第二幕-5
移動中のシンデルマイサー軍は警戒こそしているが、空気は比較的穏やかであり行軍列独特の張り詰めた空気が存在しなかった。
彼等からすれば普段の訓練よりきつくない行軍に、自分達より数の少ない敵兵力というのは彼等にとっては気負う必要が無かった。何より、あくまでも行軍する森林は南方地域である事が彼等を安心させた。
だが、森林において突然の爆発に巻き込まれた生き残り7500人は最後尾で不安を感じつつ重苦しい表情で行軍していた。
「何だよ…何も起きないじゃねぇか…」
行軍を始めて1日と数時間が経過しても何も起こらない事に、アクスマンやその仲間は退屈そうに代わり映えしない森林の風景を眺めていた。
「お前達…何でそんなに余裕なんだ?最後尾の奴等は皆怯えているのに…」
商人が本職の彼が同行する必要は無い上、アクスマン達がウルフガルムに居た方が良いという言葉を無視して、彼は行軍に同行していた。
そんな彼が余裕を見せる挙動不審に周りを警戒しながら彼等に尋ねた。
「あの連中は新参者だらけ。実戦…つまり、1度もヒト族と戦って無いんだよ」
「魔法みたいな攻撃を受けたことが無い奴等。剣だけ振り回してた浮浪者達を頭数合わせで雇ったみたいだから」
「Magic…何だったか?とにかく光の矢だって、避けようと思えば避けられる。それになのにあれだけ怯えるとは…」
「男の癖に情けないよね!」
「先輩、言い過ぎです。こういうちゃんとした戦争では、彼等は初陣扱いでしょ?」
「私~、先輩もビビってたって聞きましたよ~?」
シンデルマイサーの近くで警護をする犬系獣人の女が説明をすると、その部下の多種多様な種族の女傭兵達が思い思いの発言をした。
彼女達は短いスカートの付いた鎧姿だが、頭領の女傭兵に習って露出がかなり多かった。
「そうだぞ、お前ら。これじゃあ俺達男の立場がないぜ」
「凄腕は言う事がえげつないな」
そんな彼女達の発言を受けて、周りの傭兵達が苦笑いを浮かべながら言葉を返した。それにより、シンデルマイサーを含めて軍の緊張が少しだけ取れた。
「これだけ凄腕が…」
そんな軍の中の誰かが一言言いかけると、突然左胸を殴られたかの様に体を揺らし勢いよく仰向けに倒れた。
その動きに多くの傭兵が視線を向け遅れて遠くから響く音に耳を傾けた直後、何人もの兵達が赤い血を撒き散らしながら吹き飛ばされた。倒れるその体は蜂の巣の様に孔だらけにされ、手足を千切り飛ばされ頭を砕かれており、死体を直視した者はグロテスクさに嘔吐していた。
突然の虐殺はとどまる所を知らず、行軍中の傭兵団員を次々に薙ぎ払っていった。中には手足だけ残し体を破裂させ内蔵を大地に撒く者さえおり、何人もの兵が規則的なリズムでその体をバラバラにしていた。
その殺され方は、彼等の知るヒト族の光の矢よりも明らかに残酷だった。光の矢はただ体を貫くだけであった。だが、何処からか放たれる何かは貫くだけでなくその箇所を必要以上に引き裂いていた。腹部に当たれば腹が裂けるだけでなく、その中の内蔵が引き裂かれた上で貫通していく。
「全員伏せろ!伏せろ!早くしろ!」
巨体に関わらず奇跡的に被弾しなかったアクスマンはとにかく叫んで兵達に促すよう指示を出した。
遮蔽物の少ない開けた林道では伏せる以外の身を守る方法がなく、ベテラン兵の殆どはこの無数の機関銃からの集中射撃から逃れる為に既に伏せていた。
林道が血の海になる頃には全員が伏せていたが、軍からは余裕も戦意も完全に無くなっていた。
