第一幕-9
2413年7月3日の帝国議事堂は多くの人でごった返していた。
「おぉ!アンハルト…失礼した。フィデリオ殿にカーヤ殿…だったか?久しいな元気だったかな?」
「合ってますよ。ヨルク大将も変わらないようで」
「お久し振りです、ヨルク陸軍大将」
議事堂の人混みを避けながら自分達の席を探すフィデリオとカーヤは、途中でヨルクに声を掛けられた。
2人とも国防陸軍の制服を来ていたので陸軍敬礼をしたが、ヨルクは軽く手を振って敬礼を下げさせた。
「敬礼は構わんよ!それに、ここは議事堂でこれから行うのは帝国議会だ。文民統制の発布された議会だ。本来、軍人の我輩達が居るのはおかしいのだからな」
芝居がかった身振りで自分の制服の襟を軽く引っ張ると、ヨルクは両手を広げて議事堂を示しながら言った。その格好を付けた身振りに目を輝かせるフィデリオを横目に、カーヤはごった返す人々を見た。
「しかし、ヨルク大…」
「ヨルク殿ですぞ!フロイライン」
あくまでも訂正を入れるヨルクに、2人は階級を付けて呼ぶのを諦めた。
「ヨルク殿。一体、何ですかこの人の量は?私達西方貴族のデルン出向が重なった事に軍人の出席もありますが、それでもこの量は?」
「議員や軍人だけでは無いと?」
2人は質問をしながらも自分達の席を探し、ヨルクも2人を案内しながらスーツ姿の悪魔やグール等の数人を指差した。
彼等は全員が腕章を付けており、それぞれヴェルトや新ガルツ等の名前が書かれていた。
「新聞記者だ。これだけの一大事だからな、全新聞社が記者を送り込んだ。それに、ラジオで全国放送なんて初の試みもあるしな。通信兵に宣伝省職員もいる。これがこの"ごった返す議事堂"の訳だ」
両腕を広げて肩を竦めながらヨルクは2人に席を指差した。席までの案内に礼を言おうとした2人だったが、ヨルクは口の前に人差し指を立てながら腕時計を見せた。
「18時となりました。皇帝陛下、並びに総統閣下がご入場いたします!」
マックスの若く声凛としたが議事堂に響くと、ごった返していた関係者は全員が静かに急いで議員席や記者席に向かった。
「それでは2人とも、また後で」
手を振りながら席へ向かうヨルクに手を振ると、フィデリオは入場してきたアポロニアとカイムに視線を向けた。白と黒、そして赤の配色のシックで細身なドレスに身を包んだアポロニアを先頭に、その斜め後ろに総統制服を着たカイムが議事堂の道を歩いて来た。
「カーヤ。何か…彼女、大人びて…いやっ、老けたか?」
「若様、不敬罪ですよ。何で言い直すんですか…」
「激動の日々で大人になったか…付け焼き刃みたいだがな」
彼の言葉通り、アポロニアの出で立ちは彼の知る理想主義の少女から若い皇帝のものに変わっていた。
だが、後ろを歩むカイムの不安そうな視線が、まだ不完全と主張していた。そんな彼に宣伝大臣席に座るアマデウスが視線を向けると、カイムは今更しっかりとした総統の視線で前を向いた。
「まぁ、あの調子なら大丈夫かな」
「優しいんですね、若様。私にももっと優しく…」
「カーヤ…五月蝿いぞ…」
アポロニアとその周りの人物関係を理解して出たフィデリオの1言に、カーヤがすかさず反応すると彼は頭を抱えて呟いた。
2人が仲良くする中、アポロニア達が席の前に立つとタコ系魚人の議会長が震える手で木槌を3回打った。
「えーっ、それでは。私、ディートハルト・フォン・ブラウヒッチュ帝国議会長が…あ~っ、帝国議会の…開催を宣言します…」
見た目が頼りない老人ではあるが、彼の震える言葉は不思議と議事堂に良く通った。
「御起立願います」
そんな彼が突然ドスの効いた声で起立を促すと、出席者全員が慌てて立ち上がった。
「国旗掲揚!」
再び、彼がドスの効いた声を響かせ指示を出すと、全員が登り行く国旗を見詰めた。
「国家斉唱!」
議長の指示で、アポロニアが先導しながら全員が国家の斉唱を行われた。
