第一幕-7
6月31日の帝都は異常な活気に満ちていた。
ヴェルト新聞にスクープを越された新ガルツ新聞が帝都に帝国国防軍の高官が集結した事、アンハルトが帝国西方貴族を率いて合流した事を号外で報じた。
その結果、戦勝に湧いていた街も本格的な戦争ムードに包まれた。前線付近の村々では、何時攻撃を受けても対応出来るよう荷物をまとめたり伝令係を用意していた。
後方である帝都でも、稼働し始めた各種工場の人員募集の貼り紙や輸送業の人員募集の貼り紙、誰が貼ったか解らない兵員募集の貼り紙で溢れていた。
そこに、前線付近の1部地域から疎開してきた人々がこぞって応募することにより、街には重苦しい空気より仕事を得た人々の明るささえ有った。
「我らの祖国ガルツとは?
メルクス・ポンメルン?ハレブルクか?
花咲くラインの湖畔か?カモメの飛ぶキームか?
オー否、否、否!
我ら祖国ガルツとは更に大きく偉大なり!」
子供達が兵隊ごっこで歌いながら行進するのを横目に、暗い顔をしたギラが通りを歩いていた。
この頃の彼女は自分の仕事に不満を感じていた。彼女は秘書の仕事にこそ暇を出されたが、何とかアポロニアに食らい付いて城で働くカイムと本部を繋ぐ伝令となった。
「何で…こんなことしてるんだろ、私?」
カイムと共に親衛隊の基礎を築き、強引な手段に出たとはいえ彼と結ばれた自分の今の境遇に、ギラは1歩進む度に苛立ちを感じ始めた。
その苛立ちは最初こそアポロニアに対するものだったが、彼女が30歩も進む頃にはカイムに対しても苛立ちを感じていた。
「大体、総…カイムもカイムだよ!私がいうものが有りながら、あんな尻軽に靡くなんて!」
彼女は道端の小石を感情に任せて蹴ると、それは近くの建物の壁に当たってまた道に落ちた。その光景に肩を落としながら再び道を城へ向けて歩くと、彼女は深く溜め息をついた。
「私はこんなに愛しているのに…何でなの、カイム?」
「女の愛と男の愛は違うからのう。若い年頃の愛と大人の愛も異なるしの」
「なんじゃい!お前さんが愛だの何だの言えるのか!わしはオスヴァルト、お前さんに女が居たなんて聞いた事無いぞ!」
「そうだな…聞いた事無いな…」
独り言を言いながら道を歩くギラは、近くのカフェのテラス席で話す男達に視線を向けた。
男は3人でゴブリンと犬種の獣人、悪魔の老人であった。皺が多い白髪だらけの老人だったが、仕立ての良いスーツを着ている事からただの老人達でないとギラは理解した。
何より、親衛隊である自分の事を臆する事なく大声で話題に出す事に、彼女は老人達の事を掴み切れずにいた。
「失礼ですが老人方、軍人とは言え女性の独り言に口を挟むのはどうかと?」
3人を睨みながら、ギラはテラス席に大手を振って歩むとテーブルに勢いよく手を突きながら言った。
「それに、男と女で愛に違いが有るなんて思えません!愛は愛です!」
突いた手を震わせながら、彼女は更に捲し立てた。
そんな彼女の言葉に3人は軽く頷くとテーブルのコーヒーを一口飲んだ。その表現は子供の駄々を前にした様なものであり、オスヴァルトと呼ばれたゴブリンが軽く息を吐いた。
「ええかの、お嬢さん?男っちゅうもんは、女に甘えたいもんだ。優しくされたいもんだ。駄目な自分を優しく包んで欲しいもんだ!だから、外面をしっかりできて、辛くても働いて稼ぎを持ってこれる。だがの、女は男に途切れぬ力強さや頼もしさを求める。そして、自分の駄目な所を受け入れて欲しいと投げっぱなしだ」
「それはお前のひねくれた考えだろ!わしだって、もっとまともな考えを言えるわい!要はだな、お嬢さん。男は女に包容力を求める。だが、女は男に完璧を求める。だから折り合いが付かなくなって別れるんだわい」
「そうだな…折り合いだな…」
「アルノルトの言葉に納得するのは不服だが…まぁ、そういう事だわい」
3老人がそれぞれ意見を言うと、その視線をギラの顔に向けた。3人の視線を真っ向から受けた彼女は、言い返そうと口を開けた。
「そんな!私は…」
