第三幕-7
18時を過ぎて再び再開された西方議会は、休憩を挟んだ故に再び白熱していた。野次の飛び交い騒がしい議事堂で、アンハルトはただ静かに目の前の光景を見詰めていた。
「後15分か…」
懐中時計を軽く見ながら周りをやたらと伺い始める彼に、周りの席や彼の計画の関係者が視線を向けた。
「今更尻込みか、代表殿?ガルツは宵を迎えたぞ」
「困るな…頭がそんなのじゃあ駄目だろ。ビシッとしろ」
「もう兵は町や州境に居るんだぞ。全く…ゾエ殿が居ないとこれだから」
小声の激励に混じるゾエとの関係を突いた発言に、アンハルトは発言主の青髪のハーピィへ肩越しに視線を向けた。
「ライヒェンバッハ=レッソニッツ…彼女は関係ないだろう!騎士の1人が居ないくらいで…」
「おい、アンハルト=デッサウ。この部屋はそんなに熱いか?顔が赤いぞ」
彼の反論におちょくる様な笑顔を浮かべると、彼女は彼の左肩を何度もつついた。
「何でかな…俺には縁談も無いのにこいつだけ…」
「図体でかいのにウジウジしてるからだ」
そんなにアンハルトを嫉妬の目線で見ていたマントイフェルにライヒェンバッハが評価を下すと、若干焦りの空気を漂わせていた若い貴族達の空気が緩んだ。
「皆、緩むのは程々にしろ…油断すると、直ぐに足元をすくわれるぞ」
その空気に飲まれず、オイゲンの様なベテランが注意を促すと、彼等の空気は適度に引き締まった。
「僕のゾエだ…上手くやってるはずだ…」
アンハルトが不安から独り言を呟くと、前の席のオイゲンが首だけを真後ろに向け彼を見詰めた。眼鏡を掛けたメンフクロウという、突然の現れれば驚く顔が顔面に広がると、彼は一瞬で驚いた。
「なっ、何ですか?」
「君はゾエ君の事が嫌いなのかね?」
「別に…そういう訳では…」
「なら…気持ちははっきりさせた方がいい。何時でも会える訳ではないんだ…内戦なのだからな…」
突然の警告の様な口調のオイゲンに、アンハルトは何も言い返せなかった。
彼の一言で改めてゾエと自分が戦う人間であり、何時死ぬか解らないという事を今になって考えてしまったからだった。
「それに、騎士と主の恋物語何てよく有るだろう?主従の性別が逆かも知れんが…まぁ、私も人の事言えんからな」
「えっ、オイゲン夫人って元騎士なんですか?」
アンハルトが複雑な表情を浮かべた事へのフォローとして呟いたオイゲンの言葉にアンハルトら若い貴族が驚いた。
逆にベテラン達は今更といった表情を浮かべた。
「オイゲンの娘さん達が勝ち気なのも、こいつが嫁さんの尻に敷かれているからだよ」
「仕方無いだろティルピッツ…怒ると怖いんだよ。それと、四女は優しいよ」
ミノタウロスのティルピッツと呼ばれた男が笑いながら若い貴族達に教えると、オイゲンがぼやいた。
2人のやり取りによって、主犯の緊張が解れた時に事態は動いた。
「皆さん!お話したい事が有ります!しばし議会の場を御借りしたい!」
19時の8分前に、南方親派の群衆からクラムが立ち上がった。彼は通路に出て議長や速記官達のいる段上に上がった。
「クっ、クラム卿!発言は席にて…」
「議長!これは全員に大きく伝えなければならないのです!直ぐに終わりますから、しばしお待ちを」
そう言った彼を見るアンハルトは、急遽変更追加されたガルツの宵作戦が順調であると感じた。
だが、そんな彼は段上のクラムの自信とも勇ましさとも取れる表情に疑問を感じた。
ガルツの宵作戦に急遽追加された役者であるクラムは、自分達と関係無く行動する帝国からの工作班2人をザクセン派の工作員として晒し注目を得るという役割があった。