「ガルツよ、ガルツ、何より高く」
だが、彼女が歌いだしそれに他の者が続くという段取りは早々に崩れた。
「なっ、訛りが無い…」
「あれは…影武者か?」
議会の何処からともかくアポロニアの訛りが無い事に言及する発言が聞こえると、彼女は満足そうにもう一度歌い出した。
面食らった全員も、流石に続いて歌い出すと時間短縮の為に1番だけで終わった。
「それでは皆さん…御着席下さい…」
議長が震える声に戻って指示を出しつつ、木槌を2回叩いて書類を捲った。
「それでは…本日は、皇女…いえ、皇帝陛下からの緊急召集でありまして…議題は、南方の賊軍のルーデンドルフ橋襲撃に関してです…では、皇帝陛下…御願いいたします」
議長が木槌を2回打ちながららそう言うと、アポロニアを演説台へ上がる事を促した。アポロニアは議長や周りの大臣達、カイムや出席者達に1礼をすると、優雅な足取りで演説台へ向かった。
彼女が演説台に立った瞬間、全ての参列者が立ち上がり深く礼をした。彼女は台のマイクの位置を調整して軽く息を吸うと、透き通るような声で語り出しだ。
「議会にお越しくださった皆さん、そしてこの議会を放送で聞いている帝国国民の皆さん。私は、ガルツ帝国第5代皇帝、アポロニア・フォン ウント ツー・ホーエンシュタウフェンです」
スピーカーが彼女の声を拡声し議事堂響かせると、誰もがその流暢な話し方に言葉を失った。議事堂の議員席に座る誰もが、彼女が標準語を喋れない事を知っているからであった。
「本日は、私の召集した帝国議会に参加していただき、全ての参列者に対して心からお礼申し上げます。また、この議会を放送で聞いている全ての帝国国民に感謝いたします」
言い終わると、アポロニアはスカートの端を掴み広げ左足を後ろへ退かせながら1礼をした。
「本日、私がこの議会を召集したのは…私の決断を皆さんに聞いていただきたいからです」
姿勢を正し再び語り出しだアポロニアは、一瞬の躊躇いを見せた。だが、拳を握り締めながら止まらずに言い続けた。
「帝国の歴史は血の歴史です。それは、この帝国が形さえ無かった頃から続く、赤黒い、流血の歴史です。
嘗て、初代ホーエンシュタウフェンは魔族を率いてこの大陸に逃げ延びた。それは英雄リヒトホーフェンとその仲間達を見殺しにする、大きな決断であり、最初の流血です。
そして、彼はこの地に全ての魔族が平和にくらせる国を…私達のガルツを創った。この国は、失った英雄とその仲間の血によって生まれ落ちました。
その血は、この父なる大地に多くの命を産み、そして安らかなる時を創りました」
アポロニアは言葉を投げ掛けるように右手を大きく横から目の前で礼をする全員に差し向けた。
だが、彼女の言葉を前に全ての人間が下げた頭を上げる事が出来なかった。彼女の深い海のような言葉は、出席者全ての思考を飲み込んで議事堂を充たしきっていた。
「ですが…その血の平和は、ヒト族の醜い暴力の前に崩れ去りました。
多くの者がその侵攻に立ち向かい、そして散っていきました。
濁流のごとき流血の後、民は戦後の混乱に倒れました。英雄達の流血の対価は虚しくも崩れ去った。
それでも、私達の祖霊達は決して平和を諦めなかった。濁流のごとき流血を再び固め、この地にもう一度安らかなる平和を創ろうとした」
アポロニアは差し向けた右手を震えるほどに握り締めながら胸の前まで持ってくると、左手でそっと包んだ。
その姿はまるで祈っているかの様であった。
「何度も、何度も、この地には血が流れては、平和を求めてその血を固める。国を建て直すという歴史を創ってきました。
それは私達が、人間が人間として得られる平和を…幸せを…ただ安らかなる時を求めていたからです。
ただ、私達はただ安らかなる時を求めすぎた。
人が人として…全ての命あるものが幸せになるべきという事を忘れた私達は、この国を歪に固めてしまった。
