幕間
「クレッチマーの親分…何だって俺達はこんなキームの港町に?今頃、帝都や南じゃあ"夏の目覚め作戦"が…」
「親分と呼ぶな、ヴェルナー海軍少尉!呼ぶなら大佐だ」
夜闇の中を2台の人員輸送用ブリッツが明かりをつけて走っていた。その荷台で、沈黙に耐えかねた副官の発言にクレッチマーは小言を言った。
彼らがブリッツに揺られている日付は7月8日であり、帝国が南方のガルツ王国に対して宣戦布告した翌日であった。アポロニアの宣戦布告演説が帝国北方や西方の1部地域に設置されたラジオ局で放送されると、物珍しさからそれを聞いた民衆は正義の内戦に大いに湧いた。
だが、それに反するようにガルツ帝国海軍の士気はみるみる低下していた。
内戦における戦闘が帝国領土内で起こる以上、全金属製駆逐艦の進水式も1回しか出来ていない海軍に出番の機会は少ない。駆逐艦へ配属されなかった者達の訓練はもっぱら模擬訓練であり、実物の駆逐艦については装備を見る程度しか行えていなかった。
それはクレッチマー達も同様であり、彼の率いる400人近い兵も模型による座学や模擬装備による訓練ばかりであった。
「しかし、クレ…クリストフ大佐。何故、巡洋艦の1隻だってまともに完成してないのに、我々が呼び出されるんですか?何より、造船所はキームではなくリントです。それに…この人数で軍艦を動かすのは…」
クレッチマーことクリストフは、確かに400程の部下がいる。だが、ブリッツで移動しているのは彼も合わせて45人しかおらず、全員が何故海軍省がこの様な命令を出したか解らなかった。
そんな彼らはキームの港への道をひたすらに進んでいた。再び車内に沈黙が流れると、ブリッツの明かりに照らされて別の海軍所属のブリッツが走っているのが見えた。
クリストフは慌てて立ち上がりながら首から下げる双眼鏡を覗き込んだ。
その視界には、同様にブリッツの荷台から双眼鏡で自分を覗く海軍制服の男がいた。その男はポメラニアンの様な毛むくじゃらの犬系獣人であり、双眼鏡から目を離して運転手に減速を指示すると帽子を正しながらクリストフに両手を振り始めた。
クリストフは並走するブリッツの荷台に立つ獣人に対して、エンジンに負けないような大声で尋ねた。
「トムゼン!お前何でキームに居る?リントに居るはずだろ!」
「海軍省から命令書が来た!お前もだろ?小便休憩の時にヴァイカートも走ってったぞ!港にゃもっと居るかもな!」
トムゼンは北方の帝国騎士であり、クリストフとは青年時代からの腐れ縁であった。それ故に、彼が駆逐艦の実物見学をする為に造船所のあるリントに向かう事を彼は本人から聞いて知っていた。
そんなトムゼンや他の海軍軍人にキームへの出頭命令が出ている事にクリストフは疑念を懐くと、遠くに見える港の灯りを見つめた。
港には新設されたばかりの海軍基地があり、ゲートを通った彼等が指定場所に着くとそこには縦に小さく横に広いドックが建てられていた。
外装から建てられて数ヶ月と判るドックの作業口には多くの資材が出入りしており、人員用入り口近くには、佐官の海軍軍人2人と80人程の海兵が整列していた。
ドックを見詰めながらクリストフ等に背を向けて話す佐官の2人はブリッツのエンジン音に振り向くと、明かりを遮るように手のひらを目元に運んだ。
海兵達は停車してブリッツの荷台から降りてくるクリストフやトムゼンに対して、海軍敬礼をしながら迎えた。
「クリストフ!イマーヌエル!お前達にも命令が来たのか?他に居ないとなると…ヴィレンブロックと俺で、佐官が4人か」