「痛い…痛いよ…」
「母さん…母さん!…あ~~っ!」
片腕を引き裂かれた者が苦しみ呻き、割けた腹から胃や腸を剥き出しにした兵が必死にそれを腹の中に戻そうとしながら叫んだ。
そんな惨状があちこちで起きており、それを見るのに耐えられなくなった者が立ち上がって逃げようした。だが、そんな者達は制圧射撃の前に引き裂かれ、伏せる仲間にその血を振り撒いた。
「助けて…助けて神様…ホーエンシュタウフェン様…」
「何でだ…何で俺がこんな目に…」
多くの兵は正気を失い、断続的に響く射撃音を聞く度に震えながら呟いていた。その状態で何故か正気を保っていたシンデルマイサーは、近くで伏せているアクスマンに近寄ろうとした。
「アっ…アっ、アクスマン!これは…」
「ばっ!頭上げんな!死にたいのかハゲ!」
「なっ、何とかせんか!ヒト族とも戦った事が有るんだろ!応戦せんか!」
「完全に囲まれている!敵の姿も見えないんだぞ!無理言うな!」
アクスマンに頭を押さえ付けられながらシンデルマイサーは彼に対応を迫った。そんな彼が怒鳴りながら言い返した時、突然爆発が起きて伏せる兵達の数人が土とその血や臓物を撒き散らしながら吹き飛んだ。
その爆発は銃撃と同様に止まる事がなく、大きいものでは十人単位で兵が吹き飛ばされていた。
「本当に…林道が噴火した…」
「噴火じゃない!何かが空から降ってきてる!それが…」
アクスマンの呟きに誰かが反応して叫んだが、アクスマンがその兵の方向を見た頃には既に吹き飛ばされており、腸と血を流した下半身しかなかった。
「てっ、撤退だ!撤退だ!逃げろ!」
「どうやって逃げるんだよ!立ったら殺されるだろバカ!」
「這って逃げるんだよ!頭使え!」
軍の誰かが叫んだ"撤退"と言う言葉や"這って逃げる"と言う言葉は、混乱した兵達にとっては希望の言葉だった。そんな兵達の言葉に目を見開いたシンデルマイサーはアクスマンと目が合った。
アクスマンは、彼が目を見開く意味を"逃げるな、戦え"と理解すると、苦虫を噛み潰した様な表情で頭を振り背中の戦斧の柄を掴んだ。
「だっ、旦那…戦えって言うなら俺はあんたを殺して逃げる…」
「馬鹿!私がそこまで愚かに見えるのか!こんな所で意地を張っても割に合わんわ!撤退だ!」
「じゃあ何で目ぇ見開いてる!」
「這って逃げるってのが素晴らしい考えだったからだ!」
シンデルマイサー臆病で現実的な物の見方に安心すると、アクスマンは張れるだけの声を出した。
「お前ら!逃げるんだよ!何としても生き残ってウルフガルムに逃げ込むんだ!」
「だっ、団長!あれ!」
号令を出したアクスマンに対して、近くに伏せていた兵が叫びながら後ろを指差した。彼とシンデルマイサーは伏せたまま首を後方に向けた。
そこには全身を血塗れにしながら撃たれる兵と、遥か後方から迫る何かが見えた。
「何だよ…あれ…」
「ゾウか?長い鼻もある。足が無いし、尻から煙を吹いてるが…」
シンデルマイサーの呟き通り、遥かから迫るのはゾウの様な巨体の何かだった。確かに色はグレーでゾウに似ていた。
だが、ゾウの様な足が無く、体はやたらと角張っていた。更には頭が胴体の前ではなく上に付いていた。そこから伸びる鼻のような太い何かは、先端が膨らんで左右に1つずつ穴があった。にもかかわらず正面にも1つ穴があり、明らかに生き物ではない姿だった。
そんな本物と思えないゾウの様な何かが13両近づき、鼻先を自分達に向けるとアクスマンやシンデルマイサーの背筋に悪寒が走った。