だからこそ、アンハルトは彼の怒りの感じない表情に不審を感じた。同胞を協力させられてきたザクセンに殺されたなら激怒するはずである。
「アンハルト=デッサウ…こういう時程冷静さだ」
「ゾエ君なら不測の事態にもきちんと対応しているとも」
アンハルトと同様に事態に不穏な予感を感じたオイゲンとマントイフェルが呟いた。オイゲンは言葉通り冷静だったが、彼の横に座るマントイフェルの1つ目は若干焦りを含んでいた。
「僕…失礼、私の忠臣は凶暴ですが有能ですよ」
オイゲンよりは同じく焦るマントイフェルで少し冷静になったアンハルトは、頷いて言った。
そんな彼は、肩に金属の棒でつつかれる感触を得た。
「見ろ…例の2人だ」
ライヒェンバッハが細すぎる右手で段上を指差した。その手は直ぐに不自然に余る右袖へ消えた。
「後…5分」
いつの間にか19時まで後5分という所で、あれこれと喋っていたクラムが動いた。
段上の天幕の裏側に向けて手招きすると、衛兵に連れられた麻袋を被る2人が現れた。
「何の積もりだクラム!」
「議会に囚人を連れてきたのか!」
議会に野次が飛びクラムが抑えようとする中、議長がギャベルを何度も叩き静粛を求めた。
「諸君!静粛に!クラム卿説明を」
白い髭を撫でる彼に大仰な礼をすると、クラムは改めて段上から議席に向き合った。
「皆さん!突然の発言と告発を御許し頂きたい。
本来なら、この議会にはもう8人出席者が居たはずでした。彼等は勇猛にして、素晴らしき貴族でした。今でも、瞳を閉じれば彼等の思い出す。
しかし、彼等は暗殺された。それも無惨に!
そして、その犯人はこの2人なのです!」
宝かに語る彼は、議会に走った動揺を無視して2人の麻袋を取り払った。
「この若者2人は、愚かにも南方大貴族であるザクセン=ラウエンブルク卿配下の名を語り、多くの同胞を討ち取った賊であります。
彼等の悪意の本質は、我らを騙し帝国に協力させようとする事であります。
つまり、彼等は帝国の送り込んだ賊なのです」
急遽変更したガルツの宵のシナリオと異なる告発に、作戦参加者は無言ながら心境穏やかではなかった。明らかに立場が不利であり、穏健派が南方親派に流れれば糾弾されるのは帝国派の自分達であるからだ。
そんな中、アンハルトはクラムの行動が気になった。クラムは一瞬下を向いたが、その視線の先には腕時計があった。
貴族において時計は普及していたが、腕時計は飽くまで騎士など動き回る必要のある者に好かれていた。
(クラム卿は武家貴族では無い…となると何でだ?これから動き回るとなると…奴は)
「道化に成るようだな。正義面した奴の失態は煽り易い…そして激化させやすい。偽善者が邪魔で嫌われる様にな…」
アンハルトの考えを読んだ様にオイゲンが付け足すと、彼は腕時計をひたすらに見詰めた。
「この悪意が、今帝国を飲み込もうとしているのです!」
「5」
「逆らう者を排する暴政を許して成るものか!」
「4」
「どういう事ですクラム卿!こんなの聞いてませんよ!」
「3」
「いい仕事って聞いたのに、何で俺達悪者役なんですか!」
「2」
「ばっ、馬鹿黙れ!こんな時に喋りだすな!」
「1」
演説するクラムとその内容に抗議する段上のヴァレンティーネとゲオルグ、カウントダウンするオイゲンの声が途切れた。
「クラム卿どういう事…」
ゲオルグ達の抗議に、クラムの告発を疑った出席者が声を上げようとすると、議事堂が大きな振動に襲われた。
「何だ!地震か!」