「だがの、あの総統殿は辛そうだったの。だろう、2人とも?」
「確かに言うとったの。だが、辛そうというより苦しそうだろ!"私は…虐殺者なのでしょうか?"とか言っとったの?」
「そうだな…言っとったな…」
ギラの言葉を遮った3人の口調は、数秒前までのコミカルな口調からトーンが急激に下がった。
突然凄みを出した3人の得体の知れなさとカイムの言った言葉を繰り返したアルノルトに、ギラは無意識に1歩後ろへ退いた。
「ばっ、何を言ってるんです?貴方達は総統と会ったことがあるとでも言うの?」
カイムを知ったように語る3人の言葉に、ギラは混乱しながらも言い返した。そんな彼女の態度に3人はいたずらっぽく声を上げて笑うと、手招きしながらギラに席へ座るよう促した。
そのギャップにギラは唾を飲みながら席に座った。
「まぁ、お嬢さん。ここはわしが奢るから何でも飲みんさい。それで…何だったかの?」
「あれだろ?上手い男の落とし方かの?そうだろう?」
「そうだな…落とし方だな…」
「えぇ…いえ!それより貴方達は一体何者なんですか?総統と会った事があるとか…」
一瞬この訳の解らぬ老人3人に人生相談仕掛けたギラは、素に戻ると3人に問いただそうとした。
だが彼女が言い切るより先に、オスヴァルトがテーブルのメニューをギラに渡すと注文するように促した。ギラの横にはいつの間にかウェイターが立っており、彼女は慌てて適当な商品を指差してしまった。
「ミルヒカフェーか!いい選択だの」
「甘いもんは体にええからの!」
「そうだな…良いものだな…」
注文に対する3人のコメントに苦笑いを浮かべると、ギラは改めて3人が何者か尋ねようとした。
「そうだな…あのカイム君は思い詰めると暗くなりやすい性格な筈だ…となれば、とにかく彼の弱いところを引き出して優しくしてあげればイチコロだの!」
「しかしだな…どうやって彼から愚痴を引き出すかだな?いつも肩肘張っているんだ。この子の前だから気を弛めるとも言えんの?」
「そうだな…言えんな…」
先に3人の身元を彼女が尋ねようとした時には既に3人の話し合いが始まっており、何度か声を掛けても取り合って貰えなかった。
諦めたギラは、頼んだミルヒカフェーを飲みながら質問される度に答え、首を縦や横に振った。
長い話は彼女がカップを空にするまで続いていた。
「つまり、何とかもう1度2人きりになって押し倒し…」
「甘い声で"私に、貴方の苦しみを分けて下さい!"なんて言ったら良いんだ!」
「そうだな…良いんだな…」
最終的に色仕掛けというセクハラめいた結論を3人がしたり顔で言うと、ギラは何も言わずにただ頷いた。
「わしも言いたくないが、男は結局股ぐらで考えてるからの!」
「馬鹿もん!総統がそんな安い男なものか!」
「そうだな…安く無いな…」
「分かりました…とにかく、やってみますよ…」
いつの間にか日が暮れていた事実に肩を落としつつ、自分が気圧される程の白熱を見せたのに俗っぽい結果にしかならなかった話し合いに、ギラは溜め息をついて立ち上がった。
「とにかく、お嬢さん。彼の心の毒を抜いてやりなさい。大事なのは包容力だ」
「それと、わしらの事は忘れた方が良い。シェプフングの事は総統と属する者しか知らんからな…」
「そうだな…」
老人3人の早口な言葉の内容に慌てて顔に上げだが、ギラの目の前には空のカップと紙幣しかなかった。
「幻覚…心労で夢でも見てたの?」
そう思おうとしたが、彼女は彼等と過ごした数時間は現実感が幻覚にしては異常に強かった。
「またのお越しをお待ちしております」
去り際のウェイターの言葉を背中に受けながら彼等の長いアドバイスを復唱した。
「シェプフング…か…」
変な老人3人のいるカイムしか知らない組織に、自分の立場とこの事実をアポロニアが知っているのかギラは気になった。
「カイムは私と結ばれた…なら、きっともう1度振り向いてくれる…」
包容力という言葉を胸に、ギラは街灯のつき始めた大通りを城に向けて歩き出した。