退"によって彼の小さな功績は掻き消された。
"闘将"等と呼ばれても結局はヨルクに良い所を取られてばかりという事や、憎きライバルが皇女側にいる事も、シュモラーがザクセンの側に付く理由であった。
そんなシュモラーの軍勢は10万からなる大軍であったが、人数のによる統率の難しさや彼がウルフガルムの状態を危惧し、そこへ奇襲を仕掛けようとした事。さらに、ウルフガルムへは西側へ大きく迂回した経路で奇襲をすると決めた事で、早く出発しなければ周りより進行が遅れる行軍予定となった。
ヨルクへの対抗心から、彼らは他の帝都侵攻軍より2日も早くハイルガルトを出発し西に大きく逸れながらウルフガルムへと向かった。
訓練された兵達のお陰もあり、今の彼を追い越せる程の速さを持つ帝都侵攻軍は無かった。そんな軍の侵攻速度も夜闇の暗さの前では大きく低下するために、ウルフガルムまであと10数kmという途中の開けた草原でシュモラーとその軍は夜営をする事となった。
短い休息の間に思い思いの事をしながら、彼らは迫る大規模戦闘の為の英気を養っていた。
「ここで皇女を討てば…私だって伯爵から公爵に…兵達だって金等級騎士になれる…そうすれば…」
真夜中の静けさの中、シュモラーは自分1人しか居ないテントの中で独り言を呟いた。本当なら"クラウゼヴィッツにも勝てる"という部分も言おうとしたが、ヨルクの名前を口にしたくないという理由から、シュモラーは言葉を飲み込んだ。
そのまま気を紛らわせる為に、途中で止めていたウルフガルムへの部隊配置や大陸中央の帝都侵攻の戦術を考え始めた。
そんな彼がテントで地図と睨み合う7月15日の深夜、寝静まった夜営地に突如として爆音が響いた。
「閣下、報告します!前方から!…前方から土龍の群れが接近してきます!」
「許可も求めず飛び込んで来て何を寝惚けた事言ってる!土龍だと、馬鹿を言うな!そんなのお伽噺の類いに出てくる…」
慌ててテントに飛び込んできたミノタウロスの伝令兵に怒鳴ったシュモラーだが、テントの周りの異常に騒がしい事や止まない爆音、最前線から駆けて来たであろう伝令兵の滝のような汗に怒鳴るのを止めた。
「その土龍とやらは…ここからでも見えるか?」
「はい!ここからでもはっきりと見えます!ですが…奴等は口から火球を吐きますので危険です!」
「火球が恐くてヒト族と戦えるか!」
伝令兵に止められたシュモラーだったが、嘗ての戦場を思い出しながら怒鳴るとテントを出た。すると、その周りは自分の兵達が警戒をしながら戦闘体制を取る騒がしい光景が目に入った。
「シュっ、シュモラー卿!あれです!きっと帝国軍はヒト族と組んで隣の大陸から土龍を…」
「喧しい!黙ってろ!」
自分を見付けて駆けて来た細身なオーガの副官の慌てて指差す姿や妄言に呆れた白い目を向けると、シュモラーは副官から双眼鏡を奪い取って覗き込んだ。
「車輪で動く生き物がいるものか…」
双眼鏡で見える遥か先に、シュモラーは巨大な何かが見えた。彼もそれが何なのか言い表せる言葉を持っていなかった。暗く良く見えない視界の中でその巨大な何かが細い首の先にある頭から火を吹き自陣に爆発が起きると、彼もその巨大な何かを土龍と言いたくもなった。
だが、その土龍が火を吹いた瞬間の明るさがで、シュモラーにはその体の全体がうっすらと見えた。その瞬間を見逃さなかった彼は、その巨大に車輪が何個も付いているのが見えた。
そして、その火球を吹く無数の何かが100以上居る事と、その群れが馬より早く近づいてくるのを理解した。
「成る程な…小僧と貴族ごっこの商人のでは敵うまい。総員戦闘配置!盾隊は最前線に横隊!その後ろに槍隊と騎士隊!弓隊は放てる者から攻撃開始!奇襲だからと怯えるな!所詮はこけおどしだ!」
シュモラーが軍に指示を出しすと、近くの伝令兵が一斉に駆け出し各指揮官に命令を伝達した。武家貴族の良く訓練された兵という事もあり、彼等が戦闘配置を完了させるのに10分と掛からなかった。
だが、その戦闘配置の間も爆発による攻撃で兵は吹き飛び、弓兵達の不規則な反撃も火を吹く何かにはまだ届かなかった。
「この程度で怯えるな!ヒト族との戦闘を思い出せ!」
奇襲に爆発、戦死者の増加で混乱しかけた軍も、前線近くに立つシュモラーの指揮やヒト族との戦争経験者が豊富に居た事で直ぐに立て直されていた。
約10万の軍が戦闘体制が完了した時には、土龍の群れも弓の射程圏内に入っていた。
「弓隊、一斉射!用意!」
準備の整った軍に対してシュモラーが号令を出すと、弓兵達は矢をつがえると目一杯に引きながら角度を付けて構えた。
彼等が土煙を上げながら近づく何かに照準を定めたのを確認したシュモラーは、双眼鏡を覗いたまま右手を垂直に上げた。
「放て!」
右手が振り下ろされると弓隊は一斉に矢を放ち、無数の矢は弧を描きながら迫る敵に降り注いだ。
