第三幕-6
「多くの時間が無駄になっているのに…やらねばならぬのか…」
6月7日のザールリンゲンは、前日の大雨と打って変わって快晴だった。
だが、そらが晴れ渡るほどにザールリンゲン議事堂は暗雲が立ち込めていた。議会の議題は、内戦を始めようとする北と南のどちらへ協力するかという事であった。
独立という思想は無い事も無いのだが、帝国西武は山岳と森林、港が有るが輸出より輸入に頼る事は誰でも解った。鉱山の多く鉄工業の盛んな北や、基本的に何でも有って何でも出来る南には足元にも及ばない事は出席者全員が理解していた。
「雪と山に囲まれた心寒い連中が、南のザクセン=ラウエンブルクに数で勝てる訳無かろう!」
「馬鹿を言うな!カイムとかいう小童の使いが古強者達を破ったぞ!しかも無傷でだ!」
「たかが200の差だぞ!5倍や6倍で攻められれば持つまい!」
「東の共和主義者の様に成りたいのか!」
そんな意見が飛び交う議会の席で、西方貴族であるクランプスのクラム卿は憂鬱な表情で天井を見詰めながら小声で愚痴った。
彼の座る席はザクセン派の集団の中であり、彼も大きく括ればザクセン派の貴族であった。そもそも彼の領地であるノルデン=ヴェストエッセンのミューリンゲンは南方との境界に有る地理上、南方からの圧や介入が多かった。
それ故に、彼は本心では穏健派、対外ではザクセン派として波風を立てずに過ごしてきた。過激な貴族第一主義や血統主義に傾倒していなければ面倒な集団だが、上手く付き合えば多くの利益が得られる。
だからこそ、彼はこの議会で黙り続けていた。
その議会も意見と野次で収集が付かなくなり、1時間休憩を挟んで18時から再会となった。11時から始まり昼食休みも無く続いた堂々巡りの議会から一時的に解放された彼は、食事を取ろうと議事堂を出た所でゾエに出会わせた。
「クラム卿、お話が有ります。御同行を」
そう言うと、彼女は護衛とも合流出来てい無い彼の腕を引いた。突然のラブロマンス等といった雰囲気を出していないため、彼は何故アンハルトの騎士に腕を引かれているのか考えた。
「ゾエ君?護衛も無い私をこの様に連れて行くのは、君の主にとってもいささか不味いと思うよ?明らかな拉致だよ!」
議事堂の地下への階段へ引っぱられたクラムは、流石に身の危険を感じ出して声を出した。
「小娘1人に怯えてどうします?帝国貴族の名折れですよ」
「はっきり言うね、君は。何で首をはねられないのか不思議だよ」
そんな彼に普段通りの無感情な口調で正直な言葉をゾエが掛けると、彼は呆れた口調で歩を早めた。
地下の小さな会合室にはアンハルトの兵が2人、扉の前に立ち警備をしていた。物々しい雰囲気に扉を開けるのを躊躇していたクラムだったが、ゾエが躊躇いなく開け放ち視線を受けると渋々入室した。
若干明かりの足りない薄暗い部屋の中央には、机と2人の人物が椅子に座っていた。だが、机の上の刃物や部屋の状況より、彼はその席の2人に視線が集中した。
座席の2人は両手を縛られ、頭には麻袋を被らされて顔の判別が出来なかった。ただ、男女の若い2人組であり女の方は小柄であるのが1番の特徴であった。
「ゾエ君?まさかとは思うが…この拘束された若者2人を見せるために私を呼んだのかい?」
「その2人が、巷を騒がす暗殺者だとしたら?」
愚痴っぽく言ったクラムの言葉に、ゾエが淡々と返した。その言葉に、4人しか居ない部屋に沈黙が流れた。
「まさか…こんな2人組に連中は惨殺されたのか?足跡の偽装から5人くらいだと…少ないな」
「ですが、現に彼女等は潜入して暗殺を行おうとしていました」
おどけた彼に、机の上の凶器を指差し彼女が言うと再び沈黙が流れた。
「何故私に?」
「若様では保護して逃亡を手助けします。他の方なら即座に打ち首。順当に考えれば貴方が適切です」
「成る程…女性からそこまでの信用されているとなればな…」
麻袋を被る2人が微動だにしない事を確認すると、歩み寄った彼は袋を剥ぎ取った。
「随分若い…じゃないか…」
麻袋から現れた悪魔の青年とクモの少女に、クラムが感想を述べた。その感想は目を閉じ動かない2人も眉間にシワを寄せると、溜め息混じりに頭を振った。
「あら…その若者2人に足元をすくわれるなんて、やはり貴族は間抜けばかりですわね」
「なら捕まった俺らってもっと間抜けなんじゃ?」
「黙らっしゃい!だいたい貴方が悪いのですわ!」
捕まった上体でどうでもいい会話をする2人の度胸に、クラムは好感を懐いた。何より、話し出した2人の言葉遣いで彼の噂に対する考えが確信に変わった。
「君達…南の人間じゃないな?あぁ、みなまで言わなくていい。Rの発音で解るとも」
そう言うと、クラムは椅子に座り机を挟んで2人を見詰めた。その視線は2人に対する同情を含んでいた。
「やはりな…テンペルホーフが暴走し始めたとも思ったが、それにしては行動が迅速すぎた。君達は、皇女の命で今までの蛮行をしたのかい?」