「上級士官4人とこんな少人数じゃ、艦隊を編成するわけではない…ヴァイカート、これは何か臭うぞ…」
敬礼をする兵達の中からヴァイカートと呼ばれる悪魔の男とヴィレンブロックというゴブリンの男がゆっくりと歩み寄ってきた。
そんな2人の呟きに、クリストフはここに居る全員が出頭理由を知らない事を察した。彼は疑念の視線をトムゼン向けると、彼は困った顔をしながら肩を竦めた
「何だ、お前ら…何も知らんで来たのか?」
「うるさいぞイマーヌエル!なら、お前は解ってるのか?」
「止めろ2人とも。将校の俺達が言い合ってどうする?クリストフ、総統閣下から何か聞いてないか?」
「ヴィレンブロック…お前、俺があれこれ黙ってられる様な人間に思えるか?」
佐官の4人が話し合う中、彼等は沈黙するとただひたすらに小さなドックへと視線を向けた。シュレースタイン州のキームは州都であり、港には多くの漁船が停泊している。
そんな港の一画のドックは、内部の様子が解らないように屋根まで付けられた大掛かりな造りになっていた。横の幅は広く何隻も艦を収容出来そうだが、その割には縦のサイズが小さいため、4人はこのドックの中身こそ自分達の呼び出された原因と理解した。
「さて…わざとらしい言い争いはこれぐらいにするか。明らかにこれだよな?」
「造船所にしては縦幅が小さいな?」
「駆逐艦の建造…にしては大きさが半分くらいか?」
「そもそも…船なのか?ここで建造しているものは」
4人は自分達を気にせずドックへの資材搬入作業を続ける技術者達を横目に、それぞれ意見を言いながら自分達がこれから何をさせられるのか考えた。
最終的にはその場に居る全員で話し合いとなったが、ドックの中身が解らない以上彼等の予想も直ぐにネタ切れとなった。腕を組んで唸っている彼等に、ドックの中から出て来た人物が声を掛けてくるのはそれから数分後の事だった。
「水兵の皆さん!そんな所で何やってるんです?命令書は受け取ってるでしょ?早くドックに入って来なさいな!私をどれだけ待たせればいいの?」
海兵達に声を掛けたのは作業用のツナギを着た背の高く細身のグールの女であった。整った褐色肌の顔は煤と埃に汚れ、油に汚れたツナギは女性としての美人さを掻き消していた。
「はぁ?何を言ってるんだお嬢ちゃん?キームにドックは無い!ドックが有るのはリントだろ?ましてやキームには軍艦のぐの字も無い…」
「まさか…形だけの鎮守府の管理をしろと?左遷か…」
トムゼンとヴィレンブロックが嘆くと、グールの女は呆れた様子で海兵達の元へ歩くと、二人に見せ付けるように肩章を見せ付けた。
「イマーヌエル・トムゼン少佐。お嬢ちゃんではなくゲルトラウト・ヴォッケンフース技術大佐です!全く、何で海軍省は屈強な水兵じゃなく後ろ向きな老人を送ってくるんだ…」
「言ってくれるじゃないか、技術大佐。クリストフ・ツー・クレッチマーだ。そこのアホや君の様な技術者の佐官対偶とは違い、本物の大佐だ。よろしく頼む」
トムゼンが眉を痙攣させ、ヴィレンブロックが突っ掛かろうとする中、クリストフは2人の肩を掴んで止めた。そのまま2人の前に出ると、彼は横柄なゲルトラウトにクリストフは馬鹿にする様な態度で握手を求めた。
その態度は逆に好感を与えたのか、ゲルトラウトは鼻で笑いつつ握手に応じた。
「そこの毛むくじゃらと違って、貴方は骨が有りそうね?貴方と貴方の部下なら、私の娘達を安心して預けられそうね」
「むっ、娘?」
彼女の発言にヴァイカートが驚きの声を上げた。
ゲルトラウトの見た目は子供はおろか、結婚するにも少し早いと思える若さであった。その彼女に既に複数人の娘が居るという事は、クリストフを除く3人には驚きだった。
