第四幕-8
6月13日のルーデンドルフ橋は早朝から慌ただしい空気に包まれていた。その空気は決し明るい雰囲気の慌ただしさでは無く、むしろ切迫感を感じさせる物だった。
「全迫撃砲班は照準の最終調整を!各陣地は有線通信と塹壕路の再確認を急いでください!敵は目と鼻の先ですよ!」
防衛陣地では、本来大隊本部に居るべきブリギッテが前線で指揮を取り、各陣地へ指示を出していた。この慌ただしさの切っ掛けは、その日の深夜2時頃に送られた防衛ラインの偵察車輌からの敵襲の通報であった。
彼等は、事前にアマデウス達から攻撃があるという事を報告されていた為、事前に防衛陣地を臨戦態勢にしていた。それでも、いざ実際に敵襲の通報を受けると、親衛隊に実戦の緊張が走っていた。
「まぁ、二期隊員は近接戦を経験してないから、緊張するのも仕方無いか…」
ブリギッテの指揮を肩越しに眺めながら、ツェーザルは自分の中隊を眺めた。彼の新しく任された第A中隊は第二期訓練過程出身者、つまり商業組合との血塗れの戦いを経験せず城の防衛戦が初陣だった。
当然、200人差しか無かった先の鎮圧戦と比べれば圧倒的に不利な戦場であり、新兵には待機時の余裕が無かった。
「手に血がつかない人殺しでは、痛みは分からない…」
数ヵ月前の殺し合いを思いだし、彼の手が血塗れになっていた光景が目に浮かんだ。そんな過去に浸る自分にあまり恐怖感が無いと気付いたツェーザルは、目を細め眉を寄せた。
「俺は痛みに慣れたってか?嫌だねぇホント…」
「ツェーザル中隊長…左手震えてますよ…」
彼のぼやきを聞いていた部下の二等兵のゴブリンが指差した。部下の言葉通りツェーザルの双眼鏡を持つ左手は微かに震えており、彼は部下の鉄帽ごと頭を撫でるとはにかんだ。
「それでも恐怖だけは解るってか…まぁ俺もまだまだ新兵に毛が生えた程度って事だよ」
独り言に幾つか付け足すと、ツェーザルは無線機を手に取った。
「お前ら!こういう時、慌てた方が負ける。戦場は水物だから、勝つときゃ勝つし…負けるときゃ負ける。だから、俺に軽口叩きながら片手間でやるぐらいが丁度いいんだ」
各機関銃座に響く彼の言葉に、無駄に緊張していた全員の気が少し紛れたのか重い空気が少し流れた。
「確かに、皮肉は下から上に流れる物だな。とは言え、片手間であるべきなのは皮肉だな。まぁ人の事をとやかく言えないが…」
そんな橋の前の中隊無線に聞き覚えのある声が響くと、ツェーザルは驚きの表情を浮かべて無線機を取った。
「ブルーノ准将!何でここに?最前線ですよ!貴方はもっと後ろにいるべきでしょう!」
「馬鹿を言え!部下が初陣を飾るというのに、私が後ろに居られるか!」
「一士官が無礼とは思いますが言わせてもらいますよ。貴方は絶対無茶苦茶するでしょう!」
大隊無線に響く2人の会話は、良い意味でも悪い意味でも更に緊張を崩した。
「大丈夫ですよツェーザル君。私が父上をきちんと抑えますから」
更に聞こえるボルガーの声に、ツェーザルは頭を抱えた。将官に佐官の貴族が前線に居るのだから、1兵士かつ親衛隊士官の彼には妙な気苦労を感じさせた。
「ブルーノ准将。こちらで砲撃指示と弾着観測をします。砲撃準備をお願いします」
雑談通信にブリギッテが白けた口調で軍務内容を流した事から、無線機の前の3人は背筋を正した。
「失礼した。S・A6、こちらG6。0637 通信手 BP 了解した。ブリギッテ嬢、済まなかった。送れ」
軍務通信で返答したブルーノに、無線機の前のブリギッテはやれやれと言った表情を浮かべた。
「もう良いですよ…それに、上官が部下に広域無線で謝らないでください。次からは有線通信でやって下さいね!終わり」
そんな通信を終了させた彼女は、理由はどうあれ周りの隊員達の緊張が幾らか解れた事に喜びつつ、笑顔を向ける彼等に溜め息混じりで笑い返した。
「来たぞ!敵集団、11時半の方向!距離800!森林の中だ!」
そんな彼女達の耳に、橋の上のA中隊からの叫びが入った。
その叫びに全員がその方向に銃口を向けると、気付かれた事を悟った敵は大挙を為して突撃を敢行してきた。
「まだだ!まだ撃つなよ、もっと引き付けるんだ!」
「鉄条網も有る!焦るなよ!確実に仕留められるまで待て!」
「半装填!」
各陣地や塹壕から分隊長や士官の声が響くなか、いつの間にかルーデンドルフ橋には殺気の様な冷たい空気が流れ始めた。
「G6、こちらS・A4ブリギッテ。そちらから敵集団は確認できますか?送れ」
「S・A6、こちらG6ボルガー。確認した。砲撃準備よし。送れ」
ブリギッテが砲兵隊に確認を取る頃には、敵は有効射程距離に入っていた。
「S・A6、こちらS・A4。迎撃行動を開始します。送れ」
「S・A4、こちらS・A6。了解しました。ブリギッテ殿!健闘を祈ります。終わり」
大隊本部に連絡を取ったブリギッテは、自分のライフルの薬室に弾を込めるとスコープを覗いた。遥か先に武装した集団を照準に捕らえると、彼女は有らん限りの大声で号令を出した。
「自由発砲!撃て!」
各防衛陣地から撃ち放たれる無数の爆音がルーデンドルフ橋を覆い、今までと少し違う無数の殺意が敵軍を襲った。