「対衝撃体勢!」
アクスマンが叫んだ時、戦車の砲が榴弾を吐き出した。
その砲弾が伏せる兵達に着弾して血肉を土と一緒に撒き散らすと、シンデルマイサー軍には絶望しかなかった。
「待ち伏せされて包囲殲滅なんて…あの時、前に出るべきなんて言わなければ…」
待ち伏せ攻撃の混乱でシンデルマイサーから離れた所で伏せていた犬系獣人の女傭兵は嘆いた。彼女は片足を射抜かれ動けずにいた。そんな彼女を見捨てられない部下達は傷だらけになりながらも周りで伏せていた。
だが、すでに何発かの至近弾で何十人も吹き飛ばされ全滅も秒読みに入っていた。
「前や横には見えない…いや、見えない所から攻撃してくる敵に、後ろから化け物…」
「万事休すか…」
「嘘でしょ…私達…これで終わり?これで死ぬの?」
「いっ…嫌だ…嫌だ嫌だ、嫌だ!死にたくない!死にたくない!まだやりたい事がいっぱい有るのに!もっと自由に生きたかったのに!」
周りに転がる無数の死体を目の当たりにして、女傭兵を含めた全員が死の恐怖に怯えていた。最後尾で逃げようとしていた者達も、戦車の機銃掃射や砲撃に倒れる仲間の姿を目の当たりにして逃走を諦め、爆発の中で蹲っているた。その姿は、生き残っている兵達に絶望を与え反撃の意思を奪った。
そんな全滅を受け入れられない兵達は、激しく泣き出す女オーガの声も相まって悲しみと敗北感に包まれた。
爆風と撒き散らされる死の中で、女傭兵の部下である最年少の吸血族の少女が涙目で遥か後方を見た。2度と帰れない故郷や残してきた妹達を思うと、瞳に溜まった涙が零れ落ちそうになった。
涙でボヤける視界の隅に、彼女は白いハンカチを振る兵士の姿を見た。そして、その兵は膝立ちであるのに射抜かれず、周りでは爆発も起きていなかった。そんな彼に気付いた周りにいた兵達は、イナゴか蟻の群の様にハンカチを振る彼の元へと集まっていた。
彼女はその光景を見て涙を拭いながら少し考えると、自分の前で泣きじゃくるオーガの女傭兵を見た。
「先輩…死にたくないなら、何か白い布くれませんか?」
「うっ…しっ、白い布?そっ、そんなの…持ってる…訳無いじゃん…えっ、縁起が悪い…」
そんな吸血族の少女と息を詰まらせながら泣き続けるオーガの会話が聞こえたのか、犬系獣人の女傭兵が這いながら近寄ってきた。
「お前!降伏なんてしたら、それこそどんな目に合うか解らないんだぞ!無抵抗に殺されるかも…」
「なら姐さんは、こんな所であんな風に死にたいんですか?何も出来ないで、大して稼げてもいないのに…手柄も名誉も何もないのに!」
ミンチになった死体を指差す最年少からの正論に、その場で伏せている兵達全員が黙るしかなかった。
「だがっ…さっきこいつが言ったようにここにいる誰も白い布なんて…」
その正論に、悪魔族の女傭兵が周りで伏せている兵を見渡しながら言いかけた。
だが、その言葉は少女の行動によって遮られた。
「いいえ、持ってます。だって、ここから見えるんですもん。先輩の白い下着が!」
彼女は自分の前に伏せるオーガの女のスカートの中に指を指した。彼女に指を差された女オーガやはスカートの端を慌てて押さえた。
「あっ、あんた!こんっ、こんな時に…どこ見てるの!」
「この子に!こんな戦場のど真ん中で下着脱いで振り回せっての?正気の沙汰か?」
「今更純情ぶってどうするんです!ここでやらなきゃ、皆死んじゃうんですよ!私は…死にたくない!」
女吸血鬼の発言に本人や庇おうとした女悪魔は反論したが、簡単に言い返されると黙るしかなかった。