「なっ!何言ってんのおっさん!私は未婚だ!アルブレヒトに負けっぱなしで結婚なんてしてられるか!」
ヴァイカートの発言に顔を真っ赤にしたゲルトラウトは足早にドックへと向かった。ヴァイカートはそんな彼女へ謝罪を言おうとしたが、それより先に彼女はドックへ歩きながら片手で付いて来るよう促した。
「こんな奴等に海軍の秘密兵器を託すなんて!失敗したら総統から何を言われるか!」
海兵達に向けられたゲルトラウトの大声に、彼等はどよめいた。彼等にとって秘密兵器とは全金属製の軍艦であり、完成したばかりの駆逐艦や建造中の軽巡洋艦、ようやく建造に着手した重巡洋艦に設計中の戦艦や空母だった。
だが、そんな彼等も知らない本当の秘密兵器が目の前のドックにあると知った彼等は、ただゲルトラウトに付いて行くしかなかった。
「帝国海軍の現状戦力は、完成したばかりの駆逐艦1隻です。勿論、総統はこの海軍の状態に不安を感じていました。駆逐艦の建造に掛かる時間は最短でも1月。このままでは海軍の装備が整う頃には内戦が終結してます。アルブレヒトを負かす為に海軍に協力した私も海軍もろとも立場を失う。そんなのは御免です」
資材搬入の為に広く作られた通路を進みながら、ゲルトラウトは海兵達に語り始めた。それは海兵達も理解している海軍の現状であり、技術者達に打開して欲しい問題であった。
「船の無い海軍は剣の無い騎士や芯のない鉛筆です。だからこそ、この海軍に戦果を与えられれば、総統の下請けでのしあがったあの猫女にも勝てる。貴殿方は海軍初の大戦果を立てられる。素晴らしいでしょ?」
「技術大佐、君は余程マヌエラ殿に嫉妬してるのだな。技術屋としての同族嫌悪か?」
「私をあんな運と才能だけの技術者と一緒にするな!私はアイツに負ける訳にはいかないんだ。全ての技術者の為にも…」
饒舌に語るゲルトラウトにクリストフが軽い嫌味を言ったが、それは予想より大きく彼女の怒りを燃えさせた。
そんな彼女も、自分の発言で必要以上に空気を悪くした事に軽く謝ると、大きな扉の前で止まった。
「お嬢ちゃん、ここにあるのか?その…"帝国海軍の秘密兵器"ってのは?」
「えぇ。そうですよ。貴殿方の常識を打ち破る…総統の叡智と帝国の技術者達の結晶です!」
彼女扉のレバーを下げて解放すると、ドックの中を見せた。
「これが…秘密兵器?」
ドックは横並びに数多く並んでいたが全体的に小さく、1つ当たり縦幅が60m程度しか無かった。
そんなドックの殆ど注水され、未だ建造中の何かがその完成の時を待っていた。
「現状完成したのは4隻。これは今までの艦船の常識を砕く。私の誇る優秀な娘達」
両手を広げ恍惚の表情で語る彼女は、勢いよく海兵達へ振り返ったが、彼等の表情は大いに曇っていた。
「船は女性名詞…なら船なのだろうが、明らかに小さすぎる」
「おい、お嬢ちゃん…馬鹿言っちゃいけない。船体の半分以上が沈んでる」
「あんな小さいな艦橋に対空砲1門で軍艦だと?おっさんをからかうな」
彼等の言うとおり、その秘密兵器は船体の8割がドック内の海水に沈んでいた。船体は従来の様な単胴型であり、艦首は上方に少し曲がっていたが全体的に流線型となっていた。甲板と呼べる場所も少なく、備え付けられている砲は対空砲と機関砲だけであり、軍艦と呼ぶには少な過ぎた。更に艦橋は屋根の無い剥き出しであり、操舵装置の類いも無い。
「技術屋だからって馬鹿にしてんのか!」
「こんなんでどうやって戦うんだよ!体当たりしろってか!」
「水兵舐めんな!」