それこそが今までのガルツの姿です」
アポロニアは胸の前の両腕を前に向け、この国全てを示すように広げた。
「だからこそ、私は思い出したのです。全ての皇帝が、このガルツに何を求めていたのか。何故この国を建てたのか。
それは全ての民が希望を持って生き、時に子を持ち、そして未来の為に生き、全てを若い者に託して祖霊の元へ帰る。
それを求めていたからこそ、このガルツは絶える事が無かった。
だからこそ、今を生きる私達がこの国を正さなければならないのです。
今を生きる全ての子供達の為に。今、父や母として生きる全ての民の為に。今産まれようとする命のために。その命が、明日を…未来を生きられるために。
私達がこの世界を正さなければならないのです。
たとえどれだけ私が苦しもうと、この身が四散したとしても…人が子を産み、育て、そして死んで行く事の方が遥かに尊い!」
彼女は自分を両手で示し、その手を下げた。
「私は、ただ人が人として幸せになれる国に、このガルツを戻したかった。
しかし、平和とは願っても得られない。平和とは得ようとしない者の前には決して現れない。
平和とは、それを得る覚悟と力が有って初めて得ることができるのです。
その覚悟は、得た平和をどれだけ血を流しても護るという覚悟です。
今、この帝国は南北の2つに別れています。
私は、民が血を流さないだけが平和と勘違いしていました。
その結果、ルーデンドルフ橋にて無垢なる民が南方の権力者達の独善によって倒れました。
彼等の血は流れる必要の無かった…哀れな血です。それでも、無垢なる血が、誤った平和によって流されたのです」
言いきった彼女は肩が上がるほど大きく息を吸うと、下げた両腕を広げながら言った。
「だからこそ、私は覚悟しました。真なる平和をこのガルツの為に得ると。
全ての民に、遥か未来を生きる全ての命の為に、この手を…この身を血に染める覚悟をすると。
今こそ全ての命を護るために、未来の為に戦うと!
ですが…私1人では足りない…何もかもが足りないのです」
広げた両手を胸の前で組むと、アポロニアは深く頭を下げた。
「私1人では、この国に平和をもたらせない。
どうか…どうか皆さんの力を私に貸して頂きたい。
その力は、貴方のもの、貴方の父のもの、母のもの、兄弟や姉妹のものかもしれません。そして…貴方の子供のものかもしれません。
恐れる気持ちも解ります。
ですが、今この時に護らなければ…平和を得なければ、永遠に私達は苦しむ。
一時だけで良いのです…どうか私に、その力を貸して頂きたい」
アポロニアは、下げた頭をゆっくりと上げた。
「私、アポロニア・フォン ウント ツー・ホーエンシュタウフェンは議会に対して、2413年6月13日にガルツ王国と名乗る賊軍から蒙った謂れが無く卑劣な攻撃を以って、ガルツ帝国と賊国とが戦争状態に入った旨の布告を宣言するよう要請します」
語り終わったアポロニアは肩で息をしながら、再び深く頭を下げた。
彼女の言葉の余韻が残る議事堂では、全員が頭こそ上げたがどう行動すべきか戸惑っていた。議会の内容こそ南方への宣戦布告と知っていたが、全員がアポロニアに対してこれ程の演説をするとは思っていなかった。
そんな混乱する沈黙の中、議長がゆっくりと立ち上がりながら木槌を2回打った。
「今の皇女の要請に対して、異議の有るものは着席しなさい」
議長の言葉に全員が反応すると、議事堂で座る人間は記者さえ居なかった。
そんな議会の反応にアポロニアが感謝の意を示すように静かに頭を下げた。
「では…帝国は南方を不当占拠する賊軍に宣戦布告する。カイム・リイトホーフェン総統には統帥権の元、国防軍と親衛隊を率いて賊軍討伐する。以上の決定に異議は?」
更に勝手に続ける議長に、カイムは多少不満を感じたが立ち続けた。そんなカイムが頭を下げるアポロニアを見詰める中、ガルツ帝国は正式に内戦へと突入した。