しばらく爆音の中に沈黙が流れたが、再び至近弾を受けて部下が数人吹き飛ぶと、頭領たる女獣人やその副官のセイレーンが決意の表情で下着を脱ぎ出した。頭領に至っては胸のサラシさえ脱ぎ始めると、鎧から溢れそうな胸元を押さえた。
「野郎共…見たら殺す!」
「背に腹はかえられない、か…もうお嫁に行けない…」
そう言うと上官2人と女吸血鬼は有らん限りの力を出してパツンとサラシを振り回した。
「止めろ~!降伏する!降伏する!」
「頼むから攻撃を止めて下さい!降伏します!」
「お願いだから殺さないで!」
三者三様に下着を振り回しながら降伏を叫ぶと、それを見ていた女オーガと女悪魔さえパンツの紐をほどいて高らかに振り始めた。
その行動に触発された他の兵も持っているありとあらゆる白い布を振り始めた。肌着やタオル、靴下までも振り回した必死の降伏意思であった。
数分間必死に振り回した白旗に見えない布類のお陰か、降伏の意志が伝わった様で帝国軍の攻撃は突然止まった。爆音に耳が遠くなっていた事に今更気付いたシンデルマイサー軍兵士達は、ゆっくりと頭を上げて周りを見た。
周辺は惨状が広がっており、誰が生きて誰が死んでいるのか解らない程の状態だった。唯一の判別材料は頭を上げているかいないかである。
そんな彼等の耳にうっすらと声が響くと、自分のパンツを振り回していアクスマンとシンデルマイサーが立ち上がった。
「…らは…国国ぼ…り…軍第1機甲…第1…大隊、大隊長アン…エ・フォン・クラウゼヴィッツ大尉である!」
まだ耳がおかしい彼等だったが、自分達の遥か前方に人影の様なものが見えた。その事で、2人は敵である皇女派閥であるクラウゼヴィッツの軍が呼び掛けている事がわかった。
「済まない!こちらはそちらの訳の解らん攻撃で耳がおかしいんだ!もっと大きな声言ってくれ!」
シンデルマイサーが消えかけている根気をふりし絞って叫ぶと、前方の人影は口に当てていた拡声器をいじり始めた。
「こちらは、ガルツ帝国国防陸軍第1機甲師団麾下第1歩兵大隊、大隊長アンネリーエ・フォン・クラウゼヴィッツ大尉である!そちらの投降意思を確認した!武装解除するならば、我々は諸君らを捕虜として受け入れる用意がある。こちらとしても、無慈悲に同胞を虐殺するのは愚かな賊軍といえど忍びない。3分間待ってやる。それまでに武装解除、手を頭の後ろで組んでこちらに1列で来い!攻撃の意思を確認したり武装解除されなければ、こちらは投降を認めず攻撃を再開する!」
アンネリーエは一方的な要求を突き付けた。その無条件降伏要求を全て聞くと、アクスマンはシンデルマイサーへと視線を向けた。
彼のその視線には強い決意が込められており、それに呼応するようにシンデルマイサーは深く頷いた。2人がそれぞれの獲物である背中の戦斧や腰のサーベルに手をかけた。
惨状の中央に立つ彼等の行動は、全員に戦闘継続という絶望と自分の死の覚悟を感じさせた。
軍全体に悲しみが満ちて2人が獲物を掴んで引き抜くと、その場に緊張が走った。
「そんなの安いもんだ!」
「こんなの要るか!」
アクスマンとシンデルマイサーはそれぞれ叫びながら武器を投げ捨てると、頭の後ろで手を組ながら敵陣へ丸腰で歩いて行った。
そんな彼等に、爆風で伸びていた兵達も武器を捨てて続いた。
約2万5千いたシンデルマイサーの傭兵軍は、数十分でその人数を半数以下にまで殲滅されると1500人の帝国軍に1人残らず投降した。