第一幕-2
「アマデウス…私はな、嘗て居た世界が嫌だった。変わらない日々、目的の解らない人生。誰しもが特別って言いながら、一部の人間しか何かを得られない世界に嫌気がさしてたんだ」
執務机でうなだれるカイムをアマデウスは見詰めていた。彼は、南方の賊軍からの襲撃を逃げ切ると帝都に帰還した。親衛隊本部の医療施設で検査を受けると、彼を含めた交渉班には休暇が与えられた。
その頃から、アマデウスはカイムの態度に違和感を感じ始めていた。普段ののらりくらりとした態度が無くなり、妙に落ち着かない。散々叩いていた大口も少なくなり、言い方が曖昧な事が多くなった。
その態度が13日のライン川への状況確認のための視察で悪化すると、カイムに不安を感じた彼は、15日の夜に親衛隊の総統執務室を訪ねた。
あえて総統と宣伝相ではなく、カイムとアマデウスという運命共同体として、彼はノック無しに部屋へ入った。彼の入室にカイムは驚いたが、私服である事やその目付きが宣伝相の物で無い事が、カイムの言葉を詰まらせた。
アマデウスとカイムという勝手知った2人しか居ない状況で、疑念を含む彼の視線にカイムは淡々と語り始めたのだった。
「変わろうとすれば、自分を変えようとすれば世界は変わるって言っても…結局は1人じゃ変わらないし、成功するのは一握りだ」
うなだれていた彼は、机に肘をついて両手で顔を覆った。
「色んな物に失望した。町にも、国にも、社会にも、世界にも失望した。生き甲斐を見つけようとしても、手を差し伸べる事もしない世界に…」
覆った手を目に掛かる所だけずらし、こもった声でカイムは喋り続けた。
だが、アマデウスと視線が合うと、彼はその行動を後悔した。
「だから、変われると思った。この世界には目的がある。私にも使命が有ると思った。嘗ての世界の何処にでもいる男は、この世界で特別な何かに変われると思った…」
「成ったじゃないか?君は総統、僕は宣伝相。特別どころか、この国の重要人物にのし上がった」
カイムの言葉に、入室にしてから黙っていたアマデウスが口を開いた。その言葉には普段の感情は無く、淡々とした物だった。
しかし、その言葉にカイムは勢い良く机に手を突くと立ち上がった。
「その結果は何だよ?1万以上の死体の山に、捕虜達の視線か?同胞を無慈悲に殺す虐殺者ってあだ名か!」
「最初の夜も、城の防衛の時も人が死んだ。君も殺した。僕もそれを手伝った」
「あれがくだらないと思えるくらい…人が死んだんだぞ!私が殺したんだ…本当に悪人でもない奴等を殺したんだ!」
「それでも!殺さなきゃ殺させてた!こんなこと最初から解ってただろ、カイム?」
アマデウスの襟首を掴むカイムの言葉には余裕が無かった。アマデウスは、彼の瞳に明確な後悔や不安、良くない感情が感じ取れた。
励ます言葉を掛けてもカイムは襟首から手を離すだけで、力なくソファに座り込んだ。
「あぁ、そうだよ。解ってたよ!でもな…多くの人を巻き込んで、こんな内戦起こして…今更なのは解るよ!でもな…怖いんだよ…端から大差だ、負ける可能性の方が多いんだよ!あんなに殺されて、南の連中が黙ってる訳無い!」
肩を荒らげ叫んだカイムは頭を抱えた。
「私は無力だ…所詮はただ少し知識の有るだけのガキだよ!特別な何かでも何でも無い…ただ他人の知識や技術を勝手に使ってるだけだ!」
「今更何言ってんの!僕達が始めたことだろ?怖じ気付いてどうするの?」
カイムの嘆きはアマデウスの怒りに触れた。カイムの独白の言う通り、アマデウスも彼自身に戦士としての才能や学者の様な学術的な能力は平均程度と理解していた。
それでもカイムの演説や、受け売りの知識や理論を上手く使い必死に考える所をアマデウスは認めていた。
だからこそ、彼は嘗ての崩れた書庫で語ったカイムの帝国の未来像に夢を抱き、大口を叩く英雄に付いて行こうと考えたのだ。
その自分の信じた英雄の気弱な姿は、アマデウスには納得がいかなかった。
「君は…僕や皆のこれまでを否定するのか!」
「否定だと?ふざけるな!負けたら、むしろそっちが全部責任を押し付けるんだろ!"戦犯はカイム1人だ"ってな!」