机の凶器達の隙間に組んだ手を置き、彼は微笑みながら言った。その笑顔は2人に自分を良い人間と思わせる事を目的としていた。
だが、2人は微笑む彼を見ると逆に笑いだした。
「形成逆転とでも?散々殺された挙げ句ようやく捕縛だってのに、随分と余裕だな?」
「西方貴族も落ちた物ですわ」
ゲオルグとヴァレンティーネの挑発は微笑むクラムに溜め息をつかせた。首を振り、椅子の背もたれに右肘を置いた彼は笑顔を消した
「事の真相を大体予想できて居ないと考え、自分達は殺されないと考えているなら…君達は私への敬意が足りないようだな」
「あいにくですわ」
ヴァレンティーネの返答は静かにクラムを黙らせた。口をへの字に曲げた彼は、額から伸びる右側の角を数回撫でた。
「君の仲間の話に戻そう。私は勿論君達2人だけとは考えて居ない。5人だろ?となれば…残りの3人は未だに作戦中だ」
「それでも止めに行かないとは…何か策でも?」
彼の怪しい発言に、ゲオルグが1言尋ねた。その言葉に笑顔を浮かべると、クラムは扉を一瞥した。
「私が皆に知らせれば、この街のたった3人の暗殺者なんて直ぐに見つかり作戦は失敗…」
「他の3人は私達とは違って、死しても事を成しますわ」
「そうかも知れないな。私が知らせなければな…とは言っても、この西方を帝国に迎合させるには南方新派を全滅させねばならない」
クラムの勿体付ける言葉に、後ろに立つゾエの眉が動いた。それを見ていた席の2人は何か不穏な空気を感じ始めた。
「どうせ君達が他の連中の気を引いている隙に、残りの仲間が突入して暴れるなんて単純な筋書きだろう?」
拘束される2人にとって分かりにくい状態に、お互いを見た後でゲオルグがクラムの視線の隙をついてゾエを見た。
そんな彼女は、無表情のまま首を傾げるとそっぽを向いてしまった。
「君達は何か勘違いしているようだが、別に私は南方に与する訳では無いよ。断れないから協力するだけだ。腹の底では君達と同じさ」
両手を広げ肩を竦めたクラムは、親しみやすい笑顔だった。
「そうだな…まだ行動が起きない当たり…作戦は19時頃かな?だが、君達がこの状態なら陽動も出来ない。となれば、私の協力が必要な訳だ。つまり、これは交渉な訳だ。口約束だがな」
彼のザクセン派からの突然の裏切りに、椅子の2人はもう一度お互いを見た。
「あの権力主義の馬鹿共の生死は私にかかってる訳だ。君達が彼等を殺さなくても、私が彼等を死に追いやる。違うかね?」
「どういう事ですの?」
部屋を見回し、壁際の棚からグラスとワインボトルを取り出した。
再び席に着く彼の表情は相変わらず笑みであり、グラスを3つ机に置いて1つをゾエに渡した。
「私も何時かは私も降り掛かる血統主義の火の粉を払わなければならない。そうなれば、何も言わずに黙っていた私とて行動する。悪魔の青年君、君はどう思うかね?」
「そう思います」
グラスにボトルの中身を注ぐクラムの言葉に、探るようにゲオルグが答えた。その回答に頷き栓を閉めると、彼はグラスを2人の側においた。
「弱腰の南方派を殺して帝国勝利に貢献しても、戦後の裁判で執行猶予付き有罪は御免だ」
呆気に取られる2人を集中させるように、彼は机を数回叩いた。
「君達が、この作戦を成功させたいなら、私と取引してもらおう」
「取引とは、何を扱うのでして?」
「君達には大きな権限が無いだろう。指揮官がいるはずだ…こんな大胆で酷いやり口を考え付くとなれば、北じゃない…総統とか言う奴か?」
少し動いたヴァレンティーネの口元に、クラムは手を叩くと彼女を指差した。
「今のは大当たりだろ?そうだろう!」
「今の所、大当たりとだけ」
彼女の反応に、彼はガッツポーズをすると顎に手を当てた。
「いやいや、楽しいな!それで…何の話だったか…そうだ取引だ」
そう言うと、彼は前のめりで2人に近づいた。
「私の身柄をこれから起こる争乱後保護して、総統と交渉させて欲しい。かなり謙虚だと思うがね、かなり下手だよ」
「私も、少し前まで荒っぽい事や酷い事をしていましたわ」
「最近もしてるのでは?」
「そうですが…それよりもっと前でしてよ!それで、その時思ったのですわ。うますぎる話は信じてはいけない。身を滅ぼしますわ」
クラムの交渉に素っ気なく返したヴァレンティーネに、彼はただ静かに頷いた。
「確かに、私が君ならそう言ったな。だが、このままでは帝国が余計な戦線を抱える。まぁ、どうでも良い話だがな」
彼の言葉に、彼女は後ろに立つゾエを額の目で見た。彼女は数回首を横に振った。その目は明らかに状況が予定より異なった方向に進んでいるため、止めろと主張していた。
「良いでしょう!取引に応じますわ。その代わり協力して貰いますわよ」
ゾエを無視して承諾した彼女は、ゲオルグとゾエに目配せをして黙らせた。
その視線に気付かないクラムはグラスを持つと、晴れやかな笑顔て乾杯した。
「帝国の為に!」