そんな船と呼べない代物に対して兵達が野次が飛び始めた時、周りの技術者や作業員は海兵達に殺意とも近い視線を向けた。
「ざけんな馬鹿!何も知らないで大口叩くな!」
「文句は乗ってから言え!」
「大砲屋はさっさと出てけ!」
技術者達と海水が悪口の銃撃をヒロゲル中、ゲルトラウトは深い溜め息を付いた。
「黙れ穀潰しの屑共!彼女達は常識を砕くって言ったろ!腰に下げてる拳銃で剣振り回すの止めた癖にまだ頭が固いのか!こんな頭の悪いアホなんてこっちから願い下げだ!そんなに嫌なら今すぐ帰れ役立たず!」
彼女が怒りを爆発させると悪口の応酬が止まり、ドック内には溶接の音や金属のぶつかる音が響いた。
「砲が無いとなると、こいつは…魚雷を主兵装とするのか?」
「魚雷って水の中から船に大穴開けるやつですぜ?面と向かってやりあうには当てにくいんじゃ…」
「でもこいつ、見た目が魚みたいでは?中に操舵装置が有って発射管が水面下なら発射の反動も少ないのでは?」
「それってまさか…冗談だろ?」
言い争いを繰り広げていた120人近くの水兵をほったらかしにして、クリストフ達はまじまじと新兵器を観察していた。
クリストフと副官のヴェルナーの言葉から発した疑問の連鎖が彼等に1つの考えを思い浮かべさせると、ゲルトラウトは彼等の元に笑みを浮かべながら歩み寄った。
「えぇ、御察しの通りこの艦は海上を航行しません。航行するのは海中。私の娘たちは、さながら貴殿方のような狼。ほの暗い海の底から影の如く現れ、魚雷という牙で敵艦という獲物を引き裂き、荒れる波と共に去る。荒海の狩人」
「こいつで、賊軍の船を襲えと?」
「最終的にはそうです。訓練期間はきちんと取りますよ」
「成る程…下手な軍艦乗りよりかでかい顔出来そうですぜ」
ゲルトラウトの例え話はクリストフ達の心に刺さったのか、彼等は目の前の秘密兵器に心を奪われていた。
「座学でも習ったでしょう?魚雷の威力は大型艦さえ一撃で撃沈できる。敵の誰にも気付かれず、誰もが羨む大戦果を立てられる。彼女達はそんな素敵な娘なんですよ?」
畳み掛けるように彼女は語ったが、彼等は既に彼女の言葉を聞いていなかった。彼等の瞳には、青黒い海の底から飛沫を上げて敵艦に魚雷を撃ち込み、海上を炎に包ませながら勝利の雄叫びと共に航海する自分達が見えていた。
妄想に浸るクリストフ達と話を聞いてない彼等に語り続けるゲルトラウトを前に、外野になりかけていたトムゼンが話に入ろうとしてきた。
「おい!お嬢…ゲルトラウト技術大佐!今の話は本当なのか?」
「当たり前でしょう?でなければ海軍省にわざわざ書類を提出しないし、総統から許可も取りません」
トムゼンの言葉に、ゲルトラウトは面倒くさそうにパーマのかかった黒髪を掻いた。
「確かに…冗談で海の底から攻撃なんて言えんよな…」
「やってみるだけの価値は…有るか…」
黙っていたヴァイカートとヴィレンブロックまでもが肯定的な呟きをすると、散々野次を飛ばしていた海兵達も肯定的な呟きをし始めた。
「ゲルトラウト…これは…こいつは一体何て名前だ?」
そんなざわつきを静める様なクリストフの言葉に、ゲルトラウトは近くの技術者に書類を取るよう指示すると、彼に新兵器概要と書かれた書類を渡した。
「艦種は新しい種類として、潜水艦と決定されました。秘匿名はUボート。Uの意味は…」
「水の中のか?」
ゲルトラウトの言葉を先読みしたクリストフは、無言で頷く彼女に満足そうな笑みを浮かべると部下を引き連れタラップへ向かった。
「安直だ…だが、素晴らしい!」
クリストフはそう呟くと、真っ先に艦橋のハッチへと滑り込んだ。