「勢いを止めればこの数の差だ!敵は尻尾を巻いて…」
双眼鏡から目を離したシュモラーは軍に向けて激励の言葉を言いかけた。だが、その言葉は震えながら怯える弓兵達によって止められた。
彼等の尋常ならざる怯え方に、彼は慌てて双眼鏡を覗いた。そこには、無数の矢をその身に受けても無傷な何かが、火を吹くペースを上げながら速度を上げて爆進する姿があった。
「ばっ…馬鹿な!」
「盾隊!槍隊構え!突撃破砕用意!」
驚く副官を横目に、シュモラーは慌てて最前線の兵に命令を出した。その慌て方や自陣に増える爆発と戦死者に、多くの兵が不安を感じながらも訓練通りに盾と槍を使った対突撃用の防御体制を取った。
「シュモラー卿!相手との体躯の差がありすぎます!いくら大盾でも防ぎきれません!」
「黙れ!嘗ての侵攻で白虎に乗ったヒト族の小娘を軍ごとこれで追い払った!少し毛色が違ったくらいで…」
副官の弱気な発言に彼を見詰めながら怒鳴るシュモラーは、その耳に爆音以外に無数の乾いた破裂音が混ざって響いたのを聞き前線へ再び視線を向けた。
そこには、ドミノ倒しの様に倒れる無数の兵達があった。盾隊は確かに大盾を構え、その後ろに槍兵や騎士達が武器を構え防御も攻撃も完璧だった。
だが、その盾には無数に穴が空いており、何かが貫通し盾の向こうの兵士達を血塗れにして殺した事を禍々しく表していた。口から血を吐き内蔵を剥き出しにして、体が原型を保っていない死体を前に、副官が腰を曲げながら嘔吐し始めた。嘔吐するのは彼だけではなく、前線にいる兵達も爆発で体をミンチにされ盾さえ通用しない何かに体を裂かれる惨状に嘔吐する者が後を絶たなかった。
「貴様ら!誉れ高きシュモラー軍に敗けは無い!全員持ち場を…」
前線で刺の多い豪華な鎧に身を包むオーガの指揮官が叫んだ。
だが、彼の指示は彼の頭が宙を舞い、体が力なく倒れる事で止められた。
「たっ…退却だ!退却だ!」
「あんなの勝てるか!逃げろ!」
「ばっ!化け物だ!帝国軍は化け物飼ってるぞ!」
指揮官の誰かが叫ぶと、一方的な攻撃に耐えられなくなった兵士達は思い思いに叫びながら退却し始めた。
「お前達!俺は退却命令を出してないぞ!突撃だ!こうなったら突撃して敵を…」
指示を出そうとしたシュモラーは、逃げてくる兵とぶつかり倒れる事で号令を出すのを止められた。その兵士は謝る事事無く叫びながら逃げ去っていった。
立ち上がろうとしたシュモラーは逃げ遅れた多くの兵達が、遂に前線へ突撃してきた土龍の群れに引き殺される姿を見た。
燃える草原の明かりではっきりと見えるその姿は、それが土龍等の生き物ではない事を明確に伝えていた。それは、金属の車輪に付いた金属の帯で倒れた兵を鎧ごと踏み潰しながら自陣を蹂躙していた。首に見えた細い筒からは最早火を吹く事はほとんど無く、体や筒の横から響く途切れる事の無い炸裂音が兵を引き裂いていた。それでも必死に抵抗する兵は横や後ろから一太刀浴びせようと剣を振ったが、その固さの前に剣は折れ殴る拳は血を撒いた。そして、抵抗虚しく彼等は巨体に潰されていった。
駆け抜ける巨大な何かは敗走する兵を追い越し、逆に兵達を前線だった場所に追い返し始めた。
呆然とその光景を見ていたシュモラーは、怪物達のやって来た方向から似たような化け物を引き連れた帝国軍の姿を見た。
シュモラーは初めて見る戦車の力に恐怖した。
「クラウゼヴィッツ…貴様…帝国武家貴族の誇りを捨てたのか?こんなヒト族紛いの…いや、ヒト族よりも残虐な戦いをして…手に血の付かん戦いをして…」
腰が抜けた彼は、遥か前方からさらに迫る軍勢の中に戦車のキューポラから身を乗り出したヨルクの姿を見た。その姿に、彼等は奥歯を噛み締めながら腰の大剣を引き抜き杖代わりに地面に突き刺した。
「許さん…貴様…許さんぞクラウゼヴィッツ!貴様の様な外道に私は負けん!」
震える足を必死に立たせながら叫ぶと、シュモラーは大剣を振り上げ走り出した。
「私は!武家貴族で、伯爵で、闘将で、シュモラーなんだぞ!」
叫びながらたった1人で突撃する彼へ、ヨルクの戦車の砲塔が向いた。太く短いその砲は、随伴する戦車と異なる榴弾専用の砲であった。
その砲が火を吹いた瞬間、シュモラーの視界に紫色に染まる空が見えた。回り行く視界は登る朝日が見せた後、鎧と体が混ざり合う首の無い自分の死体を見せた。
落ち行く視界の中に包囲されて投降する兵達を見たシュモラーは、頭に残る全ての力を振り絞り瞼を閉じた。
暗い視界は明るくなると、いつの間にか宮殿を写した。目の前にはきらびやか服を着た国王ザクセンが侯爵の杖を掲げて立っている。
その杖を受け取りシュモラーは振り返ると、多くの貴族が羨望の眼差しを自分に向けながら拍手をしていた。その光景に満足しながら杖を上げて雄叫びをしようとした時、血と臓物に染まった大地にシュモラーの頭が落ちた。
彼の意識はこの世から消えた。