席から慌てる声が響く中、身構えたアンハルトは議事堂の扉を見た。
「始まった…」
彼のその言葉通り、議事堂後方の扉から騒がしい叫び声の様な者が響くと、扉が勢いよく開け放たれた。
「クラム卿、時間稼ぎ御苦労!ガルツ王国の為に!」
「ザクセン=ラウエンブルクの為に!」
その扉から議事堂内へ飛び込んで来た仮面を被る深紅の長髪の騎士が剣を抜き叫んだ。その声に続く様に、後ろから十数人の仮面の騎士が剣を抜き参列席に突撃して来た。
「ぞっ、賊だ!南方の賊だっ…」
突撃する彼等のすれ違い様に切り裂き止まらず前進する戦法や剣技は南方のそれと同じであった。そこに、議会の前に多発していた南方の暗殺者という情報は、クラムの言葉を忘れさせ目の前の光景である南方が自分達を殲滅しようとしている事を納得させた。
「流石に領邦伯軍だ。これなら間違えて当然だ…」
一見無差別の攻撃に見えるザクセン派の粛清に、オイゲンは腰の剣を抜き高らかに掲げた。
「護衛達を呼べ!それまでは我々が時間を稼ぐぞ!」
そう言った彼は、斬首を続ける南軍に偽装したアンハルトの兵に斬りかかった。とはいっても、それは態とらしくない迫真の演武であった。それでも、武家貴族の少ない穏健派や技量の無い武家貴族が多いザクセン派は騙せた様であり、声援さえ聞こえる程だった。
「どうですか、若様?長髪で男装すると男にしか見えないでしょう?私、結構声低いですから」
「ゾエ…低くは無いだろう?声質は高いさ。凛々しく喋ろうとするからだろ…それより雑談するな、ばれるだろ!」
「他の方の怒声と声援で聞こえませんよ」
「街の方は?」
「ヴァレンティーネ殿の爆弾は作動しました。予想より威力が強いですが」
「これくらい派手な方がいい。魔法に見えるだろ?」
会話するゾエとアンハルトに、マントイフェルが目配せした。その視線は別室の護衛がそろそろ来ると知らせていた。
「それでは若様、私はこれで」
「無事で戻れ」
2人は会話を終わらせると、一気に距離を取った。
「引き時だ!魔法を放ちなさい!皆は退避しろ!」
そう言ったゾエは、近くにいた騎士へ指示を出した。その彼は腰に付けていた手榴弾のピンを抜いた。
「これ抜いて…ここ押さえて…えっと…Notre Dieu, la racine du pouvoir, des ordres…なんだっけ?」
手榴弾起爆の手順を復唱し呪文を唱えようとした彼は、その先を忘れていた。
「馬鹿たれ!」
「阿保が!」
「ちゃんと覚えろって言ったろ!」
彼の後ろで逃げようとしていた数人が怒声を上げ、魔法と聞いて身構えた貴族全員か呆気に取られた。
「もういい投げろ!」
部下の失態に頭を抱えたゾエが叫ぶと、擲弾兵は覚えていた別の魔法の最後の一節を唱えた。
「Explosion!」
彼が大きく振りかぶって投げたそれは、空中でクリップを解放し、アンハルト達を大きく越えて議事堂奥に落ちた。
「伏せろ!爆発する!」
穏健派の群衆から呪文の意味を知っていた誰かが叫んだ。
それに促され伏せようとする貴族達の後方で、手榴弾は炸薬を破裂させ金属片と爆風を撒いた。破片は近くの座席や机、そして伏せようとする貴族の体を引き裂いた。
それだけでは終わらず、砕けた座席の破片までもが彼等を襲う。それを避けても、破片の後を追う爆風が彼等の内蔵を破裂させた。
「ちょっと待て、嘘だっ…」
ヴァレンティーネからの協力を受け入れ、最後の逃げ際に手榴弾を使うのを提案したアンハルトは、予想より大きな爆発に後悔しながら爆風に呑まれた。