「きっ、君は僕をそんな安い人間だと思ってるのか?」
自分の言葉を悪く受け取ったアマデウスに、カイム首を横に振りながら否定を示し、横に立つ彼をソファの隣に座らせた。
「違うんだよアマデウス…私が言いたいのはそうじゃない!私はな、ただの勘違いしてた若造だ。だから…尚更、この状況が不安なんだよ。戦うように促すだけで、私には…何も無いから…」
「何も無いなんて…」
アマデウスは言葉を詰まらせた。カイムを励まそうとしても、彼の自虐は確かに事実であり、その自虐はアマデウス自身も感じていたからであった。
「戦場を見てきた…1万以上の軍を防いだとは言え、一度の戦闘でもう戦線は限界になってる。戦勝気分で騒いでいても、あと2回持ちこたえられるか解らん。グライフ作戦の現状も解らない。あれは博打だったし、愚策だった。この国の状態から、1度でも負ければ…戦わない指揮官だ…どうなるか…」
カイムは部屋の中で嘆き続けた。彼の行った近代化は、確かに装備や知識を変えた。それでも、今までの概念が完全に変わった訳ではない。
帝国軍の指揮官といえばヨルクの様な兵を率いて前線で戦う人物であり、親衛隊の座学でも、訓練生達は最初違和感を感じていた。北方貴族にも行った座学は、当初批判の嵐であり、ヨルクやローレが説明をしなければ近代化さえ受け入れるか怪しかった。
「カイム…君の悪い癖だ。一度悪く考えると、何処までも後ろ向きになる…」
アマデウスは呟くと、隣に座るカイムの肩を励ます様に叩いた。
「確かに、君は指示するだけだ。いざとなれば戦うけれど、結局は付け焼き刃だ。でも、それは僕も同じだよ。僕も皆を焚き付けた。その上で戦場にいない。なら、僕と君は同じ罪がある」
彼は続けていうと、カイムの肩を抱いた。
「君が非難されるなら、僕も非難される。君が罪人なら、僕も罪人だ。言ったでしょ?僕達は運命共同体の共犯者だ。君は一人じゃない」
肩を抱いた左腕でカイムの肩を数回叩くと、アマデウスはゆっくりと立ち上がった。
「それに、君は他の将兵なんかより凄いと思うよ。彼等が出来ない事をやったから、皆君に従うんだよ。だから…せめて僕くらい信頼してよ」
アマデウスは、ただ自分の思う事をひたすらに述べた。励ますと言うより、自分達の状況を慰めようと言った口調だった。
「大体、なら僕の方がよっぽど何もしてないよ!だって仕事って言っても宣伝とか兵員募集の貼り紙作りとか…演説も大して上手い訳でも無いし…」
「あぁ…済まなかったな、アマデウス…落ち込みやすくてな、私は。純粋で感受性が高いんだ」
アマデウスの励ましが愚痴に変わると、カイムはようやく軽口混じりの感謝を恥ずかしそうに述べた。そんな彼に、アマデウスはまだ不安の視線を送った。
「こういうのは…ギラさんの役目と思ってたよ」
愚痴を止めて場を和ませようと、アマデウスも軽口をいってみたが、カイムの反応は微妙な物であった。
「確かに…彼女とは関係を持ったよ。でも…彼女は年頃だ。救って貰った恩義をそういう感情と勘違いしてるんだよ。だって、だらしないしみっともないだろ?こんな男」
「君を庇って胸元バッサリ斬られたのに、そういうこと言っちゃうの?」
「だからこそだ。彼女は親衛隊で、影響力がある。そんな彼女にこんなこと言ったら、信用も憧れも駄々下がりだよ…そんなみっともない"総統"なんて見たらさ。酷いかもしれないが"山の天気と女心"だ」
言い切ったカイムに、アマデウスは頭を抱えた。カイムには適応力が高い割に変に疑り深い所を知っていた彼は、これ以上聞きたくないと言った具合に手を振った。
「とにかく、君の精神衛生維持は元副総統の僕が引き受けるから!何か有ったら連絡してよ。それと、僕も言いたい事は山程有るから聞いてよね!」
「本当に、済まないな…」
「まったく…手のかかる"友達"だよ…」
アマデウスの言葉に、カイムが軽く手を上げ応じた。
そんな彼の姿を見るとアマデウスは部屋を去って廊下に出た。そんな廊下の曲がり角で、白いスカートの裾が消えていった事に彼は気付かなかった。